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水舟 106 生殖・自我・ヒステリー

2010.05.06 15:00

ゴールデンウィークのレジャーのために、

カムチャッカに行きました。

ルイジアナのオイルプラットホームには行っていません。

 

GID(性同一性障害)の発達障害は、自我障害だったりして…

自我障害は認知障害で、ヒステリーだったりして…

証拠のない心は、何とでも解釈できます。

 

統合失調症やGIDや拒食症や解離性同一性障害などの人は、

客観的な事実の記憶に嘘が多く、当人は嘘と自覚していません。

物事の推移を尋ねると、

宇宙の成り立ちを、何故と問い詰めても、埒が明かないように、

自分の経験した事なのに、

理由もなく物事が起こり、理由もなく行動します。

まるで、銀河系の彼方からやってきたように、

この人達は、驚異に満ちた日常世界に暮らしています。

 

健常な幼児に、一日の出来事を尋ねると、

朝、目が覚めた時から、時間の順番に教えてくれますので、

今さっきの事に、なかなか辿り着けません。

幼稚園から帰ったあとに、何をしたのか、

こちらから指定して、手っ取り早く聞き出します。

 

精神障害の人は、幼児の頃から、

客観的事実を、時間の順番に並べる記憶の形式を、

習得していないことが、稀にあります。

いったん、習得していたのに、

思春期以後に、記憶の形式の変わる人もいます。

最も多いのは、その時の気分によって、

時間の通りに記憶を呼び起こすことが出来たり、

出来なくなったりする人です。

 

統合失調症と同じ症状の出る人でも、

継続的に出ている人は、統合失調症と診断されて、

何度も措置入院になっていますけれど、

症状が出たり出なかったりする人は、

受診することも、診断されることもなく、

精神障害とは関係のない健常な顔をして暮らしています。

 

二人は同じ家族で、判で押したように、同じ症状が出ます。

どちらが精神障害として重症か、一概には決められません。

御家族の言うには、健常な人のほうが、

家族の生活を犠牲にする分だけ、重症です。

措置入院になる人は、病院に入れておけば、手間がかかりませんし、

退院すれば、しばらくは大人しくしています。

何か悪いことをしでかしても、

統合失調症の人のほうは、不起訴になりますが、

健常な人のほうは、せいぜい人格障害としか鑑定されませんので、

死刑になります。

 

この違いを、法的に作り出したのが、日本人です。

元禄時代に、責任能力のない精神障害者を、

処刑しない社会慣習が、すでに普及していました。

世界で最初です。

 

フランス革命の考え方では、

人間は生まれながらにして平等ですので、

生まれながらにして不平等な現実を、

どのように法的に、ひねくり回して理解するかが、難問でした。

現在に至るまで、死刑になるような凶悪犯罪では、

必ずと言ってもいいほど、被告人の責任能力が問題になります。

 

     GIDでは、客観的事実を、

     時間の通りに並べられなくなるのと、

     GIDの発症とが、

     ほぼ同じ時期の人が、少なくありません。

     思春期の人もいれば、

     子育て後の45才を過ぎてからの人もいます。

 

     客観的事実が起こった順番の通りに、

     一本の時間によって、記憶が整理されていることを、

     意識の同一性と言い、

     自分という気持ちの由来になっていますので、

     自己同一性と言います。

 

     GIDでは、性別のことだけでなく、

     その時の気分次第で、目覚めている時でも、

     しばしば、自己同一性を失います。

     自己同一性を失うことを、解離すると言いますが、

     眠って夢を見ている時は、慣用的に解離と言いません。

     自我の未熟な乳児や、動物などでは、

     自己同一性が一度も形成されたことがありませんので、

     解離と言いません。

     解離の反対語は、統合です。

 

     自分という意識は、乳幼児期に、

     少しずつ作られて行くと知って下さい。

     最初から自分があるのでありません。

     子供を育てたお母さんなら、

     誰でも知っていることですが、

     GIDになる人は、子供がいなければ、

     ほとんどの人が、

     自分は生まれつきに自分だったと思っています。

 

     自分らしさも、工作物ですので、

     他人との識別点を、自分らしさと言います。

     自分らしさという個体の特殊性は、

     脳の形や、脳の組織の分子構造も含めて、

     体の器質の、形の違いでなければ、

     人それぞれの置かれた状況の違いでしか、ありません。

     脳の能力の違いや、経験や記憶の違いは、

     分子構造の形の違いに現れているはずです。

 

     現在の状況の違いは、

     短期記憶を保存しているタンパク質の形の違いに、

     反映されているかも知れませんが、

     認知の仕方の違いがありますので、

     現在の客観的な状況の違いが、

     即ち器質の違いとは限りません。

     認知の仕方の違いは、脳の組織の分子構造の違いに、

     すでに現れているはずです。 

 

     原理的には、自分らしさという個体の特殊性は、

     すべて、体の形の違いです。

     神秘的なものは、何もありませんので、

     人間の心は、自然と同じように、機械と同じです。

 

     個体が違えば、客観的な状況も違います。

     規定されている情報処理の仕組みや、

     入力された情報が同じでも、

     誤動作が起これば、

     自分らしさという個性の根拠になります。

     誤動作の原因も結果も、形の違いに現れていますが、

     いつ、どのように誤動作を起こすか、

     予想された通りの誤動作を、

     誤動作と言えるはずもありませんから、

     個性や、人間らしさや、自分らしさを運営するために、

     神様は、一切必要ありません。

 

     精神障害の人の心は、

     神様が運営しているかように神秘的です。

     このことを、ヒステリーと言います。

     自分や他人に、客観的事実を知られないように、

     嘘をついて、嘘をついたという記憶を封印します。

     わざと、自分の体や心の運営に、変調をきたして、

     自分や他人や社会を困らせます。

 

     うまく行くと、能力の低さから、

     人にこき使われて、馬鹿にされます。

     精神障害の人の心は、

     人を馬鹿にしたり、馬鹿にされたりするような、

     感情によって、動物的に、夢のように、

     乳幼児のように運営されています。

 

     感情は、哺乳類に受け継がれている情報処理の、

     共通の形式の一つですが、

     人間では、夢や乳幼児でなければ、

     あまり使用されません。

     多用すると、精神に異常をきたして、芸術的になり、

     風俗に流されて、非行や犯罪に走りやすくなります。

 

GIDでは体の異常や、御家族に精神障害者が多く、

貧困も少なくありません。

認知障害の内の、知能検査や学力検査などでは測れない異常や、

体の見掛けの形や、内分泌や性反射や性周期の異常などのせいで、

周囲から差別虐待されている人もいます。

 

性別の違和感や、心の性別や、心と体の性別の不一致や、

性転換願望や、性ホルモン剤や各種美容手術の希望などの、

GIDの診断の根拠になる症状は、すべてヒステリーです。

 

ヒステリーは、自我障害と同じ意味に帰着するかも知れません。

人間に特徴的な自我の発達は、

哺乳類の生殖を処理していた嗅脳の機能が、

人間において特徴的に退化したことと、

抱き合わせになっています。

 

他人や社会とのコミュニケーション機能や、

一本の時間の上に、

客観的事実の起こった順番に、記憶を並べることによって、

意識の同一性を維持する機能などを見れば、

自我機能は生殖のためにある、とも言えます。

 

フェロモンを感じる能力が退化して、

時間と手間のかかる育児が必要ですので、

人間の生殖には、

優れたコミュニケーション能力と、自己同一性が必要です。

 

未来を見積もり、これこれならば、しかじかをすると、

将来の行動を、あらかじめ心積もりすることによって、

自分は何々であると、自分で自分を規定して、拘束して、

わざと型に填め込んだ自分を実行する意志の機能も、

自我機能の大切な機能の一つですから、

性交渉や育児や社会を作る機能などと同じように、

生殖の一部かも知れません。

 

過去にうまく行った行動を、未来にも適用するのは、

世代交代して、永遠に生きようとする生殖本能と同じです。

頑固になって、変更不能になります。

宇宙は均一であり、物体は恒常性を求め、

生物はアリストテレス風です。

 

意識の内容を、客観的に自覚する機能は、

他人や社会とのコミュニケーション機能を援用していますので、

ヒステリーの人が、記憶を封印するのは、

他人や社会とのコミュニケーションの拒否と、同じ意味になります。

GIDのように解離して、事実に即した記憶を失うのは、

一種の自閉です。

生殖の拒否は、言うまでもなく社会生活の拒否にほかなりません。

 

意志や自覚や自己同一性やコミュニケーションも、

生殖機能の一部と言えるなら、

生殖と言わずに、自我と言ったほうが、良いのかも知れません。

生殖の拒否は、自我を拒否することなのよと。

社会を拒否することです。

  

人間は死ぬまで自我を持ち続けるように、

死ぬまで生殖を望み続けなさいと言うと、

男性には健康的かも知れませんが、女性には酷です。

更年期を過ぎると、死んだも同然になりますので、

有性生殖を卒業して、生き続けます。

 

GIDの人には、性転換よりも、

有性生殖によらずに、社会的に生きる道を、

教えてあげたほうがいいと、わたしは思っています。

子供のいる人にも、いない人にも、共通に適用できます。