メディアの価値の変質と現在の本質
【社会考察】 メディアの価値が変質している。現在は未だ過渡期だが、歴史的転換でもある。江戸時代の庶民の情報源「瓦版」と行政(幕府)側のお触れ「立札」から新聞・ラジオ・TVと大日本本営発表・官公庁リリース・プレゼン資料と進化。今や行政も一つのオウンド メディアであり、同じく各企業もSNS等を駆使してオウンド メディアを運営している。
報道機関は一次(速報系)及び二次情報の取り扱いのプロだ。新興のニュース系ネットメディアは三次情報に分類される解説系の記事が強く、ニュース系の出版社のメディアは一次・二次・三次を巧く使い分けている。まとめサイト等も三次情報に分類される。新聞は一次情報の束とも云える。視聴率に左右されるTVはスポンサの顔色を伺う。同じく広告収入に左右されるネットメディアはゴシップを筆頭にアクセス数が至上命題となる。
<ブランディングとキュレーション>
ユーザは、その媒体が出す裏を気にしながら情報を得る。これがニュース リテラシの問題である。メディアの価値は人によって異なる。隙間時間を潰したり、リフレッシュするだけならニュース アプリ等で充分だろう。だが自身の人生に有益な情報を得たいのであれば、ニュースの取り扱いは注意しなければならない。媒体はユーザにとって合目的的である必要がある。だが実際は媒体よりも特定の記者の方がロイヤリティが高い。
「媒体<記者(ディレクタ)」の時代に入っている。映画の様に誰が監督したか。その記事や番組は誰が担当したか。個人のブランド力が増している。その強い個人が発した情報に重みがある。それは企業でも云える事だろう。誰が企業を創ったか、誰が企業を引っ張っているか。情報を供給する側はターゲットと目標を明確にできる媒体ないし記者が強くなる。情報を需要する側は唯一、一人の記者のみを支持するのではなく、自身の目的の為に情報ストック(リスト)へ複数の情報源を集めるユーザが独自的見解を有す個人となる。
前者がニュース ブランドであり、後者が真のキュレータである。これがメディアの価値の変質であろう。
記事:金剛正臣