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ハンノキ 213 顔の擦り傷

2010.08.29 15:00

雄花穂の蕾(つぼみ)です。

落葉樹ですけれど、冬から早春の、葉の芽吹く前に、穂状の花が咲きます。

今頃、蕾が出来ているの。

 

雌花序のほうは、冬から早春に咲いた後、

10月に、2センチぐらいの、松ぼっくりみたいな、

毬果(きゅうか)が熟します。

探したけれど、上のほうだったので、撮影できませんでした。

風があったから、手で枝先を押さえていないと、撮れません。

高いところは、手が届かなかった。

 

ハンノキって、根っこに、放線菌の類の、細菌が共生していて、

空気中の窒素から、アンモニアを作ります。

根粒菌ね。

ニトロゲナーゼっていう酵素を分泌して、触媒とします。

ニトロって、窒素の意味。

だから、痩せた土地でも、よく育ちます。

 

窒素は、植物の成長に、必要ですけれど、

植物って、空気中の窒素ガスを、利用できません。

アンモニアの化合物に、窒素が含まれていますから、

それを、水に溶かして、根っこから吸収します。

だから、農地に、硫安や硝安などを、窒素肥料として、撒くと、

作物が、よく育ちます。

安って、アンモニア。

 

崖崩れなんかで、丸裸になった土地に、

土の流出を防ぐために、植樹する時は、

ニセアカシアのような、マメ科の木や、

ヤシャブシや、ハンノキのような、

カバノキ科ハンノキ属の木を、よく使います。

根粒菌が共生するので、肥料っけのない土地でも、よく育つの。

 

田んぼに、レンゲソウの種を蒔くのと、同じね。

マメ科の草花だから、空気中の窒素を固定してくれます。

田んぼに鋤き込むと、肥やしになるの。

 

ハンノキ属でしたら、西日本は、ヤシャブシ、

北日本は、ハンノキを使います。

ハンノキは、寒さに強いだけでなく、水にも強いので、

堤防や、田んぼのはたに、よく育っています。

写真のハンノキも、池のはたでした。

ハンノキの枝に、長い竹や木を渡して、

収穫した稲を干すための、はざ掛けに利用します。

 

ハンノキって、ハリの木の音便で、ハリは榛と書きます。

奈良県や静岡県に、榛原(はいばら)って地名がありますけれど、

ハンノキの茂る湿地だったのかしら。

 

     北アルプスの針ノ木岳は、夏でも雪の残る山ですけれど、

     針ノ木峠に因(ちな)んで、山の名前がついたそうです。

     針ノ木雪渓を登り詰めた所が、針ノ木峠ですけれど、

     黒部湖のほうに下りる谷が、針ノ木谷で、

     ハンノキが、生い茂っていたと、

     明治時代の、ウォルター・ウェストンという宣教師が、

     書き残しています。

     上高地のウェストン祭の人です。 

 

     佐々成政という戦国時代の武将が、1584年の冬に、

     富山側の西から、立山連峰のザラ峠を越えて、

     東側の黒部川に下り、

     後ろ立山連峰を、西側の針ノ木谷から、登り返して、

     稜線を歩き、北葛岳から、東側の鳩峰、高瀬川へと下りて、

     信州に出たそうです。

 

     彼は、織田信長さんから、

     富山城を、任せられていましたけれど、

     信長さんが殺された後、豊臣秀吉さんと仲が悪く、

     小牧・長久手の戦いで、

     徳川家康さんが、秀吉さんに勝っていたのに、

     和議になりましたので、

     最後まで戦って、秀吉をやっつけてしまえと、

     家康さんを、煽(あお)るために、

     富山から、真冬の北アルプスを越えて、浜松に行きました。

 

     さらさら越えって、言いますけれど、

     夏でしたら、北アルプスを越える峠道は、

     戦国時代から、幾つもありました。

     でも、雪が降ると、当時は、

     登山靴やアイゼンなどというのが、ありませんでしたから、

  

MtFのGIDの人に、自分の顔を、タオルで擦って、

一生、治らない擦り傷に、してしまった人がいます。

エストロゲン剤のせいで、皮膚が薄くなり、

冬には、乾燥がひどくなっていました。

 

GIDの発症前には、石鹸をつけて、タオルで顔を擦っても、

男の皮膚でしたから、何ともありません、

発症後には、全部、肉を削ぐような、擦り傷になってしまいました。

SRS(性転換手術)の、予後の思わしくない時期でした。

 

御本人は、知能も学力も高いのに、そのことに気づきません。

美容外科医も、形成外科医も、皮膚科医も、耳鼻科医も、

患者さんの顔を、何カ月も、何年も診て、誰も気づきませんでした。

4人もの医師が、診察していながら、

まさか、自分で、痕形の残る擦り傷を作るとは、想像できませんでした。

 

このうち、美容外科医と、形成外科医は、

普段から、たくさんのGIDを診ている医師で、

患者さんは、ホルモンとSRSのことで、

数年間、継続して受診していました。

皮膚科医は、GIDを診ていない医師でしたけれど、

皮膚の異常を訴えて、受診しているのに、気づきませんでした。

耳鼻科医は、風邪をひいて受診した時に、

顔の皮膚のことも、訴えています。

 

わたしは、初めて診て、顔を洗う時に、何かで擦っていないかと、

こちらから問いました。

患者さんは、ハッとして、気づきましたが、もう、遅すぎました。

 

その後、急速に、GIDの治癒傾向が現れましたが、

顔は、一生、治らないかも知れません。

すでに、SRSを受けていましたので、女性として暮らしていますが、

戸籍の性別は、変更しないと、言います。

GIDを発症してから、今は、10年を超えていますので、

普通でも、そろそろ、治癒傾向の、現れてくる頃ですけれど。

 

患者さんの心は、性転換から遠ざかっています。

ホルモンのことがあるので、

近所の産婦人科医を、受診していますが、

今後、男性ホルモンを使いたいと、言い出すかも知れません。

 

SRSを受けた後、経過の思わしくない時期でしたので、

気持ちが、滅入っていたのかも。

御本人は、どうして、こんなことをしてしまったのかと、

わたしに、尋ねましたが、

御本人が気づいた時は、もう、わたしの解釈よりも、

御本人自身で、自分の気持ちを思い出すほうが、確実でした。

わたしは、一般的な、GIDの発症や治癒の仕方を、

教えてあげただけです。

 

顔の一件は、SRSの予後や、職場での差別など、

幾つものきっかけが、重なっていますが、

MtFのGIDでは、たまに見掛けます。

根本的には、体型や体質から、心に無理のある性転換でした。

 

1970年前後に、SRSを受けたMtFの人たちは、

体型や声などの、第一印象が、女性としか、見えませんでした。

これでは、中学校や高校で、男の子から、差別虐待を受けるはずと、

すぐに、わかりました。

身長は、150センチ台で、

大人になっても、声変わりをしていない人もいました。

 

日常生活では、精神障害者の多い、貧乏な家庭で、

家事や育児などに、女性の役割を受け持ち、

御近所の女性に、普段から、日常のことを、相談していました。

お料理や、お裁縫や、育児などは、

思春期に、すでに平均的な女性よりも、遙かにお上手で、

女性的な生活や、話し方や、考え方に、慣れていました。

 

1960年代後半になると、中学生なのに、新左翼のヘルメットを被り、

ガリ版で、ビラを刷り、集会を催し、教育委員会と交渉して、

女子として、セーラー服での通学や、家庭科の授業を、

勝ち取った人も、出て来ます。

たんに、女子としての扱いを、希望したのでなく、

当時流行の、新左翼のやりかたを真似て、生徒達の人気を得るように、

差別を回避する目的で、御本人は必死で、工夫していました。

教育委員会や学校や先生と、敵対しても、

生徒の信頼を、得ようとしました。

 

それに比べて、タオルで顔を擦った子は、

差別を受けるような、体型や声でありません。

男性の社会は、女性的な形の頭蓋骨や、顔の皮下脂肪でも、

あまり差別されません。

中学や高校では、身長や、華奢な体つきや、

ぎこちない受け応えの会話や、友達のいない、自閉的な性格などが、

差別虐待の対象になります。

精神や、声などは、大人になってからも、虐待の対象になりますが、

体の差別は、少なくなります。

 

現に、異性に似ている体のせいで、継続的に、差別を受けている事実と、

学童期や思春期の、異性の社会に適応した生活経験と、

乳幼児期以来の、家庭や御本人の、病的な精神状況などが、

GIDの発症と、治療に、大きく関係しています。

 

体のことで、差別を受けていないし、

異性の生活に、適応した経験もなく、

乳幼児期から、精神の病気に、縁のなかった人が、

ホルモン療法や、SRSを受けるのは、無理があります。

流行に乗って、取って付けたような、性転換に見えました。

 

たぶん、ヒステリーのように、

自分から、GIDの症状を、呼び込んでいますけれど、

身長と、女性に似た顔かたちや、皮下脂肪のつき方などから、

美容にかまける気持ちが、

背伸びして早とちりして、性転換ということになったような…

 

タオルで擦ってしまったのは、色ボケですけれど、

SRSの予後が悪く、かなり、応えていたと思います。

みんなと一緒に、協調して暮らす気持ちが少なく、

何か功を焦り、自分一人だけ、抜け駆けをしようとして、

転んだような気がします。

まるで、一方的に独立宣言をするように、みんなにカミングしたので、

相談できる人や、アドバイスしてくれる人が、

周囲にいなくなり、孤立していました。

性転換のことを、自分一人で、判断するようになっていました。

 

一方的に独立宣言を、打ち上げれば、

周囲に小突き回されるのは、当たり前ですけれど、

精神障害という理由で、庇護されているのが、GIDかしら。

自分は精神障害でないと、突っ跳ねていますから、

人を寄せ付けない人間関係を、期待しているかのようです。

心の性別なんて、御本人にしか、わからないのに、

それを楯に取って、カミングするって、

周囲の人が、取り付く島のない気持ちになるのを、

御本人は、計算しているはずです。

 

美容に凝るみたいに、黙っていても、楽をして、

顔だけで、人の評価を得ようと、思わないほうがいいかも。

SRS(性転換手術)を受けるって、精神の病気の症状とされるほど、

心が、あさってになっています。

患者さんは、自分の心でなく、別人の心を生きているような、

解離した精神状態です。

 

SRSの時には、自己責任で物事を判断するなんて、不可能なのに。

美容外科や形成外科のお医者さんは、わかっていないかも知れません。

言葉が支離滅裂でなく、まともなのと、

心が上の空でないのとは、別なんです。

GIDでは、統合失調症のように、

言葉の辻褄が合わなくなることは、ありませんけれど、

右も左もわからない戦場を、

無我夢中で駆け抜けるような、非常事態の精神になっています。

目を瞑って、生きているようなものです。

 

     FtMでは、女性のお化粧や衣服や美容に、適応できませんと、

     言う人もいますけれど、

     男の体や生活を、美容の観点で見ている人が、

     少なくありません。

     まるで、歌舞伎みたいに、

     ステレオタイプの、男の形にこだわります。

     女々しいと言われると、

     殴り合いの、取っ組み合いの喧嘩をする、

     と言うFtMもいました。

     おそらく、女同士の、同性愛の社会から、

     一歩も出たことがなく、甘えています。

     心が男とは、到底、思えません。

 

     性転換が、闇医療から、公然化されたのは、

     GIDのためと、思っている患者さんが、少なくありません。

     お医者さんが、逮捕されないようにするために、

     決まっています。

     患者さんのことなんか、お医者さんは、考えていないかも。

     毎日、死ぬ人は、死ぬんだから。

 

     医者の不養生って、言いますけれど、

     GID医療をやっているお医者さんの、

     だれとだれが、患者さんの、顔や体や心を、

     おなかを抱えて笑っているかって、

     嫌と言うほど、目撃しているもんね。

     一流大学の、大先生もいますから、

     医者の不養生って、精神の病気のことかと、

     疑いたくなります。

     笑うのなら、性転換医療から、手を引けばいいのに。

     精神障害者を笑って、性転換医療ができますか。

 

     欧米では、公然化されているのに、

     日本は、闇でしたから、簡単でした。

     欧米は、こうだって、言えば、

     日本人はみんな、もろ手を上げて、賛成します。

 

     性転換は、美容外科が開拓しましたから、

     縄張りを、失いたくありません。

     ホルモン療法は、一生、続きますので、

     自由診療でしたら、手間入らずで、ぼろいの。

     ホルモンの保険取り扱いを、美容外科はしないでしょう?

 

     わたしは、寛容で優しく、冷静であって欲しいと、

     FtMの男性に、期待しています。

     顔や体のかたちなどで、人を判断しないように、

     悠揚迫らぬ自信を、持って欲しいと思います。

 

     こんなことを言うと、うちの亭主は、きっと、

     食ってかかって来ます。

     自分のことを、当て擦られたように、勘ぐるんです。

     情けない。

     FtMの男性って、言っているのに…