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近所の町工場 0047 自我

2010.03.03 15:00

近所の、なんでもない町工場です。

塩酸の臭いが、鼻を衝きましたので、写真に撮りました。

 

わたしが5才の時に、初めて見た精神障害は、マンガン中毒でした。

父が精錬工場の男性に、マンガン中毒と言っていたのを、聞きました。

笑うような顔で、神通川に懸かる橋を、よろめきながら歩いていました。

 

それを見て、胸がキューンと締め付けられたと言うと、

工場のおばさん達は、おませな子だねと、笑いました。

ほんとは、胸だけでなく、お腹もキューッと来ました。

 

山の町でしたので、行商のおばさんが来ると、海のお魚を買いました。

できるだけ塩の少ない、新鮮なお魚を選んで、

わたしが、はらわたを取って、下拵えをしました。

よく肥えた秋刀魚のはらわたを掴み出して、

人間の脳味噌も、こんなのかしらと、想像しました。

 

     性同一性障害の人の、性別の訴えを聞いていると、

     お天気の挨拶をしているような気持ちになります。

 

     手術の後が、大変ですので、

     知っている事を、具体的に教えてあげます。

 

     性同一性障害の人は、気持ちが、あさってになっていますので、

     言葉の意味が、普通の人と違います。

     性同一性障害の人の間でも、共通の意味がなく、

     それぞれの人の、心の中だけの意味が大切です。

 

     統合失調症の妄想が進行すると、

     事実についての、具体的な実務の話のように見えて、

     その判断の理由を尋ね、

     場合によっては、さらにその理由を尋ねると、

     ほとんどの判断の根拠が、

     妄想や妄想着想などとわかります。

 

     誰か得体の知れない人物が、いつも自分を見ていて、

     その人が、こうしなさいと言ったから、

     自分は性転換手術を受ける、と言います。

     その人は、国家の特命を受けて、自分を助けてくれる人で、

     魚屋さんの兄ちゃんに変装しているそうですが、

     何処のお店でもなく、その患者さんの心にしか見えない人です。

 

     性転換手術を受けるのに、なぜ労働組合を辞めたのと尋ねると、

     サイレンを合図に、委員長に妖怪が乗り移ったそうで、

     ダムが決壊するまで、労働組合とは縁を切ると言い、

     手術後の体力が回復すれば、会社を辞めるとも言います。

 

     魚屋さんにしても、ダムのサイレンにしても、

     患者さんは、親しい人にしか、打ち明けませんので、

     主治医の精神科医や、手術の形成外科医や、

     御両親などは、少しも知りません。

 

     統合失調症と識別のつかない妄想に動かされている人が、

     性同一性障害だけでなく、ヒステリーと言われる精神障害の人には、

     ごく普通にいらっしゃいますので、今さら驚くことではありません。

 

     性同一性障害の診断基準の、ステレオタイプの症状を訴え、

     実際に精神症状を実行するほうが立派と思い、

     社会の進歩的な支持を受けていると、

     思い込んでいるように見せかけているだけです。

 

     けっして統合失調症に多い種類の妄想や幻聴を、

     頻りに人に訴えるのでもなく、

     人に告げるのは、ありきたりの、

     もっともらしい理由だけですので、

     実行していながら、さほど興奮しているとは見えず、

     解体した言動にも感じられませんので、

     統合失調症と診断されることは、まずありません。

 

     実際、これぐらいの人ですと、

     抗精神病薬を使っても、副作用ほどには効ないのが現実です。

  

     頑固な迷信や、咄嗟の思いつきのような妄想が、

     生活や人生の具体的な判断の、すべての背後にありますので、

     客観的な事実を、実務的に処理しているように見えても、

     患者さんの心の中は、

     たいへんグロテスクな理由の塊まりになっています。

 

     統合失調症では、妄想の体系と言いますが、

     たとえば、手を洗う理由を尋ねれば、手から食べ物に砒素が混じると言い、

     玄関の靴を綺麗に揃える理由は、

     何者かが侵入して来ても、すぐにわかるからと答えてくれます。

 

     いかにも日常的な、誰にでも共通の、実用的な行為でさえ、

     生活の隅々まで、妄想に裏付けられていますので、

     調子よく生きれば生きるほど、

     妄想の内容を、間違いないと確信することになり、

     順調な生活は、大規模な破綻の近いことを、しばしば暗示しています。

 

     プレートテクニクスで起こる地震の原理のように、

     エネルギーが蓄積されます。

     むしろ、普段から、

     盛んに妄想っぽいことを連発して、

     フーテンの寅さんのように暮らしているほうが、

     健康かも知れません。

 

     太陽の塔の、岡本太郎さんは、人生は爆発だと言っていましたが、

     爆発せずに、健康にお亡くなりになりました。

     イスラム原理主義の自爆犯人のように、

     爆発してもらっては困りますが、

     精神障害者の症状は、爆弾を身体に巻き付けて、

     社会に見せびらかして、生きているようなもので、

     性同一性障害の人は、尻をまくって生きていると、

     よく啖呵を切ります。

 

統合失調症や性同一性障害などの、ヒステリーと言われる人たちは、

具体的な事実を指し示しても、

明日になれば、今日の事に、あまり責任を感じません。

過去と、現在と、将来の事実とが、繋がっていませんので、

記憶や意志という心が、いつも混沌としています。

 

御本人は、心の中身のほうを、基準にしますので、

自分の記憶や意志は確実で、

世の中のほうが混乱していると、思っています。

 

人間社会とのコミュニケーションを拒否しても、

生きて行ける変人でなければ、

統合失調症や性同一性障害や拒食症のような精神障害では、

破綻をきたす可能性が大きいと言えます。

 

自己同一性が曖昧であると言いますが、解離しているとも言います。

自我の形式に意識を統合する機能が、失調している、とも言えるかも知れません。

 

ドリトル先生は、犬には自己同一性が無い、と言っていましたが、

犬は人になつきやすい動物ですので、

その程度に変人ですと、破綻をきたさずに、やって行けるようです。

人間では、人格障害と言いますが、一部の人は凶悪犯罪を惹します。

 

自己同一性が曖昧になると、事実を、一本の時間の上に、

起こった順番の通りに、並べることができません。

自然の事実だけが、起こった順番を、変えることができませんので、

自然の出来事の順番には、普遍性があります。

 

順番だけでなく、誰が見ても、

同時に、同じ場所で起こったことは、同じ出来事のように見えますので、

自然の出来事の変化にも、普遍性があります。

 

人間のすることも、自然の出来事の一つですが、

心の中だけの出来事には、自然のような普遍性がありません。

人間は、自然の出来事にかこつけて、心の中の出来事を、人に伝えます。

 

わたしたちは、自然の事実に、会符(えふ)を付けるように、

物事を、一本の時間の上に、順番に並べて記憶します。

一本の時間に整理された記憶が、自己同一性になりますので、

自然の事実に結ばれていない記憶は、

孤児のように、自分という意識から、はぐれてしまいます。

 

自己同一性は、他人に情報を示したり、

他人の情報を解読したりするための、共通の様式です。

人と人との間を、往き来する情報は、

事実を一本の時間の上に並べて伝えられます。

事実には、しばしば心が結びつけられます。

 

時間と事実の形式に、情報が整理されていなければ、

人と、情報をやりとりすることができません。

わたしたちは、心の中だけの思いも、

事実に結びつけて記憶します。

 

そのように整理されて記憶されなければ、人に思いを伝えられませんので、

わたしたちの心の記憶は、人に情報を伝える方法によって整理されています。

人間特有の自我という意識の形態では、

情報は、人とのコミュニケーションの方法によって、記憶されます。

 

わたしたちは、一本の時間の上に、順番に並べられた事実に、

さまざまな情報が結びつけられた記憶としてのみ、

他人の情報を、解読することができます。

そして、他人に開示するために整理された自分の意識の記憶を見るときに、

あたかも、他人の示す記憶を解読するように、

自分の意識の情報を知ることができます。

 

このことを、客観と言います。

人は、他人や社会とのコミュニケーションの方法によってのみ、

自分の意識の内容を、他人の意識のように知ることができます。

これ以外の方法では、自分の意識を知ることができませんので、

無意識と言い、動物と同じです。

 

自我のモニター機能と言うこともあります。

デカルトが「我思う、故に我在り」と感じたのは、この機能です。

 

     無意識では、動物のように、機械のように、

     身体や脳が機能します。

     それでも、白血球は、

     白血球にとっての自他を識別しているのでなく、

     何百兆個という細胞の集まりとしての、個体全体にとっての、

     有害な物質や生物を識別して、破壊します。

     異物であっても、有益な物質や生物を攻撃しません。

 

     白血球を含めて、血液やホルモンや神経などは、

     物質の運搬だけでなく、情報の伝達を仕事としています。

     個体を構成する何百兆個の細胞の情報を集配していますので、

     コミュニケーションが仕事です。

 

     白血球は、健常でしたら、脳の中に入れません。

     血管と脳細胞との間には、血液脳関門があり、

     分子量の大きな物質や、特定の物質は、

     脳の血管から出ることができずに、

     脳細胞や脳脊髄液などに入れません。

 

     脳の中では、白血球による免疫システムは、機能していませんが、

     血液脳関門が壊れるようにな病気があれば、

     脳脊髄液に白血球を発見できます。

     脳の中の白血球は、身体の中のように正常に機能せずに、

     むしろ正常な脳細胞を破壊して、

     自己免疫疾患と言われることが、よくあります。

 

     自我には自己同一性のほかに、

     有害な物質や生物を識別して、

     有害であれば身内であっても攻撃して、

     有益であれば、異物であっても共存する機能があります。

 

     白血球のようですが、脳の機能として、自我があり、

     自分や他人や社会とのコミュニケーションによって、

     社会全体にとっての、有害な物を攻撃して、有益な物を守ります。

 

     白血球にとっての、自他の識別よりも、

     個体全体にとっての、有害か有益かの識別が大切であったように、

     自我機能には、自分にとっての自他の識別よりも、

     他人や社会にとっての、有害か有益かかの識別が大切です。

     

     人間の個体を見ても、

     白血球や脳の神経細胞や何百兆個の細胞を統括するような、

     超越的な細胞は、どこにもありません。

     絶対的に他の細胞よりも偉い細胞もなく、

     誰からも指示されずに、

     何百兆個の判断によって、個体全体としての命を運営します。

 

     神のような絶対者は、自然の世界に必要ありませんが、

     統合失調症や性同一性障害の人には、

     神様を信じている人が、少なくないように、

     事実を拒否した心には、歴史を遡るように、

     神様が必要になるかも知れません。

 

     自我機能は、誰に命令されることもなく、

     自分や他人や社会とのコミュニケーションによって、

     70億人の社会を守るために、

     有害なものを除去して、有益なものを残します。

 

     自他の識別は、そのための手段にすぎません。

     自分であっても、癌のように、有害なものを破壊して、

     他人であっても、みんなのためになる人を残します。

     自分の命を捨てて、他人の赤ちゃんを救うこともあります。

 

     自我機能では、自己同一性と、

     免疫機能(自他識別機能・境界性)が大切ですので、

     気ままに道草しました。

     すみません。

 

     自他識別機能を、免疫機能と言うのは、変かも知れませんけど、

     白血球の機能の場合と同じで、

     自他の識別よりも、所属している社会にとって、

     有益か有害かを、

     社会とのコミュニケーションを通じて、

     みんなと一緒に判断する機能なんですよね。

 

     社会に所属するって、アイデンティティって言いますけど、

     たぶん血の繋がりという事実のことで、

     心の繋がりではありません。

     でも、人間もお花も、血は繋がっていますから、心配要りません。

 

     お母さんと、お腹の中の赤ちゃんとは、

     同じ身体を共有していますけれど、

     社会の始まりなんです。

     身体は別々になっても、社会はずーっと続きます。

     人間とお花のようにね。

     自他の識別っていう考え方よりも、

     社会の免疫機能と言ったほうが、いいような気がします。

 

     自己同一性も、自他の識別っていう社会の免疫機能も、

     いずれも、コミュニケーション機能として纏められますので、

     自我は、他人や社会とのコミュニケーション機能と、

     言ってもいいかも知れません。

     事実を客観的に知り、個体の生存から、

     生殖によって、社会を作り出す機能です。

 

     事実を客観的に知る能力は、

     お母さんが、お腹の中の赤ちゃんを知る時に、最初に必要になります。

     事実を拒否して、心の中だけのことに縋っていたのでは、

     赤ちゃんを育てられません。