Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

大阪砲兵工廠のサラマンダー 0013

2010.01.27 15:00

大阪城に3つほど残ってました。

鉱滓(スラグ・のろ)は、鉄鉱石に含まれる鉄以外の物質と、

石灰石やコークスや、炉の内側の煉瓦ライニングの消耗部分などが、

高熱によって溶解された混合物です。

 

アツアツのドロドロのスラグを出す出滓口が、炉底にありますので、

運転している時は問題ありません。

溶解した鉄よりも、溶解したスラグのほうが、比重が小さいので、

出銑口よりも、出滓口のほうが、高い位置にあります。

 

でも、鉄よりも重い銅や鉛などの不純物は、炉のいちばん底に溜まります。

定期的な補修や、部品の取り替えの時に、炉の火を落として、炉底を解体します。

その時に、重金属や、鉄の中でも鋼(はがね)などは、

出銑口よりも下に残って固まっていますので、ごそっと、抜き出します。

この塊りを、サラマンダーと言います。

手前の、でかい水盤がそれ。

 

故障や事故などで、予定外に火が落ちることもあって、

鉄よりも重い物質だけでなく、銑鉄やスラグやコークスなどの、

よく溶けていない燃え残りまで、炉の底で固まってしまいますので、大変みたい。

サラマンダーを見れば、炉の大きさや形だけでなく、

定期的な部品の取り替えか、それとも予期せざる運転停止によるものだったかが、わかるそうです。

 

     大阪砲兵工廠は、何度も絨毯爆撃に遭って、不発弾がいっぱい埋まっていたの。

     弁天島(今のOBP大阪ビジネスパーク)に、高層ビルができるまで、

     立入禁止になってました。

     不発弾処理のために、自衛隊が駐屯していたの。

 

     子供の頃、大阪城に行った時に、うちのお兄さんが自衛隊の囲いの中に入って、

     シェパードに噛まれて、医務室で手当を受けました。

     出てくるまで25分間ぐらい、わたしは一人、囲いの外で待っていました。

     思い出の地です。

 

     一般の民家は、焼夷弾で燃やされたけど、大阪城は東洋一の軍需工場だったんで、

     1トン爆弾をたくさん落とされました。

     陸軍の工場だから、ちょっとやそっとの爆風では、

     びくともしないように作ってあったと思います。

 

     爆弾が落ちると、地面に穴ぼこが出来るでしょう?

     その範囲は、被害が出ても仕方ないけれども、

     爆風や、破片が飛んで来るだけの範囲では、

     びくともしないように、頑丈に作ってあったのではないかしら。

     溶鉱炉そのものに命中したら、仕方ないけど。

 

     砲兵工廠の古い写真を見ると、高炉のような背の高い溶鉱炉はなかったみたいで、

     その他の種類の溶鉱炉の、サラマンダーと思います。

     大阪砲兵工廠では、自前の鋼を作っていましたが、

     高炉がなく、銑鋼一貫生産でありませんでしたから、

     どのような種類の製鋼炉を使っていたのか、

     サラマンダーを見ただけでは、わたしには全然、見当がつきませんでした。

 

     転炉って楕円形の炉底かしら。でもあれは、溶銑を原料にするのでしょう?

     キューポラみたいなのかしら。それって鋳物を作るための炉でしょう?

     反射炉かしら。平炉って今は昔で、見たことがないから、知らないの。

     電気炉だったら、やさしすぎるしね。

 

     砲兵工廠が戦時中に、どんな種類の製鋼炉を使っていたか、

     検索しても出て来ませんでした。軍事機密かしら。

     サラマンダーって、古代インドから古代ギリシャにかけての、精錬の神様。

     中世ヨーロッパで持てはやされました、錬金術の関係で。

     現代日本でも、サラマンダーが製鉄関係の用語になっています。

 

それとも陸軍は外国に爆撃されるなんて思っていなかったので、

砲兵工廠は脆く出来ていたのかしら。

後ろほうの煉瓦造りの建物は、大阪砲兵工廠の化学分析場で、

1919年に建てられたものです。

数年前(2010年現在)まで自衛隊が使っていましたが、

今は廃屋になって、お庭は駐車場として貸し出されています。

 

砲兵工廠は、空襲で80%が破壊されたと言いますが、

化学分析場の外観は、あまり傷んでいません。

機銃掃射の痕がないんです。

 

爆弾で傷んだ部分は補修せざるを得ませんけど、

鉄砲の弾の痕形は、建物全体にニキビ痕みたいに小さな傷が残るので、

煉瓦造りの建物の場合は、どうしようもないでしょう?

大阪でも東京でも、銃撃を受けた鉄筋コンクリートのビルや、

煉瓦造りや石造りの建物を、わたしの子供の頃は、

たいてい機銃掃射の弾痕を気にせずに、そのまま使っていました。

穴ぼこの奥に、ひしゃげた金属の弾が埋まってたりね。

 

でも、砲兵工廠の化学分析場は、女の子みたいに奇麗な肌なので、

少なくとも機銃掃射は受けていないと思います。

 

うちのお母さんも、田んぼで草取りをしていると、

急に、谷あいの地べたを這うように、山かげから戦闘機が現れて、

ダダダダダッて、機銃掃射をして行ったので、

痴漢に遭ったみたいに、土手にへばりついて、

しばらく心臓が凍り付いたまま、土手から離れられなかったそうです。

お肌に当たらなかったので、何ともありませんでしたけど。

 

砲兵工廠の兵の意味を、御存知ですか。

兵隊とか兵士とか勇者とかの、人を指す意味と、

武器とか兵器とかの、物を指す意味とがあるんです。

砲兵工廠の兵は、武器弾薬などの物を指しています。

廠って、屋根はあるけれど、お部屋も壁も塀もない、伽藍とした建物のこと。

 

戦争が始まってから1年ぐらい経つと、砲兵工廠は暇々になりました。

原料や燃料が入って来なくなったので、仕事ができないんです。

学徒動員された子が、お手伝いに来るから、

なんにもすることがなくなって、毎日毎日ぶらぶらしていたそうです。

 

うちのお父さんもお母さんも、大阪砲兵工廠で働いていました。

お父さんは徴兵されて、工廠から戦地に行ったけれど、

お母さんは、工廠に付属していた女学校を卒業して、新制の高卒と同じ扱いなんですよ。

お母さんのほうが高学歴。

工廠で働きながら女学校で勉強して、卒業しても結婚するまで勤めてたから、

子飼いの女工ね。

漆をアツアツに沸かして、刷毛で大砲の弾に塗るの。

結婚する前から、許嫁(いいなずけ)だったそうです。