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きれいな坂 0066 お肉の缶詰

2010.03.22 15:00

10+1web siteの、五十嵐太郎 photo Archives、

スリバチのすすめ序章:都市の窪み から取って来ました。

渋谷区大山町の、奇麗な坂です。

2010-02-17の、

 

赤玉土や鹿沼土って、鉢植えや花壇に使うけれど、火山灰みたい。

関東ローム層って、火山によって、鉄の含有量が違うけど、

真っ赤ってのは、めったに見掛けません。

 

普通の土色に近い褐色が多いけど、

武蔵野は、箱根の火山灰かしら。

 

赤玉土の中には、ほんとに真っ赤なのがあって、

どこらへんの、地下何mの、何という名前の地層で、

いつ頃の、どの火山の灰なのかしら。

 

粘土の塊を乾かして、粉砕して、

園芸用土に丁度いい、1㎝ぐらいの粒に篩って、販売します。

 

使ってると、粒が砕けて、粉になりますから、

水を含んで、上から重みが掛かると、

べちゃっと粘土になって、使い物にならなくなります。

 

もう一度、乾かして、固い大きな塊を粉砕して、

丁度いい大きさの粒にすれば、いいみたい。

使い古しの、鉢植えの土は、

ウィルスやばい菌が、いっぱい繁殖しているので、

鉄板の上で、まる焼きにして、殺菌すると、

なおよろしいって感じかしら。

 

鶏糞や牛糞や、腐葉土なんかも、

植物に悪さをする微生物が繁殖しているので、

いったん、蒸し焼きにして、殺菌してから、

もう一度、植物に有用な微生物だけを、

発酵させるように、繁殖させます。

 

うちの親戚に、馬糞と藁を混ぜて、

肥料を作って、販売していた人がいて、

臭いけど、一部始終の工程を見せてもらいました。

 

     鹿沼土も、群馬県や栃木県あたりなら、

     関東ローム層の、火山灰の地層の一つです。

     あれは、赤城山なの。

 

     やっぱり、柔らかすぎるのは、粒が小さくなって、

     水分を含んで圧縮されると、

     大きな粘土の塊になってしまいます。

 

     丁度いい大きさの粒を維持するには、

     ある程度の固さが必要ですけれど、

     品質のいいのは、ほとんど軽石に近い固さですから、

     赤玉土が粘土になって、固まって乾燥して、

     岩みたいになったのを、粉砕するのとは、

     ちょっと違うでしょう?

     軽石に近いから、穴凹だらけです。

     

     関東ローム層は、

     新生代第四紀更新世(180万年前~1万年前)の

     火山灰ですけれど、

     栃木県あたりでは、

     新生代第三紀中新世(2000万年前~3000万年前)の火山灰も、

     降り積もっています。

  

     土でなく、凝灰岩っていう石になっていますが・・

     陸上でなく、海の底に沈んでいた時に、

     海底火山の灰が、300mも積もりました。

     大谷石って言って、穴凹だらけなんです。

 

     もとは緑色の模様の入っていたところが、

     みそって言われる茶色の粘土になると、

     抜け落ちて、穴凹になるの。

     みそ跡って言います。

 

     みそは、方解石や苦灰石や長石や沸石やモンモリロン石などの、

     珪酸塩鉱物のことで、

     粘土に多く含まれる鉱物なので、粘土鉱物と言われます。

     水を含むと、コロイド状になるの。

 

     モンモリロン石って、トンネル工事の地盤強化や、

     製鉄用のコークスを作る時などに、

     粘結剤として使われます。

     お化粧用のクレンジングパウダーにも使われてるみたい。

 

     フランスの町の名前ですけれど、

     地名としてのカタカナ表記は、モンモリヨンが普通?

     パリとボルドーの中間ぐらいの、

     ポワチエという町の、50㎞東です。

 

     大谷石は、粘土になった部分が抜け落ちて、穴凹になりました。

     鹿沼土も、品質の悪いのは、粘土になりますから、

     赤玉土と同じで、色が違うだけです。

     黄色っぽいと言うか、白っぽいと言うか、

     灰色っぽいと言うか・・・

     薄色ね。

 

     粘土でもなく、軽石でもなく、

     丁度よい固さのものを粉砕して、ころ合いの大きさにします。

     穴凹の多いのが、いいみたい。

 

     鹿沼土は、気泡の抜け跡のある軽石ですけれど、

     大谷石って、

     火山灰が海底に積もった凝灰岩という堆積岩なので、

     あの穴は、気泡でないのよ。

 

     人って、土を耕して、雨が降って、種を播いて、

     太陽が輝いて、作物を作ります。

     木を燃やして、火の風を送って、

     土や岩を溶かして、金属を作ります。

     火と水と土と風と命と太陽が大切なの。

 

     昔の人が、そう考えたように、

     うちの家も、息子や娘を、そういうふうに育てました。

     わたしも、ホモサピエンスの躾を、息子や娘や孫に伝えました。

     別に宗教でないのよ。

     我が家の伝統なの。

 

統合失調症って、脳や体の器質に、

原因となる何かの、物的証拠が出てきません。

発達障害も、そうなのよ。

 

結果として、脳が萎縮しますけれど、

健常な人の、個人差の程度しか萎縮しません。

萎縮したところを、顕微鏡で調べても、

病気と言える異常がみつかりません。

 

統合失調症では、

使わないから萎縮したのではないかと、言われています。

発達障害では、最初から発達不良ではないと言われていますが、

いずれも、健常な人の、個人差の程度ですから、

脳の大きさや重さの違いを、病気と言えるのか、疑問です。

 

統合失調症は、いったん発達していた能力が、

おもに思春期以後に低下して、人間らしさが退行します。

多くの統合失調症の患者さんには、

幼児期に、何かの能力の不足が確認できますが、

発達障害と言うほどでなく、周囲の人間社会に適応できます。

 

おもに思春期以後に、それまで無理をして適応していたのが、

たたったかのように、能力が低下しはじめて、

ゴムの力で、幼児期に引っ張り戻されるように、退行します。

御家族の人が、

幼児期の何かの能力の不足に、気づいていないことが、よくあります。

 

他人の子と比べなければ、なかなか能力の不足に気づきませんから、

御両親が、自分や他人の子を、

よく観察していなかったのかも知れません。

健常な御両親では、たいてい、

統合失調症の患者さんの、乳幼児の頃から、

先行きの慮られる異常のあったことを、よく覚えています。

 

人格障害でも、性同一性障害でも、拒食症でも、

統合失調症と、事情はほとんど同じです。

発達障害と騒いで、特殊な教育を受けさせたほうが良いかと、

深刻に悩むほどではありませんので、

もしも、この子を発達障害と診断して、薬物療法を勧める医師がいれば、

御両親は、子供の個性を尊重してあげて欲しいと、抗議するでしょう。

 

発達障害とは言えない軽症の子が、

統合失調症や性同一性障害や拒食症などになります。

でも、重症の統合失調症の患者さんを見れば、

支離滅裂や、寝たきりになったり、

人との応対がぎこちないことから、虐待されたり、

防御するために、被害妄想になり、他害に走ってしまったり、

自殺も、結構多いとわかります。

 

知能の正常な人では、本人は、おそらく気づいていますが、

気づいていないかのように、記憶を操作していますので、

自覚のないまま、精神症状を出しています。

知ると、悩ましくなり、自殺しかねません。

 

     アルツハイマーは、

     脳細胞の変性が、病気の原因として確認されています。

     周囲の人は、心理症状として、

     最初に、人が変わったような印象を受けます。

     良いほうに変わることは、まずありません。

     人間が幼稚化して、融通が効かなくなります。

     合理的な理由もなく、

     単なる幼児の我がままのように、頑固になります。

 

     合理的な理由を考える根気がなくなり、衝動的になります。

     いきなり迷信を信じるように、理由もなく咄嗟に判断して、

     人が苦情をこぼすと、一生変更不能なほど、頑固になります。

 

     きょうは暑いから、行くのは嫌だと言います。

     寒いから、食べるのは嫌だ、食事は要らないと言います。

     お天気が良いから、朝まで眠らないと言います。

     なぜかと問うても、合理的な答えはありません。

 

     それでも、暑いから行くのが嫌と言えば、

     それはそれで、理由の体裁になっています。

     なぜ、気候が暑いから温泉に行くのが嫌なのか、

     本人にも、わかりません。

     せっかく、温泉に来たのに、

     露天風呂にも大浴場にも、入らないと言います。

 

     家族が文句を言うと、

     死ぬまで自分からは、入浴しなくなったりします。

     温泉に入るも、入らないも、本人の勝手ですから、

     患者さんを放ったらかして、家族は温泉を楽しみますが、

     病状が進んで来ると、何をするかわかりませんので、

     そばを離れられなくなります。

 

     理由もなく、衝動的に迷信のように判断して、

     頑固に変更不能になり、

     物事の中間を調節できなくなり、

     極端な判断しか、実行できなくなります。

     物事の手順を、頭の中で組み立てることができなくなり、

     手先も動作も頭も、不器用になります。

     

     人が変わったように、周囲の人が感じるのは、

     病気としての物的証拠をつかめないからで、

     こういう状態を人格障害といいますが、

     アルツハイマーでは、

     やがて見当識や簡単な記憶に、異常が出てきますので、

     診断名として、人格障害と言わずに、

     アルツハイマーと言います。

 

     融通が効かなくなり、衝動的で頑固になり、

     中間を調節できなくなる症状は、

     診断後も、ますますひどくなり、

     寝たきりになるまで、家族を苦しめます。

 

     寝たきりになっても、

     点滴のチューブや針を、引きちぎるかも知れません。

     歩き回らなくなるので、安心ですが、

     火を使って、火事になることも、

     グループホームで、よく起こっています。

 

     統合失調症でも、人格障害が周囲の人を苦しめ、

     人によっては、寝たきりになるまで進行しますが、

     アルツハイマーのような、

     脳の変性という物的証拠は出てきません。

     アルツハイマーは10年で死にますが、

     統合失調症は、一生もんの病気になります。

 

     統合失調症と人格障害との違いを、

     妄想のあるなしに求める人もいますが、

     合理的な理由もなく、迷信のように咄嗟に信じて、

     衝動的に判断したり、

     融通が効かなくなって、変更不能になったりするのを、

     どこから、妄想と言い、

     どこまでを、間違いや了見違いや、

     場合によっては、自由な考え方や生き方や個性と言うかは、

     どこに線を引いても、うまく行かないことぐらい、

     健常な人なら、すぐにわかります。

 

     統合失調症や性同一性障害などの、

     特定の目立つ症状に当てはまらなければ、

     診断名は、人格障害のままで、一生、行きますが、

     そんな人が受診することは、稀です。

     自分が病気であるという病識がありませんし、

     強制的に治療することもできません。

     お薬もありません。

 

     凶悪犯罪のほとんどは人格障害で、

     何度も犯罪を繰り返す人のほとんどが精神障害者です。

 

     はっきりと、人格障害と鑑定されていても、

     責任能力は完全であるとされて、

     治療法がなく、更生不能なことから、死刑にされる例は、

     枚挙に暇がありません。

 

     裁判官は、被告人の確信や哲学が幼稚であると、

     はっきりと貶したうえで、死刑を宣告します。

     知能検査の結果は正常です。

     それなのに、はっきりと幼稚な判断や行動しか出来ません。

     本人は、それを正しいと確信していて、

     精神医学では、人格障害という診断名の病気であると、

     鑑定されています。

 

     知能が正常なのに、本人にはどうしようもなく、幼稚になり、

     その幼稚さを確信して、実行してしまう病気です。

 

     人格障害は、性格が少数派というだけではありません。

     アルツハイマーのように、脳の器質に病変のある病気と、

     統合失調症や発達障害のように、

     脳の器質に病変の発見できない病気とで、

     同じように人格障害が出て来ます。

 

     アルツハイマーは、明らかに進行しますが、

     統合失調症でも、重症の人は、寝たきりまで進行します。

     拒食症では、20%が死に至ります。

 

     発達障害が進行するときは、

     統合失調症や拒食症や性同一性障害などを発症して、

     それらの症状が進行するという形をとります。

     発達障害そのものは、進行しません。

     統合失調症や拒食症や性同一性障害などの精神症状の、

     基礎にある能力の発達不良の部分を、

     発達障害と言うことになっています。

 

     いずれも、認知障害の一種として現れますが、

     人格障害は適応障害と言うこともできます。

     自由な考えや生き方や個性や了見などから、

     多数派と異なる性格になったのでなく、

     適応する能力が低いために、人間らしさを習得できずに、

     人格障害をきたします。

 

     アルツハイマーでは、脳の器質の病変によって、

     途中から能力が低下します。

     統合失調症や人格障害や性同一性障害や拒食症などでは、

     おもに思春期以後に能力が低下したように見えますが、

     能力の不足は、乳幼児期からありました。

 

     本人は、それを自覚していながら、

     能力の不足から出来ないのでなく、

     能力はあるが、自由意志によって、

     それをしないと、強がりを言います。

 

     そのことを、裁判は責任能力があると言って、罰します。

     人格障害は、アルツハイマーでも統合失調症でも発達障害でも、

     同じように出てくることから、

     病気の進行を現しているのでなく、

     病気の結果として、人間らしさが受けるダメージを言っています。

     障害と言うことです。

 

     統合失調症の脳の萎縮のようなもので、

     健常な個人差の範囲内であり、

     萎縮そのものに病変を確認できませんので、

     病気の進行を現しているとは言い難く、

     病気の結果を現しているとしか言えません。

 

     人格障害は、それです。

     なんらかの病気のせいで、

     結果として廃れた人間性を現しています。

     廃れた原因は、能力の不足です。

     能力の不足の原因は、なんらかの病気や発達不良です。

 

     人格障害は、人間性の残骸です。

     けっして少数派の性格ではありません。

     自由に選択されたものではなく、

     能力の不足から、こうならざるを得なかったものです。

     能力を増す方法がなければ、治癒しません。

     裁判は、それを責任能力は完全であるとして、死刑にします。

    

急性期や認知障害の進行した統合失調症のような、

物的証拠のない精神異常を、

心理症状だけから病気として、

けっして処罰しない社会慣習を、

世界に先駆けて築いたのは、日本です。

元禄時代(1688~1703年)には、

すでに、今で言う統合失調症を処罰しない慣習ができていました。

 

フランス革命は、1789年です。

急性期の統合失調症や子供の死刑がなくなったのは、

欧米では、1900年を過ぎてからです。

1900年では、まだロンドンやニューヨークで、

引ったくりや万引きをした子供の公開処刑が、

町の中で行なわれていました。

ほとんどは、路上で生活する孤児でした。

絞首刑です。

住民は、拍手喝采しました。

 

日露戦争の頃ですので、日本では考えられませんが、

1960年頃、年寄りのGIDと自称する一人が、

山の町の橋から、被差別部落の子が逆さ吊りにされたのを見て、

駐在所に駆け込みました。

部落の子は助かりましたが、年寄りのGIDはお巡りさんに叱られました。

男の子なのに、女の子のような服装でしたが、そのことでなく、

部落の子と遊んでいたことを、強くたしなめられました。

 

1960年頃ですと、日本でも、

部落差別を受けている子たちは、ひどく虐められていました。

いったい、何人が虐められて殺されたのか、それとも自殺したのか、

わたしの子供時代を思い出しても、数えられないほど、たくさんいます。

都会では、朝鮮韓国の子が、差別されていました。

 

物的証拠のない精神の病気では、

たとえば、統合失調症のように、

重症の人は、寝たきりになりますが、

それでも、病識があるとは限りません。

 

病気でないとされると、御本人は喜びます。

統合失調症の患者さんの多くが、

自分は病気にさせられていると、思い込んでいますが、

その大部分の人は、通院して、お薬をもらって、服薬しています。

 

お薬を飲まなければ、耐えられないことを、

自分でよく知っていますが、

社会の無理解や陰謀などのために、

精神病にさせられていると思っています。

被毒妄想なども、それです。

他人の悪意のために病気にさせられていますので、

自分は被害者です。

 

通院して、お薬を飲まなければ、ひどいことになりますが、

自分の精神は健常なのに、

悪意を実行している奴の精神が、病気なのです。

 

なんとなく、性同一性障害(GID)の人に、似ていませんか。

精神疾患からGIDがはずされると、喜びます。

世間の無理解や、時代遅れの考え方のために、

精神障害にされているだけで、

自分の精神は健常であると、GIDの人は思っています。

 

それでも、GIDのホルモン剤や手術のために、

健康保険を適用するのが正義と、主張します。

予防医療のようなものですが、

ホルモン剤や手術がなければ、

自分の心がひどいことになるのを、知っています。

 

寝たきりになる統合失調症の患者さんや、

免疫不全のために亡くなる拒食症の人などのように、

病気の証拠がなくても、はっきりと障害が現れて、

周囲の人の介護がなければ、生きて行けなくなる人や、

特別扱いにしてもらわなければ、生活能力のない人が、

統合失調症の類の病気には、たくさんいます。

  

GIDでも、特別扱いや介護の必要な人は、

数え切れないほど多数ですので、

特別扱いにする法律があります。

それでも、GIDの人のほうは、自分から手術を受けて、

何カ月も、手術後の養生のために、

自分の体を不自由にします。

 

診断名がどうなるのか、病気なのか病気でないのか、

障害なのか障害でないのか、

御本人に病識があるのか、ないのか、

そんなのは、どうでもいい場合が少なくありません。

 

精神の病気の人を、死刑にするか、不起訴にするかは、

社会が一方的に決めます。

そうでなければ、統合失調症の類の病気では、

病識がありませんので、

みなさん、強がりを言い、自分は病気でない、健常であると言って、

自分から死んで行くことになります。

 

統合失調症や発達障害や認知障害などを、病気の一種とするのは、

放っておけば、自分から死んで行くからです。

体の病気でも、同じでしょう?

癌を放っておけば、癌も身の内ですから、

自分から死んで行くことになります。

病気って、みんなそうなんです。

精神の病気も同じなんですよ。

放置すれば、自分から死んで行きます。

 

社会が一方的に、

この人は精神の病気なのよって判断してあげて、不起訴にします。

そうでなければ、本人に判断能力はありません。

GIDも病識がありませんから、本人に任せれば、

みんな、自分から死んで行きます。

自律的に生きて行く能力がないのに、

背伸びして早とちりして強がりを言いますから、

みんな、半ば自殺って感じの死にかたになります。

 

マイケル・ジャクソンの死にかたって、半ば自殺でしょう?

GID医療を実施しているお医者さんにも、

そういう死にかたをする人が、少なくありません。

お医者さん自身が、統合失調症の類の精神障害なんです。

そういう仲間社会を作っていますので、

外からは、まるでオウムのような宗教に見えます。

 

統合失調症の類の病気って、病識がありませんから、

仲間同士の社会を作ると、みんな、こういう形になります。

GIDだけが特別ってことでなく、

こういう形っていう要件を、

GIDの仲間社会も、ぴったし、耳を揃えています。

 

集団ヒステリーって言い方をする人もいますが、

電磁波の御祓いをする宗教や、オウムやナチみたいに、

宗教を自称しても、しなくても、似たような仲間になります。

 

インドに、ポンディシェリっていう、

フランス統治時代の名残をとどめている町があって、

年寄りのGIDの人が、その町のイギリス人の男性と、親しくなると、

彼はこう言いました。

当時のインドは、人口問題と食糧問題のために、

餓死者が続出していました。

 

豚や牛や鶏も、品種改良をして、

おいしく大量に食べれるようになった。

人間も、今は食べても不味いだろうが、

品種改良すれば、すぐに上等の肉になる。

インド人を品種改良して、缶詰にすれば、

人口問題と食料問題は、一挙に解決する。

 

人間は賢いので、自分で自分を飼育できる。

食肉用の人間たちは、自分達の社会を作って、

自分たちで、食料を作り、食べて太って、おいしい肉になり、

缶詰になって、人間に食べてもらうことに、

至福の喜びを感じるだろう。

 

インカの人達も、心臓や内臓を、神に捧げた。

生け贄になるのは、たいへん名誉なことで、

喜びに満ちて、心臓をえぐり取られた。

 

自分で自分の体や命を捧げて、幸福になる人たちを、

だれが妨げることができるだろうか。

幸福を追求する喜びは、基本的人権に違いない。

だれが、奪い取れるだろうか。

自分達で身の回りを処して、誰にも迷惑を掛けずに、

自分達で肉の缶詰になって、最高の幸福を感じる人達を、

だれも、非難できない。

みんな羨ましく思うだろう。

 

イギリス人は、そう言いました。

現代日本のGIDは、自分からお肉の缶詰になって、

喜びを感じる人達です。

日本には、欧米やイスラム教国のような、

異性装や同性愛に対する差別がありません。

普通の文化や趣味の一つとして、

自由に流行して、自由に廃れて、自由に禁止されることができます。

 

日本では、江戸時代から、

ひどい精神障害者を処罰しませんでした。

自分からお肉になるかのように、

自分から生殖機能を捨てるGIDの人達は、

ひどい精神障害者ですが、

自分達は、精神障害でなく、責任能力があると言い、

自分からお肉になる権利を、死守しようとします。

 

日本のGIDは、諸外国に比べて、

政治や宗教の、強制的な影響が少ないにもかかわらず、

自分から政治のせいにして、宗教に傾いて行く傾向は、

むしろ強いかも知れません。