Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ギンドロ 538 下肥(しもごえ)

2011.07.27 15:00

銀泥(ぎんどろ)って、ウラジロハコヤナギとも言うそうです。

泥って、ドロヤナギやドロノキの泥と思っていましたが…

 

地中海沿岸のヨーロッパから、西アジアにかけての原産です。

日本には、街路樹として輸入されています。

 

 

 

1965年ぐらいに、東京や名古屋や大阪の、都会の周辺部でも、

田んぼや畑に、人糞を使っていた農家が、

3割ぐらいはあったと、記憶しています。

 

終戦直後の河口付近でしたら、10割に近かったはずですが、

耕作地が多く、人口の少ない田舎や、

運搬のための、水路のない丘陵地では、

化学肥料が、早くから普及したと思います。

 

東京や名古屋や大阪などの、

河口の湿地帯を灌漑して、水田を作った農村では、

都会の豊富な原料を、川船に乗せて、

大量に仕入れることができました。

戦前は、お金を払って、糞尿を買っていましたので、

水で薄めて販売する悪徳業者もいたそうです。

 

発酵させた後、水で薄めて、液肥にするのですが、

最初から水増しでは、いけません。

 

1955年ぐらいに無料になり、

1965年ぐらいですと、

バキュームカーが普及して、陸上輸送が可能になりましたので、

業者が、生肥(なまごえ)を配達してくれました。

 

高度成長時代の終わり頃まで、

田畑の肥溜めを、ごく普通に見掛けました。

オフィス街にしか、下水道がありませんでしたので、

水洗便所は、まだ、郊外の一般民家に普及していませんでした。

 

それでも、無理矢理に水洗便所にして、

体裁(ていさい)良く売り出される建売住宅があり、

下水道も浄化槽もなく、農業用水路に、糞尿を垂れ流していました。

うんこ、ぷかぷか。

 

それどころか、一般民家の汲み取り式便所から、

糞尿を吸い上げたバキュームカーが、

農業用水路に、どばどばどばと、放出していました。

 

用水路ですから、水門がたくさんあり、締め切ることができます。

一定区間を締め切れば、汲み取り業者が、糞尿を沈殿させるための、

汚水処理場の代わりとして、使えます。

当時は、部落解放運動の真っ最中でしたから、

だれも文句を言えませんでした。

 

発酵した泡が、厚さ10センチぐらいの、茶色いスポンジみたいに、

汚水の表面を被います。

子供たちは、石を投げて、遊びました。

泡の層に、トンネルみたいに、穴の開(あ)く感じが、

なんとなく、気持ち良かったみたい。

泡のままで固まって、スポンジみたいになっているの。

 

東京の神田川も、バキュームカーが、糞尿を放出していました。

街の中ですら、郊外の田園地帯とは、わけが違います。

順天堂大学の前あたりで、よく見掛けました。

 

わたしは、若い頃に、

中央線の水道橋やお茶の水の駅を、よく使っていました。

水道橋って、後楽園球場のある駅ですから、

みんなが集まる所なのに、すごいでしょう?

それが、日本人の常識感覚でした。

今の東京ドームのことね。

 

神田川と言っても、運河みたいなものですから、

水門を閉じて、仕切ってしまえば、肥溜めになります。

人々は、昔と違い、電化されて便利になった生活を、

謳歌していました。

 

進駐軍の時代に、馬車と、肥たごと、柄杓(ひしゃく)を使い、

人力で汲み取っていた労力を思うと、

夢のように美しい光景でした。

馥郁(ふくいく)とした香りなの。

 

郊外の農家は、田畑の中ですから、下水道の普及が遅れます。

1965年ぐらいは、大都市近郊でも、

まだ、田んぼや農業用水路に、メダカや蛙(かえる)が一杯の、

見渡す限り、長閑で美しい時代でした。

ベートーベンの、交響曲第6番って感じ。

 

下肥の撒(ま)かれた土を見れば、よく肥えて、

新聞紙やちらし広告の切れ端が、混じっているの。

 

古新聞を捨ててしまう無駄を思えば、

お便所に使うのは、合理的です。

そこで、ちり紙交換というのが、流行(はや)りました。

古新聞と、お便所や鼻紙に使うための、ちり紙とを、

交換してくれます。

 

確かに合理的ですけれど、

関西の人は、古新聞とお金の交換のほうを、望みました。

ちり紙交換は、東京の文化圏だけしか、普及しなかったようです。

 

東京が一番早くから、お便所に古新聞を使わなくなりましたけれど、

1965年頃は、まだ郊外の子供たちって、

休耕地の畑で遊びましたから、

検便(けんべん)をすると、

蟯虫(ぎょうちゅう)や、回虫や、サナダ虫などの、

寄生虫の卵が、たくさん発見されました。

 

汲み取り式のお便所に、下肥(しもごえ)を使った畑ですから、

都会の住宅地も、郊外の長閑な風景も、

四六時中、漂って来る糞尿の匂いが、人情と自然の香水でした。

 

日本人は、江戸時代から、下肥を使いましたから、

よく発酵した匂いは、素晴らしい幸せを、約束していました。

下肥のお陰で、日本は豊かになり、徳川政権が安定して、

蟯虫や回虫の、美しい平和が続いたの。

 

乾燥した風土のヨーロッパでは、

人間の糞尿なんか、肥やしに使えませんので、

パリの人は、薔薇(ばら)の花びらから採取した香水を、

体に振り掛けて、

街の至る所で、犬や猫みたいに、うんこをしました。

 

ベルサイユ宮殿のお庭も、人間のうんこで一杯でしたので、

ヨーロッパの芸術は、

ロココ調のうんこと、薔薇の香水に満ちています。

今では、人間のかわりに、犬のうんこで代用していますけれど。

 

日本の自然の香水と、どちらが良いかは、

人それぞれの趣味かも知れませんが、

まだ、うんこの豊かな文化が残っていた時代に、

日本のGID(性同一性障害)の人たちは、

SRS(性転換手術)を受けました。

 

わたしは、写楽の役者絵を思い出します。

これが、花盛りの時代であったろうと…

 

いわゆるブルーボーイ事件は、1960年代後半だったと思います。

ロートレックのような人がいましたが、自殺しました。

 

これよりも古い時代って、高度経済成長の前の時代ですから、

お洗濯は、盥(たらい)と洗濯板と、

四角い水色の、洗濯石鹸の時代でした。

お台所には、都会でしたら、持ち運びのできる竈(かまど)があり、

薪(まき)や炭を使って、調理をしていました。

 

電化製品は、真空管のラジオと、定額の白熱電灯だけね。

定額って、一口幾らの電灯線です。

 

松下幸之助って人が、定額電灯のソケットとして、

二股ソケットというの、大正時代に売り出しました。

これが、すごい人気で、お金持ちになりました。

 

だって、二股ソケットですと、一口の定額電灯線から、

幾つでも、コンセントをタコ足にして、電器製品を使えるでしょう?

大正時代の昔は、これと言った電器製品なんか、なかったので、

あまり、役に立ちませんでしたけれど、

40年後の、高度経済成長期の初期の、家庭電化製品の時代になると、

狡(ずる)をするために、二股ソケットは必需品になりました。

 

松下さんは、蛇口をひねれば、ふんだんに、お水が出てくるように、

電気を、自由に使える世の中を、夢見ていたそうです。

 

わたしは、昔の香港の九龍城を思い出します。

インドでは、今でも、

電気は、電線から自由に引いて来るのが当たり前ですけれど、

お金なんか、要りません。

違法ですから、請求書も届かないの。

 

バキュームカーって、ちんちんや蛇を、思い出すかも知れませんし、

コンセントと照明器具って、

夜になれば、子作りに励む幸せな家庭を、思い出すかも知れません。

 

人間って、食べて排泄をして、眠って生殖をして、

育児をして、介護をして、病気になって、死んで行くだけなのに、

心の幸せのために、体や命を犠牲にするって、麻薬でないのかしら。

精神の病気に似ています。

 

高度経済成長期の前の時代って、

日本のSRS(性転換手術)は、行なわれなかったはずです。

戦争になる懼(おそ)れがあったので、

オカマの人たちは、去勢手術さえ、躊躇していました。

 

高度経済成長って、現在の中国のような感じです。

高速鉄道がぶつかって、壊れた車両を、土に埋めるのは、

神田川に、バキュームカーが、糞尿を放出するのに、似ています。

野糞と、立ちしょんべんかしら。

 

日本の下肥文化は、昔の中国の真似(まね)をしたそうですけれど、

うんこで作ったお米を食べるのは、健康的です。

これを拒否するようでは、心が危(あや)うい。

 

戦争になるかも知れない危険が去ってから、

日本のSRSは、1960年代後半に、

初めて行なわれるようになりました。

いわゆる半陰陽の人に対する性転換は、

江戸時代から行なわれていましたが、

戦前は抗生物質がなかったので、

複雑な手術は、江戸時代と同じように、命懸けでした。

 

GID(性同一性障害)のSRS(性転換手術)が行われた1960年代は、

まだ、郊外では、茶壺に追われて、とっぴんしゃん、の時代でした。

関西では、どつぼに嵌まって、どっぴんしゃん、と言います。

どつぼって、野壺のこと。

田畑の肥溜めです。

 

長淵剛(ながふちつよし)って人が、

どつぼにはまったまんま、チューチューって、

歌っているそうですから、

鹿児島でも、ずいずいずっころばしを、

どつぼにはまってと、歌うのかも知れません。

 

ずいずいずっころばしって、童謡と言われていますけれど、

遊郭でよく歌われていました。

GIDには、遊郭の名残(なごり)の町で生まれ育った人が、

たくさんいて、

いわゆる料亭の中の遊び事を、気さくに教えてくれました。

 

当時の、農家の出身の、GIDの人に、

肥たごを担ぐお百姓のお仕事を尋ねても、教えてくれませんでした。

肥たごを担ぐのが嫌(いや)で、家庭生活も嫌、

性交渉が好きで、遊びたいから、農家を出奔して、

都会の遊郭の名残の町に、住み着いているように見えましたが、

御本人は、性別うんぬんと言っていました。

 

うんこを嫌(きら)うって、早い話が、

便所掃除と、育児と、介護を、嫌うってことなの。 

お医者さんに多いタイプです。

お百姓さんでは、それに加えて、労働を嫌うってことかもね。

 

1970年頃のTS(トランスセクシャリズム)っていうGIDの一種の人が、

秋も深く、金木犀(きんもくせい)の香る日に、

街じゅう、うんこの臭(にお)いがする、

襁褓(おしめ)を洗う臭いがする、と言い出したので、

統合失調症の急性症状を発見されたことがありました。

 

育児と介護の日々の、極貧のMtF(male to female 男→女)でした。

半陰陽でも、GIDでも、性転換を実行しようとする人には、

精神の病気になりやすい事情が、幾つも重なっていました。

  

精神医学の建て前では、個人的な事情によるものは、

GID(性同一性障害)という精神の病気から除外されていますが、

個人的な事情と、そうでないものを識別するって、

人間と神様の所業を識別するのと同じくらい、形而上学的です。 

 

建て前の言葉を振り回す精神科医を、養成しないように、

教授先生に言っているのですけれど、無理みたい。