Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

蓼科山と北横岳 0025 人格障害(その2)と同性愛

2010.02.07 15:00

諏訪市有賀峠(あるがとうげ・標高1,063m)から、

東北東に、蓼科山(2,530m)と、北横岳(2,472.5m)を望みました。

富士山みたいに、きれいな姿の山が、蓼科山です。

八ヶ岳連峰のうちの北横岳は、標高2200mまで、車とロープウェーで登れます。

有賀峠は、北西に諏訪湖を見下ろす峠で、南側は伊那谷です。

 

フィリピンのピナツボ山が噴火した年に撮りました。

もう20年前になりますが、1年間ぐらいは毎日、朝焼けと夕焼けでした。

初冬の撮影です。

 

     昨日の人格障害の記事に、統合失調症との関係を書きましたが、

     人格障害の性格に応じて、様々な精神障害を発症します。

     人格障害そのものが、御家族や周囲の人にとっては、大変な難物ですので、

     これ以上に困ることは、現実問題として、ほとんどありません。

 

     統合失調症になってくれると、御家族はホッとします。

     人格障害よりも、いっそう働けなくなりますが、

     診断と薬剤が奏功して、扱いやすくなります。

     人格障害は、御家族や周囲に、大変な迷惑や苦労を掛けますが、

     統合失調症でしたら、手に負えなくなると、

     入院させる手や、薬剤の量や種類を調節する手があります。

     人格障害には、それらの手段がありませんので、

     どこまでも限りなく、底なし沼のように、禍いの元になります。

 

死刑が問われる凶悪犯罪は、ほとんどが人格障害によるものです。

殺人事件を起こしてくれると、

御家族は民事賠償のために、生活が火の車になり、

一家離散の憂き目に遭いますが、

成人の犯罪の金銭的賠償を、親がとるのも、日本独特の文化です。

 

刑事裁判では、民事の賠償を、検察官や裁判官が強く要求します。

「息子は成人していて、親の私達の言うことを聞かずに、独立した生計を営み、

事実上、親に勘当されて、親との交際がなかったので、

親の私達に、民事賠償責任はない」などと、法廷で言おうものなら、

検察官や裁判官だけでなく、弁護士からも、

御家族は法廷の場で、まるで犯人のように、口汚く非難されます。

 

親が民事賠償をしなければ、息子を死刑にするぞと言わんばかりに、

裁判官が親に迫りますので、

美しき家族愛に薫陶された日本の御家族は、一文無しになって自己破産するまで、

息子のために、お金を支払うのが現実です。

 

親が民事賠償の契約を済ませたからと言って、

犯人の死刑が免れることはありませんので、

裁判官と検察官と弁護士とが、法廷で堂々と、気持ちを合わせて、

阿吽の呼吸で、御家族を騙して恐喝するようなものです。

日本特有の、やさしい文化や社会の麗しさです。

フランス革命の思想とは、まったく異なります。

 

それでも、人格障害の子が逮捕されると、親はホッとします。

死刑になってくれると、新しい人生が始まるような希望を持ちます。

もしも、懲役15年の判決で、7年後に仮出所しそうな気配ですと、

気持ちが鬱陶しくなり、我が子の出所する前に、首を吊る親御さんもいます。

 

人格障害では、責任能力は完全である、とされるのが相場ですが、

精神疾患として分類されているように、医学的には精神の病気です。

実際に、境界性人格障害の場合は、1/4程度が、後に統合失調症を発症します。

その他の人格障害では、めったに本人が受診しませんので、実態は不明です。

昔は精神病質と言われて、事実上の精神病の予備軍として扱われました。

 

     土浦の荒川沖という駅の周辺で、8人を殺傷した犯人が、

     控訴を取り下げて、死刑が確定しました。

     彼は、ゲームのファンタジーが生き甲斐でしたが、

     実生活において、超越的な能力を得られなかったので、死を望みました。

     自殺が恐かったので、死刑になろうと思い、

     荒川沖駅周辺で、無差別に2人を殺し、6人を傷害しました。

 

     裁判でも、死刑を強く希望し、反省していないと言い切りました。

     ライオンがシマウマを食べても、反省しないのと同じだそうです。

     自分は世の中と人生の真理を悟っていると言います。

     酒鬼薔薇という神戸の首切り事件の中学生が、

     人間の命を野菜と言っていましたが、

     荒川沖の犯人も、野菜という言葉を使っていました。

 

     判決は、ライオンうんぬんの悟りの哲学を、きわめて幼稚で独善的と指摘して、

     責任能力は完全でありながら、反省がなく、更生の可能性がないことから、

     他の事件と比較して不公平にならないように、死刑としました。

     御家族を、たいへん健康的で良い家族と持ち上げています。

 

     犯人の御家族は、精神障害者にごく普通の標準タイプの御家族で、

     蓋然性から言って、犯人を除く4人の家族のうちの、1人は統合失調症であり、

     犯人や統合失調症の人を含めて、2~3人程度が、精神障害者です。

     犯人は犯行後、自己愛性人格障害と鑑定されています。

     ちなみに、酒鬼薔薇少年も行為障害と鑑定されていましたが、

     成人なら人格障害でした。

     余談ですが、酒鬼薔薇少年に首を切り取られた被害者の少年は、知的障害者で、

     犯人を慕っていたので、貯水タンクのある山に、付いて行きました。

     被害者の少年の父親は、放射線科の医師でした。

 

     荒川沖の犯人の家庭は、弟が自宅で生活していません。

     犯人は、以前からウザイと思っていた妹を、最初に殺そうとしましたが、

     不在だったので、見ず知らずの通りすがりの人を殺しました。

     妹は、母親と会話ができず、

     お互いに必要な事をメモに書き、台所の机に置いておきます。

     普通に言葉を発声できるにもかかわらず、妹は母親と喋りません。

 

     この家族の状態を、父親は普通の家族と思っていて、悩むこともありませんでした。

     犯人のライオンうんぬんの信条は、小学生の頃に形成されたそうで、

     父親はそれを知っていましたが、矯正しようとは思いませんでした。

     法廷でも、父親は家庭の状況や、犯人の信条を、普通と言っています。

     精神障害者の多発する家庭に、よくある状況で、

     家族のコミュニケーションが、うまく行かず、一家団欒がなく、

     同じ屋根の下に住んでいながら、お互いが他人のようです。

 

     性同一性障害の人にも、家族制度を否定する人が少なくなく、

     とりわけ婚姻制度を、権力の支配機構として非難しますが、

     育児はどうするのかしらと、わたしは疑問になります。

 

     荒川沖の犯人も、24才の童貞でしたが、

     御本人には、生殖不能や生殖拒否の症状が顕著で、育児のことは思いも寄りません。

     子供を産んで、子供や家庭を育てる幸せや喜びを指摘すると、

     子供を産む道具として女性を見ていると、性同一性障害の人に噛みつかれます。

 

     部落解放運動と性転換運動の結合に、熱心な人だったりしますが、

     御家族の状況を、人づてに聞くと、

     すでに崩壊した家庭の残骸の中に、運悪く生まれついた人のようで、

     血縁には精神障害が多発しています。

 

     荒川沖の犯人は、正常な知能でありながら、判決でも指摘されているように、

     ライオンうんぬんの信念や、

     自殺したいから人を殺して死刑になる、という理屈などは、

     思春期以前の、小学生の幼稚な分別です。

     健常な人は、正常な知能の25才でありながら、

     小学生の了見を確信して、人を殺すことなど、あり得ません。

 

     それでも、医師の鑑定も判決も、責任能力は完全です。

     わたしも、自己愛性人格障害の鑑定は順当と思います。

     責任能力は完全で、死刑はやむなしとするのも、相場です。

     実際には、判決も更生不能と言っているように、

     知能が正常でありながら、小学生の幼稚な判断を、

     命に替えても確信してしまう人格障害の症状は、どうしようもありません。

     たとえ銃を突きつけても、変更不能です。

 

     もちろん、そこまで確信する症状を、本人は、どうしようもありません。

     これを、フランス革命の考え方では、本人の責任とします。

     他人が銃をつきつけても、変更させられない症状を、

     本人には変更できると、フランス革命は言うのでしょうか。

 

実際に、どうすればいいのか、という現実的な対処が、

自我や自由や責任や、個性や生き方やフランス革命の思想などを、

言い訳のように、口から出させたに過ぎません。

 

現実的な対処って、

チチスドイツが、歓楽街で遊ぶ性同一性障害の人たちを、

収容所で焼却処分にしたようなことですよ。

QOLと言って、性同一性障害の患者さんを誘導して、

生殖機能を切り取ってしまう現在の性転換医療と、さほど変わりません。

今でも、性同一性障害って、

人格および行動の障害のところに、入っていたと思います。

WHOの統計用の病気の分類。ICDね。

 

人格障害が、障害者の介護の中では、いちばん厄介で、手がかかるんですよ。

介護疲れのほとんどは、これ。

でも、精神科の入院病棟では、この厄介さが、すっぽりと抜け落ちてしまいます。

強制できるから、面倒がなくなるんですよ。

 

戦争では、兵士だけでなく、民間人も銃を突きつけられて、捕虜になるでしょう?

歩かされるの、移動の時に。

捕虜の人は、歩かされて、山の中で殺されるのかと、びくびくしています。

銃を構えている兵士のほうも、いつ敵の襲撃に遭って、

殺されるかも知れないから、覚悟を決めています。

 

そういう時に、100人に1人か2人の割合で、必ず、

もう歩かないって言って、座り込んでしまう捕虜がいます。

身体の病気なら、わかるんだけど、身体はぴんぴんしているのに、歩かないの。

自殺志願みたいに、はらを決めています。

戦争中の前線の、場合によっては戦闘中ですから、

文句無しに、その場で銃殺です。

突然、歩かないって言って座り込んでから、銃殺されるまで、10秒もかかりません。

 

手が掛からないの、精神科の入院病棟って、

患者さんが駄々をこねれば、保護室に入れて、紙オムツにして、

拘束具でベッドに磔けにして、お薬を注射してしまえば、それでいいでしょう?

どこの精神科でも、そうしています。

言うことを聞かない患者さんを制裁するために、

保護室や拘束具やお薬を使います。

だから、精神科の入院病棟では、手が掛からないんですよ。

看護師さんは、人格障害がどれぐらい大変か、ちっとも知りません。

 

だって、一般家庭では、人格障害の人を縛り付けるわけには、行かないでしょう?

反対に、縛り付けられたりしてね。どうします?

人格障害って、強制的に受診も治療も入院も、させられないんですよ。

でも、統合失調症でもアルツハイマーでも、人格障害の症状が一杯なの。

アルツハイマーって、脳の神経細胞の変性がはっきりしている病気なのに、

いちばん最初に出てくる症状は人格障害で、

寝たきりになるまで、この症状のために、

御家族は地獄の底を彷徨うことになります。

 

介護疲れのために自殺するのは、たいてい患者さんの人格障害が手に負えないから。

アルツハイマーなんか、10年で死ぬから、軽いものよ。

統合失調症なんか、薬物療法や入院って手があるから、安心。

人格障害って鑑定される人なら、どうしますか。

受診さえ、強制できないから、診断もされないのが普通。

 

でも、性同一性障害では、

異性になったつもりの性的快感を餌に、精神科におびき寄せます。

どうするかって言うと、素早く生殖機能を摘出して、

優生医療のQOLよね、結局、終末医療と同じになるんだけど・・・

まず間引いて、子孫を増やさないっていう担保を取ります。

社会防衛のためだから。

 

人格障害は精神障害の核心の症状ね。

けっして周辺症状でないってことが、性同一性障害の人にわかれば、

治癒傾向が出て来たってことかしら。

どこかのお医者さんのように、性転換手術を受けるのが核心の症状で、

SRS(性転換手術)を受けないGID(性同一性障害)は、周辺症状なんて言っているようでは、

もういっぺん医学部に戻って、勉強し直して来なさいって、

わたしなら、言ってあげます。

 

介護保険でも、介護の一番の苦労は人格障害なのに、

それを評価する客観的な検査法がないので、

現実の苦労の量と、介護の程度の認定とが、著しく異なります。

お医者さんより看護師さん、看護師さんより介護職の人のほうが、よく知っています。

内緒だけど、よく知っている人のほうが、頭が悪い。

御家族が一番よく知っていますから、そりゃあ自殺ものになります。

 

     ああ、この記事、予告してたから、

     同性愛のことも書かないといけないの。たいへん。

     山登りって、汗だらけになっても、

     尾根筋だったら、シャワーなんか、ありません。

     真夏の谷筋でも、冷たくて顔も、洗えません。

     北アルプスには、雪渓なんてあるのよ、真夏なのに。

 

     白馬鑓温泉【はくばやりおんせん】って、

     標高2100メートルなのに、温泉につかれます。

     ふつうは山って、テントで泊まっても、

     疲れて汗だらけで、肌が、ねちょねちょしてるから、

     とうてい、エッチをしたい気持ちになれません。

     

     でも、同性愛の人は、舐めるのが好きなんです。

     汚れている粘膜や肌が、いいらしいの。

     女性も男性も共通で、性器や唇はもとより、

     身体中、舐めるのが大好きで、

     山登りの汗だらけの身体なんか、

     同性愛の人には、涎れがこぼれるのかも。

 

     ほんとは、同性愛の文化や趣味は、人の勝手なのよ。

     精神障害が疑われるのは、生殖不能や生殖拒否の症状です。

     異性と生殖ができて、育児放棄もしていなければ、

     誰と、どういう方法で、何を楽しもうと、問題ありません。

     人に実害のある危険を及ぼさなければ、

     健全な文化や趣味の一つにすぎません。

     同性愛を嗜んだからと言って、生殖不能や生殖拒否にならないの。

 

     古代ギリシャや、戦国時代の日本の武士を見るまでもなく、

     文化的に流行すれば、だれでも簡単に同性愛を習得できます。

     オナニーによって性的快感を得るのと、心理的に同じ仕組みなので、

     成人した後でも、異性に対する性欲があれば、

     同性愛の習得は、難しくありません。

 

     文化的流行がなければ、わざわざ同性愛を習得する人は、少ないかも。

     流行期には、成人のほぼ全員が、同性愛を嗜みます。

     異性装や同性愛が、自由な文化や趣味であるのは、

     その時や、その場所や、その人々などによって、

     高く評価されて流行することもあれば、

     支持を失って禁止されることもあり得るっていう意味です。

 

     自由な文化や趣味は、すべてその通り。

     禁止することもできるのは、自由にすぎません。

     たとえばミニスカートのような、特定の衣服のファッションを禁止しても、

     人類は絶滅しませんし、誰の命も危うくなりませんから、自由に禁止できますが、

     心臓の拍動は、禁止できません。

     異性装や同性愛を禁止しても、禁酒法の実施と、ほぼ同じ騒ぎになるだけです。

 

     人々の支持があれば、大流行し、

     廃れれば禁止されることもあり得るのは、

     自由な文化や趣味の、一般的な特徴です。

     異性装や同性愛だけが、特別ではありません。

 

     現代の欧米の同性愛の運動や、性転換の運動などが、

     同性愛や異性装と、生殖不能や生殖拒否との関係を、誤解しているように、

     かつて、キリスト教やイスラム教などは、

     生殖を守るために、同性愛や異性装などを禁止して、差別虐待しました。

 

     欧米の宗教の誤解は、現在も、

     同性愛の解放運動や、性転換運動などの人々に、

     無傷で受け継がれています。

     

     同性愛や異性装などによって、生殖不能や生殖拒否をきたすことは、ありません。

     生殖不能や生殖拒否は、脳や身体の器質に、原因となる病変がなければ、

     広く発達障害や、統合失調症や拒食症や解離性同一性障害や、認知障害などに、

     共通の症状です。

 

     同性愛や異性装を嗜む人は、

     流行期なら、人口のほぼ全部です。

     同性愛や異性装を嗜みながら、

     同時に、精神の病気に罹っている人も、たくさんいます。

 

     精神の病気の多くは、自分が精神の病気であることを、自覚できません。

     同性愛や異性装の趣味のある人が、精神の病気に罹っていれば、

     生殖不能や生殖拒否の症状を、精神の病気の症状と自覚できずに、

     同性愛や異性装のせいと、思いこみます。

 

     かつてキリスト教やイスラム教などは、

     精神障害の症状を是認できずに、

     同性愛や異性装を禁止して、差別虐待しました。

     宗教家たちは、生殖不能や生殖拒否の症状を見て、

     同性愛や異性装を嗜む人の精神症状と、誤認しました。

 

     精神障害者の症状は、病気ですから、

     現代でも、それを良いものとして、是認することはありません。

     病気の症状を、良いものとして是認できないことを訴えたくて、

     欧米の宗教家たちは、同性愛や異性装を糾弾しました。

     生殖不能や生殖拒否などの精神障害の症状と、

     同性愛や異性装とを、取り違えたのです。

 

     現在も、同じ取り違えを、欧米の同性愛者や異性装者が、継承しています。

     彼らは、生殖不能や生殖拒否や、その他の様々な精神症状を、

     同性愛や異性装のせいと主張します。

     同性愛や異性装を嗜んでも、

     生殖不能や生殖拒否や、その他の精神症状にはなりません。

     それらの症状は、同性愛や異性装のせいでなく、精神障害のせいです。

     同性愛や異性装を嗜む人が、精神障害に罹っているにすぎません。

     でも、彼らは自分が精神障害であると、自覚できません。

     精神医学では、病識がないと言い、

     精神障害者には、ごく普通に起こります。

     

     欧米の同性愛の解放運動や、性転換運動は、

     かつてのキリスト教やイスラム教の誤解を、見事に継承しています。

     日本の健常者には、火を見るよりも明らかですが、

     欧米人には、健常者でさえ、自分たちの歴史の過ちが見えません。

 

同性愛の人が、汚れた粘膜や皮膚を舐めるのが好きなのは、

ほんとは、同性愛の特徴と言うより、

まだ排便排尿を躾けられる前の、

幼児の糞尿に親しんだ頃を、懐かしむ気持ちに近く、

だれにでもある思い出かも知れません。

ふるさとは懐かしいけれど、それを棚に上げておく気持ちが、

実生活では要求されます。

 

性生活では、別に棚上げする必要もありませんから、人の勝手ですが、

統合失調症では、排便排尿の躾けの前の幼児の心にまで、退行することがよくありますので、

その目安の症状になるかも知れません。

 

男性の同性愛者では、性器を肛門に挿入しますので、糞便にまみれます。

その性器を、ペロペロと舐めるそうですから、

相手の人は、自分の糞便を口にすることになります。

女性の同性愛者でも、パートナーに舐めてもらうために、性器を洗いません。

女性器は汚れやすいので、不潔ではないかと、首を傾げたくなります。

 

性器を舐めることよりも、不衛生を好む性癖は、

統合失調症によく現れる症状です。

他人や社会とのコミュニケーションが不調になると、

家の中の整理整頓ができなくなり、身なりを気にしなくなり、

入浴やお掃除やお料理が出来なくなり、

衛生観念が麻痺して来ますが、その時によく現れるのが、

糞尿の扱いがルーズになり、幼児に退行するような、不潔な症状です。