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ヘチマ 574 共感と定義と妄想 

2011.09.10 15:00

糸瓜(へちま)みたい。

昔は化粧水やタワシにしましたが、

最近は、朝顔や、苦瓜(にがうり・ゴーヤ)や、胡瓜(きゅうり)や、

蔦(つた)や、ヘデラなどと同様に、

いわゆる緑のカーテンとして、日除(ひよ)けにするそうです。

 

お役所が宣伝していますから、暇です。

障害者でなければ、公務員になってはいけない、という法律を作り、

GID(性同一性障害)の人は、お役所に雇ってもらって下さい。

総理大臣でも構いません。

 

昔、ディオゲネスという哲学者は、戦争(せんそう)の時に、

樽(たる)を転がして、忙しくしていました。

彼は、樽の中で暮らしていました。

人々は、何をしているのかと、問いました。

彼の言うには、みんなが忙しそうにしているから、

自分も樽を転がして、忙しそうにしているそうです。

 

 

 

GID(性同一性障害)の人の御家族から、

治りませんかと、尋ねられます。

 

「性別が違う」と、GIDの人が言い出すのは、

御自身の発達障害の症状のせいで、

他人や社会に、うまく適応できずに、

「精神的に困ったことになっている」と、自覚しているからです。

 

御本人は、その原因を、性別が違うからである、と解釈します。

この解釈に、合理的な根拠はありませんが、

わりと、世界的に流行している解釈です。

 

合理的な根拠はないけれど、性別のせいと思うと、

御本人は喜び、気持ちが安らぎます。

他人や社会の理解を得るために、

「社会運動や文化運動をしなければいけない」と、確信しますから、

生き甲斐を感じます。

 

欠点は、体と生殖機能を壊すことです。

できるだけ壊さずに、社会の理解を得たほうが良いと、

わたしは思います。

 

それは、ともかくとして、

発達障害が根本にありますから、一朝一夕に治りません。

心を入れ替えれば、明日にでも治る、と言うものでありません。

 

発達障害のことを、治らない、と言う人もいますが、

治らない証拠は、ありません。

治らないものを、発達障害とする、という定義もありません。

 

何かの能力について、

今のところ、ここまでしか発達していないので、

健常な社会生活をするために、必要とされる最低限の能力に足りず、

生活に支障をきたしている、ということです。

 

人は、それぞれに、能力が異なります。

得手不得手(えてふえて)がありますから、

すべての能力に、優秀である人は、いません。

すべての能力に、劣等である人も、同様です。

 

でも、これと、これと、これについては、

だれでも、これだけの能力がなければ、社会生活に支障をきたす、

という能力があります。

すべての人に、共通に要求される能力です。

 

そういう能力って、たいてい、

特殊な技能教育や、特別な英才教育を必要とせずに、

みんなと一緒の普通の育児だけで、

健常でしたら、だれでも、最低限は習得できるものです。

 

たとえば、言葉をしゃべるとか、立って歩くとか、

おしっこやうんこを、

みんながするように、自分で出来るようになるとかね。

 

何才なら、これぐらいのことができるって、

だいたいの相場があります。

それよりも、あまり遅れるようですと、

この子の、この能力は、ここまでしか発達しなかったと、

だいたい、決めつけることが、できそうなの。

 

ぜったいに今後発達しない、と言えません。

そのような証拠は、ありません。

でも、みんなの蓋然性から言うと、

もう、ここまでが、この子の限界でしょうと、

諦めたほうが良いかも知れません。

 

証拠がないから、これから発達するかも知れないと、頑張るよりも、

ここまでしか発達しなかったけれど、

それでも、苦しまずに生活ができるように、なんとか工夫をしよう、

という生き方に変えたほうが、実用的なの。

 

GID(性同一性障害)の人には、そういう基礎的な事情があります。

発達障害なの。

だいたい、みんなと一緒のことをするのが、難しく、

そのせいで、みんなと一緒が、

嫌(いや)で嫌(いや)で、堪(たま)らなくなります。 

 

どういうふうにすると、みんなと一緒なのかが、わかりません。

動作や言葉を真似(まね)ると言っても、

みんなの、一人一人の動作や言葉が違うでしょう?

違うのに、みんなの真似をするなんて、不可能です。

 

みんなの動作や言葉には、共通点があります。

それさえ、踏み外(はず)していなければ、

一人一人が、違う動作や言葉でも、構いません。

共通点がわからないって、変(へん)なの。

 

だって、GIDの人って、知能検査をすると、正常で、

高い人が一杯います。

その証拠に、一流大学の医学部に入学して、

お医者さんになる人もいます。

これだけ学力があり、知能も高ければ、

みんなの動作や言葉の、共通点を見つけ出せるはずです。

 

それが、できません。

共感できないの。

他人の動作や言葉をなぞって、他人と同じ気持ちになれません。

法廷の殺人犯人の言葉を聞けば、

犯人の気持ちにならなければいけないのに、

犯人の気持ちがわかりません。

これでは、有罪にすることも、死刑にすることもできませんから、

たぶん、裁くこともできない、とされます。

 

共感する能力って、知能検査や学力検査で測れないの。

体育の時間に、二組に分かれてサッカーをするときに、

敵と味方は、まるで戦争をするみたいに、本気で戦います。

どうして、相手の服をつかんで、引っ張り回すのかしら。

別に、怨みなんかありません。

それでも、本気で喧嘩をする人が、たくさんいます。

 

冷めた気持ちで、ぜんぜん試合をする気になれないのと、

本気で喧嘩をして、殴ってしまうのとは、

どちらも、発達障害の嫌疑(けんぎ)が掛かります。

 

GID(性同一性障害)の人は、

言葉を使って自分の気持ちを表現できません。

言葉と気持ちは、違うから、当たり前です。

ライオンは、人間の言葉を知りませんけれど、

怒ってハイエナを噛み殺すこともあれば、

あくびをして、のんびりと居眠りをすることもあります。

ライオンにも気持ちがあるのは、間違いありませんけれど、

人間の言葉はありません。

 

どうして、言葉によって、気持ちを表現できるのかしら。

言葉でない気持ちを、言葉によって表現できるはずがありません。

でも、GIDの人は、性別が違う、と言います。

体の性別と、心の性別が違う、と言います。

そんなもん、体の性別は、性器や生殖機能のことで、

心の性別なんか、気持ちのことですから、違うのに決まっています。

 

違うのに決まっているのに、違うと言います。

ライオンの気持ちと、人間の言葉は、違うのに決まっているように、

気持ちを、言葉で表すなんて、できるはずがないと、

GIDの人は思っています。

自分の気持ちを、言葉に言い表すことができませんので、 

GIDの人は、気持ちを他人に伝えることができません。

体と心の性別が違うと、GIDの人は言います。

 

統合失調症の人の妄想って、自分勝手に定義したのに、

これこれならば、しかじかであると、

定義したことを、他人に宣言しません。

 

他人の判断にも、自分の判断にも、

宣言しない定義が、無数にあります。

発達障害の人って、それを読みとれません。

数学のように宣言してくれると、ちゃんと良い点数をとれます。

でも宣言しない定義を見つけ出す能力は、

学力検査や知能検査によって、測れません。

 

これは暗号を解くのと、全然違います。

ジョン・ナッシュという数学者は、

ノーベル賞を受賞しましたが、今も統合失調症です。

暗号を解く仕事をしていると、妄想していました。

 

隠された定義を見つけ出すって、

他人に共感して、みんなと一緒のことをするのと、同じ意味です。

人は、どのようにして、

宣言されない定義を、見つけ出すと思いますか。

ゆっくりと考えてみて下さい。

GIDの人に、ちょうどよい問題かも知れません。

 

GID(性同一性障害)が治るって、時間がかかります。

残念ながら、その間に、性転換に走ってしまいます。

これを力尽くで阻止することはできません。

早い人で、受診から10年、かかります。