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三崎漁港 566 エステティック

2011.09.01 15:00

三浦市の三崎漁港です。

 

 

このブログでは、精神の病気って、

器質的な原因や仕組みの、わかっていないものを、

おもに取りあげます。

 

脳の器質的な異常があっても、

精神の病気の原因でなく、結果かも知れません。

直接に関係のない異常のこともあります。

 

体の器質に、原因らしきものがあっても、

そのせいで、どうして精神の病気になるのかが、

わからないこともあります。

ステロイド精神病を発症する性分化疾患の人もいます。

統合失調症にそっくりの症状になります。

 

統合失調症の人には、脳の萎縮する傾向がありますが、

結果かも知れません。

乳幼児の頃に、すでに萎縮の傾向があったとしても、

発達障害の多くは、産まれた時に、すでに異常が現れています。

 

痴呆の予防策として、脳味噌を使いなさいと言う人もいますけれど、

使えば予防になるとは、限りません。

 

痴呆になる人の多くは、頭を使えなくなりますので、

大鬱病の人に、もっと活発になりなさいと、

励まして、お尻を叩いて、手を引っ張り、

みんなの中へ連れ出そうとすると、自殺しかねないように、

痴呆になる人に、頭を使いなさいと薦めると、危険かも知れません。

 

精神の病気の多くの人に、

絶対にこれこれでなければいけない、という症状が出ます。

変更できなくなり、融通が効きません。

 

そのことを、美学やエステティックと、言うことがあります。

合理的根拠もなく、

自分の好き嫌いにより、自分や人を差別虐待して、

正義や真理と確信します。

 

     見てくれだけでしたら、簡単ですけれど、

     主義や主張にまで、美学である、と使う人がいるので、

     説明が厄介です。

 

     カントは、これを単なる好き嫌いの価値であるとして、

     批判哲学ですから、美そのものはない、としましたが、

     不十分でした。

     美学やエステティックは、精神の病気の主症状であると、

     しなければいけません。

 

     これこれでなければいけないと、変更できなくなるのは、

     そこまでしか発達しなかったとか、

     そのように発達してしまったとかでなければ、

     ようするに、精神の老化です。

 

     三島由紀夫という昔の小説家は、

     美学や美という言葉を、盛んに使い、

     信仰するかのようでしたが、

     子供の頃から現実離れしていたと、自覚していたのに、

     たいへん好き嫌いがひどく、

     嫌(きら)いなことを我慢すると、蕁麻疹が出しました。

 

     現実離れと蕁麻疹の間を、

     美学が結んでいると、指摘すると、

     そっぽを向いて、口を聞いてくれなくなりましたので、

     腫れ物に触らないように、そっとしていましたところ、

     切腹しました。

 

     GID(性同一性障害)と、大変よく似ていますが、

     脳の器質に原因となる病変の発見されない種類の、

     精神の病気に、だいたい共通の、

     病気の筋道(すじみち)です。

 

     切腹する人もいれば、性転換する人もいますし、

     妄想の出る人もいれば、美容手術を受ける人もいます。

     免疫異常の出る人や、断食や絶食をする人もいますし、

     人間のお肉を食べる人や、即身成仏をする人もいます。

 

     ぜんぶ、これこれでなければいけないと思い込み、

     変更不能になりますので、適応力が低下して、

     社会生活が苦しくなります。

 

     変更不能なものを核にして、核分裂が連鎖するように、

     次々に変更不能なものが増殖しますので、

     自傷自殺や他害や、

     自閉や、自分から痴呆にならざるを得なくなります。

 

     生物って、個体の生存と、生殖を、

     無条件の目的とするように、作られているみたいなの。

     そうでなければ、絶えてしまっていますから、

     結果論ですけれど、当然です。

 

     個体の生存と生殖って、連続しています。

     赤ちゃんって、自分の体の一部でしたのに、

     分娩すると、二つに分かれますから、

     明らかに、子供は自分の命の続きです。

 

     植物では、世代交代って、

     胞子を作る仕組みと、配偶子を作る仕組みが、

     交替することを言いますけれど、

     挿し木で殖(ふ)えるように、

     同じ個体なのか、違う個体なのかって、

     考えても詮(せん)の無いことです。

 

     動物でも、刺胞(しほう)動物のように、

     ポリプという個体で生きる無性生殖の世代と、

     クラゲになって有性生殖で生きる世代とが、交代します。

     ヒドロゾアのように、ポリプのまま群体を作り、

     無性生殖をする動物もいます。

 

     無性生殖世代と有性生殖世代っていう生き方が、

     個体を超えて変化しますけれど、

     個体の発生は、進化の過程をなぞらえると、

     昔から言われています。

     胎児の出来事は、進化の道筋の繰り返しなの。

 

     個体が、生き方の単位になっていないとは、

     必ずしも言えませんけれど、

     生物のライフサイクルが、個体の生活と一致しないのは、

     火を見るよりも明らかです。

     人間も妊娠すれば、簡単に自覚できます。

     

     昨日の自分と、今日の自分とは、違う自分だから、

     昨日の自分の責任を、

     どうして、今日の自分が取らなければいけないのかと、

     疑問に思う人は、

     もしかしたら、精神の病気かも知れません。

 

     自己同一性って、赤ちゃんの時に、努力をしなくても、

     自然に形成されるのが、健常です。

     ヒステリーと言われる病気には、

     自己同一性の変(へん)になる人が、一杯います。

     今は、ヒステリーという疾患名が、

     メジャーの分類体系から、なくなりましたので、

     解離性障害と言われることが、少なくありません。

 

     時間を超えた同一性だけでなく、

     空間を超えた同一性というのもあります。

     個体という空間を越えているの。

 

     この能力が低下すると、

     人とのコミュニケーションが少なくなり、自閉したり、

     孤立して、変人と言われたり、

     異性との性交渉を拒否したりすることが、よくあります。

     特定の価値が変更不能になり、

     いわゆる我が儘(まま)になります。

 

     他の個体の自分と、この個体の自分とは、違う自分だから、

     他の個体の自分の責任を、

     どうして、この個体の自分が取らなければいけないのかと、

     疑問に思うようになります。

     空間的な距離を越えた同一性が、希薄になり、

     集団行動ができなくなるの。

 

フランス革命は、それを正当化しました。

人間は社会的動物と言われるくらいに、

一つの個体で生きて行く能力が、他の動物よりも低いでしょう?

 

生まれつきに備わっている自動行動だけでは、

すぐにライオンに食べられてしまいます。

文化の産物を継承しなければ、人間の個体の考え出す知恵は、

ミミズの知恵と、さほど変わりません。

     

プラトンも言っていたように、

人は、すでに知っていることしか、考え出せないもん。

体や脳味噌という機械の間違いしか、新しいことを発明できません。

機械が複雑でしたら、間違いも多いので、賢いって言われます。

     

知恵があってこそ、他の動物に食べられずに、生きて行けますから、

どうしても、社会的でなければ、人間は生きられません。

ミミズみたいに、たくさん産めないものね。

 

それにもかかわらず、フランス革命は、

個体の単位で生きて行くことを、理想としました。

個人の責任で契約して、みんなの社会を作るそうです。

神話の用語が、近代社会を保証しています。

 

子供騙(だま)しの幼稚な筋書きですけれど、

政治は、今も昔も、子供だましのスローガンでないと、勝てません。

だれが責任をとるのかと、王様に反論されましたので、

個人は責任を取ることができる、とされました。

     

フランス革命の謳い文句って、

民主党のマニフェストみたいなもので、

連合赤軍の綱領や、三島由紀夫さんの檄文(げきぶん)と、

どんぐりの背比べです。

 

美学と言い、マニフェストと言い、性転換と言い、

精神の病気の症状ですけれど、

軽症でしたら、個性の範囲内とするのが、正解です。

そうでなければ、みんなが精神病院に入院しますから、混雑します。

     

個体を超えた同一性の能力って、知能検査では測れませんけれど、

コミュニケーションの能力です。

ヤスパースという人は、境界性と言いましたが、

免疫機能と似ています。

異物を識別する機能ね。

 

プラトンが、肉体は魂の牢獄である、と言ったのも、同じ意味です。

 

時間や空間を超えて、同一性を制御する機能を、

自我って言いますけれど、

変更不能になってしまったのでは、制御できません。

 

融通が効かなくなった個体は、周囲から間引かれますので、

個体って、間引かれて処分される時に、有効な単位です。

蜥蜴(とかげ)の尻尾みたいなもん。

 

フランス革命は、蜥蜴の尻尾とギロチンを、発明しました。

殺し合いの多民族社会の原理かしら。

簡単に言うと、個人って、処刑の単位なの。

アポトーシス(細胞の自死)みたいなもん。

そのことを、責任って言います。

性転換は自己責任って、言うでしょう? 

 

三島さんは、責任をとると言って、切腹したそうですけれど、

わたしには、GID(性同一性障害)の人たちも、

責任をとるために、性転換をするような気がしてなりません。

 

自分の体を鞭打つ宗教儀式や、刺青(いれずみ)や、

自分の体に焼きごて当てるブランディングなどと、

HRT(ホルモン療法)やSRS(性転換手術)を受ける気持ちとが、

同じであることに、

受診する前から気づいていたと、治癒したGIDの人たちは言います。

 

カミングアウトをするのも、

周囲の人から爪弾きにされている自分を、清算するために、

わざと世間から浮き上がって、開き直りたかったと言います。

     

性転換を実行する人や、美容手術を受ける人って、

350万円の耐震工事を契約する独居の痴呆老人と同じように、

責任能力が足りないと、わたしは思っていますけれど、

足りなくても、顎(あご)でこき使われて、

従順に働いてもらわないと、

雲の上のお医者さんや、弁護士さんや、学者さんたちが、

手を汚さずに暮らせないでしょう?

 

GID(性同一性障害)の責任能力は完全である、としないと、

お医者さんの所得が減ります。