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JR吉倉トンネル 161 知的障害

2010.07.08 15:00

横須賀の吉倉町から、横須賀本港と、JR横須賀線です。

自衛隊の桟橋と、青緑の蒲鉾屋根の、横須賀地方総監部と、

奥のほうに、ダイエーのベージュ色の建物が見えます。

トンネルは、JRの吉倉トンネル。

これを抜けると、横須賀駅です。

芥川龍之介の、『蜜柑』という短編に出てくるトンネルは、これかも。

 

左手前の建物は、湘南アフタケア協会。

昔は、結核専門の社会復帰施設でしたけれど、

今は、内臓疾患全般の、社会復帰施設になっています。

ここの番地が、吉倉町無番地なんだって。

線路の右手の、草木の生い茂っている所は、吉倉公園。

トンネルの上は、立入禁止の第二臨海公園の山。

 

知的障害者って、放置されると、差別虐待されます。

特殊教育を受けても、一般社会の中で、虐待されないように、

ひたすら、抵抗せずに逃げることを、教える必要があります。

交通信号をよく見て、車に注意して、走って逃げるように、教えます。

そうでなければ、自分から暴力を振るう子に、育ちかねません。

 

山下清という貼り絵の画家が、そうでしたけれど、

軽い知的障害者は、よく暴力を振るいます。

粗暴な刑事犯罪の常習者は、

ほとんどが、IQ70~90ぐらいの、軽い知的障害者です。

 

発達障害には、客観的な知能検査で測れる知的障害の人と、

客観的な知能検査では、測れない知的障害の人とがいて、

測れない知的障害のほうを、知的障害以外の発達障害と言います。

 

人間では、原因となる器質的な病変の、確認できない発達障害は、

体の動作に、症状が現れていなければ、すべて知的障害ですけれど、

客観的な知能検査では、測れない知的障害が、少なくありません。

便宜的に、知的障害以外の発達障害と言います。

客観的に測れませんから、

東京大学出身のお医者さんの中にも、たくさんいます。

 

性同一性障害(GID)は、知的障害の一種ですけれど、

客観的な知能検査では、測れませんので、

便宜的に、知的障害以外の発達障害と言われています。

 

どうして、客観的な検査で計り知れないのに、

知的障害って、わかるかって言うと、

人格障害として、症状が現れているからです。

診断名として、子供の頃は、人格障害と診断されませんけれど、

性格に、歴然と現れています。

 

でも、性格って、客観的に測れません。

人と同じことが、できない、わからない、と言うだけです。

たとえば、人を殺してはいけないのが、

わかりません、共感できません。

東京大学に入学できる知能や学力があるのに、

理解できません、実感できません。

悪いことをしてはいけないと、わかりませんから、

屁理屈で、遠回りに理解しなければならず、

処理速度が遅くなり、間違いが多くなります。

  

こういうのを、性格が歪んでいる、偏っていると言い、

成人なら、人格障害と診断されます。

 

未成年でも、神戸の酒鬼薔薇君のような性格です。

知的障害者の首を切り取って、学校の校門に、展示した子です。

被害者の知的障害者のお父さんは、お医者さんでした。

客観的には、知能検査にも、学力検査にも現れませんから、

性格がおかしいとしか、言えません。

仕方なく、便宜的に、知的障害以外の発達障害と言いますけれど、

理屈から言うと、知的障害の一種です。

 

苦痛を避けて、快感を求める行動を、

生存や生殖に、一致させることができません。

短期的な苦痛や快感と、長期的な苦痛や快感との、

折り合いをつけられません。

 

刺激に反応して、自動的に、苦痛や快感として感じられる回路の、

ほんの一部は、生まれつきに変更不能な、

臓器の自律運動のようなものに、固く癒着しているかも知れませんが、

ほとんどは、変更可能な、些細な条件反射の回路です。

3才以降も、蜥蜴の尻尾切りのように、

麻痺させたり遮断したり、壊死させたりすることが可能です。

 

人間って、先天的な動物由来の能力を、たくさん、受け継いでいます。

誕生後の、人間生活に不必要なものは、臨機応変に処分しますけれど、

捨ててしまって、困ることもありますので、

何を捨てて、何を保存して置くかは、とても大切な判断です。

知能は、脳の神経細胞の、アポトーシスに関与していますけれど、

客観的とされる知能検査や学力検査などでは、測れません。

この能力の不足を、性格の個性とも、人格障害とも、言います。

アポトーシスって、細胞の自死ね。

 

簡単に言うと、よく使う神経細胞は、千手観音みたいに、立派になり、

使わない神経細胞は、壊死します。

それが健常ですけれど、赤ちゃんにとって、生活環境が過酷であったり、

脳のアポトーシスが、うまく行かない生理的仕組みがあったりすると、

動物のように、共食いや殺し合いの回路を残したまま、

人間社会で生きていく羽目になるかも知れません。

 

もっと簡単に言うと、忘れる機能に、障害があるの。

そのほうが、東京大学の理科3類に、

首席で合格しやすいぐらいですから、

いくらでも、個性的なお医者さんになれます。

うまく忘れるのも、知能の大切な要素ですけれど、

知能検査や学力検査では、客観的に測れないでしょう?

怨みを忘れなかったヒトラーや、スターリンよりも、

性同一性障害(GID)のほうが、優秀かも知れませんので、

頑張ってください。

 

ほんとうのことを言うと、

悪いことをしてはいけない、人を殺してはいけないと、

わかるようにするのが、治療ですけれど、

東大出身の、たとえば外科のお医者さんを、実際に治療できます?

法的に強制力がないのに、説得できますか。

本人は、一蹴するのに決まっています。

GID医療って、そんな人を、性転換に導いていますので、

これをよしとするか、否かは、一概に決められません。

 

     GIDの人たちは、体の性別に適応できないと、

     御本人は言いますけれど、

     実際は、体の性別の社会にも、その反対の性別の社会にも、

     どちらにも適応できません。

     性別には関係なく、社会に適応できませんけれど、

     御本人たちは、性別が違うので、適応できないと言い、

     性転換すれば、きっと適応できると、主張します。

 

     あるいは、性転換までは望まないけれど、

     性別の違うことを正当であると、世間が認めれば、

     適応できると言います。

 

     実際に性転換しても、

     お世辞にも、適応できているとは、言えません。

     世間から、浮き上がって、

     性転換者ばかりの、狭い仲間内社会に、

     たむろしているのが、実態ですけれど、

     GIDを差別しないように、

     一般社会に呼びかける社会運動によって、

     かろうじて、虐められずに、

     性転換後の性別社会に、入れてもらっています。

 

     性別が違うのは、体のことであれ、心のことであれ、

     病気の証拠ですので、

     世間が、それを正当と認めることは、ありません。

     性分化疾患のように、

     体のことが原因で、戸籍の性別が不相応ならば、

     体の病気ですし、

     体に異常がないのに、体の性別を許容できなければ、

     心の病気です。

     両方を兼ねている人も、います。

 

     社会運動の利益を得るには、

     性同一性障害(GID)であることを、

     周囲に言わなければいけません。

     そのことを、カミングと言います。

 

     知的障害者のことを、

     この人は知的障害だから、虐めてはいけませんと言い、

     虐めを防ぐのと同じように、

     GIDの社会運動は、GIDが虐められないように、

     GIDであることを、おおっぴらにする運動を行ないます。

     現在のGIDの社会運動と、カミングは、

     どうしても、切り離せない関係にあります。

     カミングをしなければ、運動をしても意味がありませんので、

     GIDの専門医と自称する人たちは、

     自助組織の運動やカミングを、盛んに煽る傾向があります。

 

     同性愛のカミングまで、奨める医師もいます。

     性交渉の趣味を、人におおっぴらに言うのが、いいのかしら。

     なにか、昔の部落解放運動と、間違えているのかも知れません。

 

     欧米では、同性愛や異性装に、

     公然とした差別や虐待がありましたけれど、

     日本は、同性愛や異性装を、

     江戸時代から、文化や趣味のことと、理解していました。

     生殖不能の体の病気や、生殖拒否の精神障害と、

     文化や趣味の、同性愛や異性装を、混同していませんでした。

     精神の病気をカミングするのは、いいことなのかしら。

     オカルト宗教と、どう違うのかしら。

 

     かつて、性転換医療を、法的に、公然と認めることに、

     日本で反対した医師は、ほとんどいませんでした。

     でも、GIDの、ホルモン療法や、性転換手術などが

     精神障害の有効な治療法と、考えている医師は、

     1%程度しかいません。

 

     性転換医療は、そのほかに、カミングと、自助組織の運動が、

     反対意見の、圧倒的に多いところです。

 

     カミングは、事実上、一般社会との訣別宣言であり、

     刺青を見せびらかすように、社会から浮き上がって、

     孤立して生きようとします。

     やくざのように、仲間同士の連帯が、頼りです。

 

     自閉を促すものでないかとも、言われてます。

     自助組織の運動は、

     仲間内のマインドコントロールのようなもので、

     オカルトや、集団ヒステリーの一種でないかと、

     疑われています。

     病気を治そうとしないで、

     病気を正当化して、猖獗させようとしているように見えます。

 

     病識がなければ、統合失調症でも、解離性同一性障害でも、

     同じことになりますけれど、

     性転換をしたいと強く望むことを、病気としながら、

     病気の治療と称して、医療が性転換を実施しますから、

     仕方ありません。

 

     統合失調症の患者さんの多くは、眠れないと言いますので、

     たとえば、ベンゾジアゼピン系のお薬を出しますけれど、

     実際には、自宅療養中の患者さんの多くは、

     よく眠っているのに、眠れないと訴えます。

     病気の症状の一つですけれど、

     睡眠薬を出して、眠れるようにしてあげるのを、

     治療と称します。

 

     精神科だけでなく、どの診療科でも、

     患者さんの要求に答えるのが、治療の大部分です。

     痛いと言えば、痛み止めを出します。

     痛いと言うのは、痛み止めが欲しい、と言っているのと、

     同じ意味の場合が、ほとんどです。

     痛いのが、病気の症状ですから、

     痛み止めが欲しいというのは、病気です。

     痛み止めが欲しいという病気に対して、

     痛み止めを出すことを、治療とします。

     

     性同一性障害(GID)には、基礎疾患があり、

     その症状として、

     性転換したいとか、性別が違うとかと、訴えます。

     基礎疾患のほうを、病気として一つの診断名に纏めて、

     性転換を治療法とすれば、わかりやすいのですが、

     研究が足りなかったので、

     性転換の望みや、性別が違うと訴えることを、

     応急に、一つの診断名に纏めたまでです。

 

     カミングや自助組織について、

     GIDを、オウムの指導者と同じように、健常に近いと見るか、

     知能検査や学力検査には現れずに、

     東京大学の医学部にも進学できるものの、

     知的障害の一種と見るか、

     それとも、統合失調症の希釈液のような、

     あるいは、ガス抜き症状のようなものと見るかによって、

     意見が違って来るかも知れません。

 

GIDって、性転換を公然化するために、

便宜的に纏められた診断名ですので、

さまざまな基礎疾患が、ごちゃ混ぜになっています。

脳の器質に、原因となる病変のない精神症状って、

器質的な原因や仕組みが、わかっていませんから、

文学的な印象や、御本人の訴える言葉などを、仕分けしただけの、

ごちゃ混ぜの、操作的と言われる分類に、ならざるを得ません。

 

統合失調症という単位も、性同一性障害(GID)という単位も、

さほど違うものでなく、

脳の客観的な症状よりも、文化的な影響を分類したものです。

 

器質的な原因や仕組みが、わかっていませんので、

どのような病態や症状も、あり得ます。

むしろ、こちらの診断名から、あちらの診断名に、

1日ごとに交代しないのが、不思議なくらいですけれど、

診断基準に、一定期間以上、症状の持続することを書き加えて、

修辞的に、纏まりを維持します。

人間の健常な文化のほうの、規則性に依存して纏められた病気です。

 

このことを、みんなと違う、と言い、病気の根拠としますけれど、

別の言い方をすれば、みんなと同じことをする能力が、足りません。

自由な選択でなく、選択する能力が足りずに、

そうせざるを得ないのを、

患者さんは、強がりを言い、

自由な生き方や考え方を選択した、と言います。

患者さんには、そのような言い訳の手順が、記憶に残りません。

能力の不足から、人について行けずに、

社会的な責任を、果たせない自分に、自責感を感じて、

相当に、精神的に苦しい状況にあると、わたしは見ます。

 

GIDの人は、性別が違うことを、直感すると言います。

健常な人も、すべて、幼児の頃に、性別を知りますが、

まだ知られていない直感的な能力によって知った人は、

一人も確認できません。

 

全員、親や周囲の人などに、教えられて知ります。

あるいは、間違いを指摘されたり、真似をしたりして、

学んで知ります。

 

有性生殖をする動物では、

どうしても、性別を知らなければ、生殖できません。

人間以外の動物では、多くがフェロモンによって、知ります。

人間では、その能力が退化していますので、

自分の名前を知るように、性別を知ります。

 

知的に知りますが、

犬が、飼い主の人間の家庭の、最高権力者を知る能力を思えば、

だいたい、性別のように、単純なものは、

1才程度の知能で、十二分に可能と、推定できます。

 

これが、わかりません、GIDの人には。

GIDだけでなく、知能の低い人や、精神障害者には、

わからない傾向があります。

もしも、IQが高く、東大出身の医師が、わからなければ、

かなり高い確率で、その医師は、精神障害者です。

 

性別を知るのは、生殖できる相手を知ることです。

けっして、男らしさを知るとか、女らしさを知るとか、

空間認識能力がどうのこうのと、言うのではありません。

もちろん、体型や、頭蓋骨の形や、声や、

お乳の大小や、肌の厚みや、皮下脂肪や、

言葉つきや、振る舞いや態度や物腰や、

髪型や、持ち物などでも、ありません。

 

生殖可能な相手を、1才未満の子が知るのは、人間では、知性です。

親や周囲の人から、言葉を習うように、知ります。

1才未満では、服装や髪型を目安にするかも知れません。

わたし自身が、何を目安にして知ったかは、覚えていませんけれど、

たぶん、現在の知りかたと、大きくは違っていないと思います。

 

言葉つきや、振る舞いや態度や物腰や、髪型や、持ち物などを、

目安にして、男女を識別しますけれど、

1才未満では、

生殖可能な相手を識別するという目的は、自覚していないはずです。

今のわたしなら、

そのほかに、頭蓋骨の形や、声や、体型や、

お乳の大小や、肌の厚みや皮下脂肪などを、併せて判断します。

基本的な判断の仕組みは、1才未満の時と、おそらく同じです。

 

子供は知らなくても、大人は生殖が目的ですから、

性器の形や機能が大切です。

着衣の体や声などの特徴や、

服装や髪型や行動や持ち物などの特徴を目安にして、

性器の形や機能を類推しますので、

騙して、間違いを起こさせるような事をすると、

文化的に、制裁を加えられるかも知れません。

 

生殖は大切で、本気ですから、

間違わせて、人の本気をからかったり、混乱させたりしようものなら、

殺されることも、十分、あり得ます。

これを差別や虐待と、非難するのは、

おそらく、精神障害者のすることだから、許してあげてください、

と言うのと、同じ意味です。

 

精神障害者を、差別虐待してはいけません。

日本では、江戸時代から、その社会慣習が定着していました。

わざわざ、欧米の真似をして、差別を助長してから、

欧米の後追いをして、差別をなくす運動をするのは、

もしかしたら、あほかも知れませんし、深慮遠謀かも知れません。

 

わたしは、カミングと自助組織とホルモンと手術は、やめて、

GIDなら、事務的な性別を、何度でも変更できるようにするのが良いと、

思っています。