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オオアラセイトウ 412 依怙地(いこじ)

2011.03.22 15:00

アブラナ科の越年草ですけれど、

中国では菜の花と同じように、食べたり、油を絞(しぼ)ったりします。

 

日本では、観賞用として、戦後に流行しましたが、

園芸用の花卉(かき)としては、貧弱です。

高度経済成長が終わる頃に、廃れました。

なつかしいお花です。

 

花大根とも言いますが、

アブラナ科には、ハナダイコンという種(しゅ)や、

ハナダイコン属というのも、ありますので、紛らわしくなります。

 

オオアラセイトウという名前は、

子供の頃に、よく呼び慣(なら)わされていましたので、

耳にこびりついていますが、大紫羅欄花と書きます。

牧野富太郎さんの、創作ですけれど、

ポルトガル語に由来しているそうです。

 

中国では、諸葛采(しょかつさい)と言います。

諸葛孔明ですから、覚えやすいのですけれど、インチキくさい由来です。

 

10年ぐらい前から、オオアラセイトウって、教えてあげると、

orz(おーあるぜっと)と、答えてくれる人が、増えました。

 

アブラナ科2チャンネル属ですけれど、

牧野富太郎って人も、たいへんな変人の遊び人でしたので、

日本全国を、ほっつき歩いては、

 

 

脳の器質に、原因の発見されない精神の病気の人って、頑固です。

ただ単に、変更不能でなく、

自分の考えていることが正しい、間違いないと、

たくさんの人に向かって、公言したことは、

絶対に取り消さない、死んでも取り消さない意地っ張りなの。

依怙地(いこじ、えこじ)です。

 

その人にとって、どうでも良いことは、約束を守らずに、

言うことが、ころころと変わり、

大切に思っていることは、死んでも手放さないって、

誰でも同じですから、

依怙地の中身が、人と違うって、

みんなと一緒のことができずに、孤立しているってことですけれど、

命や体を、損(そこ)なうのに、

それでも、みんなと同じことをしないって、

御本人も周囲の人も、大変です。

 

どうして、みんなと同じでないといけないのかって、

本気で、疑問に思っています。

一人一人、勝手なことをしていたのでは、

70億人が、効率良く食べて行けなくなり、殺し合いの喧嘩になるのに…

言葉も法律も、みんなと同じことをするためにあるのに…

自分だけにしか、通じない言葉なんか、言葉って言わないもんね。

みんなの言葉や、みんなの法律っていう約束ごとがなければ、

人類は、ウイルスよりも阿呆になって、絶滅するのに。

 

依怙地な人は、自分一人で心に決めて、人に約束したことは、

絶対にゆるぎないって感じで、みんなに対して、責任を持ちます。

世間の人は、そんな責任なんか、注視していないのに。

御本人は、自分の信用性が試されているかのように、思い込んでいます。

 

自分自身に対する、信用性かしら。

自分を裏切ると、心の辻褄(つじつま)が、合わなくなるの。

 

世界一、頑固でなければ、自分を許さない覚悟ですから、

この確信のために、死んで見せるところまで行きます。

それを、他人と競うかのように、生きています。

自分こそは、世界で一番でなければいけないと、心に決めているみたい。

世界でただ一人の、掛け替えのない、孤独な魂なの。

藁(わら)をも掴(つか)む思いの、藁のような人間です。

実存主義ってやつね。

世界一って、個性のことなの。

 

ロシアンルーレットをする人って、

命を、ものともしない勇気があるって、

みんなに示さなければいけないと、思い込んでいます。

自分に示すのと、同じかしら。

途中で、怖(お)じ気づいたりしないところを、

実際に、みんなに見せます。

 

三島由紀夫って人も、実際に責任をとると言って、切腹しました。

彼が、市ヶ谷の自衛隊のバルコニーから、

ばらまいた檄文(げきぶん)ってのがあります。

読めばわかりますけれど、頭があさってになっています。

言わんとしていることは、小学低学年です。

 

どうして、こんなに幼稚なことのために、

命を懸けなければいけない気持ちになって、

実際に、命を捨てるところを、みんなに見せなければ、

気が済まなくなるのかしら。

 

これって、統合失調症でも、GIDでも、同じです。

頑固になって、変更不能になり、

自分の確約したことは、死んでも変更しないって、

実際に、死んで見せるところまで、行きます。

 

たまたま、症状の出し方から、途中で、他人に危害を加えてしまうと、

その時点で、統合失調症と診断されて、

強制的に、抗精神病薬が入るだけです。

刑務所に入る人のほうが、多いと思いますけれど。

 

GIDのように、途中で性ホルモン剤が入って、性転換したために、

死んでも確信を示すところまで、辿り着けない人もいます。

生殖しない確信を示すほうが、重症かも知れませんが。

 

うつ病にように、自殺しようとして、止められて、

強制的に入院させられて、お薬の入る人もいます。

いいお薬のなかった時代には、太宰治って人みたいに、

何度も自殺未遂をしでかしてから、最後にやり遂げる人も、

少なくありませんでした。

 

みんな、同じような精神の病気です。

 

     現実の恐さよりも、夢の中のほうが、遙かに恐いでしょう?

     GIDにも、台風のうねりに連れ去られて、

     一時間も、高さ10メートルの波に、浮き沈みした人や、

     山から転落して、

     高さ数百メートルの垂直の絶壁を、

     自力で這い上がって来た人もいます。

 

     いずれも、その時は、恐いと思わずに、

     現実の状況に対処するために、

     具体的な行動に、おおわらわだったそうです。

     

     わたしも、アフガンやスーダンで、

     鉄砲の玉やロケット弾が飛んで来る地面に、張り付いたり、

     猛スピードで、車を走らせたりしたことがあります。

     鉄板をかぶって、運転しました。

     山道から落ちないように、

     すごく冷静に、現実的に運転していました。

 

     あとで、夢を見ると、すごく恐いの。

     夢の中のほうが、現実よりも、何百倍も恐いの。

     

     目覚めているのに、夢を見ているような気持ちって、

     解離と言います。

     ヒステリーによくある症状の一つです。

     現実に生きていながら、

     現実よりも何百倍も、気持ちが誇張されます。

 

     現実という目安がありませんから、

     無限大に、気持ちが走ってしまいます。

      

     ブロック塀の上を歩くだけでしたら、慎重に歩けば良いし、

     もしもバランスを崩して、塀から落ちても、

     いつでも、足首や膝や腰の、クッションを効かせて、

     柔らかく着地する心積もりを、忘れなければいいのでしょう?

 

     でも、夢のように解離して暮らしている人は、

     もしも、バランスを崩せば、

     100階建てのビルの屋上から、墜落するような、

     最後の最後の、とても恐い気持ちになります。

    

     そのくせ、15階のベランダの手すりを、

     ひょいひょいと、歩いたりするの。

 

     どうして、そんなに現実離れの気持ちになるかって、

     文字通り、現実的な試行錯誤の経験が、少ないからです。

 

     一段のブロックの上を歩く感じとか、

     三段、積み上げたときの感じとか、

     五段でしたら、落ちたときに、

     どういうふうに、着地すればいいかとか、

     いろいろと試行錯誤して、実地に練習した経験が、

     とても少ないの。

 

     空想から、いきなり、

     現実はこうであるって、決めつけます。

     空想って、現実よりも、遙かに大袈裟なのに。

 

     発達障害でも、統合失調症でも、

     精神の病気に、いちばん多い症状は、自閉です。

     試行錯誤しないの。

     これこれならば、こうであるって言うように、

     さまざまな条件を付けずに、

     これは、こうだって、定言的に判断します。

 

GID(性同一性障害)の人って、手持ちのお金を計算して、

人に命令されずに暮らして行けるって、算段したりね。

命令したり、されたりって、

責任を分担することですから、とても楽しく、

何事も恐がらずに、生きる勇気が湧いて来るのに。

 

東京大学の医学部を卒業するよりも、

精神の病気を克服して、商店の販売員になるほうが、うんと立派なのに…

ノーベル賞でなくても、

三島さんのように、慌てて死ななくていいのに。

     

脳の器質に原因の発見されない精神の病気って、

お金と命と、気持ち良さを、ちゃんと計算していることが、

少なくありません。

でも、生殖や世代交代が、計算外ですので、子供です。

思春期に、大人の能力が要求されると、

往々にして、精神の病気を、発病します。

     

日本の法律では、20才ぐらいまでなら、

大人の社会の、子供の能力が、不埒(ふらち)な結果になっても、

大目(おおめ)に見てもらえます。     

現実には、子供が生まれる頃まで、子供みたいな人って、普通ですから、

あまり、心配要りません。

 

子供の能力だけでも、ちゃんと、死刑にならずに、生きて行けますし、

大金持ちになる人や、お医者さんになる人もいます。

そういう能力って、子供なの。

 

精神の病気の人には、子供を生んでも、大人の能力の育たない人が、

少なくありません。

精神の病気の、核心みたいなところを、

ズバッっと言い当てて、症状に出しているのが、

GID(性同一性障害)ですので、知能は健常です。

 

生殖拒否を、心の性別と、言い違えているので、

正鵠(せいこく)を射ているとは、言いませんが、

脳の器質に、原因の発見されない種類の、精神の病気では、

最も重症かも知れませんので、

悪いことをすると、大人の年齢でしたら、死刑になります。

     

精神の病気が、治療法もないぐらいに重症なので、死刑になるって、

たくさんの人を殺した人格障害の人が、死刑になる例を、

現代人は、あたりまえのように、たくさん知っています。

たくさんたくたん、人を殺したのですから、

精神の病気の中でも、最も重症に違いないのに…

 

精神障害のせいで、責任能力がないとされて、

悪いことをしたのに、不起訴になると、

インターネットでは、非難囂々(ごうごう)になります。 

 

おもに若い子が、口汚く罵(ののし)りますけれど、

精神科医の鑑定や、検察庁の判断に、説得力がありません。

 

GIDを、精神の病気とすると、

非難囂々の若い子たちが、猛反発します。

GID自身が、そんな子たちかも知れません。

 

精神運動興奮の出ている統合失調症の患者さんを、

死刑にしてしまえ、と罵る若い子と、

自分は精神の病気でないと、笑うGIDの若い患者さんとは、

似たような病気の症状なの。

統合失調症の患者さんと、どんぐりの背比べなのに…

 

ニューヨークのブルックリン区の、ベッドスタイと言われる町は、

建物が古くなるとともに、

だんだんと貧乏な住民に、入れ替わった町ですけれど、

スラム街の内かも知れません。

 

住民の自室は、精神障害者の住まいと、ほとんど同じで、

身の回りの整理整頓のできない人が、少なくありません。

失業や犯罪の、多発する町なのに、、

少しも犯罪の被害に遭わずに、暮らしているお金持ちもいます。 

 

スラム街の犯罪は、ほとんどが、仲間内の喧嘩のようなものなの。

被害者と加害者が、似たような種類の人って、

GIDを差別する人と、差別される人の間柄に、よく似ています。

家族の中で、それが起こることもありますし、

警察官と犯罪者のこともあります。

 

インドで言えば、GID(性同一性障害)って、

ダリットと言われる人たちの間の、出来事に似ています。

いわゆる不可触賎民のことね。

 

責任能力の有無や、死刑と不起訴の判断や、

GIDは、精神の病気か、それとも、健常なのかっていう問題が、

加害者と被害者の、どちらもが仲間内の問題に、よく似ています。

 

アメリカの娯楽映画で言えば、

麻薬を取り締まる警察が、麻薬組織の一部だったり…

 

治療法がなければ、健常なのでなく、死刑にされます。

お薬のなかった時代の、統合失調症の患者さんって、

日本では、江戸時代から、処罰されませんでしたけれど、

自宅に、閉じこめられていました。

 

欧米でも、同じです。

そうしなければ、人に危害を加えたり、加えられたりしますので、

治療法のない時代には、仕方ありませんでした。

 

責任能力がないから、処罰されないと言っても、

実際には、裁判も受けられずに、幽閉されてしまうようなものです。

GIDも、優性医療を施されます。

御本人がそれを希望するように、

文化的に催眠術をかけて、誘導しています。

そのほうが、犯罪の被害者や加害者になるよりも、ましという判断です。

 

新しくダリットになる人って、自分から好んでダリットになります。

みんなと一緒のことができないので、

健常な社会に、とどまって居られません。

インドのカーストって、世襲の職業や身分ですから、

生まれながらの差別ですけれど、日本の天皇制と同じように、

人によっては、たいへんな地位を、生まれながらに保証されています。

 

それでも、適応できない人は、自分から飛び出して、

ダリットになります。

日本で言えば、被差別部落の人たちや、

アル中になった宮さんのようなものかしら。

ヒジュラと言われるインドのGIDは、

自分からダリットになった人たちの間の、仲間内の出来事です。