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シラカンバ 127 GIDの犯罪ですの ブログペット

2010.06.03 15:00

高山市丹生川(にゅうかわ)の白樺林です。

もう何年も前の写真ですけれど、今頃の季節は、この感じと思います。

ダケカンバと似たような名前ですけど、

カンバって、アイヌ語のカリンパから来ているそうで、

カリンパは、桜の樹皮の、あの感じの木の皮を言います。

白いカリンパだから、シラカンバです。

シラカバとも言いますが、シラバカではありません。

 

正田(しょうだ)美智子さんは、1959年に御結婚なさいましたが、

1957年頃から、明仁親王殿下との交際が知れていました。

当時は、皇室のお嫁んさんは、皇族や華族などの、

貴族の出身に決まっていると、思われていましたので、

美智子さんは、お妾さんのようなものと、見なされていました。

翌年に婚約が発表されると、国民はみんな驚きました。

 

皇族には、お印という紋章のような、印章のような、徽章のような、

本人を象徴する印があるそうで、

美智子さんのお印は、白樺です。

べつに白樺の木にしがみついて、分娩するわけではありません。

 

樺(かんば)美智子という東京大学の学生が、1960年に亡くなりました。

安保条約の改定に反対する総評のデモに、全学連が加わっていました。

樺さんは、その学生たちの中にいましたけれど、

デモ隊は門を破り、国会議事堂の敷地に突入して、

機動隊と乱闘になりました。

機動隊は、警棒でデモ隊を殴りましたけれど、

デモ隊のほうも、機動隊のトラックを燃やしました。

樺さんは、警棒で殴られて倒れたあと、

雑踏に踏まれたのかも知れません。

担架で運ばれる顔を、ニュースフィルムで見ると、

やくざの暴行で殺された人に似ていました。

 

この3日後に、安保条約の改定は、自然成立しました。

さらに4日後に、岸内閣が総辞職します。

岸信介氏は、後の年寄りのGIDの人達の性転換に、好意的でした。

佐藤栄作氏のお兄さんで、笹川良一氏の親友です。

 

わたしは白樺を見ると、

60年安保から70年安保にかけての、新左翼の運動と、

性転換医療のことを思い出します。

当時は、まだ終戦から15年ぐらいでしたので、

政治的な発言をするのは、殺し合いの戦争をするのと同じで、

どこから鉄砲の玉が飛んできても、文句を言えませんでした。

殺されても当たり前ですし、平気で人を殺せるぐらいに、

頭の変な人でなければ、政治は出来ません。

やくざの人と、似ていますけれど、

精神障害の人とも、似ていましたので、

 

BlogPetというのを、右下に貼り付けてみました。

ページのクリック数だけなら、

はてなのカウンターを付けると、数字が出ます。

下品なので、はずしていました。

一日に300回ぐらいのクリック回数と知っていましたけれど、

何人ぐらいの訪問者になるのか、知りませんでした。

 

BlogPetって、アクセス解析のフリーサービスです。

ペットにオスカルって名前を付けてあげました。

顔をクリックしてあげると、単語を表示します。

 

オスカルって、宝塚のベルサイユの薔薇です。

男装の麗人ですけれど、

フランス革命に、そんな人はいませんので、架空の人です。

 

日本で男装の麗人と言えば、清朝王女の川島芳子さんですけれど、

李香蘭(山口淑子)さんと親しかったそうです。

戦前に笹川良一氏と交際していたことがあり、

戦後、笹川氏が助命を画策しましたが及ばず、

1948年に銃殺されました。

 

李香蘭さんは、終戦時の上海において、漢奸容疑で逮捕されたものの、

日本国籍でしたので、処刑されずに、国外追放になりました。

 

日本人でもう一人の男装の麗人は、水の江瀧子さんで、

ロス疑惑事件の三浦和義氏の、実の母でないかと、

噂されていました。

真偽は不明です。

 

年寄りのGIDと自称する人達の、性転換を診ていた医師を、

2000年頃に脅迫したGIDグループがあり、

自分達が加害者の、脅迫事件の発覚後に、三浦和義氏に急接近して、

ロス疑惑事件を、冤罪であるとする運動に、参加していました。

現在の加害者側のGIDグループの動向は、あまり知りません。

 

オスカルが、何をしてくれるのか、

おもしろいので、お昼を食べながら、いじくっていると、

カンって人が、総理大臣になりました。

GIDの人が、昔、東京大学の講堂で、

この人のお尻を、蹴ったそうです。

 

よその大学の学生さんなのに、東京大学の講堂を占拠していたから。

当時は、新左翼の大学生や高校生や労働組合のメンバーが、 

あちこちの学校や自治体や公共企業などの現場に押しかけて、

バリケードで建物を封鎖して、

寝泊まりしながら、闘争を応援しました。

 

東京大学では、日本全国の新左翼の学生さんが集まって、

校舎で寝泊まりしていました。

講堂が、いちばん象徴的な場所でしたので、

機動隊との争いの最前線でした。

色々な大学の、新左翼の旗を掲げて、

たくさんの学生さんが寝泊まりして、自炊していました。

 

インスタントラーメンや雑炊を作って食べていましたけれど、

機動隊が放水していましたので、建物の中はびしょびしょ。

真冬でしたので、寒くて寝る場所もなかったのに、

新左翼の学生さんたちは、机を並べて、寝袋に入って寝ていました。

放水で、濡れてしまうので、寝袋をビニールシートでくるんだり、

講堂の中に、テントを張ったりしていました。

 

まだ、猫も杓子も新左翼の時代でしたので、

新左翼のメンバーや活動家と言っても、健全な精神の青年たちでした。

日本の学生さんの、半数ぐらいが、

新左翼のデモに、参加したことがありました。

スクラムを組んで、ジグザグに行進したり、

投石したり、火炎瓶を投げたりします。

活動家は、ヘルメットに、タオルで覆面をして、

ゲバ棒という角材を持ちます。

一般の学生は、普通のジャンパー姿で、デモに参加するだけです。

それでも、新左翼のシンパの意志表示になります。

一般の人も含めて、日本人の半数くらいは、新左翼に好意的でした。

学生さんは、たぶん7割ぐらいが、新左翼のシンパでした。

 

東京大学の安田講堂を、機動隊が攻略した後、

日本の新左翼の運動は、急激に冷めて、

真っ先に、マスコミが離反しました。

新左翼のことを、過激派と呼ぶようになりました。

安田講堂の事件の後、全国の大学は、

入学試験を実施するために、機動隊を導入するか、

それとも、入学試験を断念するかの、判断を迫られました。

圧倒的多数が、入学試験を実施するために機動隊を導入しました。

東京大学では、封鎖を解除したものの、

1969年の入学試験は、取りやめになりました。

 

全国の大学では、機動隊を導入した後に、

入学試験に合格して、新しく入学して来た学生は、

新左翼の運動に、極端な嫌悪感を示しました。

受験勉強の苦しさを我慢して、

うまく入学できたというエリートの気持ちと、

やっと受験勉強から解放されて、羽根を伸ばせる嬉しさとが、

全部、新左翼の学生を見ると、つばを吐く気持ちに、

振り替わりました。

 

このへんの心理を、あらかじめ、読めなかったのが、

新左翼を指導していたリーダーたちの、能力の限界だったのかしら。

たぶん、カンって人にも、同じ限界が現れています。

 

新左翼の学生さんたちが、建物を封鎖しようとして、

以前のように、ヘルメットに覆面姿で学内をデモ行進すると、

新入生たちは、罵声を浴びせました。

1970年を過ぎると、内ゲバの殺し合いが、続々と報道されて、

連合赤軍のリンチ殺人事件のあとは、

過激派の呼び名だけでは物足りずに、

テロリストと呼ばれるようになりました。

 

あれよあれよと言うまに、世の中の雰囲気が変わって行くのを、

わたしの世代の人は、高度経済成長の始まりから、

オイルショックによって、高度成長が終わるまでの時代に、

経験しました。

子供時代は、道端に七輪を出して、秋刀魚を焼きました。

都市ガスも、プロパンガスもなく、

家庭の電気製品は、白熱電球とラジオだけでした。

 

カンって人を検索すると、1946年の生まれで、

鳩って人が、1947年でした。

日本で最初に性転換した人達も、この世代でした。

1956年に、もはや戦後でないと言われましたけれど、

それまでは、戦後と言っても、戦前よりも貧乏でした。

両親の子供時代よりも、娘や息子のほうが、

貧しい暮らしの中で育ちました。

 

鳩って人は、お金持ちでしたから、

貧乏は関係なかったと思いますけれど、

わたしは、馬車がお便所の汲み取りに来たのを知っています。

東京では、町のし尿を船に乗せて、農家に配達していました。

お茶の水や水道橋あたりの、JR中央線の横の神田川を仕切って、

バキュームカーがウンコを吐き出していました。

神田川で発酵させてから、堰を開いて、

隅田川のほうへ流していたのを知っています。

 

やはり、生のまま放流するのは、気が引けたのでしょうか。

肥やしは、生のまま掛けると、作物が枯れてしまいます。

よく発酵させてから、液肥として使いますので、

匂いを嗅いだだけで、

当時は、だれでも、発酵の度合いを知ることができました。

 

神田川では、発酵したウンコの泡が、

厚さ15センチぐらいのスポンジ状になって、固まっていました。

子供が、石を投げると、スポンジに穴があきます。

これが、面白くて、男の子は一日中、遊んでいました。

だれも、くさいなんて、苦情を言いません。

どこの家も、汲み取り式のお便所の時代ですから、

ウンコの臭いが、人間の暮らす町の匂いなんです。

世界中、そうです。

たぶん、砂漠と北極以外は。

 

日本では、江戸時代に、

人間の糞尿を、肥やしとして使う技術が開発されましたので、

都会だけでなく、田舎でも、

うんこの、しっとりとした匂いに満ちていました。

フランスやアメリカでは、都会だけが、うんこだらけでした。

雨が少ないので、なかなか流せません。

田舎は、穴を掘って、お便所にします。

穴が一杯になると、埋めてしまいますけれど、今でも同じです。

 

日本は、川の流れを、町の中に導いて、

下水の代わりに使いましたので、

川がなければ、町は発達しません。

飲料水は、井戸水でしたけれど、

わたしの子供時代は、東京でも大阪でも、

隣組に一個の井戸がありました。

井戸の湧かない所に、町は作れませんので、

河口や川べりでなければ、扇状地に町を作りました。

 

     同性愛って、性器や肛門を舐めますけれど、

     ウンコの臭いが懐かしいって気持ちなんですよ。

     水洗トイレの時代になっても、

     人間はみんな、乳幼児の頃に、オムツで暮らします。

     ウンコはなつかしく、親しい思い出です。

 

     性のことは、人間の共通の思い出と、重なります。

     けっして、性別うんぬんの事ではありません。

     自分の殻に閉じこもって、共通の意識を持てない人は、

     性の意識に変調をきたします。

     同性愛は、人間の共通の思い出に根ざしています。

     GID(性同一性障害)は、子供時代の自閉症に由来します。

     同性愛は、健常な文化や趣味なのに、

     GIDは、精神障害と言われます。

 

     生殖拒否は、自閉の現れですけれど、

     同性愛の趣味があるからと言って、生殖拒否にはなりません。

     同性愛は、流行に左右されますので、

     流行期には、人口のすべてに近い人が、同性愛を嗜みます。

     人口の一定の割合の人が、精神障害を発症するように、

     同性愛を嗜む人の中の、一定の割合の人も、

     精神障害を発症します。

     そういう人達には、同性愛を嗜む人でありながら、

     生殖拒否の精神症状が、出ているかも知れません。

     生殖拒否は、だいたい、

     自閉症と同じ人に現れる精神症状です。

 

     どうしてウンコを神田川に流すのかは、

     高度経済成長の初めの頃の、社会の事情と思います。

     下水道や汚水処理施設が整備されていなかったのに、

     都会に、たくさんの人が集まりました。

 

     どうして、GIDになるのかは、知りません。

     御本人は、乳幼児のことを覚えていませんけれど、

     お母さんには、手に取るようにわかります。

     わたしは、GIDの母でないけれど、

     現在のGIDの子たちの、大部分の人にとっての、

     共通の社会や生活の事情を、

     直接に、大人の目で体験して、覚えています。

 

     カンって人が、この20年の行き詰まりを打破したいと、

     言ってましたけれど、

     20年の行き詰まりって、バブル崩壊以後の、

     海の底に沈みっ放しの経済のことと思います。

     海底にも、山や谷の地形がありますので、

     経済の上がり下がりはありますけれど、

     この20年間、海の底に沈んだままの経済であることには、

     違いありません。

 

     これって、若いGIDの子には、わかりません。

     わたしの世代の人なら、肌に感じて、はっきりとわかります。

     GIDって、小人閑居して不善をなすのと、

     自分の殻に閉じこもるのが、二大原因です。

     自分の殻に閉じこもるって、日本独特の言い回しかしら。

     ドイツ人が、これは日本の諺だけどって、前置きしてから、

     自分の殻に閉じこもるって言っていました。

     こんなの、中国の言い方とばかり思っていましたけれど。

     自分の殻って、日本人しか言わないのかしら。

     日本人は、卵の殻を内側から突っついて、

     鳥みたいに一人で生まれ出るのよね。

     ほんとかしら、庭鳥でも空を飛べるって。

 

     そのほかにも、GIDは、顔と体の見掛けで性別を決めるので、

     GIDの言い分が普及すればするほど、

     顔とからだの見掛けが、反対の性別に近い中学生は、

     周囲に虐待されて、性転換させられる羽目になります。

     年寄りのGIDって人達が、それでした。

 

     まだGIDってのが、ない時代でしたけれど、

     男ならこれこれ、女ならこれこれの体や心ってのを、

     絶対的なことにように振り回して、

     そうでない人を差別して虐待する人達は、昔からいました。

     心は、いくらでも適応できるけれど、

     顔や体の形は、差別されると、どうしようもないと言って、

     年寄りのGIDの人達は、虐待されるのを防ぐために、

     緊急避難的に性転換しました。

 

     肌身に感じて、

     直接に差別されて虐待された経験がありますので、

     彼女らは、人の考えや性格に触れると、

     顔や体の見掛けの形によって、人を差別する人なのか、

     そうでない人なのかを、本能的に嗅ぎ分けました。

 

     年寄りのGIDの人達によると、

     現在のGIDと言われている人達も、GIDの運動も、

     いずれも、見掛けの顔や形によって、

     人を差別して虐待する人達の中の、過激派に違いない、

     と言います。

 

     性別にかこつけて、顔や体の見掛けで、人を差別するように、

     自分で自分を差別して、

     自分を性転換に追い込んだ心の道筋を、

     他人にも普及しようとするのが、

     現在のGIDや、GIDの運動だそうです。

     

     心についても、同じです。

     男なら、これこれの仕草や、振る舞いや、表情や、

     態度や、物腰や、言葉遣いや、考え方や、

     服装や、持ち物などに表される心であると、決めつけます。

     女なら、これこれと、決めつけます。

     そういう、顔や体や心を、変更できないと言い、

     性器の形のほうを変更して、生殖機能を除去します。

 

     病気であるか、ないかというレッテルの問題は、

     どうでもいいんです。

     こうでなければ、生きて行けない人を、

     社会が特別扱いにして、認めてあげるのは、

     生殖や優生医療の問題が残るものの、

     緊急避難としては、仕方ありませんから、

     必ずしも悪いこととは言えません。

     必ずしも優生医療とは決まっていません。

     性転換手術に健康保険が効くようにしてあげるのも、

     他の健康保険の効かない様々な病気の治療法との、

     兼ね合いの問題はありますけれど、

     国民みんなが、そうしてあげるべきと思うのなら、

     そうしてあげるのが、筋です。

 

     でも、男ならこれこれの形、心、女ならこれこれというのを、

     自分は変更できないからと言って、

     社会のみんなにまで、普及しようとするのは、間違いです。

     片足が無くても、幸せに生きて行けるように、

     御本人も社会も、みんなで助け合うのは良いことです。

     でも、片足の無いのを変更できないからと言って、

     社会のみんなに、足を切るように勧めるのは、間違いです。

 

     はっきりと、犯罪です。

     もしも、御本人に責任能力があるのなら、

     刑務所に入ってもらうべきです。

     現在のGIDの運動は、それになっていると、

     年寄りのGIDの人達は言います。

     美容外科医が、美容手術の宣伝をするように、

     性転換を普及してはいけません。

     片足のないのを変更できないからと言って、

     足の切断を、みんなに普及しようとする運動は、犯罪です。

     性転換を普及してはいけません。

 

     うちのブログペットのオスカルちゃんは、

     クリックされると、

     犯罪ですのって、言うようになるのかしら。

     適当に、ページの中の単語を、喋っているだけ?

     わたしの心の電磁波を、キャッチしてくれたらいいのにね。