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ナンキンハゼ 530 生活習慣と認知障害 

2011.07.19 15:00

よく見掛ける街路樹ですけれど、花の時期は、とても奇麗。

 

 

統合失調症やGIDの、認知障害って、

いくら進行しても、ヒステリーと同じ種類の、精神の病気に見えます。

わざと、やっているようですけれど、御本人は自覚していませんから、

わざとでありません。

 

でも、わざとやったのと、

同じようなお膳立てや下工作があります。

 

万引きをする人は、ちゃんと周囲の様子をうかがい、

本の中身を抜き取り、ケースを棚に返します。

常習犯の手口の一部始終が、ビデオに録画されています。

 

無意識にできることでありませんが、

お店を出てから、声を掛けられ、

鞄(かばん)の中から、本が出て来て、ビデオを見せられても、

自分は絶対にやっていないと言い、

掛けられた嫌疑を、わざわざ遺書に書いて、

汚名を濯(すす)ぐために、自殺します。

 

わざとやったのを、自覚していましたら、嘘と言いますが、

たいていは、身に危険の及ぶことや、損になることを、しません。

うまく行けば、儲(もう)かるとか、スリルを味わうとか、

本人にとって、現金な動機から、万引きをします。

 

警察の人の言うには、やった時は、自覚していても、

やってしまった後で忘れる人が、もの凄く多いそうです。

自分はやっていないと、シラを切りますが、

本当に記憶のなくなる人も、います。

万引きの冤罪(えんざい)を晴らすために、

本当に自殺をしたのでは、採算がとれませんが…

 

ヒステリーの記憶障害では、

自殺や自傷を、ものともしませんから、捨て身です。

失われた記憶のために、それぐらいの代償を支払うと、

確かにヒステリーと言われます。

ミュンヒハウゼン症候群や、GID(性同一性障害)って、それです。

 

自覚して行なったくせに、事後に記憶を失いますが、

嘘でなければ、間違いかも知れません。

ヒステリーって、間違いのほうですけれど、

変更不能な心ですので、精神の病気とされています。

認知障害です。

 

わざとやったのに、変更不能になると言うよりも、

変更不能な心だから、わざとやったのかも知れません。

大切な記憶を、いとも簡単に失う条件反射を作るのと、

自分や他人の、命や体を粗末にする考え方や素質とは、似ています。

 

三島由紀夫って人の、自殺みたいなものですけれど、

連合赤軍のリンチ事件や、オウムのサリン事件なども、

似たようなものです。

法的には、責任能力が完全である、とされます。

そうでなければ、悪いことをした人は、みんな、

記憶がないような、振りをします。 

 

     ヒステリーって、

     振りでなく、本当に記憶がなくなっているのですが、

     統合失調症の認知障害も、よく似ています。

 

     ストレスが掛かると、

     因果関係の記憶を失ない、精神運動興奮をきたします。

     事実の前後関係が、飛んでしまい、

     他人や世間の、理不尽さや横着に、

     辛抱できなくなります。

 

     何がストレスになるかは、人によって異なりますが、

     不当な不利益が、自分のせいで起こったのでないかとか、

     自分の怠惰や過失がなければ、防げたのでないかとかと、

     自分で自分を責めようとすると、

     ストレスになり易いみたい。

 

     反省を拒む気持ちと、

     人から被害を受けていると確信する気持ちとは、

     似ているようです。

     ヒステリーの人って、他害と自傷が、

     ほとんど表裏一体の、裏腹(うらはら)になっています。

 

     戦争の原因は何かと、問うても、

     立場や考え方によって、

     原因と結果の、因果関係が変わるだけで、

     原理的には、意見にすぎません。

  

     戦争のような、社会的な出来事の責任だけでなく、

     事実の自然科学的な解明も、

     因果関係って、時間の前後しか、決定的でありません。

 

     近代的な力学や、現代の実証的な科学技術も、

     便宜的な理由や辻褄合わせの、

     こじつけのような気がします。

 

     法律や数学のように、

     整合性があるのは、定義されたものだけですから、

     馬鹿馬鹿しいぐらいに、当たり前です。

     経験的な事実を、数学や論理学のように定義しても、

     たぶん、経験事実と論理は違うと、わかるだけです。

 

     原因と結果なんか、所詮は理由にすぎませんけれど、

     世界や人生と、論理や定義は、一致しないと言えば、

     自然科学者は、納得しません。

     人生はともかく、自然や宇宙は、論理と一致するそうです。

     わたしには、孫や、近所のお年寄りや、患者さんや、

     人生や法律や、現金な人情のほうが、自然です。

 

     ヒステリーや統合失調症の人って、 

     肝心なところを、きちっと忘れますから、

     解体や支離滅裂と表現されるように、

     判断の理由や、物事の因果関係が、失われますけれど、

     肝心なところって、

     ようするに、ストレスの掛かるところです。

     実際に、自殺や自傷や他害も、

     自分の損失を、ものともしません。

 

ある統合失調症の患者さんは、

毎日10回ぐらい、御家族に電話を掛けています。

御家族のお金が盗まれるとか、御家族が殺されるとかと言い、

用心しろと、電話を掛けます。

 

億単位のお金が、銀行に振り込まれるはずなので、

引き出すようにと、家族に要請します。

振り込まれていなければ、誰かに盗られたと言います。

場合によっては、家族に盗られたと。

 

御家族が、何度も聞き直すと、患者さんは怒ります。

理由がわからないようでは、だめだと言います。

 

盗まれるや、殺されるや、お金を引き出せなどと、言われても、

健常な人は、理由のない話に、乗れません。

 

患者さんは、物事の真理が見えるそうで、

御家族のことを、馬鹿たれと罵って、ガチャンと電話を切ります。

これが、一日10回です。

 

病院の食事には、毒が入っていると言い、

給食を食べずに、売店の弁当を食べます。

衣服や日用品も、入院患者に盗まれるそうです。

半年以上も、保護室に入っています。

 

ところが、間食を食べるので、お小遣いがなくなりました。

御家族が、御本人の年金を入金してあげると、

いっぺんに、御家族に無理難題を吹きかけなくなり、

病院の食事を食べるようになりました。

 

御家族に、迷惑を掛けたと謝り、

大人の会話のように、電話ができるようになりました。

まるで、電撃のようなものです。

入院してから、お薬は変わっていません。

これって、認知障害なんですが…

 

電撃は、頭の皮膚の外側から、

体が痙攣するほど、脳味噌に電気を流すと、

ストレスを忘れて、一時的に気持ちが良くなります。

邪魔な電気が、神経細胞に流れて、

いつもの機能が阻害されるせいで、部分的に記憶を失ないます。

 

DBS(脳深部刺激療法)のように、

脳味噌に電極を刺し込んで、電気を流すのと比べて、

大雑把なものですけれど、効く原理は同じです。

 

電撃は、一時的な電流ですけれど、

電極を入れる治療では、

脳の局部に、微弱な電流を、断続的に細かく流します。

要するに、余計な電気によって、

脳の機能を、部分的に邪魔しますが、

お薬と比べて、場所を限定できることから、

気が利いていると、言う人もいます。

     

電撃って、一時的ですので、

ストレスが溜まって来ると、また、おかしくなります。

年金を、お小遣いとして振り込んでもらっても、

数日で、元の黙阿弥になります。

     

自分の年金を、家族が使い込んでいるのでないか、

誰かに盗られているのでないかと、心配していたのかも知れません。

小遣いの金額が減って行きますので、不安です。

年金を、しっかりと自分の手の中に、確保して置きたくても、

精神科の入院病棟では、ままなりません。

 

何が心配なのか、自分で纏(まと)められません。

言葉に表現できません。

条件反射って、無意識に行きますから、

そう簡単には、自分でどうなっているのか、わかりません。

脳の機能の大部分は、条件反射の塊(かたまり)のようなものです。

 

ケースワーカーや、医師や、看護師や、臨床心理士などを、

信用していません。

自分にもわからないものを、人に説明できません。

御家族にも、説明できません。

 

毎日毎日、すごいストレスが、積み重なって行きます。

進行するの。

蜥蜴(とかげ)の尻尾を切るように、

嫌(いや)なことや、苦しいことを、切り落として行きます。

そういう条件反射みたいなものです。

 

御家族が亡くなれば、身寄りがなくなりますから、

一生、入院病棟から、出られないかも知れません。

御家族や自分の財産を、人に盗られるようなものです。

 

心配の正体を自覚できずに、

理由もない不安だけが、得体の知れない化け物のように、

覆(おお)い被(かぶ)さって来ます。

 

統合失調症の患者さんは、抗不安剤が入っていますので、

パニック障害のように、突然、理由もない不安や恐怖に襲われて、

自制しようもなく、暴言や暴挙を実行してしまうことが、

よくあります。

 

抗不安剤って、お酒みたいに、我慢する気持ちが希薄になり、

投げ遣りに、自暴自棄に、衝動的に、やってしまいます。

ちょっとぐらいですと、気持ちが良くなり、眠たくなりますけれど、

お酒も、そうでしょう?

たくさん飲むと、どうなるかは、言うまでもありません。

健常な人でしたら、眠ってしまいますけれど、

統合失調症の患者さんは、眠らないように頑張るかも知れません。

 

抗精神病薬のせいで、しんどくなるのを、

併(あわ)せて抗不安剤を飲むことによって、誤魔化します。

  

妄想や精神運動興奮と言われて、

変なお医者さんに、抗精神病薬を増やされるかも知れませんけれど、

増やせば良いと言うものでありませんし、

減らせば良いと言うものでもありません。

薬物療法って、対症療法に過ぎませんから、厄介です。

 

GID(性同一性障害)のSRS(性転換手術)も、それですが…

 

統合失調症の具体的な症状と、お薬との関係は、

一杯ありますけれど、

なんとなく、わたしには、卑近なことのように思えます。

インターネットで紹介しても、仕方ないってね。

紙おむつに溜まったウンコの質感や匂いを、

具体的に報告するようなもので…

 

そりゃあ、いろいろなウンコが、ありますけれど、

お薬の商品名と、ウンコの具体例を掲げて、

一生懸命、ブログで検討しているお医者さんを見ると、

この人は、ウンコばかりで、

肝心の脳味噌が、足りないのでないかと、疑います。

そんなことを言うと、ぜったいに仕返しをされますから、

言いません。

 

     思春期に、認知障害が一気に進み、

     二桁と二桁の足し算や、物事の手順を立てられなくなり、

     顕著な実行機能障害の現れた人がいました。

 

     精神科を受診したことがなく、

     統合失調症と診断されたこともなく、

     御本人は、自分の病気に気づかずに、

     結婚して、子供を産み、無事に長寿を全うしました。

     お子さんの一人は、健常で、一人は統合失調症です。

     そのほかにも、たくさんいますけれど、観察していません。

     GIDの人も、いたようです。

 

     統合失調症の残遺症ですけれど、

     これを診断できる精神科のお医者さんは、

     少ないかも知れません。

     最近は、お薬の入らないうちに、

     認知障害が行くところまで行ってしまった人を、

     あまり、観察できなくなりました。

 

     抗精神病薬が1950年代中頃に普及しましたので、

     それ以前に発症して、自然に症状の固定した人は、

     まだ存命かも知れません。

 

     抗精神病薬ができてから、

     真綿(まわた)で絞め殺されるように、

     症状がじわじわと進行するようになりました。

     精神運動興奮を、お薬で鎮静しますので、

     統合失調症の患者さんの中でも、

     お薬の効く症状が、

     病気の原因でない患者さんにとっては、

     かえって、生き地獄かも知れません。

 

     統合失調症のほとんどの患者さんは、

     ドーパミン神経の機能亢進が、

     統合失調症の原因でありません。

     ドーパミン神経の機能は、正常の人が、

     ほとんどですので、

     抗精神病薬を使った薬物療法は、対症療法にすぎません。

 

     ドーパミン神経の機能が正常なのに、

     ドーパミン神経の機能亢進が起こり、

     自力で鎮静できなくなるのは、

     ようするに、何かがドーパミン神経に対して、

     興奮しろと、命令しているからです。

     ドーパミン神経は、正常だったので、

     命令の通りに、従順に作動しただけです。

 

     それなのに、抗精神病薬によって、

     強制的に鎮静させられますので、

     麻薬漬けやアルコール漬けにされるのと、同じです。

     もう、習慣化されてしまうと、

     ドーパミン神経の調節機能が壊れてしまい、

     おそらく、元に戻りません。

 

     それでも、興奮して、

     自力で鎮静できなくなったのですから、

     お薬を使って、無理矢理に鎮静させなければ、

     仕方ありませんでした。

     昔は、ロボトミーのように、脳味噌を切りましたから、

     それに比べると、ましだろう、と言うことです。

 

     ひと思いに切らずに、薬物療法によって、

     底なし沼のように、ダメにして行くのが、

     ましなのか、どうかは、わかったものでありません。

     お薬のほうが、ロボトミーよりは、ましでも、

     お薬を使わずに、座敷牢に入れて、

     勝手に苦しませて、行くところまで行かせたほうが、

     認知障害が、軽く済むかもしれません。

 

     お薬屋さんが、真顔(まがお)で、

     抗精神病薬の真っ当な機序を説明しているのは、

     相当な悪徳に見えます。

     放置して、苦しませて置くだけの勇気が、

     誰にもありませんから、

     お薬を使うほか、仕方ありませんけれど、

     GID(性同一性障害)の性転換も、似たような仕組みかも。

     

昔は苦しんだ挙(あ)げ句に、

短期間のうちに、一気に認知障害が進みました。

うまく、あほになってしまえば、その後は認知障害が進行せずに、

わりと軽症の残遺症を、

慢性的に持ち続けるだけで、済んだかも知れません。

 

うちの母の、子供の頃の大正時代には、

精神病の人って、座敷牢に入れられているのが、普通でした。

民家に監禁されていたので、

子供たちは、みんなで見に行ったそうですけれど、

お薬がなかったのに、

ほとんどの患者さんは、大人しくしていました。

 

痴呆になれば、牢から出してもらえます。

病気が進行してしまうまでの、待ち時間を、

拘禁して置くようなものです。

患者さんは、勝手に苦しんで、痴呆になります。

御家族に閉じ込められているのは、

もしかしたら、安心かも知れません。

 

認知障害って、そういう理屈です。

苦しまなくて済むところまで、

自分で認知機能を犠牲にします。

脳の器質に、原因となる病変の発見されない種類の、

認知障害ですけれど、

苦しくなくなるほど、痴呆になれば、完了ですから、

性転換に似ているでしょう?

   

蜥蜴(とかげ)の尻尾を切るのが、精神運動興奮の役割です。

興奮して、わざと、苦しい神経を切ります。

実際は、封印するだけですけれど、

わざとあほになって、苦しみという被害を、自分で防ぎます。

認知障害って、蜥蜴の尻尾切りの後遺症です。

 

蜥蜴(とかげ)でしたら、また生えてきますけれど、

なかなか、一人前の尻尾にならないでしょう?

蜥蜴の寿命から考えると、どうなのかしら。

一生、尻尾が上手く生えないうちに、死ぬのでないのかしら。

人間の場合も、封印するだけと思いますが、

一生、復活しないみたい。

復活すると、また苦しみます。

 

わざと興奮するのも、たぶん、自分で作った条件反射ですから、

自分で苦しんで、

苦しみの元凶の、あたり一帯の神経の機能を、自分で封印して、

自分であほになって、もう苦しくなくなれば、

めでたしめでたしって感じかしら。

 

統合失調症って、抗精神病薬を飲むから、

陰性症状が起こるのでないかと、疑われています。

だって、妄想や幻聴などの興奮のない時に、

統合失調症と診断するのは、かなり困難です。

 

現実には、精神運動興奮が目立つようになってから、

統合失調症と診断されて、抗精神病薬を飲むと、

陰性症状が、目立つようになります。

 

あとから考えると、

興奮して積極的に妄想をぶちまけるために、出歩くようになる前の、

ひきこもった状態が、すでに、異常であったと、わかりますけれど、

その状態で、診断しようにも、

周囲の人が、精神科に誘いませんし、御本人も受診しません。

 

統合失調症の前駆症状として陰性症状や、

アスペルガーなどに、エビリファイというお薬を使う人もいます。

インターネットで、診断名に対して、これこれのお薬が効くなんて、

言えるのかしら。

そんな根拠を、ネットで伝えられないと思います。

 

診察室と、入院病棟の中でしか、

患者さんの症状を、診たことのないお医者さんだったりしてね。

患者さんって、自分のどこが、どういうふうに病気なのか、

わかっていませんから、

苦しいと思うところを訴えます。

 

お医者さんって、走り幅跳びの選手のように、

砂場と踏み切り線がなかったら、足がすくんで跳べなかったり。

  

お薬によって、統合失調症の前駆症状や、アスペルガーを、

治そうとすれば、

たぶん、精神の病気を、製造することになります。

患者さんは、自分の苦しさを取り除くように、生活したところ、

みんなに、精神の病気と言われる羽目になったのですから。

 

心の中のことを、人に伝達する表現が、変なんです。

コミュニケーションの仕方が、独自なので、

精神の病気と言われている人が、たくさんいます。

人と同じ言葉を使っても、

人とは意味が違うと思っている患者さんが、たくさんいます。

 

患者さんの言葉を頼りに、お薬を出すって、

一発勝負でないのだから、出した後のことも、大切です。

インターネットで、一般の読者に、

お薬の商品名と診断名を出して、伝えられるもので、ありません。

わたしなら、御家族から、日ごろの生活ぶりを聞き取ります。

 

だって、一旦、統合失調症と診断されると、

抗精神病薬を、一生、飲み続けますから、

誤診は、人を、いわゆる廃人にしかねません。

 

精神科を受診して、主治医に尋ねてみなさいって、

患者さんに勧める意味では、良いかも知れませんけれど、

あまり、お薬や手術に頼らないほうが、いいと思います。

 

希望を持って、みんなと一緒に、気持ちよく暮らしてもらうのが、

良いのですけれど、

できるだけ、体を壊さないように、わたしはお薦めします。

お薬や手術は、補助的な手段と思って下さい。

 

統合失調症の患者さんの中に、

お薬を飲まずに、息巻いている人が、たくさんいます。

薬漬けを批判している人って、わりと、うまく行っています。

統合失調症と、すぐにわかりますけれど、

一般の人に、気づかれずに、やっている人が少なくありません。

 

精神科医を敵に回している人の症状が、結構、軽いって、

興味津々です。

元気があって、いいと思うの。

そういう人たちって、一生、抗精神病薬を飲み続けることに、

反対しています。

 

わたしも、抗精神病薬をたっぷり使うっていう考え方が、疑問です。

たっぷり使っても、進行が止まらないどころか、

かえって、進行しやすいみたいなの。

できるだけ、調子のいい時を狙って、

減らしてみることを、怠りません。

 

     上の例の、統合失調症と診断されたことのない人は、

     軽症ですし、

     成人してから、認知障害が進行しませんでしたので、

     もしも、悪いことをしていましたら、

     人格障害と精神鑑定されて、

     死刑になっていた可能性がありました。

 

     発症する前の日記が残っていて、

     たいへんな早熟の読書家です。

     日記の内容から、知能が優秀であったと、わかります。

     小学校の工作の作品が残っていて、

     手先も器用であったと、わかります。

 

     兄姉姉妹や配偶者の聞き取りから、思春期に発症して、

     結婚する頃には、症状が固定していました。

 

     当時は、親の命令によって結婚する時代でしたから、

     配偶者を選ぶ権利は、当人にありません。

     結婚生活が上手(うま)く行かなければ、

     全面的に当人の責任とされましたが、

     親の見立てが不味(まず)かったと、

     世間の人は思うかも知れません。

 

     戸締まりは厳重で、一人では寝られませんし、

     友達はなく、家族と一緒でなければ、外泊もできません。

     いつも、他人に家を覗かれて、

     家庭を狙われていると思っていました。

     自分の思いを、他人に知られている気持ちがしますので、

     自分の知っていることを、他人が知らないと、

     その人を、馬鹿と侮(あなど)ります。

 

     当然、個人的な経験と、

     みんなに共通の経験との、違いがわかりませんし、

     自分の心の中だけの出来事と、

     みんなで共有することの可能な事実との違いも、

     わかりません。

     この事実って、客観的事実と言われるもので、

     人とのコミュニケーションがなければ、

     習得されない文化の形式です。

 

     物事が上手く行かないと、すぐに怒り出して、

     解決の手順を、考えられません。

     融通が効かず、発症後は知能も低かったのですが、

     美形でしたので、黙っていても、

     知能の低い人たちの、憧れの的(まと)でした。

 

     もしかしたら、美形であることが、

     思春期の発症の、きっかけだったのかも知れません。

     美男美女でしたら、何もしなくても、人に褒められます。

 

     子供の頃は、上手(うま)くやっていたのに、

     大人の社会生活を要求される思春期や青年期に、

     嫌(いや)なことや、苦しいことを、

     合理的に処理できなくなりました。

 

     興奮して、不可逆的に認知障害をきたす人もいれば、

     興奮せずに、認知障害になる人もいます。

     抗精神病薬が普及してから、

     興奮が不完全になりましたので、

     認知障害も不完全になり、

     症状が固定せずに、じわじわと進行する人や、

     何度も進行と停止を、繰り返す人が、

     多くなったのかも知れません。

 

     戦前から、興奮しない人は、行くところまで行かずに、

     じわじわと、認知障害が進行し続けましたけれど、

     興奮しないで、あほになって幸せに暮らす人もいます。

 

     お医者さんになる人の中にも、

     その一種と思われる人が、いらっしゃいますが、

     お医者さんは賢いのに決まっていますから、

     言ってはいけません。

 

     精神運動興奮って、使いすぎによる機能の疲弊から、

     血糖値の調節機能が、

     不可逆的に低下するようなものですけれど、

     疲弊しやすい素質と、

     暴飲暴食に運動不足のような、不摂生な生活習慣とが、

     重なるようにして、糖尿病を発病するみたいに、

     不摂生な生活習慣に相当するものが、

     統合失調症の人の、

     わざと興奮する条件反射のようなものかも知れません。

     認知障害なんです。

 

     これが進行するって、

     早い話が、社会から隔離されれば、

     行くところまで行きます。

     みんなと一緒の社会に暮らして、

     ストレスが少なければ、あまり進行しません。

 

     統合失調症でも、GID(性同一性障害)でも、

     みんなと違うのを、良いことと確信して、

     どこまでも、みんなと一緒になることを拒否する人は、

     行くところまで行きやすいようです。

 

     生まれつきに、みんなと違っていて、

     変更できない人が、世の中には、たくさんいます。

 

     わたしは、昔の性分化疾患の人の、

     SRS(性別再判定手術)に関わったことから、

     GIDのSRS(性転換手術)を知りましたが、

     生まれつきに、何がみんなと違い、

     何が変更不能なのかを、

     GIDは、一人一人について、

     それぞれに特定しなければいけないので、

     容易でありません。

      

     できるだけ、事実に違(たが)わずに、

     融通が利くように、余裕を持って判断してもらいますが、

     判断の具体的な中身にかかわらず、

     いったん、判断してしまえば、

     必ず融通の利かなくなる人もいて、認知障害と言います。

 

     刺青を入れると、消せないのに、

     自分から全身に刺青を入れるように、

     わざと、判断を変更できなくして、

     何事につけても、他人との社会生活を、

     コンクリートで固めようとします。

     これって、精神の病気であればあるほど、

     立派であると、確信しているのと、同じです。

 

     非行少年少女の中には、

     妊娠したり、人を殺したりするほうが、

     立派と思っている子がいます。

     神戸の酒鬼薔薇って子みたいなものかしら。

 

     悪いことをするのを、立派と思っているのは、

     厳しく躾(しつ)けなければいけませんが、

     融通が効かなくなるのを、立派と思っているのは、

     精神の病気が、

     行くところまで、行かざるを得ない羽目になります。

 

     わが道を行くと言って、頑張る人には、

     幼児期から、すでに、

     ひとりぼっちになる寂しさに、耐えられなかった人が、

     少なくありません。

 

     見捨てられ不安って言う人もいますけれど、

     そういう自分なので、

     みんなと一緒でなく、自分一人になっても、

     寂しくないように、頑張らないといけないと、

     自分を奮い立たせるのは、、

     当たり前と言えば、当たり前でしょう?

 

     みんなからはぐれて、

     自分一人だけ、置き去りにされる不安と、

     わが道を行くと言って、とことん頑固になる生き方って、

     矛盾しているみたいに見えるので、

     昔の統合失調症の研究者の、ブロイラーって人みたいに、

     両価性と言って、

     統合失調症の特徴の一つとする人もいます。

 

     わたしには、置いてけぼりにされて、

     ひとりぼっちになりはしないか、という不安も、

     その反対に、

     たとえ、一人ぼっちになっても、淋しくなんかないと、

     強がりを言って、

     どこまでも、頑張ろうとする気持ちも、

     普通のような気がします。

 

     発達障害の症状に、人の目を見て話さないので、

     アイコンタクトを取れない、なんて書いてあったりね。

     お医者さんなんか、カルテに書いてばっかりで、

     あんまり、患者さんを、じろじろと見ません。

     ちらっ、ちらっと、一瞬、盗み見るだけ。

 

     人の目なんか、じっと見ていたら、

     睨(にら)めっこになって、変でしょう?

     深淵を見ていると、深淵もまた、こちらを見ているって、

     ニーチェだったか、誰だったかが、

     言っていましたけれど、

     人の目を見るって、

     暗示に掛かりやすい女の子が、大好きです。

     

     発達障害の診断基準に、

     アイコンタクトが取れない、なんて書いてあったりすると、

     深淵って、目玉のことなのかしら、

     ニーチェの言葉ですから、お尻かも知れない、

     と思ったりします。

 

     関西では、お井戸って、言うでしょう?

     臨床心理士の人の言う発達障害って、

     カイロプラクティックやエステティックみたい。

     きっと精神科医や形成外科医も得意です。

     

     進行しますと、

     統合失調症と診断しても、構いませんが、

     抗精神病薬が効きませんから、告知しないと思います。

     わが道を行く人。

 

     GIDの中にも、発症後10年ぐらい経過すると、

     そろそろ、進行するのが見えてくる人もいます。

     10年間ぐらいは、

     親や、マスコミや、お医者さんと一緒に、

     みんな、遊び呆(ほう)けて、

     どんちゃん騒ぎで、手術まで行きますから、

     なかなか、わかりません。

 

     宴(うたげ)のあとに、夜が白(しら)むように、

     だんだんと、わかって来ます。