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江戸時代の愛宕山から 384 お武家さんという証券

2011.02.21 15:00

幕末(ばくまつ)の江戸の屋敷町(やしきまち)を、

愛宕山(あたごやま)から見た写真。

ほぼ真北から、南南東にかけて、150度ぐらいの画角(がかく)です。

 

写真をクリックして、出てきた写真の下のほうの、

オリジナルサイズで見るを、またクリックすると、

大きな写真になります。

 

ブラウザの設定によっては、それからまた、

 

 

東京都港区芝公園の、東京タワーから、

真北の方向の、皇居の桜田濠(さくらだぼり)まで、

2.5Kmぐらい、あるかしら。

 

内堀のお堀ばたを、ジョギングする人が、

テレビに、よく映っていますけれど、

皇居って、お堀の周囲の公園が狭く、

堀の横が、すぐに車道や官庁街なの。

 

東京タワーから、0.5Kmほど東北の、

愛宕神社の鎮守の森を、愛宕山(あたごやま)って言います。

標高25メートルぐらいの、低い岡ね。

 

ここから、慶応元年(1865年)に、

フェリックス・ベアトというイギリス人が、

ほぼ東側150度ぐらいの範囲の、東京の町並みを、撮影しています。

 

東の方向の、正面左の遠くに、

築地本願寺(つきじほんがんじ)の屋根が見え、

正面に、浜離宮の森が広がっています。

本願寺や浜離宮の向こう側は、東京湾なの。

江戸前(えどまえ)の海ね。

 

画面の右手に、細長く、仕切りのような松林が延びていますけれど、

その南側の、芝(しば)という所の、増上寺(ぞうじょうじ)と、

北側の、大名屋敷の町並みとを、区切る境界です。

防火林の意味かしら。

御成門(おなりもん)のあたりです。

増上寺には、たくさんの塔中(たっちゅう)がありましたけれど、

境内の、東北の隅の、幾つかの建物の屋根が、写っています。

 

正面の浜離宮の手前は、全部、大名屋敷で、

最も手前の、奇麗な長屋に囲まれているのは、

越後長岡の譜代大名の、牧野備前守(まきのびぜんのかみ)の、

中屋敷だそうです。

その右は、片桐石見守(かたぎりいわみのかみ)、

それらの向こうは、松平隠岐守(まつだいらおきのかみ)。

写真の左のほうも、全部、大名と御家人ばかりの、屋敷町ですから、

庶民の町とは、全然、違います。

 

江南信國(えなみのぶくに)という写真家が、

1890年に、同じ位置から撮った写真が、残っていますけれど、

牧野さんのお屋敷の長屋が、二階建ての商家の長屋に変わっています。

わずか25年後なのに、あたり一面の大名屋敷が消えて、

町の地割(じわり)を決める道筋だけが、昔の通りに受け継がれました。

現在は拡幅されていますけれど、現在の道も、江戸時代と同じです。

 

大和盆地の田畑が、奈良時代の条里制のままに残っているのと、

似ているかしら。

 

明治になると、大名は、お城や蔵屋敷などの、公共の資産だけでなく、

領地や上屋敷(かみやしき)のように、

世襲される職責に応じて、幕府から拝領した資産も、没収されました。

江戸時代の武士って、自分の所有地を、親分に差し出して、

その代わりに、地位や職責や、お給料やお屋敷を、

世襲できるように、保証してもらったの。

お給料は、個人の物になりますけれど、

お屋敷の土地は、官給品の、いわば領地でした。

 

大名と、将軍さまの関係も同じで、

上屋敷のような江戸の藩邸は、将軍からあてがわれた公邸用の領地に、

各藩の公共の資産として、藩の予算を使って、家が建てられました。

蔵屋敷は、藩の公務のための公共施設ですから、

各藩の税金を出費して、土地と建物が賄(まかな)われました。

 

日本人って、飛鳥時代から奈良時代の頃に、

公地公民っていう政治スローガンを掲げるようになると、

だいたい、個人の財産と、公共の財産を、

厳密に区別するようになりました。

中国の考え方の、輸入ですけれど、

フランス人が、古代ローマの考え方の、真似(まね)をした時期と、

同じ頃かも。

 

江戸時代の武士の制度は、戦国時代にできたものですけれど、

それよりも前の武士って、

なかには、平氏や源氏のように、天皇から姓を賜って、

武家の職責を与えられた人も、いましたけれど、

武士を自称する大部分の人は、やくざや、ならず者のようなもので、

一部は、農家が武装して、自分の土地を守っていただけでした。

 

武力を糾合(きゅうごう)するために、先祖代々の土地の代わりに、

世襲の職責やお給料ってのが、やり取りされました。

 

現物の代わりに、証券っていう紙っぺらを使ったの。

金本位制よりも昔は、お米(こめ)や田畑(でんばた)が、

最高に信頼できる価値でしたけれど、

それを表す証券の、信頼性を保証するために、

検地や刀狩りを行ないました。

 

お米や田畑を持っているだけでは、人に奪い取られるから、

実力で守らないといけないでしょう?

そのための、軍事力ですから、

それだけの軍事力があります、っていう印(しるし)に、

検地や刀狩りを実施しました。

 

自分の田畑を、実際に耕している小作人から、

年貢を徴収しないといけないでしょう?

検地や刀狩りができるってことは、

年貢を徴収するだけの、軍事力があって、

証券の信頼性があるってことなの。

 

実際のお米や田畑を、やり取りしなくても、

世襲の職責やお給料っていう形の、証券にすれば、便利ですから、

人間と人間の、命と生活の関係が、

紙っぺらや、舌先三寸に、表現されました。

戦国時代からこっちの、殺し合いと商売の仕組みって、

現在の雇用や国家制度の、雛形なの。

性転換よりも、桁違いに誠実で、合理的な仕組みです。

 

フランスの、啓蒙思想から革命に至るまでも、似たような歩調かしら。

向こうのほうが、多民族だから、軍隊が強かったってことが、

ペリーの黒船に表れて、明治維新になっただけです。

 

そんなもん、ホモサピエンスになってから、この20万年ほど、

脳味噌の性能は、同じですから、考えることは、今も昔も同じです。

痛い苦しいってのを避けて、楽(らく)に生殖をするために、

殺し合いと屁理屈を使います。

 

体と舌が、資本かしら。

数学や物理って、屁理屈なのよ。

文学や流行文化などの、舌の一種。

マスコミや小説家や漫画家のような、遊び人も、

芸者さんに付き従う太鼓持ちに似て、

お大尽(だいじん)さまに奉仕するのが、一番なの。

 

野党精神なんて言っても、

新聞が何を書いて、戦争になったかって、みんな覚えています。

太鼓持ちが囃し立てて、殺し合いになるの。

性転換みたいにね。

 

法律や医療って、権力や毒を使うから、殺し合いの一種かしら。

高層ビルを建てて、宇宙船を飛ばすのも、

鏃(やじり)を磨くのと同じですから、戦争の準備みたい。

兵站(へいたん)を整えているの。

殺し合いって、多民族のほうが、試行錯誤の回数が多く、

磨き抜かれて、選(え)り抜かれているから、強いでしょう?

 

屁理屈って、精神の病気の人を見ればわかるように、

自閉したほうが、美しいの。

江戸時代の日本も、美しかったって、

石原なんとかっていう遊び人が、大名屋敷の写真を、絶賛していました。

川端康成とか、美容外科とか、マイケルジャクソンとか、

美しいものは、全部、滅びます。

三島由紀夫って人も、GID(性同一性障害)と、そっくりでした。

 

薩長の新政府なんか、いつまで持つのか、わかったものでなく、

早急に、故郷の有力者を纏(まと)めて、

地元の支持を、固めなければいけません。

大名さんね。

将軍がいなくなれば、東京に、人質のように留め置かれる理由もなく、

薩長ごときに服従したくなければ、さっさと帰国して、

兵站(へいたん)を厚くするに、如(し)くはありません。

 

西南戦争が終わり、薩長の支配が盤石(ばんじゃく)になると、

ほとんどの殿様が、故郷の実権を失い、

再び上京して、こじんまりとした没落華族の年金暮らしを、

味わうようになりました。

 

現在の物価に換算すると、年間所得5000万円ぐらいが、

男爵さんの最低の生活水準かしら。

お殿様の生活からすると、鼻くそでした。

侯爵さまで、5億円ぐらいですから、

美容外科医と、ちょぼちょぼみたい。