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ギンバイカ 149 蜥蜴の尻尾

2010.06.25 15:00

マートルとか、ミルテとかと言います。

乾燥地帯の油分を含んだ植物で、

常緑の葉っぱを千切ると、いい香りがします。

ローズマリーやハッカなどと、同じ系統の匂いで、

強烈ですから、当たり外れがありません。

地中海沿岸から、ヨーロッパ各地で、香辛料や医薬として用いられました。

イスラエルでは、ハダスと言いますから、わたしは葉出すと覚えています。

 

ゲーテの、ウィルヘルムマイスターの修業時代の中で、

ミニヨンが、君よ知るや南の国 Connais-tu le pays と歌いますが、

その中に、レモンと柑子とミルテとラウレルが出てきます。

森鴎外の訳です。

地中海沿岸の、香りのよい灌木ばかり。

葉っぱの匂いは、本命が銀梅花で、対抗が月桂樹かしら。

でも、レモンが、いちばん高尚です。

 

     毎日、すごい症状の人を見ていますので、

     性同一性障害(GID)って、軽いものです。

 

     でも、ホルモンや外科手術によって、

     生殖機能を除去しようとするのは、

     子供のいない人では、確実に精神の病気です。

     この確実さは、定義と言えますので、100%ね。

 

     なんで生殖を拒否すると、病気なのかって、

     言うまでもありませんけれど、

     自分も含めて、人類の絶滅を招くのは、健康でありません。

 

     自分の、自由な選択で、生殖を拒否する人は、

     いまのところ、GIDと診断されていないはずです。

     自由な選択でなく、それしか選択できない人、

     つまり、選択能力のない人だけが、GIDと診断されています。

 

     たぶん、回復不能な人だけが、

     ホルモン療法を認められていますけれど、

     子供のいる人は、

     簡単にホルモン療法が認められています。

 

     体の病気が原因で、選択不能になり、生殖できない人は、

     GIDでありませんから、

     精神の病気によって、生殖を拒否している人だけが、GIDです。

     

     子供の有無にかかわらず、

     似たような精神症状が出ますので、

     子供を生んでから発症した人は、助かったかも。

 

     脳や体の器質に、原因となる病変がないにもかかわらず、

     慢性的に、様々な精神症状をきたす病気は、

     ほとんどが、基礎に乳幼児期からの発達障害があります。

     実際に、病的と言えるほどの、

     生活に支障をきたす症状の、現れる時期は、

     人によって、乳幼児期から老年期まで、さまざまです。

 

     だいたいは、乳幼児期や、思春期から青年期や、

     結婚後の子供が生まれた後や、更年期や老年期などの、

     生活形態や、体の機能などの、著しく変わる時期に、

     症状が現れやすいものです。

 

     統合失調症が代表的な症状の形態です。

     興奮や妄想などの、急性の手に負えない症状と、

     長期的に進行する認知障害が、主な症状です。

     興奮と、ひどい妄想について、

     現在では、お薬で抑えることができます。

     でも、持続的な軽い妄想と、認知障害の進行は、

     お薬が効きません。

 

     妄想は、御本人に自覚できませんが、

     これを言えば、変に思われるので、

     人に言わないことにして置くけれど、

     自分では、絶対に正しいと確信していることが、

     誰にも、幾つかあるものです。

     一つ二つと、数えられない思いや、

     気分のようなものもあります。

     

     自分でわかっていて、

     少なくとも、人に対して自制することができれば、

     妄想とは言いません。

 

     自分で気づいていなければ、自制することもできませんので、

     これは絶対に正しいという確信を、

     積極的に人に言い触らすようになり、

     場合によっては、人に強制したり、

     自分で実力行使に及んだりします。

     こうなると、妄想と言えます。

 

     自分で確信している内容によっても、

     ただの意見や空想なのか、

     それとも、妄想という精神症状なのかが、異なります。

     おおかたは、多くの人と異なる度合いよりも、

     事実と異なる度合いによって、判断されます。

 

事実といわれるものは、

多くの人の同意を得られるほど、客観性を増し、

同意が得られなければ、事実でないと、一蹴されます。

事実は、意見や想像でなく、

目で見て、手で触って、耳で聞いて、

感覚器官によって認識される内容を言いますから、

妄想か否かは、意見や想像の内容によっては、判断されません。

感覚される事実によって、判断されます。

 

たくさんの人の同意を得られなければ、

事実とされずに、笑われるように、

直接に感覚される内容は、その場に居合わせた人に、

だいたい共通して感覚されることを、前提としています。

これが、おかしいのです。

 

わたしが、大井川の河口から、北の方向を見ても、

わたしの隣りに立っている人が、同じ方向を見ても、

だいたい、同じように、富士山が見えるとするのが、

事実の成り立つ前提です。

 

でも、隣りの人は、飛んでいる鳥ばかりを見て、

富士山を見ていないかも知れません。

鳥でなく、山を見なさい、富士山が見えるでしょう?

と言っても、彼女は、

山とは何か、鳥とは何かを、知らない赤ちゃんかも知れません。

 

ほんとうに、彼女の目にも、

だいたい、わたしの見ている富士山と、

同じものが見えているのでしょうか。

 

山のような形の、富士山のような形のものが、

見えるようになるのと、

山や富士山という概念を知るのとが、同時であると思われます。

     

人を見て、人と知るのは、

顔や手などの、幾つかの部品をひと纏めにして、

人と言うことを、知らなければいけません。

けっして、足と地面とを、ひと繋がりのものとは、見ません。

 

こういう物の見方は、他人とコミュニケーションをして、

他人が、そういう物の見方をしていることを知り、

自分もそれに合わせて、

足と手と顔を、ひと繋がりの物として、見るようになります。

     

他人とのコミュニケーションによって、

富士山を、ひと纏まりの物として見ることを習得しているので、

わたしたちの目には、富士山が見えます。

 

だって、赤ちゃんは、鳥ばっかり見ているかも知れませんし、

青空や、白い雲や、

目の前の、風にざわめく葉っぱのついた木を、

見ているかも知れません。

視野の中の、何を見るかは、その人の勝手です。

富士山を習得していなければ、

富士山には、目もくれないかも知れません。

いったい、視野の中の、何を見れば、事実と言うのでしょうか。

 

ある人は、鳥が飛び、木の葉が風にざわめき、

青空に白い雲が浮かんでいたのが、事実であると言います。

別の人は、富士山の8合目から上が、白く輝いていたので、

それが、事実と言います。

鳥や白雲や木の葉なんて、知らないと言います。

 

何が事実かは、人によって異なるので、

写真やビデオに撮れば、確定できるのでしょうか。

お医者さんには、そうしようとする人が、少なくありません。

でも、その写真を見て、何が事実なのかは、

最初に、同じ風景を見て、何が事実なのか、

人によって異なったのと、同じことの繰り返しになります。

 

貼り絵の山下清氏は、

目で見た風景を、写真に撮ったように記憶していました。

直感像記憶と言い、

乳児の頃は、だれでも丸覚えの方法によって、

物事を記憶しますので、

人の言葉を丸ごと覚えて、繰り返すことも簡単です。

 

幼児期になると、

物事の要点やあらすじや、興味のある事などを、選び出して、

記憶するようになりますので、

選び出す作業ができるという意味で、賢くなりますけれど、

丸暗記が出来なくなるという意味で、あほになります。

 

何でも丸暗記していたのでは、

脳の記憶容量が足りなくなってしまいますし、

記憶を引き出す時に、分類やあらすじがありませんので、

時間がかかってしまい、

かえって記憶が行方不明になるかも知れません。

   

ふつうは、幼児の頃から、

丸覚えの直感像記憶は、目に見えて衰え、

その代わりに、要点やあらすじを記憶する方法が、発達して、

小学校に入学する頃には、

直感像記憶の能力は、ほとんどなくなります。

 

山下清氏は、成人しても、直感像記憶の能力が残っていました。

その代わりに、物事の要点を得る知能が、発達しませんでした。

彼は、行く先々の光景を、写真に撮ったように覚えましたので、

その時には、気づいていなかったことも、

貼り絵を制作する時に、次々に思い出すことが出来ました。

電信柱は何本だったかしらと、質問すると、

えーっと、と言いながら、記憶の中の電信柱を数えています。

それから、7本と、答えが返って来ます。

 

年寄りのGIDと自称する人たちの中にも、

直感像記憶の残っている人がいて、

学校時代に、先生が教室で喋ったことを、

ボイスレコーダのように、全部記憶していました。

小学校二年生の、何月何日の何時間目と指定すると、

やっぱり、えーっと、と言って、考えています。

日付のはっきりわかっている日の記憶から、

順番に、記憶をめくって、目的の日の記憶にたどり着きます。

 

先生の言葉を、動作も入れて、全部覚えていましたが、

先生の服装や髪型は、覚えていませんし、

隣りの席に、誰が座っていたかも、覚えていませんでした。

ホルモン療法を始めた後、

新しく覚えることができなくなりました。

以前のことも、だんだんと記憶が薄れて行きましたが、

性転換手術を終えて、治癒し始めると、

再び思い出すことができるようになりました。

 

年寄りのGIDの多くの人が、

GIDが治癒するにつれて、昔の記憶が甦ったそうです。

その時に、嗅覚が関係していると言います。

街角の花の匂いを、敏感に嗅ぎ分けると、

その日の夜になって、昔の記憶が、どっさりと甦るそうです。

 

     でも、何を、どのように事実として理解して、

     どのように記憶するかの違いはあっても、

     とにかく、写真の中に写っているものを、

     どのように知るかの違いでないか、と言う人もいます。

 

     写真って、

     色を忠実に再現していないとか、

     レンズが歪んでいるとか、ピンボケとかって、言われるけれど、

     なにが、精確の基準なのかしら。

 

     原子を写真に撮ったと言うと、原子の影でないかと、

     イチャモンがつきます。

     原子なんか、目に見えるはずもありませんから、

     事実の基準って、何かしら。

     少なくとも、目や鼻や耳などの感覚によって、

     直接に知れる情報を超えて、事実があるようです。

 

     宇宙船に乗って、地球を見るなんて、

     宇宙船という知的産物がなければ、あり得ませんから、

     事実という認識の仕方に、

     感覚能力を超えた知性が、動員されていることは、

     間違いありません。

     感覚と記憶と知性が、事実に関係があります。

 

     脳や体の器質に、原因となる病変がないにもかかわらず、

     慢性的に、様々な精神症状をきたす病気では、

     事実を取り扱う記憶の仕方に、

     決定的な異常があると言われています。

 

     人は、苦しい痛い事を避けて、

     気持ちの良いことを求めますけれど、

     それが、そもそも、おかしくなっている人がいますし、

     何が苦しいか、何が気持ち良いかが、人と違う人もいます。

     苦痛や快楽って、感情や知性でないかという気もします。

 

     死ぬ前になると、

     痛くて苦しくて、のたうちまわっていると言うよりも、

     切られた蜥蜴の尻尾が、

     ぴょんぴょん飛び跳ねているだけのように見える人もいます。

     あまりにも酷く、忍びなかったので、

     筋弛緩剤を打って、安らかに死んで貰った、

     という医師もいますけれど、

     一々、そんな気持ちを持っていたのでは、

     お仕事にならないような、気もします。

 

     わざわざ、一石を投じるために、人に言ったのかしら。

     黙って安楽死させるのが、昔からの医師のしきたりなのに。

     1960年頃よりも昔は、癌が告知されませんでしたけれど、

     その時代の、田舎の個人経営の医院では、

     患者さんの御家族の希望で、

     安楽死は普通のことのように行なわれていました。

 

     元気になる見込みのない人を、

     いつまでも看病してあげられるほど、

     日本は豊かでありませんでした。

     いまに、老人と青年の人口比から、

     必ず昔と同じ事が、起こる時代になります。

 

     その魁のような事例が、性転換医療と言われています。

     ようするに、検品落ちの不良品を、堂々と処分する医療です。

     QOLと言いますが、

     末期癌の患者さんに対する終末医療の考え方を、

     性転換医療は、治る見込みのない精神障害の、

     青年や壮年に、適用します。

 

     あ~、こんなことを書くから、

     GIDの人に見つかると、ヤバイと思ってしまいます。

     心の傷つきやすい人を、庇ってあげるには、

     まず、包み込んであげてから、放してあげるのが、

     常識的な手順かも知れませんけれど、

     その手で、うまく行くことは、めったにありません。

 

     神社へ行くと、魔除けのお札(ふだ)が、売られています。

     ペットボトルにお水を入れて、花壇に立ててあるのは、

     猫よけかと思ったら、魔除けって教えてくれた人もいます。

     焦げ茶色の、インスタントコーヒーの粉を、

     家の周りの溝や、ベランダの溝に撒く人がいて、

     魔除けだそうです。

 

     統合失調症の人の妄想なら、当たり前ですけれど、

     ゲーテのファウストに、悪魔が出てくるように、

     精神病でない人の心にも、

     悪魔やお化けの類(たぐい)が、たくさん棲んでいて、

     本人は、それを信じています。

     自分の家の中のことは、自分が一番良く知っているように、

     迷信でなく、心の中や、家の中に、

     魔物がいると、確信している人は、

     もしかしたら、全人口の25%ぐらいかも知れません。

 

     GIDの人と話をすると、

     もしかしたら、この人は、統合失調症と同じ病気の、

     診断基準未満の軽症例で、

     ひょっとすると、これから先に、病気が進行して、

     統合失調症を発症するかも知れないと、気をつけたくなる人が、

     GID全体のうちの、25%ぐらい、いらっしゃいます。

 

     物事の仕組みを、合理的に、これこれと説明しても、

     その人は、自分の心に、当てはめることができません。

     宇宙の原理とは、どうしても別の仕組みが、

     心の中に、あるように感じられます。

 

     わたしも、宇宙の原理だけでなく、

     心の中のためにも、専用の仕組みがあると思っています。

     でも、宇宙の原理に矛盾しませんから、

     ニュートンの天体の運行の法則も、アインシュタインの理論も、

     心の中の出来事に、ぴったりと当てはまっています。

     

     GIDには、どうしても、そうでないと確信している人が、

     たくさんいます。

     体の性別を許容できないと言い、

     性ホルモン剤や手術を、強く望みます。

     イヤになると、会社をやめて、生活保護を求めます。

     

     マツダというゾロアスター教の神様みたいな会社の中で、

     車を暴走させて、10人以上を轢いた人がいましたけれど、

     責任能力があるのかどうか、問題になるかも知れません。

     統合失調症の妄想のようなことを、幾つか並べています。

     人を轢いた行動や動作に、異常はありません。

     行動が支離滅裂でなく、動作が不器用でもないという意味です。

     言葉に、妄想が出ているようですけれど、

     妄想でないかも知れません。

 

     直接、会って話してみないと、

     警察やマスコミの言うことは、あまり、アテになりません。

 

     GIDの人の25%ぐらいが、こんな感じの人で、

     もしかしたら、統合失調症近辺の人かも知れません。

     精神科以外のお医者さんも含めて、素人の人が見ると、

     精神病と言う人と、精神病でないと言う人とに、

     意見が分かれます。

     GIDの人は、統合失調症でありませんけれど、

     今後、統合失調症を発症する可能性は、一般の人よりも高く、

     現在、統合失調症以外の、

     統合失調症圏の症状をきたしている人が、

     25%ほど、いらっしゃいます。

 

     オウムの裁判で、責任能力があるとされて、有罪になった人は、

     全員、こんな感じでした。

     弁護士は、マインドコントロールされていたと、

     言っていましたけれど、

     この人たちは、どこへ行っても、

     誰にもマインドコントロールされているわけでないのに、

     心に魔物の棲んでいる人かも知れません。

 

     わたしは、優しすぎると、よく医師に言われますけれど、

     GIDの人からは、悪魔のように思われているそうです。

     このブログだけです。

     匿名ですから、わかりません。

 

     GIDの人たちは、むしろ、無害な方向に、

     催眠術をかけられるように、暗示をかけられたほうが、

     安全かも知れませんし、そのほうが、御本人も安心します。

     オウムの人って、頭が悪くはなかったでしょう?

     支離滅裂なことを、言っていなかったでしょう?

     知能検査にも、学力検査にも、表れません。

     お医者さんにも、オウムみたいに、

     心に魔物の棲んでいる人が、たくさんいます。

     おなかにサナダムシを飼っていたお医者さんもいました。

     マリア・カラスも、わざわざ飼っていたそうです。

 

     この人は、そのタイプか、そうでないかが、

     GIDの人と、お付き合いをしていると、

     だいたい、わかってきます。

     心に魔物が棲んでいる人ね。

     サナダムシのほうは、検便で、簡単にわかります。

     水木しげるって人みたいかしら。

     脳味噌に、サナダムシが棲んでいる感じ。

     性転換手術で、治るとは思えませんけれど、

     ゲゲゲの鬼太郎ってのと、仲良くやれるかも知れません。