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大阪市立愛珠幼稚園 0014 意識と意志

2010.01.28 15:00

大阪の適塾の、斜めの背中合わせに、昔からある幼稚園です。

銅座の跡の、奥行の深い、天井の高い、大きな木造の、平屋建園舎。

西側から見ると、二階建てみたいに見えます。

講堂かしら、体育館かしら。お遊戯場?

100年以上前からこれだったそうです。

空襲に遭わなかったのが不思議。

 

赤いバッグのお母さんが、子供の手を引いているでしょう?

膝と背中を、すこし曲げています。

そうしないと、手が届かないもの。

こういう姿勢って、すごく身体に負担がかかるんですよ。

それでも、気にしません。

愛って何か、よくわかるけど、精神障害者には期待できません。

それが性同一性障害の子の、生殖不能や生殖拒否に出てくるんですよ、症状として。

 

     子供って白血球みたいに無意識に育って、

     機械のように自動的に行動できれば、楽なんですが。

     個体それぞれの側で判断したほうが、

     それぞれに特殊な状況と能力に応じて、最適な行動ができます。

     それぞれの生まれつきに伝えられた遺伝的な能力の通りに、

     個体が生きて、うまく生きることが出来れば、

     次は生殖して、命を増やすってのが、

     40億年このかた、生命のやってきた事です。

 

     植物なんか、うまく生きることができなくなると、

     大慌てで、お花を咲かせて、子孫を作ります。

     親のほうは弱ってしまって、タネができると、すぐに死にますけど、

     タネが元気なら、問題ありません。

 

生物って、生きているのが一番大切と思って来たから、いまここに生きています。

そうでなければ、とっくの昔に絶えてるから、

生物の定義って、個体の使命と同じね。

結果論なので、これほど確かなものはありません。

定義って自由なのに、いつも絶対的だから、

実際に起こった結果に、一致するように定義すると、とても便利に機能します。

 

それぞれの特殊な生まれつきと、特殊な状況という多様性を作るために、

生物はたくさんの個体を生んで育てます。

個体の特殊な条件に応じて、個体の側で、

それぞれの行動を決定したほうが、生き残り易いので、

それぞれの個体には、まるで神様の分身みたいな、判断機構が備わっているの。

 

でも、全体を支配する絶対的な仕組みや存在は、どこにもありません。

インターネットには、超越的に支配的なコンピューターがないように、

生物の身体には、全体を支配する超越的な細胞はありません。

 

それでも一個の白血球は、

それ自身にとっての、身内と異物を判断しているのでなく、

生物の個体全体にとっての、身内と異物とを判断して、

その通りに行動しています。

 

個体全体を維持する仕組みは、個体の細胞によって作られていますが、

超越的で支配的な細胞は、どこにもありません。

個体だけでなく、人類や生物全体にも、自然界や世界にも、宇宙にも、

絶対的な存在や仕組みはありません。

それでも全体として機能する仕組みを、みんなで作っています。

 

     これって結果論なんですよね。

     形而上学みたいになるけど、

     世界や宇宙が、現にここに在ると知るのは、

     世界や宇宙が、そういう存在を維持するために機能していると、

     解釈するのと同じなんです。

     哲学では目的論と言うのですけど、アリストテレスの考え方がその典型。

     デカルトの「我思う、故に我在り」を思い出しても構いません。

 

     俗っぽい日本語では、結果論と言います。

     現にある結果を証拠に、過去はその目的のために機能したと、結論します。

     その通りに未来を類推して、未来がその通りになれば、

     この世界や宇宙には、均一で恒常的な目的や仕組みがあると、確信します。

 

     そんなの、現にここにある物事を、言葉の意味の定義として、

     過去はその言葉のためにあったと言えば、間違いないってことよね。

     定義だから、どんな定義の内容でも、

     未来永劫、宇宙のどこでも、その通りに違いありません。

     一々、検証する必要もなく、絶対的です。

 

     でも、現にここにある物事を、その通りですって定義しておけば、

     たぶん、かなり長期間、便利な定義ですよ。

     だって、生物って40億年、生きてるから、

     生きて生殖して、世代交代するために在るって、定義しておけば、

     便利な定義かどうかの判定って、40億年には、まず勝てもの。

     どの個体も、そんなに生きてられないから、検証できない。

     人を煙に巻く形而上学には、もって来いで、

     さすがにアリストテレスさんでしょう?

     当時は40億年って考え方がなかったもの。

 

生きている個体はみんな死ぬって言えば、定義だから、

検証しなくても、絶対に正しいんです。

太古の昔から、未来永劫、宇宙の果てまで、

検証するまでもなく、絶対に正しいって、最初からわかり切っています。

 

でも、今までの言葉遣いと違う定義だと、

伝えられた文化や経験との整合性がなくて、不便でしょう?

あの人って、生物を観察して、目的論的機械論って言われる考え方になりました。

アリストテレスさんね。

 

人はポリス的存在だそうで、確かに間違いありません。

現代日本語では、人間は社会的動物であるって、俗っぽく訳しますけど、

個体の側の判断が間違っていれば、生殖できずに死ぬだけでしょう?

結果論だから、生殖できずに死んだのは、

判断が間違っていた証拠だって理解するんだけど、

論より証拠ってのと、似てます。

 

     人間って、他の生物より桁違いに、

     個体と個体の、コミュニケーション能力が、優れているでしょう?

     空間的には離れているけれど、情報伝達量からすると、

     個体と個体が密着して暮らしているのと、同じなのよね。

     生殖の仕組みや、個体の概念も、

     見掛けとは違ったものになっても不思議ではありません。

 

     性別は生殖のためにあり、生殖は社会のためにあり、

     個体は社会のためにあるのに決まってますけれど、

     発生の過程を見れば、人工授精やES細胞を見るまでもなく、

     密着すればするほど、それぞれの個体の機能が分業化して、

     それぞれの個体が、同じような機能や形をしていなくても、生きて行けるって、わかります。

     むしろ、同じ形をしているのは癌細胞だけで、近い将来、死滅します。

 

     健常な生物の、細胞のレベルでの分業を、個体のレベルで行なうのを、

     群体って言うんだけど、

     サンゴみたいに個体同士が密着して、無性生殖になるだけでなく、

     ヒドロ虫類の群体なんか、カツオノエボシみたいに、

     それぞれの個体が、それぞれ別の専門的な形と、

     それぞれ別の分業された機能を持って、密着しています。

     人間に譬えると、手だけの人間の個体、脳味噌だけの人間の個体って感じね。

 

     カツオノエボシって、傘は傘、足は足で一本ずつ、別の個体なのに、

     オールインワンになってるの。

     それぞれが、形と機能を分業して、

     全体として、カツオノエボシみたいに、密着した社会を作ります。

 

生物って、なんのために、個体の側で判断するかって言うと、

個体の特殊な状況って、その個体が一番よく知ってるから、

自働機械のような、生まれつきの一律の判断の仕方よりも、

個体の特殊性に応じて、個体の側でうまく判断できれば、

それに越したことがないの。あたりまえだけど・・・

 

でも、自働機械のように生まれつきの仕組みって、40億年の結果だから、

無意識でも、全体として結構うまく行く確率が高いのよ。

お魚なんか、何万って卵を生んで、産みっぱなしの無教育でも、

1匹ぐらいは生き残るみたい。

毎年産卵するし、雄はたくさんのメスに、ブチュッと精子を振りかけるから、

一回の産卵で、1匹、再生産するところまで生き残れば、上出来。

人間が乱獲しなければ、鮭なんか無学文盲でも、何千万年って生き延びられるのよね。

 

ウィルスなんか、個体の側の判断は、あり得ない?

あんなの、生まれつきの自動機構だけで、生きて、

子孫を残しているみたいに、見えます。

でも、鮭の個体も、それぞれの特殊な状況に合わせて、

特殊に判断しているんだったら、

ウィルスだって、個体の側で判断しているかも。

 

個体の側で判断するって、個体の意志ってことかしら、

無意識でないってことかしら。

白血球なんか、生物の一部分の細胞にすぎないから、生物の個体ではないのよね。

完全に自動機構だけで、機能しているみたい。

それなのに、学習って言うのよ、何が異物で、何が身内かを学習して、

不出来なのは処分されるんだけど、歩留まり5%なんだって。

一個の白血球に、生物の個体みたいな意識があるわけないのに、

学習するって言う学者さんもいるの。

 

     人間の個体の身体って、細胞で出来てるけど、

     どの細胞も、一個の細胞は、けっして一個の生物でないから、

     意識なんて、どの細胞にもありません。

     脳の神経細胞も、一個の細胞に意識なんて、ないでしょう?

     でも、全体とすれば、

     一個の生物の個体としての人間には、意識も意志もあります。

 

     これは自然界全体や世界や宇宙も、それぞれの部分のどこにも、

     世界を纏める支配機構なんか、あり得ないけれど、

     全体として、世界は纏まっているように見えるのと同じ。

 

     なにか絶対的で超越的な神様みたいなのが、

     どこかに在るって、人は想像するけど。

     人間の個体の意識や意志を見れば、

     人間のどの細胞にも、意識や意志なんか無くても、

     一個の人間の個体のレベルになると、

     意識や意志が生まれるって、わかります。

     インターネットに超越的なコンピューターがないのに、

     全体が調和的に機能するってのと同じね。

 

     個体に、意識や意志って、どうして生まれるのかしらって疑問が、

     個体の特殊な条件や状況に応じて、

     個体の側で判断するってことの意味になります。

     弁証法なんだけどね。

 

     それを知るには、意識や意志がなくて、

     生まれつきの自動機構だけでも、ウィルスみたいに、

     個体の特殊な状況に応じて機能することができるっていう仕組みを、

     知って置く必要があります。

     そうすると、意識や意志って、自動機構の一種だって、わかります。

 

人間は自分っていう人間特有の意識を持ってるけど、

これって社会思想の一種なんです。

間違ってるか、正しいか、いまのところ、評価のできない社会思想を、

わたしたちは宗教みたいに信じ込んでいます。

 

フランス革命以来、近代的な国家は、

自我と自由と責任の、形而上学的な社会思想を根拠に、

個人の権利と義務を、政治的な法律にしました。

それが正しいかどうか、まだわからないけど、

そういう社会思想を、信じて疑わない気持ちが、

自我ってのを根拠にした感情や行動になるの。

 

自我って言われる精神機能が、人間で発達していることは確かなんだけど、

この機能って、病気かも知れないの。

病気を病気と認識できずに、憲法にして国家を作っちゃった。

病識がないってことね。

そうかも知れないの、自我っていう意識や、それに基づく社会も。

 

そんなの、昔は一杯ありました。

絶対的な神様ってのがいて、王様がその代理って感じで、

人や世の中を仕切っていました。

そんな時代が、すごく長く続いたでしょう?

フランス革命が、それを覆して、

今度は反対に、自由な個人ってのを信じる社会を作りました。

その哲学的根拠に、自我っていう考え方があります。

 

人間の生理って、自然淘汰されて進化したのでなく、

ほとんどは人為選択による進化なのよね。

犬や穀物の品種を作るみたいに、便宜的に取捨選択して、品種改良してきたの。

だから、チンパンジーから人間まで、すごく短期間に、

実際に脳味噌の形と機能が、大きく変わるような進化を遂げたのよ。

ブルドッグや美味しい豚を作るみたいに、人間を作って来ました、

それが、人間特有の文化や政治ね。

社会的動物なの。

 

昔の宗教国家や、王様国家が、あんまり上手く機能しなかったみたいに、

自我っていう精神機能を、人為選択によって発達させて、

それを頑なに信じて、天下国家を経営するのは、

あんまり賢い方法では、ないと思うけど。

とにかく、自我機能ってのが発達したってことは、確かね。

それによって、統合失調症や性同一性障害みたいな精神障害も、生まれました。

そして、それを間引く仕組みが社会にあります。

その仕組みも込みで、統合失調症の類の精神症状が出てくるんですよ。

 

病気って、たとえば現代人は、裸足で歩くと、すぐに足が傷んでしまいます。

子供の時から、裸足で歩くトレーニングをしても、実用には届かないみたい。

でも靴っていう文明の利器があるから、病気とは自覚できません。

視力だって、現代人はメガネやコンタクトレンズが多いでしょう?

文明以前の狩猟時代だったら、視力が弱いって、致命的ですよね。

風邪のウィルスなんて、現代人は、病人や老人や乳児を除けば、どうってことないけど、

インカの人なんか、スペイン人の持ち込んだ風邪のために、半数以上が死んだと言われています。

 

言葉なんか、文明の利器そのものですけど、

物でない文化は、人ってなかなか気づきません。

文明も文化も、それがなければ生きる能力のない致命的な病人を、

生きて行けるようにしました。

犬や豚を人間が品種改良したように、人間も人間自身が品種改良して、

短期間のうちに、実際に脳の形が大きく変わるほど、

姿かたちや機能が、大きく変わりました。

 

スペイン風邪で、インカの人が死んだように、

自我機能の低い人が、自殺したり、生殖を拒否したり、死刑になったりして、

自滅して行くように、わたしたちは人間の文化を運営しています。

心やさしく殺してあげます。

自我というフランス革命によって一躍注目されて、近代社会の始まりになった心も、

やさしい病気の一種ではないと言われています。

精神障害になって自滅して行くのを、心ある人は、やさしく見守っています。