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ノウゼンカズラ 610 共食い

2011.10.15 15:00

凌霄花(のうぜんかずら)は、なかなか覚えられない漢字です。

さすがに、花もなくなり、秋の寂しさです。

 

 

GID(性同一性障害)って、どのような病気なのか、

一般の人にも、GIDの人にも、なかなか伝わりません。

 

GIDの人でしたら、発症して10年ぐらい経(た)ちますと、

少しずつ、どのような病気であるかを、自覚できる人がいて、

発症後25年ぐらいまでの間に、

約半分の人が、理解できるようになります。

 

どのような病気であるか、という中身は、

人によって、考え方が違います。

理解できる、あるいは、自覚できる、と言うのは、

GIDの人でしたら、特定の中身のことでなく、

汎用性や客観性のある認知能力を獲得する、という意味です。

 

GIDって、さまざまな精神症状と、

色々な生活上の支障をきたす病気の、

症状と障害の、組み合わせの一つですけれど、

認知能力の不足による症状と障害、と言うこともできます。

 

認知機能のうちの、

知能検査によって測れる種類の機能は、正常ですが、

社会性と言われる機能が、十分に発揮されません。

社会性の能力が足りないってことね。

 

発症後25年で、GIDの約半分の人の、精神の病気が治り、

残りの人は、まだ治っていません。

 

男でも女でも、どちらの体にも、心は適応できると、

自信を持てるようになれば、

GIDでは、だいたい、GIDに特徴的な症状だけでなく、

精神の病気が、ほとんど治っています。

 

一般の人は、精神的に健常でも、

GID(性同一性障害)を理解できないかも知れません。

認知能力が不足しているのでなく、

GIDに関する特定の情報が不足しているからです。

 

御家族の人は、

GIDが精神の病気であることを、理解できるかも知れませんが、

どのような精神の病気であるかを、なかなか理解できません。

 

精神障害の知識が少なく、

障害者の世話をしたことのない薄情な人が多いのかも知れませんが、

患者さんが、自分の心の中を、客観的に自覚できなければ、

精神の病気の苦しさを、家族に伝えようがありません。

自分の心の中を人に伝えるのと、

自分の心の中を客観的に知るのとは、たぶん、同じです。

 

自分以外の人の心は、

本人に教えてもらわなければ、だれにもわかりません。

誰も超能力を持っていませんから、当然です。

 

GIDって、子供の場合でなければ、

受診した時には、すでにGIDの仲間に入っているのが、普通です。

GID(性同一性障害)の仲間って、

性転換を、良いことのように崇拝していますので、

まるで新興宗教のようですけれど、宗教法人でありません。

 

自助組織であると自称していますけれど、

性交渉を楽しむ仲間でもあります。

性別のことを訴える病気でありながら、

性交渉の実態がわからなければ、

御家族の人が、普段の生活を見ていても、

病気の核心は、ブラックボックスです。

 

そのように、気を持たせるのが、

ヒステリーっていうダミーの症状なの。

家庭や学校や職場の生活のほうが、病気の本体なのに、

ブラックボックスの中に、大切なものが入っているかのように、

GIDの人は訴えます。

心の中に、性別があるとね。

 

異性になったような気分って、

健常な人でも、気持ちの良いものです。

オナニーやナルシズムと同じです。

一般の人は、性的な快感を、

一時的なものとして、楽しみますけれど、

ずーっと、しがみついていますと、怒られます。

 

健常な人は、お仕事に転換して、性的快感を賞味しますので、

お仕事をしていれば、気持ちが良いの。

 

GID(性同一性障害)の人は、

精神の病気の苦しさを、性別のことに転換します。

わざと性別の症状を出すことによって、

苦しさを紛らわせているってことね。

 

精神の病気の苦しさって、みんなと一緒に居られないってことです。

みんなと一緒のことができないから、

のけ者にされて、虐(いじ)められます。

 

何について、みんなと一緒のことができないかは、

人それぞれですけれど、

GID(性同一性障害)の人は、性別のせいである、と言います。

合理的な根拠はありません。

 

健常な人でも、異性になったような気持ちは、性的快感ですから、

GIDの人は、みんなと一緒にできない苦しさを、

性的快感によって、紛らわしているように、周囲の人には見えます。

 

GIDの一部の人は、

特定の何かについて、みんなと一緒のことができないのでなく、

何についても、みんなと一緒にすることが、苦痛のようです。

 

思春期以後や成人後などに、知能の低下があり、

統合失調症との識別の困難な症状を出す人が、その代表ですけれど、

ごく一部の人は、統合失調症でなく、

乳幼児期からの知的障害のようです。

 

大部分のGIDの人は、知能に異常がなく、

ごく軽症の発達障害の疑われる乳幼児期から、

成人後に、人格障害と鑑定され得る状態に至りますが、

知能は低下しません。

 

     精神の病気って、脳の器質に、

     原因となる病変の発見されない種類については、

     現在の精神症状だけでなく、

     これまでの症状や、これからの症状が、

     病気の分類の、大切な条件になりますけれど、

     これからの症状を予見するのは、困難です。

 

     それどころか、

     これまでの症状を知ることさえ、簡単でありません。

     また、お薬に対する反応や、効果と副作用の損得なども、

     病気を分類する条件になります。

 

     最も大切なのは、御本人の、

     お金を出すから、治して欲しい、

     という自発的な気持ちや、

     悪いことをするので、法的に、

     強制的な治療を受けさせることのできる症状などです。

 

     でも、痛く苦しいので、受診する人の気持ちって、

     体の病気でも、精神の病気でも、

     どうせ、頭がおかしくなっています。

     痛く苦しいのに、頭の正常な人なんか、いませんから、

     自発的に受診したからと言って、

     医療は自由契約でありません。

 

     それでも、フランス革命を崇拝して、

     欧米人は、自由と言うのが好きみたい。

     殺し合いの自由です。

     日本では、アラジンのランプみたいに、

     魔法の言葉かしら。

     擦(こす)ると、オナニーができます。

 

     お医者さんって、ヒポクラテスの昔から、

     嘘つきの極みですけれど、

     現代でも、

     高校の成績が良かったので、お医者さんになったくせに、

     人の命を助ける云々(うんぬん)と、

     嘘をつかなければ、立派なお医者さんになれません。

 

     GID(性同一性障害)の患者さんも、

     子供の頃から、この性別でない、

     と思っていたそうですから、

     ヒポクラテスと似たような、精神の病気です。

     類は友を呼びます。

 

性別が違うから、性転換をしたいと言い、実行するのは、

精神の病気のせいであると、

多くの医師の見解は、一致しています。

 

GID(性同一性障害)という分類の仕方を、

具合が良いとするか否かは、

医師によって、意見が異なります。

 

いずれにしても、

脳味噌に物的証拠の見つからない種類の、精神の病気です。

この種の病気の代表は、発達障害と統合失調症ですけれど、

動作が変(へん)であったり、知能が低かったりします。 

 

統合失調症では、知能の低下が進行しますので、

思春期頃に天才であっても、

発病の頃には、幼児の知能を使って、悪さをするかも知れません。

 

治療を受ければ、退院の頃に、ほとんど回復していますけれど、

何度も入退院を繰り返すうちに、回復が困難になり、

社会生活を諦(あきら)めざるを得なくなる人も、結構います。

アルツハイマーのような脳の器質的変性は認められません。

 

だんだんと知能が下がって行きますから、

途中に、さまざまな精神症状が現れます。

GIDの症状も、その中に、すっぽりと入ってしまいます。

 

どこまで進行するか、いつから進行するか、

どれくらいの速さで進行するか、途中で止まるのか、などを、

事前に予測するのは、困難です。

進行しない人では、人格障害と識別できませんので、

統合失調症と診断されません。

 

いちおう、妄想や幻聴の有無、知能の低下などが、

統合失調症と人格障害の、簡易な識別点になりますけれど、

将来を予知するのが、困難であるだけでなく、

妄想と、単なる間違いや空想や意見などとの違いも、

文学的な仕訳に過ぎません。

 

眠っている間に、脳味噌に受信器を埋め込まれた、

と言う人もいます。

アフリカの熱帯雨林で暮らしていた人が、

東京に出てきても、先進国の医療や治安の見当がつきませんので、

眠っている間に、脳味噌に受信器を埋め込まれるのが、

妄想であるのか、嘘や間違いであるのか、

空想や芸術や冗談であるのか、わからないかも知れません。

先進国の言葉も知りませんし…

 

具体的な生活経験を共有していなければ、

妄想であるか否かを、判断できませんので、

教科書に出てくるような、最も典型的な妄想も、

曖昧な文学のように、芸術的に識別されるにすぎません。

 

ピグミーって、成人男性の身長が150cmぐらいですけれど、

熱帯雨林から出てきません。

みんなに虐(いじ)められるので、

旧石器時代の生活のほうが、幸せです。

 

南スーダンは、草原の放牧と、

上流の雨期には、氾濫したナイルの湿原に舟を浮かべて、

まるでオランダの水郷のような風景になりますけれど、

身長がオランダ人とほとんど同じで、

世界一背の高い民族と言われるディンカ族が暮らしています。

 

戦士と言われる世襲の階級があり、

背の高さと、絵の具で顔にお化粧をする美貌を誇っていましたが、

ロケット弾の飛んでくる内戦の時代になったので、

昔ながらの戦士の村はなくなりました。

 

戦士階級って、ナイル川下流のイスラム教徒が、

奴隷狩りのためにナイル川を遡(さかのぼ)って来るので、

民族の防衛のために、古代から発達した社会制度です。

 

背の低い子供は、戦士になれずに、都会に働きに出ますので、

世襲と言っても、背の高い人ばかりを、選択するようなものでした。

戦士の村では、190cmを超える男が、

酒瓶を持って、うろうろしていました。

 

内戦によって、伝統的な生活がなくなり、

昔の村がつぶれて、都会に出て行きましたから、

成人男子の身長も、オランダ人と同じぐらいと思っていました。

 

ところが、看護師さんの学校で寄宿生活をしている男性は、

みんな身長が190cmを超えていて、

50人ぐらいの平均は、たぶん198cmぐらいでした。

戦士階級の男性でなければ、看護師になれないそうなの。

そんなの、憲法に書いていなかったと思うけれど…

 

ディンカ族の戦士階級が、今も都会に残っているって、

旅行のガイドブックに書いていませんでした。

どういうふうにして、戦士階級出身って、証明するのかしら。

すると、2mの大男の言うには、身長と美貌だそうです。

 

だいたい、南スーダンから南の、

ナイル川源流の大地溝帯の草原の民族って、みんな、背が高いの。

草原の端まで行くと、コンゴ川源流の熱帯雨林になって、

未知の世界です。

 

そこに、成人男性の身長が150cm未満の、

ピグミーって言われる様々な民族が暮らしています。

密林から出てくると、虐(いじ)められるので、出てきません。

黒人が白人に虐められるようなものですけれど、

ピグミーの人たちの中から、アメリカ大統領になる人は、

たぶん、いないと思います。

 

生活が違えば、

何があり得ることで、何があり得ないことかっていう判断も、

違います。

 

お医者さんが、

GID(性同一性障害)や統合失調症を、精神の病気とするのも、

ディンカのような、草原の背の高い民族が、

ピグミーのような、密林の背の低い民族を、虐(いじ)めるのと、

似たようなものかも知れませんけれど、

裁判もせずに、ビンラディンって人を射殺したオバマ大統領が、

軍隊のない日本の、お医者さんや弁護士さんの権力を、

守っています。

 

わたしには、性転換医療って、

内ゲバや共食いや、オウム医療に見えます。

SRS(性転換手術)を受けて、有頂天になり、

患者さんは、夢のように、何年も何十年も、過ごすことになります。

性転換をしないほうが、結果が良いのに、

どうして主治医は、それを隠すのかしら。

 

性転換をしないほうが、結果が良いって、評価が難しいの。 

性転換をしないでも我慢のできる人は、それだけ軽症ですから、

軽症のほうが重症よりも、結果が良いのは、当たり前です。

 

GID(性同一性障害)の患者さんは、

重症のほうが本物である、と思っていますから、

できるだけ、重症であるように、お医者さんに訴えます。

それを、わざと真(ま)に受けるお医者さんは、

たぶん、悪意に満ちているのですけれど。