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鶴岡八幡のイチョウ 650 猶子(ゆうし)

2011.11.24 15:00

鎌倉の鶴岡八幡(つるがおかはちまん)の銀杏(いちょう)です。

去年(2010年)の3月10日に、風が吹いて、倒れました。

 

倒れた幹の一番下の部分に、露出した根を付けたまま、

ここに、移植されました。

元の場所の、7mほど、傍(かたわ)らです。

 

引きちぎられて、地下に残った根は、

そのまま、元の場所に保存されました。

 

去年は、いずれも、元気良く葉が茂り、

秋に黄葉して、落葉したそうです。

 

今年は、いずれも、四月に若葉が落ちてしまってから、

ずっと丸坊主です。

夏も、芽吹きませんでしたが、

蘖(ひこばえ)の、長さと太さは、成長しています。

 

枯れていませんけれど、一旦、冬の寒さに曝(さら)されてから、

来春になっても芽吹かなければ、死ぬかも知れません。

 

隠(かく)れ銀杏(いちょう)と言われていました。

初代将軍源頼朝の子の、三代将軍実朝(さねとも)を、

二代将軍源頼家の子の公暁(くぎょう)が暗殺した時に、

この木の陰に隠れて、待ち伏せたそうです。

 

実朝が参拝を終え、夜の石段を降りて来た時に、

幹の陰から、公暁が斬りかかりました。

 

二代頼家と三代実朝は、

いずれも、初代頼朝と北条政子の、実子です。

実朝と公暁は、叔父(おじ)と甥(おい)でしたが、

実朝に、子がなかったにもかかわらず、

公暁は、猶子(ゆうし)にすぎませんでした。

 

猶子は、養子のように扶養されますが、相続権がありません。

 

公暁は、食事の時も、実朝の首を、しっかりと抱いていたそうです。

人の持つ権益が、首という実物にあると思う気持ちは、