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ヒガンバナ 230 統合失調症の入浴

2010.09.15 15:00

白い花の彼岸花って、妙な雰囲気です。

わたしは、子供の頃、彼岸花って、

2mぐらいの高さと、思っていました。

大人になって見ると、そんなに背の高いのは、滅多にありません。

でも、皆無でなく、あることはあります。

わたしが、子供の頃に見た彼岸花の高さは、どれくらいだったのかしら。

 

三倍体で、種ができませんので、有性生殖ができません。

 

統合失調症では、お風呂に入れない人って、普通にいます。

調子の悪い時だけ、入浴できない人から、

入院中や、退院した直後だけ、入浴できる人や、

入院中でも、お風呂に入れない人まで、

症状の重症度に応じて、奇麗に差が出ます。

 

どうして、入浴できないのか、理由を言ってくれない人が多く、

面倒だから入らないと、こちらで勝手に想像して置きます。

理由を言ってくれる人もいて、

裸になるのが気色悪い、恐い、と言ったりします。

 

安心できる場所のない気持ちを、

衣服を脱ぎたくない、自宅に何者かが侵入するなどと、表現します。

本当は、体や、衣服や、建物などに、何者かが侵入するのでなく、

心に何者かが侵入する、という気持ちですけれど、

統合失調症の患者さんは、

自分を包んでいる物が、侵犯されるように、表現します。

 

プラトンの、肉体は魂の牢獄、のような感覚は、

精神の病気の人に、よく見受けられます。

自分と、自分を包む何かとの関係を、

うまく制御できませんけれど、

ほんとうは、自分と、自分以外の境目は、

意識と無意識の、一時的な瀬戸際にすぎません。

 

自我と、その周囲の物事とを、識別できなくなり、

使い分けることが、できなくなります。

GID(性同一性障害)の患者さんでも、

スカートや、女らしい言葉遣いや、乳房などから、

産む生殖機能を類推するような、文化的な性別の、具体的な様態に、

好き嫌いの感情や、反対や賛成などの意見を持つ自我と、

社会的に行動する自然の事実としての、この個体とを、

仕分けできなくなります。

 

意見や感情を表明して、その是非を、みんなと議論できずに、

生殖機能を阻害して、健康な体を自傷するような、直情径行に及びます。

不可侵の自我を持ち、

気持ちを表明した限りは、絶対に変更してはいけないと、

御本人は確信しています。

気持ちを表明したのなら、実行しなければいけないと、

頑固になっています。

 

自我のうちの、境界性と言われる機能が低いと、こうなります。

ここまでは自分、という範囲を、変更できません。

健常な人では、自分が無くなることもあり、

宇宙と同一になることも、ありますので、

自分の範囲は、無から無限大まで、時に応じて、変化します。

精神の病気の人では、変化しません。

 

御本人は、変化させずに、固定することを、

良いことと、確信していますが、

ほんとうは、変化させる能力が、不足していますので、

融通が効きません。

 

境界性というのは、身内と異物とを、識別する能力ですけれど、

身内と異物は、時に応じて、変化します。

境界性の機能を、免疫とも言います。

白血球は、個体の免疫機能を、細胞が受け持っていますが、

自我の境界性は、社会の免疫機能を、個体が受け持っています。

 

統合失調症では、意欲が低下して、面倒な事をしたくなくなり、

妄想を確信して、興奮を自制できなくなる症状などを、

ドーパミン神経やセロトニン神経と、

大脳辺縁系や、前頭葉や、大脳基底核との関係から、

抗精神病薬によって、改善しようとします。

 

興奮症状は、かなり直接に抑制されますが、

その他の症状の改善は、間接的で、必ずしも確実でありません。

患者さんの心の中では、入浴の意欲が低下して、面倒臭く思うのと、

裸になると、何者かに侵入されるように感じるのとが、

同じ意味になっていますが、

意欲の低下を改善すると、妄想がぞろぞろ出てきて、

興奮してしまうことも、よくあります。

  

自分はこうであると、ガチガチに固めた気持ちを変更できない人は、

ヒステリーから、さまざまな精神の病気の症状を出します。

GIDや統合失調症などは、

気持ちを変更しようとしないから、変更できないように見えます。

変更しようとする気持ちが起こらないのか、それとも、

変更しようとしても、できないのかは、

脳の器質を見ても、わかりません。

 

統合失調症の患者さんでは、

妄想が、意欲の低下の、言い訳になりますが、

意欲の低下が、妄想をきたしているようにも、見えます。

変えようとする意欲がなければ、心を制御できません。

 

実際には、GIDの約半数が治り、

統合失調症でも、半数が社会復帰して、再発もなく、寛解します。

治った人に尋ねても、主観的な返答しか、得られませんので、

自然に、気持ちが変わったと、思っておくほか、ありません。

 

統合失調症では、たとえば作業療法によって、

見違えるように明るく、元気になったのに、

突然、治療を拒否して、理由を言ってくれずに、

再び、症状が悪化してしまう人もいます。

まるで、周囲の人には、すっかり良くなったと見える状態が、

御本人には、非常に苦しいかのようです。

何もできずに、病院の保護室に寝ているだけが、

御本人には最良と、感じられるのかも知れません。

 

GIDも、よく似ています。

子宮や卵巣や乳房を摘出して、痛々しい心の病気の症状を、

御本人は良い状態と、確信しています。

周囲が見て、たいへん気持ちの良さそうな、明るくすがすがしい状態を、

御本人は、苦痛と主張します。

この違いを、御本人は、個性や多様性と言い、

脳の性別が原因と、ステレオタイプに突っ跳ねます。

 

統合失調症でもGIDでも、

治っていない人は、自分のことを、病気と思っていません。

自分は良いことをしていると、思っていますから、

治るはずがありません。

けっして、保護室に入れられて、磔(はりつけ)にされて、

紙オムツがいいと、思っているのでないのでしたら、

少なくとも、統合失調症と診断されていることを、知るところまでは、

良くなりますけれど、

妄想の内容を、間違っているとは、自覚できません。

もっと症状が悪化すれば、拘束具に紙オムツを、

良いと、思うようになります。

 

精神の病気の人の、具体的な考えや感じや行動って、

症状の変化や、お薬の加減などによって、簡単に変わります。

でも、お薬によっても、変わらない症状は、

病状の変化によっても、変わらないことが多く、

治る人と、治らない人との、差が出てきます。

たとえば、人と異なる独自性を、良いことと確信する症状は、

あまり、治りません。

自分らしさを発揮しようと、躍起になる人は、

社会性を実現できずに、生殖不能や生殖拒否の症状が出ます。

発達障害の可能性がありますけれど、

体の障害や、体の見掛けによっても、よく起こります。

 

お薬を使って、患者さんの心を、強制的にいじくるって、

それなりの病状の人に、法的手続きをとらないと、

実施できませんけれど、

GIDの人に特徴的な症状は、昔のGIDの治療例からも、

お薬による治療が、無駄とわかっています。

統合失調症の、治る症状と、治らない症状のうちの、

治らない症状のほうに、

GIDの特徴的な症状が、すっぽりと入っています。

 

統合失調症では、治らない症状を、頑固に持ち続ける人は、

治る症状のほうが、お薬で良くなり、退院しても、

娑婆(しゃば)の苦しみが積み重なると、次第に悪化して、

また入院することになります。

 

実は、症状が良くなったり、悪くなったりすることにより、

御本人の考えや感じ方が、変わるのでなく、

症状が良くなれば、口に出さなくなり、

悪くなれば、自制できずに、口に出してしまいます。

 

病状によって、考え方が良くなったり、悪くなったりするのでなく、

そうかと言って、悪い考え方を信じるのが、病気でもなく、

悪い考え方や、良い考え方を、たくさん、合わせ持っているのが健常で、

使い分けが出来なくなると、病気と言われます。

 

GIDでは、体の性別を受け入れられない狭い心を、よい心と思い、

性転換を、人生の偉業のように、確信しています。

これでは、治るはずが、ないように見えます。

性転換を強く望む気持ちは、病気とされていますので、

症状のすべてが、ヒステリーとも言えます。

 

周囲や社会が、温かくしてあげれば、不都合をきたしませんから、

良いことと思う確信を、変えようとするはずもありません。

治った人は、温かくしてもらえずに、不都合をきたしただけで、

居心地が良ければ、治そうと思わずに、

居心地が悪くなれば、考えを使い分けて、自然に治るだけに見えます。

 

でも、GIDの半数の人は、治りません。

他の精神症状が、目立つようになったのに、

GIDの確信のほうは、相変わらず頑固です。

他の症状のせいで、性転換どころでなく、とても苦しくなりますけれど、

そのことを、御本人は、社会の無理解のせいで、こうなったと言います。

飲んだくれて、アル中になり、

おトイレに行けなくなり、だだ漏れになっても、世間の無理解です。

居心地が悪くなっても、自然に治らずに、

苦しさに耐えられなくなり、症状が悪化するだけです。

 

実は、健常でしたら、人は誰でも、たくさんの考えを持っていて、

時に応じて、どの考えを覆い隠し、

別の考えを、陽のあたる窓辺に持ってくるかを、調節しています。

精神の病気の人は、調節能力が低下していて、

一つの考え方だけが、永遠に、窓際に立っています。

外から見れば、いつも同じ人が、同じポーズで、

カーテンを開けたまま、窓辺に佇(たたず)んでいます。

あれは、お人形さんなのか、それとも、死んでいるのかと、

不思議に思いますけれど、精神の病気です。

 

考え方が間違っているのか、それとも、間違っていないのかは、

精神の病気に、あまり関係ないかも知れません。

使い分けの出来なくなるのが、病気のように見えます。

 

御本人が苦しくなるだけでなく、

御本人は楽しくて、周囲を苦しめるのも、精神の病気ですけれど、

器質的な原因の、発見されない精神の病気が、いつまでも治らないのは、

周囲ばかりを、苦しめる症状かも知れません。

 

統合失調症の人は、歯磨きをしないのも、良い事と思ったりします。

歯磨きが出来なくなるのは、

病気の症状が、どれぐらい悪いかを、示していますけれど、

もとから、歯を磨かないほうがいいと、思っていたのでは、

症状の悪化の、指標になりません。

 

面倒なことは嫌で、気持ちの良い事しか、しないのは、

元から病気なのか、躾(しつけ)ができていないのか、

発達障害なのか、ヒステリーなのか、よくわかりませんけれど、

元から、コミュニケーション能力が足りずに、自閉的で、

たくさんの考え方や生き方を、知ることを拒み、

手持ちのカードの、少ないことに加えて、

どのカードを見せるかの、調節能力の不足が、重なる人も、

少なくありません。