二言
言わずと手渡される入学祝。それでこそわが親、と安堵して気付く袋の数。双子に一つ、よもや中に一枚なんてことは。点袋に三つ折りされた紙幣の枚数や三枚にて。ならば、ピン札の壱萬円にて二袋か、弐萬円づつ二包みでも。子も子なら親も親にて。
帰り際に立ち寄りし神社の境内に残る昔の面影。腕白相撲の決勝戦。五分の星にて迎えた大将戦。迎える相手や隣組の堀雄一郎君。腕力は私のほうが上だったはずも彼は粘り腰にて土俵際がしぶとかった。負けて逃した金メダル。当時から体格よく、陸上に水泳、相撲に野球、サッカーにバスケとあらゆる種目をこなしたから。
三年ぶりの大会に見るチーム数、部員の減少は深刻にて。勝負など二の次、定員に満たねば試合が成り立たぬ、と請われ、「票の為」と馳せ参じたはずも足りる人数。万一に備えた「保険」らしく、市議に二言など、あるナ。そちらはベンチにて試合を終えた。
そんな事情はどこも同じ。私が大学時代の仲間と作ったチームが今もかろうじて隣区に存続しており。当時は区内では表彰台を逃したことなく、市の大会でも優勝したこともあるチームなれど、それは私が在籍していた頃の話。そちらはベンチならぬスタメンと聞いて十年ぶりにユニフォームに袖を通した。何せ性格は当時のままにてオッサン連中のウケは抜群、懐かしい顔ぶれに些かの遠慮もなく。
むしろ、チーム内に知らぬ顔多くも伝説の選手として今も語り継がれているとか。そりゃ結構、が、往年の名選手がなんでライパチ(八番ライト)なんだ。「おい、ライト狙ってやれ」なんてヤジられて、「打てるもんなら打ってみろ」と虚勢を張ってみたものの、さすがに空白の十年は大きく、内心や「絶対に飛んで来るなよ」と冷や汗もの。
相手の好投に味方の打線が抑えられて迎えた私の打席。意識や外野スタンド一直線なれど、脳裏よぎるは当時の記憶。若さに任せて挑む乱打戦。二死満塁に凡退の悲劇、無死一塁に平凡なフライは数知れぬ。真っ向勝負はリスク大きく、投手戦において確実に有利な展開に持ち込む為に、と教わりし戦術。狙いし三塁線に転がるボール、はまさに今は亡きMさん直伝のバント。
あとは自慢の足を生かして、と生じる不測の事態。よもや間に合わぬのではあるまいか、駆け抜けるよりボールが早く。が、グローブからこぼれ落ちるボール。必ず転がすこと。相手の失策に救われた出塁は何とも格好が悪く。壮年ソフトボール大会などでは目にする光景。当時ならば難なくさばけたその打球、頭で思い描くも動かぬ身体。一塁線上に石ころなどないのに足がもつれる、は老化の兆候。
助っ人の見せ場むなしく、結果や惨敗。試合後に差し出される手は健闘の証。私などはガッチリ握手を交わしたものの、幾人かが見せた躊躇は何とも。
(令和4年6月5日/2715回)