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アーモンド 0059 映画『ジュリア』(歌はありません)

2010.03.15 15:00

アーモンドは、満開ですけれども、

カメラを持っていなかったので、

昔の古いカメラで撮った写真で、申しわけありません。

今のお花の様子と同じですけれど、撮影は10年以上前です。

ごめんなさい。

 

リリアン・ヘルマン原作の、『ジュリア』という映画を見ました。

映画の出来は、悪くなく、

ジュリアを演じたヴァネッサ・レッドグレイヴは、

アカデミー助演女優賞を受賞しています。

 

リリアン・ヘルマンが難物で、

この原作も、彼女自身の回顧録の中に、親友のジュリアが登場しますが、

精神科医の書いた自伝の中の、精神科医御本人にそっくりで、

その医師は、ヘルマンを知らないと言っています。

 

ジュリアは、オックスフォード大学の医学部出身の、名士一族の人で、

ウィーンのジークムント・フロイトの元で勤務するはずでしたが、

社会主義に傾倒して、戦時中のナチスに殺されました。

 

ヘルマンと、その彼氏のダシール・ハメットは、

二人ともアメリカ合衆国共産党員でした。

彼女は、スターリンを支持していましたので、

トロツキーのアメリカ合衆国亡命に反対しました。

トロツキーは結局、メキシコに亡命して、スターリン派に暗殺されました。

 

     1938年(昭和13年)1月3日の吹雪の中を、

     岡田嘉子(おかだ・よしこ)という有名な女優が、

     杉本良吉という演出家と一緒に、

     樺太国境を越えて、ソ連に亡命しました。

     当時は、樺太の真ん中に、日本とソ連の国境がありました。

 

     杉本は、ソ連在住の佐野碩(さの・せき)や、

     土方与志(ひじかた・よし)を頼るつもりでした。

     佐野は、「インターナショナル」や、「ワルシャワ労働歌」の訳詞者で、

     土方は、伯爵でしたが、

     二人とも、著名な演出家でした。

 

     佐野と土方は、フセヴォロド・メイエルホリドのもとで、

     研究員として、ソ連に滞在しているはずでした。

     メイエルホリドは、演劇の世界における革命を、

     世界的に指導する立場にあったソ連の演出家です。

 

     ところが、スターリンの派閥と対立したメイエルホリドは、

     すでに粛正されて獄中にあり、

     その研究員を勤めていた佐野と土方も、

     1937年に、国外追放になっていました。

 

     国境を越えた杉本と岡田は、

     恋の逃避行として、日本で有名になりましたが、

     国境を越えるなり、ソ連当局に逮捕されて、

     杉本は拷問を受けました。

 

     自分と、佐野や土方やメイエルホリドなどは、

     いずれもスパイであると、自白して、

     翌年の1939年に、杉本は銃殺されました。

 

     メイエルホリドも、1940年に銃殺されましたが、

     杉本の自白が有罪の根拠になったそうです。

 

国外追放になった佐野は、フランス在住を経て、アメリカに渡り、

アメリカ合衆国共産党員になりました。

さらに1939年に、メキシコに渡り、

演劇指導者として、メイエルホリドの教えを伝えて成功しましたが、

1940年の、トロツキー暗殺に加担したのではないかと、疑われています。

 

佐野のメキシコ亡命に尽力したのは、画家のシケイロスでした。

シケイロスは、スターリンの、いわゆる社会主義リアリズムを信奉していました。

1940年5月に、トロツキー暗殺未遂事件を起こした後、地下に潜伏しました。

 

トロツキーは、その年の8月に、

秘書の恋人の、本職のソ連のスパイだった登山家に、

ピッケルで頭を貫かれて亡くなりました。

 

     当時のアメリカ合衆国共産党は、スターリンの支配下にありましたが、

     その後のベトナム戦争の時代に、アメリカの反戦運動を推進したのは、

     むしろ、トロツキーの世界同時革命を信じる学生たちでした。

 

     この人達が、ベトナム戦争後、自由主義に転向して、

     アメリカネオコンと言われるようになり、

     政治資金を集めて、ブッシュ政権の政治経済政策を立案しました。

     

     チェイニー副大統領が一派の首領で、

     ブッシュ大統領は下っ端だったかも知れません。

     経済のグローバル化は、その代表的な政策でした。

 

1970年前後に、ソ連領エストニアで性転換手術を受けた日本の人達は、

現在、年寄りのGIDと自称しています。

当時のエストニアは、ソ連に占領されていましたが、

デンマークやスウェーデンなどの北欧の医師を招聘して、

国際共産主義運動の名のもとに、無料で性転換手術を実施していました。

シベリアの収容所に、たくさんの政治犯が送り込まれていた時代です。

 

年寄りのGIDの人達を、医学的、経済的に支援したのは、

日本の伝統的な財閥の一つで、

一族の人たちのための、半陰陽医療の延長のように、

よそ者のGIDに対する性転換医療を行ないました。

 

この一族の人達が、経済的に当時のソ連陸軍やKGBや、

最近のアメリカネオコンなどと、密接な関係があり、

トロツキーやスターリンなどの、古い歴史を介して、

リリアン・ヘルマンという女性の、作家活動にも、

皮肉な繋がりを持っています。

 

『ジュリア』という映画には、

そんな歴史の経緯(いきさつ)が、二重に見えていたような気がします。

彼女自身も、レスビアンだったと言われています。

 

岡田嘉子さんは、その後、10年以上の収容所生活の後、

モスクワ放送の日本語アナウンサーになり、

1972年に帰国しましたが、1986年に再びソ連に帰り、

1992年にモスクワで亡くなったそうです。

 

アメリカインディアンと年寄りのGIDのことや、

アラブやロシアやアフリカの石油のことなどを、お話する機会があれば、

代理母出産や戦争などが、GID医療に欠かせない視点であることが、

わかるかも知れません。