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つゆあけ 168 性別の訴え

2010.07.15 15:00

このカマキリの子は、何を捕まえたのかしら。

八朔の実も、こんなに可愛らしい。

カマキリって、子供の頃から、人が見ていても、平気で食べます。

 

GIDの子や、人格障害や、統合失調症や、発達障害の子は、

子供の頃に、おしっこや、ウンチの躾に、手こずります。

授乳の時に、すでに異常が現れているの。

 

後々の、いちばん上っ皮のところに、

性別を訴える症状が、乗っかっています。

 

「発達障害は、客観的事実にこだわる。wikipediaをよく読め」って、

メールが来ました。

読みました。

このブログは、GID(性同一性障害)の人に、バレていますけれど、

メールアドレスも、出回っているのかしら。

 

医学的な質問が来ると、回送されて、わたしが、お答えします。

このブログに、書いていないのに、知られているのよね。

 

発達障害は客観的事実を見ないって、書いたかしら、わたし。

統合失調症でも、そうですけれど、

脳の器質的な原因や仕組みが、わかっていませんから、

心理症状を文学的に纏めて、

このへんの症状を、こういう診断名って、

診断基準に示して、分類しているだけです。

 

その分類の仕方も、

操作的って言われる人為分類が、国際的に主流です。

自然の仕組みが、わかっていないのですから、

人間のほうの、文化的な便宜によって、分類せざるを得ません。

 

それでも、統合失調症では、抗精神病薬の効く症状ってのが、

わりと、自然な病気の特徴に、添っているのかも知れません。

 

発達障害では、決め手になるお薬さえ、あるとは言えません。

治すのを諦めて、本人や周囲が、病気を受け入れることを、

治療としているぐらいです。

幼児までを中心にした発達期に、

心の成長が、生活に必要となる最低限の水準に、達することができず、

社会的に要求される能力の不足から、生活に支障をきたしていれば、

どのような症状でも、発達障害と言われる可能性があります。

 

たとえば、言語を使うとか、暗算をするとか、空想をするとか、

動作を協調させるとか、集中して物事を観察するとか、

一部だけでも、不足していれば、

必須の能力は、社会生活に重大な支障をきたします。

 

思考や記憶や論理能力などが、優秀でも、

客観的事実を把握することができない子供でしたら、

当然、発達障害と言われます。

どのような具体的な症状でも、起こり得るという点では、

統合失調症と同じです。

 

発達障害なら、客観的事実を見ないという症状は出ないとか、

発達障害は、客観的事実にこだわるとかと、

具体的な能力や症状が、何であるかによっては、

発達障害であるか、そうでないかは、決まりません。

 

発達障害の子でも、客観的事実を、よく見る子もいれば、

客観的事実を、見る能力の足りない子もいます。

そのような症状が、どれぐらいの蓋然性で出てくるかが、

統計的に調べられるだけで、

そのような症状の有無は、発達障害の診断基準になっていません。

どのような具体的な症状でも、

現れる可能性があると、思っていて下さい。

 

いくつかの症状のメニューを指定して、

アスペルガーやADHDや自閉症などと、

特定の診断名に纏めることもありますが、

それらでなければ、発達障害でないということも、ありません。

脳の性能の、生まれつきの異常があり、

すでに発達期に、その異常が現れて、支障をきたしていれば、

発達障害と言われます。

どのような具体的な症状も、あり得ます。

 

勉強不足で、wikipediaの、精神医学の項目では、

性同一性障害しか、読んだことがありませんでした。

ごめんなさい。

GIDには、客観的事実よりも、心の中の主観にこだわる人が多く、

性的快感にしがみついている人が、少なくありません。

 

数学みたいな、机上の定義の、辻褄合わせに強い人がいて、

ゲームのプログラムを、お仕事にしている人も、いらっしゃいます。

 

工場のロボットや、銀行のオンラインみたいに、

現場のお仕事の実務を知っていなければ、作れないプログラムを、

職業にしているGIDは、ほとんどいないと思います。

 

発達障害やGIDの症状を、病気の分類みたいに、杓子定規に言っても、

病気は治らないし、介護にならないし、

御本人や御家族の人の、生活の助けにも、苦しみの緩和にも、

ならないかも。

 

精神障害では、御本人の言うことを、仕訳しても、アテになりません。

統合失調症の急性期の症状ですと、診察室でも、

御本人の言葉や振る舞いに、どうしても症状が出てきますから、

強制的に入院って、言えますけれど、

統合失調症でも、自宅療養の通院治療になると、

もう、本当のことを言いませんから、GIDと同じです。

心の中だけの、本当のことって何か、

そんなもん、健常者自身にも、わかりませんよ。

 

GIDの人って、本を書くでしょう?

講演したり、テレビに出演したり、

新聞社の記者に、話したりするでしょう?

お医者さんにも、話します。

GIDのことを知らない人にも、話します。

 

そんなの全部、オウムの教義と、似たようなものです。

オウムの教義って、オウムの信者さんの、心の中の、本当のことですか。

GIDの人の言うことを聞き取って、

GIDって、こういうのですって、

学者さんは、知ったつもりに、なっていますけれど、

それって、オウムの教義を普及しているのと、同じことです。

御丁寧に、そうして知ったことを、大学の学生さんに講義しています。

オウムの時も、そんな宗教学者が、たくさんいました。

GIDの自助組織の運動と、同じことをしています。

 

べつに、GIDやオウムだけでなく、

任意で通院中の、大部分の統合失調症の患者さんや、

その他の、脳の器質に原因となる病変のない精神疾患の患者さんや、

受診しないけれど、人格障害と言われている人なんかも、同じです。

犯罪の常習者や、特殊教育を受けている知的障害者も、似ています。

そんなの、東京大学の学生さんにも、お医者さんにも、

当然、マスコミの人や、学者さんにも、たくさんいます。

精神障害者の御家族の人にも、少なくありません。

 

そのほかに、体の病気のせいで、生殖不能の人や、同性愛の人も、

GIDに盲目的に同情しますから、人口の半分ぐらいは、

オウムと、五十歩百歩です。

オウムを普及した学者さんと同じように、

GIDに同情的な人と、GIDを差別虐待する人とは、

だいたい同じ種類の人たちです。

 

社会の底辺では、

犯罪の加害者と、犯罪の被害者が、容易に交代するように、

心の中の世界に惑う人って、

オウムの信者さんになる人と、

オウムの信者さんを差別虐待して、オウムの住民登録を拒否する人とが、

簡単に入れ替わります。

 

オウムの人って、テレビにしょっちゅう、出ていたけれど、

別に、頭がおかしくなかったでしょう?

支離滅裂でなかったし、犯罪的なことも、言っていませんでした。

信教の自由って、感じでした。

でも、サリンを撒いたり、

電子レンジや、硝酸で、人を焼き殺したり、溶かしたりしていました。

みんなで、陰で疚しいことをしていました。

裏切り者を、殺していました。

 

GIDも、心の中で、同じことをしています。

心の中で、人を殺しても、犯罪になりませんけれど、

たぶん、みんなで精神障害になります。

人を殺すように、嫌な記憶を殺して、

嫌な人間に、吐き気を催しますから、

だんだんと、心が歪んできます。

性別の違和感って、その歪みが現れたものです。

 

     わたしは、発達障害の動作に現れる症状や、

     チックや吃音やべた足のように、

     表情や発声や運動に現れる症状や、

     耳の聞こえや、幻聴や幻嗅や幻視のように、

     目で見たり、手で触ったり、耳で聞いたりして、

     直接に知り得る異常を、精神の病気の症状として、

     大切にしています。

 

     御本人の訴えるような、心の中だけのことを、

     粗末に扱うわけではありませんけれど、

     嘘か本当か、わからないでしょう?

     脳や体の器質に、原因となる病変のない精神疾患では、

     御本人の訴えの言葉が、病気の症状だったりします。

     嘘か本当か、わからないことを、ダミーにしようとするのが、

     見掛けの最大の症状になります。

     オウムと同じ仕組みなんですよ。

 

     患者さんの、心の中の苦しみって、

     患者さんの日常生活を、しっかり見れば、

     その意味がわかります。

     言葉の中だけから、答えを見つけ出そうとするのは、

     ただの修辞です。

 

     「発達障害は、客観的事実を見ている」なんてのが、それ。

     わたしたちは、目に見えたものを、

     全部、丸覚えできないでしょう?

     要点や、あらすじだけを覚えたり、

     興味のある部分や、嫌な部分だけを、覚えたりするでしょう?

     事実って、そういう抽象です。

 

     同じ事実を見れば、

     どの人にも、だいたい同じように見えるのは、 

     どの人も、同じような文化や趣味を、持っているからです。

     客観的事実ってのが、成り立つのは、

     人と人との、コミュニケーションによって、

     共通の情報を得られるからです。

     ステレオタイプの典型なんですよ、事実って。

     メールをくれた人は、

     もう少し、ゆっくりと考えてください。

 

     患者さんの日常生活を見るには、

     こちらの身分や地位を隠して、GIDのような顔をして、

     患者さんの仲間内に、それとなく、入り込む必要があります。

     オウムでは、スパイと言われて、殺されました。

 

     患者さんの言うことを、信じていたのでは、

     オウムのお先棒を担ぐのと、同じになります。

     統合失調症の人の言うことは、軽快しない人の場合、

     発症して30年も経てば、全部が妄想になります。

     日常の実用的な会話や動作まで、

     全部、妄想を根拠にして、妄想の裏付けを、持っています。

 

     妄想には、統合失調症のように、

     切実な被害意識を伴う妄想もあれば、

     解離性障害や人格障害のように、

     被害意識の少ない妄想や、強迫観念のようなのもあります。

     統合失調症のように、支離滅裂になる人もいれば、

     人格障害のように、

     言葉や行動の、しっかりしている人もいますが、

     患者さんの御家族にとっては、

     統合失調症よりも、人格障害のほうが、遙かに厄介で、

     介護疲れから、御家族のほうが、自殺してしまいます。

 

     統合失調症のように、

     誰かと話して、一人ごとを言う人もいれば、

     GIDのように、心の中の人と自分とを、

     鏡に映さなければ、識別できなくなり、

     鏡のように、前後左右が逆転して、

     人生が、オナニーのようになる人もいます。

     統合失調症のように、いつも自分の心の中を、

     覗かれている気持ちになる人もいれば、

     GIDのように、人に積極的に嘘をついて、

     嘘を自覚しない人もいます。

 

     これらは、全部、同じ精神の病気の、裏腹の症状です。

     脳の器質に、原因となる病変がないのに、

     精神疾患が現れます。

     GIDのように、精神疾患の中で、

     ヒステリーの、最も極端な症状では、

     本人が自分から訴えることは、

     すべて、病気を隠して、偽るための演技に近く、

     裏に、どのような病気があるかを、知りたければ、

     この人たちと、同じ顔をして、

     知らん顔で、日常生活を観察するしかありません。

 

     GID(性同一性障害)の人には、

     わたしのブログを、一日分、読んだだけでも、

     吐き気がして、実際に気絶する人が、少なくありません。

     一日分の、途中までしか読んでいなくても、

     わたしの患者さんのことを、可哀想だって、

     GIDの人は言います。

     わたしのブログを、一日分たりとも、読む能力がないのに、

     途中まで読めば、すべてがわかるそうです。

     GIDの患者さんの書いた本や、

     GIDを煽って儲けている新聞記者や、学者さんの書いた本や、

     専門医と称する医師の書いた本は、何十冊も読んでいます。

     少しも吐き気を催しません。

     

     これって、統合失調症の大部分の人と、同じです。

     自分と同じ感情や、同じ意見の人の話しか、理解できません。

     世界が、自分と同じクローンなら、つまらないのに。

     統合失調症とGIDとは、見掛けの症状は違いますけれど、

     GIDの25%ぐらいの人は、

     たぶん、統合失調症と、基礎的な仕組みが同じで、

     もしかしたら、統合失調症よりも、重症の人かも知れません。

 

     吐き気を催すのでしたら、読まないほうがいいけれど、

     それですと、きっと、生きる道がなくなり、

     引きこもった先が、統合失調症の、妄想の世界や、

     GIDの吹き溜まりの、仲間社会などになります。

     吐き気を催さないように、対策を講じて、

     症状を亢進させないようにするのが、たぶん順当です。

 

     患者さんは、やってみたと、言いますけれど、

     関西の人が、納豆を食べる練習をするようなものなの。

     東京の人は、納豆には、糸引き納豆と、塩納豆の、

     二種類があるって、言いますけれど、

     関西の人は、腐った納豆と、甘納豆の、

     二種類があると言います。

     

     関西の人に、糸引き納豆を食べてもらっても、

     吐き気を催すそうで、何度、練習しても、

     目を瞑って、呑み込むのが、限界で、

     思う存分、堪能できるほど、好きにはなれないそうです。

 

     絶食療法の後に、お粥を食べて、糸引き納豆を食べても、

     やっぱり、吐いてしまいます。

     絶食って、何も食べないのが、すごく気持ちよくなり、

     身も心も、清浄になって、

     人生と世界の真理を、達観したような、

     すがすがしい気持ちになるそうです。

     一生懸命、汗をかいて、峠まで登り詰め、

     反対側の景色を見た時のような、未知との遭遇ね。

     今まで、見たこともない、奇麗な色を見たとか、

     天国の音楽を聞いたとかと、言う人もいます。

     幻覚です。

 

     食べ物のような汚物を、

     二度と体の中に、取り込みたくないと、確信しますので、

     絶食を、勝手に個人で実行するのは、危険です。

     拒食症のような、精神障害者でないと、無理かもね。

     食べないと餓死するっていう先入観がありますので、

     3日も食べないと、死にそうな不安や恐怖のせいで、

     絶食を続けられなくなります。

     飢饉や戦争のせいで、すごく、おなかがすいて、

     死んだ人の、お肉を食べてしまうのも、

     たいてい、餓死するっていう先入観が原因です。

     

     文化的な先入観を、除去すれば、

     絶食は、気持ちよくなるみたい。

     絶食療法では、お医者さんが、安全を保証してくれるので、

     患者さんは、安心できます。

     お薬を使わずに、水だけの絶食療法をしている病院もあって、

     二週間ぐらいは、軽作業もできます。

     畑に出て、イチゴを収穫するような作業ね。

     少なくとも、健康な人が3日間、食べなかっただけで、

     へこたれることは、ありません。

     韓国や中国の人は、ハンガーストライキをしても、

     3日間ぐらいで、よくリタイアします。

     

     どこかの、お医者さんの息子さんが、

     英語講師の、イギリス人の女性を殺して、

     整形手術を受けて、逃げていましたけれど、

     逮捕されてから、二週間、絶食して、切り上げたそうです。

     順当なところでしょう。

     期間ね。

     ひょっとしたら、達観したかも知れません。

     1人しか、殺していませんから、死刑になりません。

     食べた後、たぶん、元に戻ったと思います。

 

     絶食すると、食べ物を、汚らわしく思うのが普通ですから、

     絶食の後、関西の人が納豆を食べても、

     かえって、吐き気を催して、

     一層、納豆が嫌いになるかも知れません。

     飢えるほど、おなかをすかせても、

     嫌いなものを、好きにはなれないのが、普通です。

 

京都の嵐山に、ニホンザルが住んでいます。

餌付けで増えすぎたので、一つのグループを捕獲して、

九州の山に、放しました。

ところが、何十匹かのうち、数匹を除いて、

みんな餓死しちゃいました。

九州の山には、食べ物になる木の実が、たくさんあるって、

事前の調査で、わかっています。

それなのに、京都育ちのお猿さんは、

九州の木の実を食べずに、餓死しちゃったの。

     

京都と九州の山では、植生が違うので、

九州の木の実は、京都にありませんでした。

京都の木の実も、九州にありません。

それで、食べずに、餓死しちゃったの。

 

ところが、お猿さんって、

雄は成人すると、群を離れて、武者修行に出ます。

よその群に、居場所を見つけて、受け入れてもらいます。

だから、女系社会なの。

女が、家に残って、男が放浪して、よその群の婿になるの。

ライオンも、そうよね。

     

嵐山には、九州出身の、お猿さんがいました。

九州から放浪して、京都まで渡り歩くんですよ。

そして、嵐山に居場所を見つけた雄の猿が、数匹いて、

彼らは、九州に送られた後も、生き残りました。

京都の食べ物も、九州の食べ物も、両方を知っていたの。

それも、成人してから、放浪するから、

けっして、幼児の頃に、両方を習得したのでありません。

 

可愛い子には、旅をさせろって、言うでしょう?

お猿さんの時代からの、伝統なの。

数匹だけが、生き残りました。

餓死したお猿さんは、餌付けのせいで、甘やかされていたのかも。 

     

嫌なものを、許容できない我が儘な心って、

死ぬところまで、行きます。

食べ物があっても、食べません。

そんなの、食べ物でないって言って、餓死します。

 

GID(性同一性障害)と同じかも知れません。

けっして、幼児期の躾でなく、生まれつきでもなく、

思春期以後や、成人してからの、今の生き方や、文化に、

問題があるのかも知れません。

現代日本のGIDの場合は、バブル病かもね。