学び、そして考えるということ
- 2種類の考える
人間が他の動物と異なるのは、その「考える」能力によってであると言われています。
しかし「考える」と言っても大きく分けて2通りがあります。
1つめは日々生じてくる様々な問題に対処するために「考える」ということ。
たとえば「しまった!寝過ごした!学校に遅れてしまう、どうしよう!」と考える。
みなさんならどうしますか?
学校に行き素直に謝りますか、それとも怒られない言い訳を考えますか、いっそのこと怒られるならもう家に居ますか?笑。 いろいろ「考える」でしょう。
ここで、わたしたちの目は外へと向けられています。
2つめの「考える」とは、これまで当然そうだと思っていたことに対して、本当にそうなのか、なぜそうなのかと問い直してみたり、あるいは日頃の生活を振り返り、このままでよいのかと考えたりすることです。
つまり、自分の考え方や生き方を反省するという意味であり、1つめの「考える」に対してわたしたちの目は中へと向けられています。
どちらの「考える」も私たちにとって必要なことですが、人間が他の動物と違うのは後者の「考える」をするからです。なぜそう言えるのでしょうか。
- 「人間は考える葦」
ただ生きていくための知恵なら動物も持っています。食料の獲得や敵からの逃亡の際に動物がみせる的確な判断は、時としてわたしたち人間を驚かせることがあります。
南米に生息するフサオマキザルは、ヤシの実を割るためのハンマーや金床を用い、その使い方を仲間にも伝授するという、わたしたち人間に比肩する文化を持っている稀有な存在として知られています。
しかし、この利口なフサオマキザルでも「なぜ自分は生きているのか」「自分はいかに生きるべきか」とは決して問わないでしょう。犬を叩けばキャンと吠えることはあっても「なぜ俺は飼い主に叩かれているのか」と考えることはありません。このように、ただ人間だけが生きていることそのことについて考えることができる存在なのです。
フランスの思想家として知られるパスカルは「人間は考える葦である」と言いました。葦とはイネ科のか細い・よわい植物です。人間は、たしかに他の動物と比べれば自然界の中では弱い存在かもしれません。ですがそれは「考えることのできる葦」であり、だからこそ人間は霊長類の中で確固たる地位にあるのだと言われるのです。
この二つ目の考えるが、人間を人間たらしめているのでしょう。
- 先人から学ぶ
では、自分で考えてさえおればいいのでしょうか。それについて有名な中国の思想家である孔子の言葉に
「学びて思わざれば則ち罔く、思いて学ばざれば即ちあやうし」とあります。
人から学んでいても自分で考えることがなければ実りある知識にならないし、自分で考えていても人から学ぶことがなければ偏見に陥ってしまうかもしれません。
逆に学ぶことと考えること、それを両立することができればあなたの視野は格段に広がっていくことでしょう。
せっかく人間に生まれてきたのです、「なぜ」という視点をもつことを心がけたいものですね(^^♪