命日
昭和天皇崩御の今日は
祖父の命日でした。
朝の御墓参りをすませ、
施設にいる祖母を迎えに車を走らせる。
今日はとても穏やかで、祖父とこの道を何度も通ったなぁ〜とか、看取った瞬間のことを思い出したりしながらの一人ドライブ。
子どもの頃、祖父の後をくっついて色んなところに顔を出して、いろんな話を聞かせてもらったのに
いつの間にか、ハンドル持つのは自分になって、出来るだけいろんなところに出かけたけど、体が弱くなった祖父には祖母の施設までの往復がちょうどいい時間だったかもな。
昔は散々喧嘩してた祖父母。
自分たちが小さい頃と言ったら、50代後半。
顔が柔和になったなぁと思ったのは、やっと80過ぎてから。
肉体労働で鍛えられた腕っ節に眼光は鋭く、営業に来た人がビビってしまうほどだったおじい。
それに負けじと泣きじゃくりながらでも向かっていった気の強いおばあ。
毎回、「やれやれ」って感じだったのは言うまでもなく。。
そんなおじいが、晩年ポロッとこぼしたおばあへの想い。
「あんなばーさんでも、となりにいなきゃ寂しいもんだ」
へぇ〜、珍しいこと言うなっと、思ったけど
私の知らない二人のドラマもいっぱいあるだろうし、離れて過ごす時間が素直な気持ちを吐露させるのだろうと
こちらも微笑み返したのを思い出す。
「もう4年も居ないんだよね〜。」
とボソッと言うと、助手席にのったおばあが
「最近夢にも出てこないなー」
と。
「そうなんだ」と私。
嘘か真か、祖父が亡くなった頃
面会に行くと「じーちゃんが会いにきたんだ」とか
「冷たいのに床に寝ちゃうんだよ」とかよく口にしていた。
おばあは昔から小芝居が多いので(笑)、聞き流してたけど、
無くはないか。と言うのが今の心境。
夢で会えるなら、ちょっと羨ましいけどな。
やんちゃな3人のひ孫の成長を目の当たりにして、
今日はおばあも楽しいそうで、いつもの小言も不自由な身体を嘆くこともあまりなかった。
不便が多かった時代を生き抜いてきたおじいと
おばあ。
暮らしの中でその知恵を聞くたびに心がワクワクしていた。
便利になれてしまうと、なんだか自分の五感が鈍って行くのを感じてそっちの方が怖いんだよね。
だから、ちょっと不便な方を選んでしまう。
そっちの方が自分らしいから。
祖父との距離が近かった分、もう教えをこうことも、他愛もない会話ができないのも寂しいんだけれど、なんとなく近くにいて、見守ってくれてると思える日。
今夜はどっぷりヨガをしてから床に就こうと思います。