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サツマイモ 172 GID(性同一性障害)のオナニー

2010.07.19 15:00

もう少し、畝を高くしたほうが、よかったのでは。

よその畑ですけれど、水浸しになっても、知らないよ~

サツマイモ。

 

カメラの自動機構って、

全部の光の色を合わせると、平均的に灰色になるって、

想定しているから、

画面一面が、緑色のときは、色合いが、おかしくなるみたい。

この葉っぱの緑って、利休ネズミが混じってるよ。

オリンパスのカメラだけど、

緑ばっかりだと、これはおかしいって、思わないのかしら。

測定点が、少ないのかも。

 

精神障害や性分化疾患って、男性は色覚障害の人が多いので、

色の話って、ごめんなさい。

色気や色ボケは、いいかしら…

 

精神障害や性分化疾患と、色覚障害とが、

同じ素質から発症すると言うのでは、ありません。

色覚障害ですと、それが心理的なハンディになって、

 

GIDの人が、自分の心は異性に違いないと、確信する気持ちって、

健常な人の、オナニーの気持ちに、そっくりです。

そのことに、気づいていないGIDが、少なくありません。

 

統合失調症の人は、誰かと話すように、

よく、一人ごとを言います。

 

健常な人なら、他人の気持ちを、シミュレートして、

自分も共感してみなければ、人の考え方や行動を、理解できません。

人に賛成するか、反対するかとは、また別です。

自分が採用すべき考えや、行動についても、

色々な場合を想定して、うまく行くかどうかを、

頭の中で、あらかじめ、あれやこれやと、試してみます。

 

統合失調症の人の多くは、頭の中で、類推することを、

他人のことでも、自分のことでも、

自分と誰かが、心の中で話しているように、

実際に口に出して、一人ごとのように、喋ってしまいます。

まるで、本当に、だれかと話しているようですけれど、

御本人も、本当に、だれかと話している気持ちです。

 

統合失調症の人でなくても、ただの、一人ごとのように、

口に出すだけの人なら、たくさんいます。

統合失調症の人では、他人のように確信して、

その人と話すように、口に出して、問答します。

自分の未来を想定しても、過去のことを思い出しても、

心の中の架空の自分や、思い出の自分が、

馴れ馴れしく、自分の心に、無断で上がり込んだ他人に感じられて、

本気に、その人と、口論になってしまいます。

 

どうして、君が、わたしの心の中にいるのかと。

すると、相手が、実際に口に出して、答えます。

そんな問答を、いつも一人ごとのように、喋っています。

 

GIDにも、オナニーのように、鏡に映った自分を愛するだけでなく、

性的快感を得るために、架空の人物や、理想の愛人や、

憧れの実在の人物や、夢のように美しい自分などを、空想します。

心の中で、仮に演じられた人物を、

本当の自分のように、確信してしまう人がいます。

 

嫌な人を、シミュレートすると、自分に乗り移り、

自分自身に、嫌悪感を催しますから、

嫌な人の、考えや感じ方や、不快な意見や行動などに、

共感することを、拒否します。

賛成するか、しないかは、別として、

人の心に共感しなければ、言っている意味を、理解できなくなります。

問答無用で自閉的になり、認知障害の道を進むかも知れません。

 

統合失調症の人の、思考の枠組の、

自我というタガが、弛んでしまうように、

GIDの人は、性行動のタガが弛んで、解離することから、

オナニーのように、心に空想された性別を、

体と反対の現実の性別のように、確信してしまうみたい。

御本人の訴えを信じれば、そうなってしまいます。

 

     オナニーって、異性の素敵な人を、想像するだけでなく、

     絶世の美女の自分が、若い男性を誘惑するように、

     想像する人もいます。

     反対に、誘惑された若い男性になりきって、

     想像の中に登場する若い男性の自分の、お相手として、

     他人のように、本当の自分を、登場させる人もいます。

 

     主体と客体が、簡単に入れ替わりますし、

     男女も、どちらでも構いません。

     一人称で、想像することもあれば、三人称の場合もあります。

     小説の、地の文や、映画のカメラが、どこにあるかと同じで、

     どのような立場も目線も、可能です。

 

     それどころか、人間を思い浮かべる必要も、ありません。

     動物でも、物体でも、空気でも、雰囲気でも、抽象語でも、

     雨でも風でも、何でも構いません。

     オナニーって、擦れば、気持ち良くなりますから、

     その時に、何を想像して、

     お摘みにしようが、人の勝手ですし、

     実物の亭主と、性交渉をしながら、

     わたしの心は、美しい青年と戯れる美少女かも知れませんし、

     亭主のほうも、見ず知らずの石ころと、

     取っ組み合いをしている気持ちかも知れません。

 

     オナニーにしても、実際の性交渉にしても、

     現実にこだわる必要がなく、何を想像しても構いませんから、

     想像の中身が、異性であっても、同性であっても、

     鶏や豚であっても、自由自在です。

     そのせいで、自分は同性愛であるとか、

     自分の心の性別は、体と性別と違っているとかって、

     妙なことを信じる必要なんて、全然ありません。

 

     健常な人では、そんな混同は、起こりませんので、

     心の中で、レタスやキュウリと、セックスしていても、

     現実の行動や発言は、いつも健康です。

 

     でも、GIDの人って、オナニーの時に、

     心の中で、自分が、素晴らしい男になって、登場すると、

     自分のことを、同性愛って、確信するみたい。

     実際の性交渉で、同性とエッチをすれば、

     体を手術して、生殖機能を壊さなければいけないと、

     思い込むみたいなの。

 

     現実と想像を、

     一致させなければいけないと、思い込むみたいに、

     体の性別と、心の性別を、一致させなければいけないと、

     思い込んでしまうみたいなの。

     そんなの、混線しないように、使い分ければ、仕舞いなのに。

 

     男の子が、女性の下着や衣服を、身につければ、

     性的に、気持ち良くなるのは、

     健常な男の子として、当たり前の性欲なのに、

     ちんちんを切り取らなければいけないと、思い込むみたい。

 

     御本人に尋ねると、

     女性の裸を見ても、立たないって言います。

     当たり前ですよ、

     女性の衣服を身に着ければ、気持ちよくなるように、

     射精をこらえていれば、インポテンツになりますよ。

     男の人って、江戸時代でも、

     みんな知っていますよ、そんなこと。

     たぶん、原始時代の男の子でも、

     思春期になれば、みんな知っています。

     健常なら。

     だって、小学五年生の、女の子でも、

     クチコミで知っているんだから。

 

     男の子として、正常なのに、

     GIDの子は、自分の心は女って、確信します。

     これって、発達障害ですよ。

     御本人の言うことを、信じればね。

     GIDの性別の心も、インポテンツになる心も体も、

     正常な仕組みです。

     知性のほうに、問題があるかも。

 

統合失調症の人の、だれかと話している一人ごとって、

GIDの人の、オナニーのように、

心に浮かべた自分や他人を、鏡に映して、

自分と他人との識別を、混同してしまい、

期待する性交渉の相手を、

自分のことのように、確信してしまう気持ちと、

よく似た仕組みを、共有しているように見えます。

 

自我って、人とコミュニケーションするために、

人と共通の形式によって、記憶を整理します。

そうして、他人に伝えるために、整理された自分の記憶を、

他人から聞く情報のように、理解することができるようになります。

自分の心を、他人とのコミュニケーションの形式によって、

理解しますので、

まるで、鏡に映った自分を見るように、

他人から聞く情報と、同類のものとして、

自分の心の情報を、知ることができるようになります。

 

このことを、客観と言い、

自我っていう脳の機能の仕方は、客観的な方法でなければ、

自分の心を、知ることができません。

客観は、人間特有の自我機能です。

 

それに対して、主観ってのは、

自分の記憶や、現在の感覚を、整理しようとする時に、

最初に直観的に知る手段で、

人間以外の動物と同じ方法です。

たぶん、刺激の量や種類や時間を、

刺激や、量や、種類や、時間という西洋薬学のような、

分析的なものとしてでなく、

感情として、漢方の生薬のように、総合的に認識する方法です。

 

動物と同じですけれど、

統合失調症の人が、一人ごとを言い、心の中の空想に表れる人物を、

現実の他人のように、思い込んでしまったり、

GIDの人が、オナニーのお摘みにする空想上の人物を、

鏡の中の自分のように、思い込んでしまったりする錯覚と、同じです。

感情的で主観的な、動物の認識方法から来る間違いです。

 

自我は、生殖機能を制御する人間特有の、脳の機能ですから、

当然ですけれど。

嗅覚からの情報を、自動的に処理して、

自動的に生殖を制御していた動物の機能は、人間では退化して、

自我機能に置き換えられましたけれど、

感情という動物の機能は、人間でも、現役で機能しています。

 

退化しつつあるように思いますけれど、

猫や犬や、ライオンや馬の表情を見ると、

人間も、間違いなく理解できます。

感情って、哺乳類の種類を超えて、

今も、通用しているコミュニケーションの方法ですから、凄いものです。

これが、太い尻尾のように、人間の脳味噌に残っています。

脊髄があって、脳幹があって、

中枢神経の端っこの片田舎に、大脳があるって、

太い尻尾の構造かもね。

 

目や口や鼻や耳が、尻尾に付いているってのも、

お釈迦さんが、脇の下から生まれたのと、同じくらいに、

不思議なものです。

女性に、ちんちんを作るとなると、

形成外科医は、生き甲斐を感じて、喜びます。

どうせ、どこの馬の骨か、わからないお医者に、

GIDの患者さんが、尻尾を振る犬みたいに、成り下がっているのなら、

いっそのこと、GIDの脇の下に、ちんちんを作ってみてはどうかと、

美容外科医に、薦めたことがあります。

だって、雄の犬って、片足をあげて、おしっこするんだから、

脇の下に、ちんちんがあるのと、似たようなものよね。

鎌倉時代には、千手観音の脇の下に、

千一個目の、目を作ってみた仏師もいました。

 

性別の違和感って、生殖に関する自分と他人との、

理性的な識別が、不能になる症状かも知れません。

自我障害ですけれど、

オナニーのように、自他の性別を、取り違えたみたい。

生殖を拒否すれば、性別を識別する必要も、

自他を識別する必要さえ、ありませんけれど…

形成外科医や美容外科医は、GIDのちんちんや女性器を、

作らなくてもよろしい。

 

性転換と聞けば、一般の人は、真っ先に、同性愛と共に、

男性の精力不足と、淫乱な女性を、思い浮かべるかも知れません。

でも、MtF(male to female 男から女へ)の子って、

けっこう、旺盛にエッチで、ちんちんも、大きいのが普通です。

オナニーでは、ちゃんと立つくせに、

女性の目の前では、意気地(いくじ)がないの。

 

FtMの子も、女の子としか、エッチのできない子が多く、

淫乱でありませんけれど、

女の子同士で、磁石みたいに、くっついて行動しないと、

一人では、男の子と、対等に付き合えない子が多いの。

わざわざ、自分の下腹部に、ちんちんを作って、

男の子の真似をしないと、男性と話ができないって、

淫乱や同性愛でなく、心の問題と思いません?

体のほうにも、問題のある人が多いけれど…

卵巣や卵管ね。

 

体の生殖機能に病気があって、

この先、生殖できない、結婚もできないと悲観すると、

同性愛が好きなら、この際、性転換に情熱を傾けて、

有意義な人生にしたほうが良いって、見切りをつけるのは、

人情と思います。