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漁港 209 昔のGIDと、政治家

2010.08.25 15:00

横須賀市長井の漁港です。

 

大臣さんが、酒飲みだったので、辞めさせられたあと、

お薬のせいのように、2010年に亡くなりました。

GIDのグループの一つが、彼を総理大臣にしようと、

支持していましたが、お父さんと同じ結果になりました。

 

彼のお父さんも、小さな派閥の領袖でしたけれど、

精神科の病気のせいで、1983年に自殺しました。

 

料亭政治が批判されたのは、共産党の議席数の増えた1972年ですが、

1963年の選挙に、初当選していますから、

自民党と社会党の間の、国会対策の協議が、

まだ、赤坂の料亭で行われていた時代です。

 

GIDのグループの人は、

1970年前後に、SRS(性転換手術)を受けた人が多く、

赤坂の芸者さんになった人も、いました。

その関係でしょうか、御贔屓にしてもらっていたそうです。

赤坂でのお遊びが、大好きな政治家でした。

 

戦前の共産党の、田中某という書記長さんが、

赤坂の料亭組合を作った御縁でしたので、

人と人との関係って、不思議なものです。

 

息子さんが、後を継ぎましたが、

お父さんと同じ病気のせいで、亡くなりました。

マスコミは、睡眠薬とお酒のことを、報じていましたが、

一般の人は、抗うつ剤の作用を、理解できないかも知れません。

たくさんの患者さんを、見ていなければ、

本を読んでも、なかなか、わかりません。

 

GIDの患者さんは、精神科に通院している人が多いので、

たくさんの、精神の病気の人を、見ているはずです。

にもかかわらず、何も御存知ないのを、

うべなるかな、と言うべきかは、知りません。

患者さんに、病識を持たせないGID医療の、評価によりますが、

告知しないで、美容手術に倣い、二匹目のドジョウを狙うのは、

美容外科のやり方とも言えますし、精神科のやり方とも言えます。

約半数の患者さんは、発症後10~25年の間に、自然治癒しますが、

残りの半数は、症状がこじれて、性転換が重荷になります。

 

菅という総理大臣は、1968年に、

封鎖されていた安田講堂に、出入りしていたのを、目撃したと、

赤坂のGIDグループの人は、言っています。

お尻を、蹴ってあげました。

政治的には、ぜんぜん、支持していないそうですが、

初当選が1980年ですから、当然かも知れません。

 

その頃、GIDの人たちは、

岸某という人に、可愛がってもらっていました。

同時に、例の元書記長の、田中某さんの人脈の、

関西のヤクザとも、親しくしていたそうです。

食肉が、まだ輸入割当制の時代でしたので、

部落解放同盟の枠を、分けてもらいました。

お肉は、伝統的に、未解放部落の人の、お仕事でした。

 

田中さんと関西のヤクザとは、親友と言われていましたが、

1963年に、麻薬撲滅運動を起こした時に、

市川某という婦人運動家の議員さんが、協賛したように、

彼女のお弟子さんの、菅という総理大臣は、その系統の人です。

 

当時の関西のヤクザは、新左翼の運動に肩入れしていて、

指名手配されていた人を、匿っていました。

田中某という人は、新左翼に資金援助していたそうですが、

日本の民族系の石油資本の取引に、関与したとは言うものの、

御自分は、一文無しの人ですから、もしかしたら、ヤクザのお金です。

 

当時は、ヤクザの親分さんの結婚式に、

必ず、地元の警察署長が、出席するしきたりでした。

1967年に、公明党が25名の議席を、初めて衆議院に得た時に、

この慣習が問題視されて、廃止されました。

以後は、ヤクザと警察の、親密なお付き合いがバレると、

辞職するのが、社会の良識となりました。

 

もっとも、現在でも、地方の役所のお役人には、

出勤しないで、お給料だけを貰っているヤクザが、たくさんいます。

多くは、公務員の労働組合のスジですが、

部落解放運動の関係とも聞いています。

日本全国で、数千人ぐらいでしょうか。

GIDの数と、いい勝負です。

 

田中某さんは、昭和天皇に、

スターリンの意向を、伝えていたことからもわかるように、

オイルショックの時に、アラブの石油権益を、ソ連から分けて貰い、

欧米の大手資本を通さずに、

アラブの石油を、日本が直接に輸入する道を、開拓しました。

時の総理大臣は、お父さんのほうの福田某さんでした。

 

関西のヤクザは、麻薬撲滅運動を笠に着て、

全国のヤクザを統一しようと、警察庁の支援も得ていましたが、

関東のヤクザを説得できずに、抗争になりましたので、

警察が寝返り、

関西のヤクザは、警察から、暴力団という新しい名前で、

呼ばれるようになりました。

 

この時の、関東のヤクザを支援していたのが、

船舶協会の笹川某さんと、元総理の岸某さんでした。

GIDの人たちは、田中さんにも、岸さんにも、

御贔屓にして貰っていましたから、二股もいいところですが、

所詮は、芸者さんの類(たぐい)でしたから…

 

岸さんの娘婿さんが、安倍某さんで、

その息子さんが、機能性胃腸障害の元総理です。

GIDの人たちは、3代に渡って御存知ですが、

だんだんと質が落ちてきた、と言います。

岸さんのお弟子さんは、父親のほうの福田某という総理大臣で、

そのお子さんも、民族系石油会社経由で政界に入り、

総理大臣をしていたと、聞いています。

 

ついでに申しますと、岸さんの農商務省の同期が、

三島某という小説家のお父さんで、

岸さんに、ダメ人間と言われていましたが、

とてもユーモアのある素敵な人でした。

息子さんのほうは、侍従の徳川男爵の息子さんに近づき、

何度も、お姉さんを、小説のモデルにしています。

後の北白川宮の、美人のお妃さんですが、

三島さんと、お見合いの話も、出ていたそうです。

 

人脈って、面白いでしょう?

同性愛の運動も、面白いかも知れませんが、

芸者さんの類も、悪くありません。

お父さんのほうの中川さんも、同性愛の人でしたし、

そのパートナーだった秘書の、鈴木某って人が、

立候補して国会議員になりました。

中川さんが自殺した時に、

政治資金のことを、秘書さんが仕切っていましたので、

同性愛のもつれでないかと、言われました。

 

ソ連に亡命したKGBのスパイの、レフチェンコさんが、

後に、アメリカの議会で証言した内容によると、

中川さんは、コードネームを持つソ連の協力者、とされていましたので、

それを苦にして、自殺したという噂もありました。

赤坂のGIDの人たちを、支援していた同族企業は、

KGBの貿易のお仕事を、たくさん請け負っていましたが…

 

三島さんは、言うまでもなく、同性愛の人でしたが、

かなり、変な精神の人で、

後の知事さんの、石原某という人と、よく遊んでいました。

石原さんは、ヨットの好きな人でしたので、

見掛けたことがありますが、

お仕事をしないで、ぶらぶらしている遊び人としか、見えませんでした。

GIDの人たちのほうが、よほど真面目ですけれど、

横須賀出身の遊び人も、総理大臣になりましたから、

精神科医が、GIDを食べるのも、無理からぬことです。

 

菅って人のことを、書くつもりでしたが、話がそれました。

あの人は、市民運動家出身で、経済のことを、何も知らないみたい。

わたしの知り合いのお医者さんが、診療報酬を不正請求したので、

保険診療を止められましたけれど、放漫経営でした。

その筋のお医者さんに、頼んでいませんでしたから、

意地悪をされたのに、

自分は何も悪くないと、ホームページで、開き直っています。

 

つまらない正義感のために、患者さんが迷惑しても、いいのかしら。

死にかけの患者さんも、いるのに。

 

薬剤エイズで、名をあげましたから、

GIDのことなら、できるかも知れません、菅って人。

プラトンのアカデメイアの門に、

幾何のできない者は、この門をくぐるなって、書いてあったそうです。

哲学に、数学が必要なように、

総理大臣には、経済や金融の能力が、不可欠と思います。

英語、できないし。