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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第1回十字軍19-レーモン4世攻略途上の死

2018.01.07 11:30

さてアンティオキア公にも、エルサレム王にもなれず、十字軍援軍も失敗した可哀そうなトゥールーズ公レイモン4世はどうしただろうか(彼の場合はかなり自業自得のような気もするが)?やっぱまだがんばるのである。ビザンチンの援助で、現レバノンの港湾都市トリポリを攻める。

エルサレムのボードワンも付き合うことにした。海岸線を支配すると、イタリアからの船を着けることができる。それにまあ、放っておくとあとがややこしそうだし。誰でもそう思う。それに彼は意外と面倒見のいい男なのだ、利益になることだけだが。ともかく1104年レイモンはラタキアへ、ボードワンはアッコへ。

レイモンは危害を加えないという約束を破り、ラタキアを占領。そこに堅固な城塞をつくって攻め続けた。そろそろ団結し始めたイスラムも援軍に来て、ボエモンが大敗したため、十字軍側は援軍が来ず、イブン・アマールに城塞を破壊されてしまう。そして結局1105年トリポリ周辺だけ手に入れて亡くなるのである。まあ息子が1109年にトリポリを奪うわけだが。

ボードワンのほうはやはり聡いというか、トリポリのほうにイスラムを引きつけさせて、アッコを十重二十重に封鎖し、降伏を許さず、短期間で制圧してしまった。戦さ上手とはこういうことを言うのだろう。

下は故郷を出発するレーモン4世なんとか錦は飾れた?