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表参道 0045 二日酔いなのです

2010.03.01 15:00

 

読む人なんて、いないと思っていたから、

わたしの心の中を、言葉に纏める練習にしていました。

このブログ。

 

患者さんや、御家族の人に、尋ねられるんです。

やさしく、ていねいに答えるって、すごく難しいのよ。

 

学術用語や、論文は、ダメ。

患者さんは、専門家でないもの。

 

もの凄く出来の悪い高校の、ケツッペタの成績だったとかね。

それでも、素晴らしいんですよ。

どんな人にも、だれにも劣らない、素敵な人間らしさがあります。

それさえあれば、生きて行けたら、いいのにね。

わたしに、それができれば、幸せです。

 

どこのお母さんにも、健康な赤ちゃんが生まれるように、祈っています。

こういう気持ちって、

子供を救うために、自分の命を捨てる親の気持ちと、同じなんですよ。

今にも電車に轢かれそうな我が子を見て、じっとしていられますか。

踏み切りの遮断機をくぐり抜けて、

親御さんも一緒に、轢かれて死んでしまうでしょう?

 

本能なんですけど、

自分一人で生きる本能とは、違います。

自分の命を捨てて、子供を救う気持ちって、

子供の代わりに、見ず知らずの他人になったり、不特定多数の社会になったりします。

知らない人や、社会のために、自分の命を捧げる本能のほうが、

自分の命を守る本能よりも、強いのですよ。

 

社会は、こういう、ありきたりの普通の人たちの気持ちによって、成り立っています。

精神障害になる人って、それが信じられずに、病気になります。

 

でも、どうして、わからないのかって考えても、

これは本能だから、生まれつきに発達していないとしか、言いようがありません。

発達障害の人だけでなく、統合失調症の患者さんも、

この本能については、思春期以後に退行したのでなく、

発達障害の人と同じように、最初から発達が未熟です。

 

自分の命を捨ててまで、子供の命を救う本能って、

どこかの知らないお母さんにも、健康な赤ちゃんが恵まれますようにって、

心から願う気持ちと同じです。

 

だって、世界中のどこかのお母さんに、

先天的に障害のある赤ちゃんが生まれるのを、

想像しただけでも、心が傷みます。

どんなお母さんにも、健康な赤ちゃんが授かって欲しいって、

ほんとうに、祈るような気持ちになるでしょう?

 

現実は、一定の割合で、必ず先天的な障害を持つ赤ちゃんが生まれます。

事前に、どうにもならないものは、仕方ありません。

それでも、赤ちゃんを産んで育てる喜びって、

ちょっとした性交渉の成り行きかしら、

コンドームを付けなかったから、生まれてしまっただけかしら。

 

赤ちゃんを生んで育てないと、ライフサイクルが壊れるんです。

こっちのほうが、先天的な障害児を育てる苦労よりも、恐いのですよ。

生殖を拒否する精神障害者には、この恐さがわかりません。

だから、この恐さを、

刃物のように、他人に突きつけて生きている自分を、自覚できません。

 

精神障害って、ややこしいことになりそうな・・

そういう予感がしません?

 

     性同一性障害の人を見ると、はっきりと認知障害がわかります。

     普通の公立中学校で、

     学業成績が、クラスの最下位から2番目とか、3番目とかの、

     劣等生の子がいるでしょう?

     でも、健康な子ね。劣等生でも、精神は健常。

 

     性同一性障害の患者さんでも、一流大学の医学部出身の人がいます。

     わたしには、どうしても、

     健康な中学生の劣等生のほうが、

     一流の医学部出身の性同一性障害の患者さんよりも、

     認知能力が、格段に優れているように見えます。

 

     比べるべくもないほど、

     性同一性障害の患者さんの認知能力は、低い。

     目の見えない人を見るように、間違いなく病気とわかります。

 

     認知には、知能検査に現れる機能のほかに、さまざまな機能があり、

     性同一性障害では、認知の歪みや、性格の偏り(人格障害)や、

     記憶の意図的な不正(ヒステリー)などと言われるような、

     認知機能の低下が現れます。

     

     定義を変換する能力は維持されるけど、

     心の中だけの、好き嫌いをいじくるのと同じなので、

     アインシュタインの相対性理論や、

     服飾専門学校のファッションショーのようなものかしら。

     特に、MtFの性同一性障害の人は、その能力が優秀です。

 

     でも、客観的事実を知る能力が、著しく低下するの。

     他人や社会とのコミュニケーションを拒否すると、

     客観的事実を見失い、自己同一性が希薄になるでしょう?

     だって、客観なんて、

     他人や社会とのコミュニケーションがなければ、あり得ないもの。

     

     解離して、性的な気持良さをむさぼり、

     好き嫌いという自由な定義を、さまざまに変換しても、

     みんなの事実を許容できなければ、生きて行けるわけがない。

     定義って、自由でしょう?

     でも、誰が見ても同じように見えるっていう事実の客観性は、

     自然の普遍性に由来しているのよ。

 

     自然って、人の目には、いつも驚異なので、

     自然の普遍性って、自然の特殊性と、ほとんど同じ意味かしら。

     人は必然っていう考え方を作りましたけど、

     これは、自己同一性と、おんなじみたい。

 

     必然性って、自我機能なんです。

     因果関係とかって、言いますけど、

     自我機能は、自己同一性にしても、意志にしても、

     物事の認識や行動の仕方に、時間を取り入れたでしょう?

     人間の画期的な賢さみたいに、

     自我って言って、自画自賛してるけど。

 

     そういう約束事にしたのね、人間同士の。

     社会のコミュニケーションを、円滑にするための約束事。

     情報交換や、意志疎通のための、共通の様式。

 

     つまり、生殖を制御したってことよ、時間を使って。

     生殖の約束事って、社会のコミュニケーションの仕方そのものだけど、

     生殖のための、コミュニケーションのしきたりに、時間を使ったの。

     時間によって、物事を認識して実行する方法が、

     社会の共通の文化になりました。

     自己同一性と、客観的事実によって、

     コミュニケーションして、生殖するのよ。

 

     人間の自我機能には、もう一つ、自他の識別を、

     精神の免疫のように機能させる特徴があります

     白血球のような役割。

     なんか、思いつくままに書いたけど、

     自我障害について、ヤスパースの説を準っちゃいました。

     自我障害の言い出しっぺは、彼だから、当然かしら。

 

     知能検査に現れない認知機能の障害から、

     性同一性障害や統合失調症の症状を、認知障害と見るには、

     認知の仕組みと、自我の仕組みを、理解する必要があります。

     でも、認知も自我も、

     物的証拠が出にくくて、文学や形而上学になりやすいの。

 

     精神障害者をたくさん見ていると、

     性同一性障害の人の訴える性別の症状って、

     認知障害ってことが、一目瞭然なんだけど、

     たくさん見た経験がなければ、文学や形而上学になりかねません。

     だから、四苦八苦しているの。

 

     性同一性障害の性別の症状を、認知障害として、

     自我障害と一味同然ってことを、説明できればいいんだけど。

     週末にワインを飲まないとあかんみたいで、ごめんなさい。

     お布団に座ったままで、まだ半分眠っています。