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会津藩士のお墓 144 アイデンティティ

2010.06.20 15:00

横須賀の観音崎という所の、会津藩士のお墓です。

幕末に、会津藩が、横須賀の海の警備を、担当していたので、

横須賀市と、会津若松市とは、友好都市として、提携しています。

異国船を、やっつけるのかしら。

当時の会津藩士のお墓が、横須賀市の史跡になっています。

 

まだ、幕末からこっちの、最近のお墓ですし、

現在も子孫のかたがたが、お暮らしのようですので、

なまなましいのは遠慮します。

  

1810年に、幕府から請け負い、

会津藩は、横須賀市の浦賀や、三浦市の城ヶ島などに、

台場や陣屋を作っています。

1837年に、浦賀沖に現れたアメリカのモリソン号が、

初めて東京近辺に来航した外国船ですけれど、

砲撃されて、追い払われています。

 

異国船打払令の通りの対応でしたけれど、

後のオランダ風説書には、

遭難してマカオに滞在していた日本の漁民7名を、

イギリスの商船が、日本へ送り届けようとしたと、書かれています。

幕府は、モリソン号を、軍艦と誤認したようです。

 

この事件が露見して、三河の田原藩家老の渡辺崋山や、

医師で蘭学者の高野長英などが、幕府の政策を批判しましたので、

蛮社の獄になりました。

渡辺崋山は、自宅謹慎の判決でしたが、三河の自宅で、自殺しました。

高野長英は、終身刑でしたが、脱獄して、江戸に潜伏していたところを、

発見されて殺害されました。

 

モリソン号は、アメリカの商船なのに、

オランダ風説書は、イギリスの商船と書き、

イギリスの植民地政策の陰険さを、幕府に告げ口しています。

モリソン号も、商船とは言いながら、

日本との通商を画策するために、アメリカ政府の意を受けていました。

 

会津藩が、横須賀に防衛陣地を作ってから、27年後ですから、

幕府に、かなりの先見の明があったことは、確かです。

でも、27年前の先見の明は、

すでに、時代遅れになっていたのかも知れません。

 

1845年に、捕鯨船のマンハッタン号が、浦賀沖に停泊しました。

この時に、日本の小舟が300隻で、マンハッタン号を曳航しています。

1隻ごとに、15人が乗っていたと言われていますので、

幕府は、海上だけでも、4500人を動員しています。

食料やお土産などを、無償で供与して、

丁重に引き揚げてもらいました。

 

モリソン号の教訓があったかも知れませんが、

マンハッタン号の、マーケイター・クーパー船長は、

その後、探検家として有名になり、南極大陸の東側を発見しています。

この人も、11人の漂流民を送り届ける名目で、

日本の開国を目論んでいました。

 

1846年に、アメリカ東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルが、

2隻の軍艦で、マカオから浦賀に来ましたが、

オランダ風説書に、具体的な来訪が書かれていましたので、

幕府は予想していました。

軍艦と言っても、帆船でしたので、

浦賀湾内では、動きが取れず、日本側の小舟に曳航されました。

 

彼は、けっして不信感や敵愾心を煽ってはいけないと、

命令されていましたので、

平和的に粘り強く交渉するはずでしたが、

長崎に回るようにと、幕府から言われると、

そのまま、太平洋を横断して、アメリカに帰ってしまいました。

体調が悪かったようです。

 

1853年の、ペリーの来航も、オランダ風説書で知られていました。

彼は、武力で威嚇して、戦争も辞さずの構えで交渉するように、

命令されていました。

ビドルの失敗を研究したとも言われています。

 

木造コールタール塗りの外輪蒸気船ですから、

煙突があり黒煙を吐きます。

外洋を航海するときは、帆を使い、湾内は蒸気エンジンを使います。

4隻のうちの2隻が蒸気フリゲート鑑で、残りの2隻が帆船でしたので、

日本の艀(はしけ)に引っ張って貰わなくても、

蒸気船が帆船を曳航して、艦隊全体が湾内を自力で航行しました。

当時の大型フリゲート鑑は、現在と違い、

軍艦では最大級の大きさだったそうです。

 

ペリーの東インド艦隊旗艦のサスケハナ号は、

1947年の建造ですけれど、

1940年代前半に、フランスやイギリスは、

それぞれ20隻以上の蒸気船を、軍艦として保有していましたが、

世界で最初に蒸気軍艦を建造したはずのアメリカは、

1隻も保有していませんでした。

 

当時の蒸気船は、大量の石炭を必要とした割には、短距離しか走れず、

外洋を航海できるほどの、実用性がありませんでした。

港の中を、自力で航行できる魅力はありましたが、

石炭の補給基地が必要でしたので、

敵地を自由に航行できるとは限りませんでした。

  

ペリーは、遅ればせながら、

アメリカの蒸気船による艦隊を造った張本人で、

アメリカでは、蒸気海軍の父と呼ばれているそうです。

フランスやイギリスは、

すでにスクリューを使った蒸気船の時代になっていましたので、

アメリカ海軍の外輪船艦隊は、時代遅れでした。

 

1858年に、イギリスで建造されたグレート・イースタン号は、

全長210mで外輪とスクリューの両方を備えた鋼鉄船でした。

1864年にイギリスで建造された長鯨丸は、

77mの鉄鋼製の完全な汽船でしたが、外輪船でした。

1867年に、オランダで建造された開陽丸は、

72mの木造大型船でしたが、スクリュープロペラを持つ汽帆船でした。

 

造船技術が目まぐるしく進歩する時代でしたので、同じ幕末と言っても、

日本の開陽丸は、ペリー艦隊の旗艦のサスケハナ号とは、

比較にならないほどの、強力な軍艦でした。

 

会津藩士のお墓は、各地で史跡になっていますけれど、

殿様が京都の守護職で、戊辰戦争の主力でしたので、

京都に多いようです。

三浦半島と、樺太や宗谷地方の守備を、受け持っていましたので、

その方面にも、お墓があります。

 

会津藩って、徳川二代将軍秀忠の子の、保科正之が藩主になってから、

徳川幕府の、有力な親藩でした。

御三家の水戸家よりも、実際の収入は多かったそうです。

昔の武士の家柄は、養子が多く、

同程度の家格の親戚の間で、養子を融通し合って、家を守りますので、

家という血筋よりも、親戚関係の血筋のほうが、大切かも知れません。

 

     ヨーロッパの王族と同じです。

     ロシアもオーストリアもフランスもイギリスもスペインも、

     王族はみんな、親戚同士で、

     いわゆるインターナショナルな階級を形成しています。

     軍事力で制服した王朝では、

     どうしても階級社会を避けられません。

     日本の武家政権も同じですので、

     これが日本の、平和で平等な社会を築いたとは、言えません。

  

     平等な社会って、軍事力で制服した権力でなく、

     祖先を共有する土着の血筋の、同族社会でなければ、

     生まれないかも。

     血筋が一つでなければなりませんので、

     欧米大陸の多民族社会では、実現不可能でしたけれど、

     日本のような島国では、実現できたのかも知れません。

 

     同じ一つの血筋って、自己同一性と、よく似ています。

     自己同一性は、事実の起こった順番に、

     一本の時間の上に、記憶を並べることによって、生まれます。

     自己同一性のことを、アイデンティティと言います。

     自己存在証明とか、帰属意識などと、

     翻訳されることもあります。

 

     日本人のアイデンティティは、

     多くが、同族社会の血筋によって保証されています。

     欧米の多民族社会では、階級意識によって保証されています。

     だから、帰属意識とも翻訳されますが、

     日本では、医師のエリート意識や、被差別部落の人の気持ちが、

     欧米の階級意識と、ほぼ同じで、

     ヨーロッパでは、ユダヤ人が、その魁でした。

 

     仏教のお坊さんの世襲感覚が、

     日本人のアイデンティティの、標準に近いかも知れません。

     ヨーロッパでは、ユダヤ人を虐殺したドイツや、

     オランダやポーランドなどの、

     伝統的な土地に縋り付いた農民の意識です。

 

     自己同一性って、事実に依拠していますけれど、

     仲間が違えば、事実も違います。

     自然の出来事でも、見方が異なれば、

     人によって異なったものに見えますので、

     同じ自然の出来事は、同じ見方でなければ、あり得ません。

     事実は、仲間内でなければ、普遍性を失います。

 

     自然の出来事は、

     あらかじめ、他人と情報を交換するために、

     他人と共通の事実、という形式によって認識されて、

     記憶されます。

     共有する形式が異なれば、

     同じ出来事を見ても、記憶される事実が異なりますから、

     人と、話が通じません。

 

     同じ自然の出来事は、

     そもそも、架空の幻影のようなもの、と言う人もいるほどです。

     同じ事実があるだけです。

 

     人の出来事や、社会の出来事も、

     目で見て、手で触って、実際に知れる出来事は、

     自然の出来事です。

     でも、心の中だけの出来事は、自然の出来事の中でも、

     事実と区別されます。

     これを、絵符やタグのように、事実に結びつけて、

     記憶したり、人に伝えたりするのが、

     人間特有の自我の賢さの一つで、自己同一性と言われます。

     多くの人は、事実の推移にかこつけて、

     無意味な数字や文字の配列を記憶すると、忘れないはずです。

 

     そもそも、文字に書き留めるのが、そうでしょう?

     文字って、目で見て、手で触って、耳で聞いてって種類の、

     自然の出来事です。

     人に伝えるための、共通の形式に、すでに整理されています。

     でも、書かれていることは、

     心は夢のように宙を漂う、という内容だったりします。

     その人の心の中だけの出来事ですから、事実でありません。

 

     事実って、人に伝えるための共通の形式ですから、

     形式が違うと、伝わりません。

     文字も、日本の文字と、ロシアの文字は、形式が違うので、

     日本人とロシア人の間では、事実として、通用しません。

 

     人と人との、コミュニケーションの実態がなければ、

     自己同一性という自我機能の一種も、認められませんから、

     他人には、あさっての解離した心のように、見えます。

 

     終戦直後に、マッカーサーは、日本人を、

     12才の少年と言いましたけれど、

     健常な人から見ると、GID(性同一性障害)の人は、

     10才ぐらいに見えます。

     GIDでありながら、一流の大学を卒業した医師でも、10才です。

     それぐらいに、心があさってに見えますので、

     保護してあげなければいけないほどの、

     可哀想な精神障害者に感じられます。

 

     原因は、意志疎通を拒否するからです。

     そのことを自閉傾向と言います。

     自分だけで判断して、頑固に確信して、人を馬鹿にしています。

     GIDの中でも、医師には、その傾向が特に強く、

     重症になりやすいようです。

     人が何と言おうが、自分だけは、本当のことを知っていると、

     確信しています。

 

     実際は、自分だけの本当のことなどと言うのは、ありません。

     医師の多くは、学校時代の成績が優秀でしたので、

     他人が全員、間違っていても、

     自分だけが、正解を言い当てた経験を、たくさん持っています。

     それは、試験問題と正答例を作った人の、権威に頼っています。

     その人の権威に縋れば、周囲の全員の反対があっても、

     自分だけが正しかったと、最後にわかります。

 

     非常に漫画的な、幼稚な正しさです。

     世間では、そんな正しさは、どこにもありません。

     みんなの同意を得られなければ、死ぬまで笑われます。

     自分の予想通りに、みんなが死んで、

     自分一人だけが生き残っても、

     それが正しい証拠と思い込むのは、

     妄想にも似た独り善がりです。

     そんな直感を、頑固に持っている人が、

     医師には少なくありません。

 

     子供の頃から、そういうふうに、躾けられてしまったのが、

     原因かも知れませんけれど、

     それ以前からの、自閉的素質もあるかも知れません。

     自閉して、受験勉強に没頭しさえすれば、

     家のお手伝いをせずに、人とつき合わなくても、

     どこかの権威が、学力試験で高い点数をつけてくれます。

     賢い賢いと、頭を撫でてくれます。

     これが、医師の直感的な妄想を、変更不能にして、

     GIDに、医師の多い原因でないか、とも言われてますが、

     原因の原因を遡れば、きりがないような気もします。

 

     被差別部落出身の人や、性的虐待を受けた人なども、

     その傾向が強いかも知れません。

     人を気にせずに、鼻で笑い、自分の生殖機能をダメにして、

     死んでも性別がどうのこうのと、頑固に言いながら、

     自滅するかも。

     本人のせいでありませんが、本人には変更不能です。

 

     本物のGIDというものがあるかのように、頑なに確信して、

     自分と同じぐらいに、学力の優秀な人や、気に入った人にのみ、

     SRS(性転換手術)を認めますが、

     そうでない人たちを、GIDと診断しないように、

     あるいは、SRSを受けさせないように、身を挺して主張して…

     そのために、精神科や形成外科の、

     医師になる人もいるほどです。

 

     GIDの中でも、最も重症のタイプで、

     一度、これは間違いない、自分はこう考えると、人に言うと、

     一生、変更できません。

     カミングアウトです。

     これを勧める医師がいますので、GIDを医原病と言う人もいますし、

     マッチポンプのように、

     医師が火をつけておきながら、自分で消防車を運転して、

     最初に現場に駆けつける医療とも言われています。

 

     カミングすると、

     意地でも、考えが変わったと言えなくなりますので、

     そのために医者にもなりますし、

     生殖器を除去することにもなります。

     そのために死ぬことを恐れずに、人を殺すこともあります。

 

     こうであると、実行してしまえば、

     変更して謝罪することを、絶対にしません。

     医師によくあるタイプですけれど、

     患者さんに対して、やってしまったことを、

     間違いだったと、認めようとしても、

     なかなか、正直に言えませんので、

     薬剤エイズで訴えられた大学教授のような気持ちを、

     医師に多い職業病と言う人もいます。

 

     医師でありながら、GIDである人には、

     体の性別と異なる性別の気持ちを、

     生まれながらのものや、実体のあるもののように、

     前提としている人が、少なくありません。

     わたしは、その可能性も否定できないと、言いますけれど、

     それが正しいとは、言えません。

 

     体の性別に適応できない人がいるのは、確かですけれど、

     体の性別を許容できる心を、形成できない人には、

     必ずと言っていいほど、自我障害が現れています。

     おそらく、男ならこれこれ、女ならこれこれ、

     という文化や趣味を、変更できなくなっています。

 

     医師だけでなく、似たような頑固さは、

     発達障害や統合失調症にも、珍しくありません。

     知能や学力とは、あまり関係ありませんが、

     本人は、医師でしたら、知能や学力と関係があると、

     思い込んでいるかも知れません。

     人のことを言う時は、知能や学力が低いからと思い込み、

     自分のことを言う時は、高いからと。

      

     年寄りのGIDと言われる人たちは、

     100人ほどの知能指数の平均が、130台後半でした。

     高い人は、IQ185や200で、

     学力の優秀な人は、学校時代に、文部省の学力検査を受けると、

     全国の同年齢の受験者の首席でした。

     治癒した後には、知能の低い人や、学力の低い人などと、

     のんびりと、ゆっくりと話ができるようになっていました。

     病気真っ盛りの時とは、全然、様子が違います。

 

     頑固さを解きほぐすには、

     たぶん、時間をかけて、人と話すことが大切です。

     時間が必要ですので、学力を養う時間がなくなり、

     あほになりますが、病気は治るかも知れません。

     我が子が知的障害者なら、いっぺんにわかるのですが。

     自分の病気を、自覚できるようになります。