「宇田川源流」 六四天安門事件から33年経過し言論統制が酷くなった中国の「今」
「宇田川源流」 六四天安門事件から33年経過し言論統制が酷くなった中国の「今」
あの天安門事件から33年目の6月4日であった。さて、知らない人もいないと思うが、「天安門事件」について、一応辞書的な説明を出しておくことにしよう。ちなみに、天安門事件というのは、今までに二回あった。その両方の定義をここに、それなりのところから抜粋して出しておこう。
<ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より抜粋>
天安門事件
(1) 1976年4月5日,中国,北京の天安門前広場で,故周恩来総理に供えられた花輪の撤去をめぐって民衆と当局側が衝突した事件。四・五運動とも呼ばれている。 76年1月8日に病死した周恩来を追悼する民衆が,清明節にあたる4月5日天安門前広場に多数の花輪を捧げたのに対して,当局側がこれを撤去しようとして衝突が起り,死傷者と逮捕者が出た。共産党中央政治局は,4月7日天安門事件を反革命事件であると断定し,これを理由の1つとして,鄧小平をすべての職務から解任する決議を満場一致で採択した。 10月の「四人組」逮捕後 鄧小平が復活する過程で,「四人組」がこの事件を政治的に利用し,鄧小平の失脚をはかったとされた。なお 78年 12月の 11期三中全会において,この天安門事件は「偉大な大衆運動」として名誉回復された。
(2) 1989年4月 15日の胡耀邦前共産党総書記の死去を契機として起った,民主化を求める学生や市民に対する中国当局の武力弾圧事件。北京の学生たちはデモやストライキを組織し当局に腐敗反対,政治改革および民主化の実行などを求めた。4月 26日当局は学生運動を動乱として糾弾した。これに対し学生たちはさらに大規模なデモで対抗し,5月 13日から党内の意見対立やゴルバチョフの訪中を利用して,ハンストを組織し天安門広場を占拠,デモなどの街頭活動が全国の大中都市に広がった。5月 20日,当局は北京地区において戒厳令を発動し,市民および学生は戒厳軍と数日間対峙したが,6月4日戒厳軍は学生や市民に発砲し,天安門広場から排除した。その結果 300人余の死亡者を出し,多数の指導者が逮捕され,学生運動の責任を問われた趙紫陽共産党総書記らが失脚した。その一方アメリカをはじめ西側諸国は中国当局をきびしく非難し,経済制裁や政府高官訪問禁止などの措置を発動した。
<ブリタニカ国際大百科事典:https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6-102038>
さて、この第1回(1976年)と、第二回(1989年)を区別するために、中国ではその起きた日にちを入れて6月4日、つまり64天安門事件というようになっている。そのために、中国のネットでは「64」などでも、検索できなくなっているのである。
さて、この事件から33年目の先日の6月4日、中国はどのようになっていたのであろうか。
天安門33年 北京は警戒態勢
【北京=比嘉清太】中国で民主化運動が武力弾圧された1989年の天安門事件から4日で33年となった。習近平(シージンピン)国家主席が自らの3期目政権発足をにらむ今年後半の共産党大会を控え、中国当局は北京市中心部に多数の警察官を配置し、民主化を求める抗議活動が発生しないよう厳重な警戒態勢を敷いた。
天安門広場の周辺などでは、警察車両40台以上が配置された。多数の学生らが犠牲となった市西部の木●地では、私服警官らが通行人の動きに目を光らせた。(●はきへんに犀)
関係者によれば、犠牲者の遺族や人権活動家の一部は最近、当局の要求で北京市の自宅から移動させられた。行先は不明だが、外国メディアとの接触などを防ぐ措置とみられる。
北京市や天津市の大学では最近、厳しい新型コロナウイルス対策で行動を制限された学生らの集団抗議が相次いだこともあり、当局は事件への批判が再燃することに神経をとがらせている模様だ。
2022年06月04日 11時28分 読売新聞
https://news.nifty.com/article/world/worldall/12213-1671479/
“天安門事件”から33年 中国外務省が武力による鎮圧を改めて正当化する発言
中国では民主化運動が武力で弾圧され、多くの犠牲者を出した“天安門事件”から4日で33年を迎えた。
けさの天安門広場周辺は、数多くの警察車両が配置され銃を持った武装警察の姿もあった。広場への入場は、先週から突然「コロナ対策」という理由で前日までの予約が必要になるなど規制がさらに厳しくなっている。民主化の要求や遺族らの追悼への妨害は各地で強まっており、香港では「国家安全維持法に抵触するおそれがある」などとして追悼式典が今年も見送られた。
中国外務省は「あの政治的な騒動は明確な結論が出ている」として、武力による鎮圧を改めて正当化している。(ANNニュース)
2022年6月4日 12時48分 ABEMA TIMES
https://news.livedoor.com/article/detail/22281713/
さて、33年前の悲劇から中国はどのようになったのであろうか。実際に、その直後から2000年くらいまでは、それでも「改革開放」という掛け声の下で様々な事を行っていた。情報の開示に外資の積極的な取入れ、そして外資で入国する外国人の行動の自由の保障などが、その中に含まれていた。私が中国に行った1996年から2000年などは、最も良いときといわれ、外国人であれば何をしても許されるような時代であったといえる。例えば、軍事基地の奥深くに入っていったとしても、とがめられることはないばかりか、お金を払えば、軍用機(例えば戦闘機など)や戦車にも乗れたし、試射ということで大砲を討つことができた。実際に当時のガイドツアーにが「軍に行ってロケット砲を撃つ」などというようなオプションがついた北京ツアーがあり、かなりの人気を博していた。
要するに現在のように軍の門の前で写真を撮ったくらいでスパイ扱いをされて拘束され、裁判で有罪になるようなことはなかったのである。
しかし、今はどうであろうか。中国の軍事基地の近くを通れば、そのままいつ拘束されるかわからないし、温泉の調査を中国人に依頼され、地下を調査しただけでもスパイ容疑をかけられる。軍の基地にがいるなどはもってのほか、それどころか、日本人の旅行者ですら、毎日監視されているというような状況で、自由な時間もプライベートもない。
日本人は日本に戻ってくればそれでよいかもしれないが、中国人はそのような環境で毎日を過ごさなければならないということになる。当然に、海外を知っている人やもともとはイギリスの教育を受けていた香港などは、そのような中国政府の統制や人権無視に対して非常に抵抗感を感じることであろう。その動きが、天安門事件であり、その後の民主化の運動であるということになる。
中国に行って仕事をした人(何日か刊行したという人ではない)は、当然に、中国での仕事や行動の窮屈さを知っているはずだ。それは「外国人天国」といわれた、2000年までであってもそうだ。当然に、すべてが許可制で物事が進んでおり、そのために、昔のままの感覚でいる日本人はわいろを渡してしまうということになる。そのことを習近平は「反腐敗」で一掃した。それでも日本人の感覚は全く関係ないということになるのではないか。そのようにして犯罪が無くなるだけであればよいが、習近平に対する反対派がいなくなり、そのまま政府が人民をすべて弾圧するような感じになっているのである。
そして「雨傘革命」などから、徐々に弾圧を強め、昨年香港の民主派もすべて逮捕されてしまうというような状況になった状況で、今年の「64天安門」はかなり気になった。
しかし、結局政府の圧力に屈した形になってしまっているのではないか。しかし、同時に不満は地階に蓄積されることになる。その蓄積された不満は、今後どのように動くのであろうか。今年は33年前に亡くなった人々の慰霊祭も中止に追い込まれ、政府は「武力行使は当然」ということ、つまり、今後も人民が民主化を求めてデモを起こした場合は武力を使って弾圧する可能性があるということを表明している。
日本にも中国に影響されている人々がいる。そのような人々は、この現実をどのように考えているのであろうか。