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ナシの冬芽 358 体の世話

2011.01.25 15:00

梨(なし)の冬芽です。

葉を落とした樹木って、冬は、冬芽や樹肌を見て、識別します。

品種までは、わかりませんけれど、おちんちんみたい。

 

ゆうべの夢の中で、わたしは、

どんぶりばっちゃ、浮いた浮いた、ステテコしゃんしゃんって、

歌っていました。

 

1970年頃に、SRSを受けたMtFのGIDの、赤坂の芸者さんが、

この都々逸(どどいつ)を歌いながら、踊ってくれましたけれど、

 

 

精神は、体の世話をするためにあります。

体の世話ができなくなると、精神の病気です。

 

体が体の世話をするためのコミュニケーションが、

他の個体と、コミュニケーションをする時の、共通の規格でしたら、

精神として解釈されると言うことですが…

 

精神の病気って、精神として解釈され難(がた)く、

体と体の独自のコミュニケーションを、他の個体に発信するので、

体の病気でないのに、

結果として、体が体の世話をインチキして、体を壊すようになると、

精神の病気とされます。

 

他の個体の体を、壊す人もいますけれど、

たいていは、犯罪と言われます。

体が体の面倒を見る機能に、異常があれば、精神の病気とされます。

 

体や脳の器質に、原因となる病変もないのに、

他の人の体に危害を加えるのを、犯罪でなく、

自分の体が、自分の体の面倒を見る機能に、低下があると見て、

精神の病気として、社会が連帯責任を持つ優しさは、

日本の人が世界に誇るべき素晴らしい文化です。

 

欧米の猿真似(まね)をしなくても、よろしい。

欧米でしたら、言葉も通じない異民族が、

自滅する病気に罹(かか)れば、喜ぶべきです。

民族を超えようとした新約聖書のキリスト教は、

生殖拒否を、精神の病気として忌避せざるを得ませんでした。

嘆きの表現ね。

同性愛差別になりました。

 

日本人は、同族社会ですから、みんな、言葉の通じる血縁です。

精神障害者を間引くのは、自分で自分を間引くようなものです。

病気でも、みんなで工夫して生きて行かねばなりません。

それが、大昔からの、人類の文化を作ってきました。

病気の人ばかりが、生き残って、健常な猿は、絶滅しました。

毛皮の皮膚を持った健常者なんか、絶えてしまったでしょう?

 

欧米の考え方とは正反対の歴史が、人類の進化を支えて来たの。

日本に、その文化が残っています。

キリスト教は、生殖拒否の精神の病気を、忌避すべきでなかった。

病人を毛嫌いするのは、イエスキリストの考え方に矛盾しています。

 

健常な人も、老化すると、体の世話が難しくなりますので、

若く元気なうちに、子供を育てて、備えます。

体が死んでも、子供がいれば、若返ったも同然です。

世代交代します。

 

若く、体が元気なのに、生殖を拒否して、世代交代をしないのは、

体の世話をしないのと、同じですので、精神の病気と言われます。

 

体の世話どころか、体が元気なのに、わざと傷つけて、

体の世話をしようとするのも、精神の病気です。

 

自己同一性と、免疫機能に似た自他識別の境界性が、

自我機能の、二つの目玉であると、言いました。

 

子供を生んで、育てて、世代交代するには、

自己同一性だけでなく、

自分と他人との境界を、調節しなければいけません。

お腹(なか)の中の赤ちゃんが生まれて、

一つの体が、二つになるのですから、当たり前ですけれど。

 

自他の境目(さかいめ)って、固定されていませんから、

どこに境目を設定するかが、自他識別の境界性の機能です。

免疫機能に似ていますが、自我機能の目玉の一つです。

 

生殖を拒否して、健康な体を、わざと自分で傷つけて、

傷ついた体の世話をするって、自我機能が低下しています。

精神の病気なの。

 

     老化した体や、病気の体を世話するって、

     どの個体にも共通の、生まれつきの、一律の自動行動では、

     ありません。

     個体の特殊性に応じて、臨機応変に行動します。

 

     精神って、そのために自覚されます。

     自己同一性と、自他識別の境界性っていう自我機能ね。

 

     いくら個体それぞれの特殊性に応じて行動すると言っても、

     どうせ、一定のプログラムに、その都度、数値を入力して、

     その答えの通りに、行動するだけなので、

     自動機械と同じでないかと、思うかも知れません。

 

     そうなの。

     でも、生物のプログラムって、変わります。

     情報に応じて、神経細胞の形が変化するの。

     よく使うと、神経伝達物質を受容する神経細胞の樹状突起を、

     千手観音みたいに繁茂させて、

     その先端の受容体が幅広くなります。

     使わないと、アポトーシスみたいに、自分から破壊されるの。

 

     男性の朝立ちみたいに、使わずに封印されていても、

     毎朝、試験的に電気を通して、アポトーシスを防ぎます。

     それを怠れば、GIDの生殖機能のように、破壊されます。

     性ホルモン剤を使っているから。 

 

     自我があるから、昨日の経験も、一年前の経験も、

     今現在のことも、ぜんぶ同じ個体の出来事であり、

     けっして、それぞれに違う個体の出来事でないと、

     理解できます。

     自己同一性の機能ね。

 

     この個体の経験も、

     70億人の経験も、1万年前の人の経験も、

     この個体の昔の経験のように、

     現在の状況に応じて、将来の行動を見積もるための、

     基本資料として、利用できることを知ります。

 

     情報の規格が共通なの。

     コミュニケーションによって、他の個体の経験記憶も、

     この個体の経験のように、客観的に使えます。

     自他識別の境界性の機能ね。

     

     自我機能って、みんな一緒っていう協調機能のことなの。

     昨日の自分と、今日の自分とが、違う自分でしたら、

     昨日の行動と、今日の行動が、バラバラになってしまい、

     責任っていう考えが、出てこないでしょう?

     昨日の行動の責任を、今日の自分がとります。

     同じように、あしたの自分も、あさっての自分も、

     協調しています。

 

     手と足が、ばらばらに動いていたのでは、

     うまく行動できません。

     協調させて、一つの行動に纏(まと)めるでしょう?

     この個体の行動も、他の個体の行動も、協調させて、

     一つの行動に纏(まと)めなければ、

     みんなと一緒に生きて行けません。

 

     みんなと一緒でないと、

     70億人が食べて行く食糧さえ、生産できません。

     みんなで、同じ品種のお米を作り、みんなで改良したから、

     熱帯のお米を、日本のような寒い土地でも、作れます。

     みんなで、力を合わせて機械を作ったから、

     田植えや稲刈りも、機械でできます。

     みんなで用水路を作って、みんなで井戸を掘ったでしょう?

     お水がなければ、日本でお米なんか、作れないもんね。

 

     サモアの人は、うまいことを言います。

     蛇口をひねるたびに、あなたの顔を思い出すでしょうって。

     簡易水道を作ってくれた日本人に、

     お礼(れい)の言葉を述べたそうです。

     サモアの人って、アメリカインディアンみたいに、

     日々の暮らしの言葉が、こういう洒落た表現なの。

 

     周恩来って人も、日中国交回復のセレモニーの席で、

     水を飲む時は、井戸を掘った人のことを忘れないって、

     言っていました。

 

     みんなと一緒でなければ、

     たぶん人間って、一人も生きて行けません。

     だって、言葉がなければ、知能もないでしょう?

     手話でも、記号でも、なんでも構いませんけれど、

     とにかく、言葉を知らなければ、

     人間の知能って、ミミズぐらいの賢さです。

     この体さえ、治(おさ)められません。

 

     言葉って、自分一人で発明しても、役に立ちません。

     みんなに通じる共通の規格や、

     約束事の塊(かたまり)みたいなもの。

     法律なの。

 

     みんなで作る議会があって、

     わたしたちが、井戸端でお喋(しゃべ)りしているのは、

     その議会の発言なの。

     言葉の使用そのものが、

     言葉っていう法律を作る議会の発言です。

 

     法律って、法律に使われる言葉の意味を、

     どうして、定義するのかしら。

     その定義に費(ついや)す言葉の意味は?

     わたしたちの日々の生活って、その現場です。

     

     使用そのものが、言葉の定義ですから、

     人間が生きるって、GIDや統合失調症の人の主張とは、

     かなり違うって、わかります。

     病気の精神で生きて行くのは、茨(いばら)の道です。

     イエスキリストという人は、それを望んだはずなの。

 

心って、体の面倒を見るためにあるって、覚えておいてください。

そういう考え方があるってね。

目的論で申しわけありませんけれど、

本能ってのも、目的論でしょう?

個体が生きるためとか、世代交代するためとかね。

目的を示して、日常感覚で生物を理解するって、便利なんです。

アリストテレスの発見かしら。

 

彼は、物体の力学的運動や機械的変化にも、

目的があると、理解しました。

アインシュタインの相対性理論も、一理ありますけれど、

ニュートンのような、天体の運動の仕方のほうが、

庶民的で便利でしょう?

ニュートンの運動の法則って、

もちろん、アリストテレスの考え方を継承しました。

 

わたしは、アリストテレスの古典的な論理よりも、

記号論理のほうに、馴染みがありますけれど、

ウィトゲンシュタインやラッセルも、

やっぱり、アリストテレスと同じ形式論理です。

ヘーゲルの弁証法よりも、

空間や時間の日常感覚を、よくなぞっています。

 

心のことも、性転換のような、逆立ちした弁証法的な観念論よりも、

アリストテレス風の、実用的な医療が、着実かも知れません。

 

心って、体の世話をしています。

心のために、体を手術するって、あくまで心の病気の治療です。

けっして、自由な美容手術でありません。

 

生殖が絡(から)んでいるから、

仕方なく精神の病気にしておくのでなく、

手術という医療を受けるから、仕方なく病気なのでなく、

心の性別が、体と違うと言って、

性ホルモン剤や、体の手術を求めて、生殖機能の阻害を望むのは、

絶対的な、心の病気と、わたしは思います。

 

性転換医療全体が、オカルトのような気がするの。

治療を受けるのが、ヘーゲルの観念論なら、

医療を行なうほうも、マルクスの弁証法だったりして。

一人が雄牛の乳を搾(しぼ)れば、

もう一人が、笊(ざる)で受ける感じね。

どちらも、滅び行く人たちのような、気がしてなりません。

 

ヘーゲルやマルクスの弁証法って、オカルトだったみたい。

オウムやナポレオンやヒトラーやスターリンを、思い出すの。

 

性転換医療の間違いって、たぶん、それです。

ただの感じですから、後日、釈明しますけれど、

性転換って、昔の新左翼の運動にそっくり。

どこぞの総理大臣がやっていた運動ね。

 

わたしは、精神の病気の人の、体のことが心配です。

苦しさは、お薬や脳内麻薬や、お酒や手術などによって、

感じなくしてしまうことが、可能なの。

でも、苦しいのを感じるって、体の世話をするためです。

GIDって、教科書みたいに、精神の病気の典型って、わかります?

結局、世話をされずに放棄された体が、犠牲になります。

 

けっして、新聞のような、美談でありませんけれど、

なんとか、切らずに、おいしい実をならせたい。

梨(なし)の木のこと。     

病気だからと言って、切るのは簡単ですけれど…