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七夕 517 自分の心を受け入れる

2011.07.06 15:00

七夕さまの笹って、幼稚園でしか見なくなりました。

心身ともに健康にっていう短冊もあります。

  

GIDの精神って、そのころまでに、変(へん)とわかります。

1才未満に気づくお母さんもいますけれど、

軽症の発達障害ですので、難しいかも。

 

 

 

統合失調症って、一つの病気として纏めるのが、便利と思いますか?

この纏め方は、抗精神病薬というお薬のなかった時代のものを、

薬物療法が中心になった現在も、引き継いでいます。

 

ロボトミーという脳味噌を切る手術の時代もありましたけれど、

現在の薬物療法も合わせて、、

いずれも、脳味噌の健常な機能と、異常な機能の、両方を、

わざと機能不全にして、治療の代わりとします。

 

ロボトミーの場合は、脳味噌を切断してしまいますから、

二度と回復しませんけれど、

抗精神病薬でしたら、短期間のうちに、お薬をやめると、回復します。

病気のほうも、再び悪化しますけれど。

 

お薬を飲んで、興奮が鎮静すると、患者さんは明るくなります。

 

器質的な原因や仕組みの、わかっていない現在では、

統合失調症を、一つの病気とするのが、便利かどうかって、

精神運動興奮という症状と、それ以外の症状とを、

統合失調症として、いっしょくたにするのが、

便利かどうかって意味です。

 

抗精神病薬って、精神運動興奮と、その二次的な症状にしか、

効きません。

患者さんのほとんどは、

精神運動興奮をきたしてから、統合失調症と診断されますけれど、

それ以前から、たくさんの症状の現れているのが、普通です。

 

でも、本人も、周囲の人も、

ちっとも苦しくなければ、受診するわけがありません。

小学低学年の子供が、誰かに話しかけられていると言って、

お母さんに連れて来られることもあります。

誰かに見られていると言う子供もいます。

 

ゲーテのファウストのように、

メフィストフェレスという悪魔と取引をする人生の人が、

世の中には、たくさんいます。

ファウストのように過ごせば、どうせ受診するとは思えません。

 

幻聴があるからと、お母さんに連れて来られても、

それだけでは、精神の病気でありません。

実は、誰でも幻聴があるのに、

健常な人は気づいていないと、言う人もいます。

 

自問自答や、予想されるシミュレーションや、

自作自演の想像のようなものなのに、

心の中で、自分一人で思ったに過ぎないと、気づかないのは、

明らかに精神の病気である、と言う人もいますけれど、

それに気づかないファウストのような人も、たくさんいて、

気づいている人よりも、遙かに優れた人であることが、

少なくありません。

 

自我と言われる人間の意識って、

意志と責任や、事実の因果関係などの、

時間に関する自己同一性と言われる特徴と、

個体の中の情報を、客観的に整理編集する規則として、

他の個体との情報伝達の規則を使うような、

境界性と言われる精神の免疫機能とも言うべき特徴とが、

他の動物よりも、奇妙に目立ちます。

 

個体の脳の中で起こった事を、

自分で思っただけとしか自覚できない人は、頭が悪い、

と言う人もいます。

 

未来の事や、居合わせていない過去の事などを、

想像したり、シミュレーションしたりするのは、

自分一人で自作自演するように考えているのでなく、

文化という他人の脳味噌の産物との合作ですので、

誰かの声が聞こえて来たり、

自分の脳の中の情報が、誰かに読み取られたりすると思うのは、

精神の病気でないそうです。

 

確かに、個人の自我は、たくさんの人の合作ですから、

たくさんの人の、共有の文化であるとするのは、間違っていません。

個体の体という装置が、文化を実演しているだけです。

それが自我かも知れません。

 

わたしなんか、NHKのテレビ番組に出ている学者さんの話を聞き、

よそのチャンネルに切り替えて、

うちの娘みたいなアナウンサーの話を聞くと、

ああ、学者さんとアナウンサーの二人が、

わたしの体の脳味噌という装置を、無料で使ってくれて、

辻褄(つじつま)の合わないことを、会話しているって、感じます。

 

二人の会話を聞いているだけで、

わたしの脳味噌に、たくさんの人が群がってくるような気がして、

テレビの影響力って、大きいなあと、感心します。

 

わたしの脳味噌を、公共の装置のように、

誰でも勝手に使ってくれます。

無料です。

わたしも、人の脳味噌を、勝手に使っていますから、

わたしって誰か、と問われても、

みんなのような気がするだけです。

 

殺し屋さんもいれば、精神の病気の人も、

自惚(うぬぼ)れ屋さんのお医者さんも、

戦場を逃げ回っている人も、病室に閉じこもっている人も、

生まれたばかりの赤ちゃんも、

商売をしているエスキモーの人もいます。

みんな、わたしの脳味噌を使っているのですから、

わたしって、使っているみんなと、たぶん同じです。

 

     GID(性同一性障害)って、一つの病気として纏めるのが、

     便利と思いますか?

     性転換を正当化しようとするマスコミの人やGIDの人は、

     自分の心の性別が、体の性別と違っていて、

     心は、絶対に体の性別を受け入れられないから、

     性ホルモン剤や手術などによって、

     体の生殖機能や性器の外観などを、

     自分から破壊することを、

     自分の心を受け入れると、表現します。

 

     GIDっていう病気になって、性転換することは、

     自分を受け入れることだそうです。

     良いことなんだそうです、病気になることが。

 

     自分の心の性別は、体の性別と違う、という事実を、

     受け入れなければならないそうです。

     素直(すなお)に、

     自分を受け入れることができるようになれば、

     性転換をすることができるようになります。

     それが、心の成長だそうです。

 

     それですと、GIDの半分の人が、発症後25年以上たつと、

     認知障害がひどくなって、社会生活ができなくなる事実と、

     異なります。

 

     GIDの残りの半分の人は、性転換をしても、しなくても、

     発症後25年以上たつと、

     体の性別が男であろうと、女であろうと、

     心は、どちらの性別にも適応できると、

     自覚するようになります。

 

     GID(性同一性障害)や、性転換を、

     良いものと思い続ける人は、GID全体の1%にすぎません。

     その人たちは、

     GIDや性転換を、売り物にして、生計を立てている人か、

     さもなければ、御両親がお金持ちだった人です。

 

     ようするに、無限連鎖講の親になる1%の人だけが、

     食い逃げをして、

     残りの人には、

     災難や後遺症だけが、残るのかも知れません。

 

     性転換することを、自分を受け入れると、表現するのは、

     自殺することを、自分を受け入れると、言うのと、

     同じような意味です。

 

     性転換って、生殖拒否の一種ですけれど、

     自殺を希釈した意味が、生殖拒否にはあります。

     緩慢な自殺です。

     QOL(生活の質)を、大切にしているのかも知れません。

     末期癌の患者さんに、麻薬を使って、

     死ぬまで、好きなことをして、楽にしてもらう終末医療は、

     QOLを大切にします。

 

     実際には、GID(性同一性障害)っていう精神疾患を、

     美化する人たちって、GIDや同性愛の御本人を除けば、

     GIDが新興宗教のように、

     仲間内の社会に引き込まれてから、

     その教義に命を賭けようと、性転換の心を決める事実を、

     知らないみたいなの。

 

     心を決めると、、

     子供の頃から、性別が違うと思っていた、と言い出します。

     

     自分を受け入れるって、だれが流行させたのかしら。

     変な言葉です。

     だって、わたしの心の中では、

     自分って、みんなや、周囲の世界全部のことだもの。

 

     自分を褒めてあげるって、

     高石ともやって人の言葉ですけれど、

     御家族の事情から、

     精神障害のことを、たいへんよく御存知の人でした。

     宗教が障害者の心を、慰めてあげるような言葉ですから、

     キリストさんや、お釈迦さんの言葉に、似ています。

     女子マラソンの人が、彼の言葉を真似(まね)ていました。

 

     障害者の心を慰撫してあげるって、

     いつも、詐欺みたいなものです。

     こうでもしないと、投げやりになって、腐ります。

     こんなことを書くから、怒られますけれど…

 

     障害者って、次から次へと、生まれてきますから、

     誤魔化したくなる気持ちは、わかりますけれど、

     GIDって、半分は治るのに。

     なんで、体の破壊を、美化するのかしら。

     

治らない種類の不妊症から、レスビアン経由で、

FtM(female to male 女→男)のGIDになるとか、

インポテンツから、MtFとか、

もう子供がいて、御用済みだから、

性腺や性器を、廃棄処分にするとかって、

自分の心を受け入れることなのかしら。

     

性別って、生殖のためにありますから、

生殖をしないのでしたら、性別は必要ありません。

性別って、二種類の生殖機能を言っていますけれど、

人間は、生殖機能の種類を、文化的に表示します。

服装や言葉遣いや、態度振る舞いや、持ち物や、表情や髪型などね。

 

男女を識別するための指標ですけれど、

生殖機能の種類を、意図的に表す印ですから、

当然、性別の表示って、世代交代を目指すための、生殖活動です。

 

生殖を拒否して、男女の性別の不要な人たちが、

生殖のための文化的指標を使うのは、詐欺のようなものです。

 

たぶん、生殖のための男女の文化は、

生殖をしない文化と、明確に違ったものであるのが、合理的です。

同じものを共有する必要性がありませんので、

詐欺のように紛らわしいものを、忌避するようになります。

 

たとえば、お風呂屋さんに行くと、

女性用のお風呂と、男性用のお風呂の間に、

LGBT(レズ・ゲイ・バイ・トランスジェンダー)用の、

お風呂ができるとかね。

 

有性生殖をする男女と、有性生殖を拒否するLGBTとが、

同じ有性生殖用の男女の文化を、

共用しなければいけない理由がありますか。

 

LGBT自身が、健常な男女から隔離されようとして、

社会運動を行なっているって、やがて、わかるようになります。

性別は、生殖のためにありますから、

生殖をしないのなら、性別は要りません。

こんなのは、自明の理です。

 

生殖しないのに、

男女の文化という生殖のための文化を使う必要はありません。

LGBTの人たちの運動は、あたりまえの文化にしろと、訴えています。

 

たぶん、その通りになると思います。

性交渉を楽しむだけなら、

生殖向きの性別の文化に、こだわる必要はありません。

正しい生殖のための男女の文化は、

顕微鏡の下で、精子と卵(らん)をくっつけるような、

奇麗な文化になります。

 

現代の原始的な男女の文化は、

LGBTのように、生殖を拒否する人の心に、

風化した遺物のように、伝えられると思います。