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Elysium

床師

2022.06.05 10:00


ここへ来て私の毎日は

日が昇ると同時に始まった


お天道さんと共に起きる事には慣れている

家でもそうだった

お父お母を起こすことが

私の仕事だったからだ


だから

そう

違いはない


床間の掃除をして 女達を起こす

起きない女も居る


「昨晩遅かった奴は 寝かしとけ」

姉さんが言った

ここでの女は夜働くのだ

稼ぐ女程 朝は遅い


夜通し

男の相手をした女は 

遅い朝に

床を離れることを許されている


解けるように眠りについている女達を見ると

不安になった


いつ私は働かせられるのだろう


男というものに

対して無知な私に何が出来るのだろうか


昨晩女達が掴んでいた格子を磨く

外とを隔てるもの

女を閉じ込めておくもの


それを今私は今宵のために磨いている


もしかしたら

このまま日々は過ぎるかもしれない

雑用をするだけで

男の相手をすることも お金を生み出す事もしなくていいのかもしれない


そんな思いを持つ瞬間もあった


夕暮れが近づいてきた頃

私は客間への布団を整えていた

敷かれた白い布団


その横には火をともす蝋燭を立てる


「久子」

大姉が私を呼んだ

私は手を止め 出来るだけ急いで大姉の元へ駆け寄って行った


「あんたいくつだ?」

「十四となります」

私は素早く答えた

大姉は分かったと頷くと


「後でこっちに来」

そう言い残した


私は再び仕事へと戻った


姉さんが私の元へ来て

「大姉があんたの所来たか?」

と尋ねた

私は頷いた

姉さんは顔をそむけ出て行った


大姉の元に行くと

そこには見慣れない男が居た


身なりのいい男で 女衒でもなさそうだ

部屋へ入る私を眺めると笑みを見せた

男は若くはない


「久子 こっちにおいで」

大姉に言われ私は 傍へと近づくと膝をついて挨拶をした

「久子と申します」

男は

「幼さがまだ ちゃんと残っているじゃねえか」

嬉しそうに笑った


捕食者の放つ匂いだ


私の本能がそう言った


こいつは

娘を喜んで喰らう捕食者だ

気づいてしまった私は

蛇ににらまれた小動物のように 動けなくなってしまった


否応なしに起きる

非捕食者の反応だ


逃げたい

逃げられない

怖い 怖がるな 嫌だ


ここで生きる事は 自分を売る事だ


私に嫌がる資格はない

私にはどんなことでも

拒否する権利などないのだ


生きるためには受け入れる


「久子 あんたの初めての相手をしてくれるお方だ」

思っていた通りの言葉が耳を劈いた


この男が私の体を女にする


私は 男の前へ膝をついた

そして三つ指を立てて

床に額を合わせる様に頭を下げた

「お相手のほど 宜しくお願い致します」

「素直でいい子じゃねえか

いいぞ 俺はな 素直で従う娘が好きだ 

久子と言ったな 

お前みたいな素直な娘は いい女になる なるのを見届けてやる」

男は笑った

「さ 涼さん 一杯飲んでくださいな 

お酒に飲まれる前に この娘のお相手を頼みますよ」

大姉は上機嫌の様子で 酒をついだ


「久子 さっきあんたが布団を敷いた部屋で待ってな」

大姉は言った

私は

「はい」

そう返事をし さっきしたように深く頭を下げた

そして 笑い合う二人を残し部屋を出た


唇を噛む

痛みを感じると感情を抑えられる


私はさっき整えていた部屋へ入った

蝋燭にはまだ火は灯っていない

女達の声が聴こえてくる

昨晩まで 耳障りに思えていた声々が今は恋しい

膨れ上がる鼓動が

呼吸を乱す


さっき私が整えた布団

自分で自分の墓を掘ったように見えてしまう


私は布団の横で跪いていた

扉が開いた

男は頬を赤くして入ってきた 大姉とのお酒が進んだのだろう

私はさっきと同じように頭を下げた


男は私に近付いてきた

見た事もない男だ 一度だって憧れた事もない男だ 

「俺の名前は何てえか 知ってるか?」

男は私に聞いた


「はい 涼さんと言うお名前だとお聞きしました」

男は満足そうな顔をした

「先ほど 大姉が一つだけ 貴方様の事をそうお呼び致しました」

「お前は 聞き逃さず聞いていたのだな」

「はい」

男という者がどういうものなのか

私には分からない


優しいのか 頼もしいのか 野蛮なのか 何も分からない


男は私を布団の上へと押し倒した

私は抵抗することなく そのまま布団へと倒れ込んだ

見慣れた天井が

目に飛び込む


男は私の首筋に顔を当てると

耳の裏の匂いを思い切り嗅ぐ様に 息を吸い込んだ


熱い息がかかる

私はぎゅうっと目をつむった


「まだ娘の匂いだ」

男はそう一言発すると 乱暴に私の着物を脱がせ始めた

抵抗しそうになる手足を 


自分の

思考で止める


感情に体を明け渡してはならない


男は私の両手首を頭の上へ持っていくと

容易に片手で掴んだ 身動きできない私の体を

男は舐めた

におい付けするように舌を這わせる

そして

男は私の中へと 入り込んだ


力づくで入れた


私の身体は痛みで反り返った

反射的に拒否しようとする私の身体を

男は押さえつけ

奥へ入れた


出来るだけ奥へと突っ込んだ


声に出そうになると私の口を手で押さえた


涙が出た

あれだけ泣くなと姉さんに言われたのに

涙が布団に落ちた


落ちた涙は

痛みなんかからじゃねえ


約束を守れなかった罪悪感の溢れだ


女になるには心も体も痛むこと


そこには

優しさや 気遣いや 人の肌の温かさなんか

感じさせてくれるもんはねえ


ちっとも

なかった


男は動き続けた

私は天井を見つめていた

「ああ」

男は短い声を発した

それと同時に私の中から抜き出すと

腹の上に生暖かい液体を出した


動いちゃいけない

見ちゃいけない


両方の目は生体反応の様に

固く閉じられた



遊郭という場所は

捕食者と非捕食者の関係性が


この世界における

相反する性別の間に存在し


上手い具合にお金という道具を

混合させながら

成り立っている所



ここでは犠牲者として在る事はない


何をされても

何を想っても


供給者として存在するのみだ


選択肢はねえ 選択できる思考もねえ

ただ

女で生まれた

それが故に 在る役割を 

そういうものだ

と運命づけて


諦めるしかねえんだ


ただ思うだけの思考さえも制限される


精神の死は

肉体の死を容易に超えるもんだ


腹の上に出された液体は 

そのままだった


誰も処理してくれない

どうしたらいいのかなんて


誰も教えてはくれない




後にこの液体が

いずれ

人間の形ある源になると知ってぞっとした


人間になる可能性を私は腹の上で


殺した


一体

何人になり得る可能性だったのだろうか

吐き気と共に

腹をつねる

力いっぱいつねり上げた


かっ裂いてやりたくなった

犯罪者の肩かつぎになったように思えた


男は酒を食らって

娘を喰らい

眠りについていた


ばけもんみたいな鼾をかいて

恥もないままに横たわっていた


目を開けられない私は

その時誰を頼ればよかったのだろうか


あかない目から涙が外へ出たがった


神はやっぱり 

いねえんだ



その時

ふすまが勢いよく開いた


姉さんだった

息を切らせていた


「ああ」


姉さんは切らした息を詰まらせた

私を見つめた


「ごめんな    久子」


力なく

姉さんは言った

自信を全てはぎとられた様だった 


いつもの姉さんがそこには居ない


姉さん


私は泣かなかった


果たせなかった私との約束を

突き付けられた

姉さんが居たからだ


私の出来ることは


横たわる男を無いものにして

腹の上の乾いた液体を無視して


涙をもう

落とさないことだった