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田老町(たろうちょう) 404 政策の間違いでは?

2011.03.13 15:00

季節はずれの写真で、すみません。

岩手県宮古(みやこ)市の、田老(たろう)鉱山です。

おもに、硫化鉱(りゅうかこう)を採掘していましたが、

ニクソンショックの頃に、廃鉱になりました。

 

硫化鉱から、鉛や亜鉛や銅や硫化鉄(りゅうかてつ)などを、

生産していたの。

明星大学が、精錬所跡を買い取り、

田老宇宙線観測所というのを作りましたけれど、

今でも、精錬所の廃墟(はいきょ)を、見ることが出来ます。

 

ブレトン・ウッズ体制の崩壊(ほうかい)と、

日本の高度経済成長時代の終わりが、

鉱山の採算ラインを呑み込みました。

 

今年の1月30日の、このブログのコメント欄に投稿して、

シャンソンの在処(ありか)を教えてくれた【宮古の海】さんは、

岩手県宮古市の人でした。

 

 

田老町(たろうちょう)って、宮古市と合併した漁港の町ですけれど、

高さ10m、総延長2.4Kmの、

万里の長城と言われた防潮堤がありました。

観光名所になっていたの。

 

今回の津波は、簡単に防潮堤を越えて、町全体を押し流しました。

北海道の奥尻島でも、そうですけれど、

どうして、津波のあとに、巨大な防潮堤を作るのかしら。

 

15階建てのマンションを建てて、

3階ぐらいまでを、商店と駐車場にすれば、いいのに…

素人(しろうと)の、オバマ大統領でさえも、

鉄筋のビルは、よく持ち耐(こた)えていると、言っていました。

ビデオを見れば、誰でも、そう感じます。

 

どうして、巨大なダムのような防潮堤を、

作らなければ、いけないのかしら。

 

鮭(さけ)が、川を遡(さかのぼ)って、

故郷(ふるさと)に産卵するように、

津波って、谷を遡上(そじょう)するでしょう?

 

リアス式の沈降海岸は、細長い谷川が沈んで、海の水に溺れた地形なの。

川の岸辺に、土砂が溜まり、海岸近くまで、谷を埋めますので、

土砂の上に、町を作って、

海底に沈んでいる谷を、天然の良港として使います。

 

海が川を遡(さかのぼ)るのは、男女の営みのように、あたりまえかも。

 

沖の高波から、港を守るには、どうしても、防波堤が必要ですけれど、

津波を防ぐには、巨大な防潮堤って、不合理です。

マンションにすれば、安上がりなのにと、

黒人でなくても、津波のビデオを見れば、すぐにわかります。

 

なぜ、三陸の町は、何度も津波の被害に遭(あ)っているのに、

マンションにしなかったのかしら。

 

津波は、海そのものが持ち上がりますから、風による高波と違います。

防潮堤によって、津波を防ぐのは、

高くなればなるほど、経済的に困難になるのは、あたりまえですけれど、

ある一線を越えれば、マンションの高層階に住まいしたほうが、

安上がりになりそうな気がします。

 

どうして、学者さんは、アドバイスをしてあげなかったのかしら。

 

ダムのような堤防を作れば、

国の補助金が下りて、土木会社は儲かると思いますけれど、

なんとなく、高度経済成長期の、日本の農家が、

先を争って、機械や施設を、購入したようなものかしら。

 

借金をしてでも、今、投資しなければ損をすると、勧誘されました。

老人が増えれば、福祉施設に、また補助金。

 

     三陸沿岸の町って、

     明治29年と昭和8年に、津波の被害を受けたそうです。

 

     昭和8年の、昭和三陸地震では、

     現在の大船渡市は、29mの津波だったそうです。

     当時の田老村は、ほぼすべての家屋を、流失しましたので、

     高さ10メートルの、大防潮堤を作りました。

 

     谷にダムを作るようなものですが、

     29mなのに、10mって、計算が合いません。

     どうして、防潮堤なのか、変でしょう?

 

     昭和35(1960)年5月の、チリ地震の揺れは、

     日本人に、まったく感じられませんでした。

     それでも、三陸の町は、

     2~6メートルの、大津波に襲われました。

 

     田老町は、高さ10メートルの防潮堤のお陰(かげ)で、

     被害が、ほとんど、ありませんでした。

 

     翌年の、昭和36(1961)年の、また5月に、

     台風の風が、フェーン現象になり、山が丸焼けになりました。

     三陸フェーン大火って言いますけれど、

     田老鉱山の施設も社宅も、みんな、丸焼けになりました。

 

     それでも、ラサ工業は、儲(もう)かると見て、

     鉱山の町を復興しましたけれど、

     わずか10年後の、1971年に、閉山しました。

     アメリカが、ドルと金(きん)の交換を、停止したからです。

     ニクソンショックや、ドルショックなどと、言われています。

 

     スミソニアン協定により、1ドル308円の時代になり、

     1973年に、欧米先進国や日本などが、

     変動相場制に移行すると、第四次中東戦争が起こり、

     アラブの産油国が、石油の輸出を停止しましたので、

     日本は、オイルショックになりました。

     津波の第一波でした。