Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ツノホコリ 754 コミュニケーションと、性同一性

2012.03.13 15:00

たぶん、変形菌(へんけいきん)のツノホコリですけれど、

漢字で書くと、変(へん)な感じ。

 

ホコリっていう名づけかたは、埃茸(ほこりたけ)のように、 

風に吹かれて、胞子が噴(ふ)き出すと、

埃(ほこり)や煙(けむり)に見えるから、と思います。

 

写真は、変形菌(へんけいきん)のツノホコリの子実体です。

生存条件が悪くなると、胞子を作ろうとして、複雑な構造になり、

観賞価値が生じるみたい。

 

変形菌には、変形体というモードがあり、

べちゃっとした粘液が、1時間に1cmぐらいの速度で、

流(なが)れます。

 

下から上に、流(なが)れることもあるので、

化学物質やイオンなどのせいでないかと、疑(うたが)われます。

神経も感覚器官もありませんから、

GID(性同一性障害)の、いわゆる性自認に

似ているかも知れません。

 

移動するからと言って、動物(どうぶつ)と思う必要はありません。

被子植物の群落や種(たね)も、移動します。

ばい菌や、人間の白血球も、移動しますが、

それらが動物というわけでありません。

 

植物の種(たね)が、風に乗って移動するのも、

変形菌が、這うように移動するのも、人間が歩いて移動するのも、

似たようなものです。

神経があっても、なくても、情報伝達の仕組みが異なるだけです。

  

子実体(しじつたい)から吐(は)き出される変形菌の胞子にも、

雄(おす)と雌(めす)がありますから、

性別って、神経も感覚器官も、必要ありません。

 

GIDは、たぶん、脳の機能のモードが、

歓楽街の恍惚(こうこつ)モードになっています。

 

体の運動をして、汗をかいて、シャワーを浴びると、

運動前と、運動中と、シャワーの直後とで、

脳の機能の仕方が変わります。

たくさんの組み合わせが、ワンセットで変わりますが、

 

 

暴力とエステティックと論理に、たびたび言及しているのは、

現代社会の理不尽な判断の、代表的な例であり、

フランス革命が、それらを是(ぜ)としたからです。

 

精神の病気の原因に、関係があるの。

脳はコミュニケーションのための臓器ですから、

精神の病気って、もちろんコミュニケーションの病気ですけれど、

生物の本能って言われる目的傾向も、コミュニケーションです。

 

本能って、根本的には、

個体の生存と、生殖の、二つに纏(まと)められる、

と言われています。

個体が生きていなければ、普通は、生殖ができませんので、

生殖一本に纏められる、と言う人は、

生物の個体って、自分の遺伝子を保存しようとしている、

と思うかも知れません。

 

本能は、アリストテレスみたいに、

生態学方面の人が、生物の目的を、

文芸的に解釈したものですけれど、

コミュニケーションが目的である、とも言えます。

 

宇宙を均一にするために、掻(か)き混ぜる意味ね。

火山の爆発や、水の循環のようなものかしら。

雨が降り、川になり、海になり、雲になり、雨になります。

掻き混ぜて、活発に変化させなければ、均一になりません。

宇宙の爆発や、太陽の燃焼と同じです。

生物は生殖をして、世代交代をします。

 

掻き混ぜて、変化をさせて、均一にするって、

ようするに、

コミュニケーションは、平均化に向かう、という意味です。

個性や多様性を理解するって、殺し合いと混血をして、

みんな一緒の平均的な人間になろう、って感じかしら。

 

自然は論理に一致する、というエステティックな価値を、

変化の目的として理解すれば、

宇宙は暴力的に均一になろうとしている、という意味になります。

 

エステティックって、感覚器官から入ってきた情報に、

良いとか、悪いとか、汚いとか、あほとかの、価値をくっつけて、

とにかく実行しよう、ということです。

くっつけることを、論理と言いますけれど、

実行は暴力に決まっています。

刺激があれば、随意筋を動かして、反応するの。

暴力を振るい、掻き混ぜて、均一になります。

 

生殖をして、世代交代をすれば、

時間を超えて、混ぜ合わせることが出来ますから、

生物の個性的で多様な進化って、

大人(おとな)しくなるために、暴れるプロセスに似ています。

当たり前ですけれど、生まれたものは、死にます。

  

フランス革命は、あほだったと、思いません?

不均一のままで、固まってしまわないように、

暴れてコミュニケーションをしようとしましたけれど、

混ぜ合わさって、均一になると、

静かになり、固まってしまうだけなら、あほかも知れません。

 

均一になったり、不均一になったりする仕組みを、

フランス革命は、わかっていなかったと思います。

 

     磁石がくっつくようなコミュニケーションですと、

     簡単ですけれど、

     人間って、言葉を使いますから、なかなか通じません。

 

     GID(性同一性障害)を説明するときに、

     性同一性のことを言います。

     gender identity ってやつですけれど、

     性自認とも言います。

     障害のほうは、disorder の訳ね。

     

     自分のことを、男と思っているか、女と思っているか、

     どちらでもなく、その他と思っているかが、

     体の性別と違っていれば、

     性同一性がおかしい、ということになります。

 

     普通は、たんに性別と言えば、体の性別の意味ですから、

     生物学で言うところの性別と同じです。

     GID(性同一性障害)の人は、

     生物学的でない性別がある、と言いますので、     

     話がややこしくならないように、

     単なる性別のことを、体の性別と言って置きます。

 

     GIDの人は、自分の体の性別を、ちゃんと認識できます。

     体の性別はどうあれ、

     自分の性別は、体の性別でない、と言います。

 

     ここで、性転換医療を行なっているお医者さんは、

     健常な人の、体の性別と、自分の性別の認識とは、

     一致する、と言います。

     つまり、体の性別を、心が許容できる、って意味ね。

     そして、健常な性同一性は、1才から2才頃に出来る、

     と言います。

 

     この言い方は、実は、おかしいんです。

     体の性別を、正しく認識できるのなら、

     GID(性同一性障害)の人が、

     体の性別を許容できないのは、

     好き嫌いの問題でないのかと、疑問が湧きます。

 

     自分の体の性別が嫌(きら)いなので、

     受け入れられない心を、性同一性障害と言うのなら、

     健常な人の性同一性を、1才から2才頃に出来る、

     と言うのは、文脈の間違いでないかと、疑われます。

     修辞的なすり替えがあるのでないかとね。

 

     だって、嫌(きら)いなものを許容する心なんて、

     一生かかっても、なかなか出来ませーん。

     嫌(きら)いなものは、嫌(きら)いじゃ。

     ほんとに健常なら、1才から2才頃に出来るの?

     嘘つけ!

 

     わたしなんか、嫌いでも、

     銃口を向けられているから、仕方なく、

     好きですって顔をしています。

     一生、これです。

     仕方なくってのに、慣れていますから、

     ちっとも苦になりません。

     この慣れが、1才から2才頃に出来るのかしら?

 

     一生かかって、

     ちょっとずつ、上手くなって行くような気がします。

 

     健常な人って、1才から2才頃に、

     体の性別を許容したり、しなかったり、という心は、

     まだ、芽生えません。

     とにかく、そこにある状況に適応しようとします。

     自分の体の事実を知り、適応しようとするのも、

     社会的経緯を知らずに、

     現場の状況に適応しようとするのも、

     まだ、あまり区別が付きません。

 

     体の性別の事実や、

     社会的な性別の状況などについてのみ、

     適応が遅れているとか、適応できないとかって、

     まず、ありません。

 

     わたしは、GID(性同一性障害)の人の、

     乳幼児の頃の、性別に関する生活状況を、

     直接に目撃したことがありません。

     でも、患者さんの中には、3才頃までに、

     反対の性別のように思い込んでいたために、

     小児科を受診したことのある人が、何人もいました。

     

     お母さんから、当時の状況を聞いた限りでは、

     お母さんや周囲の人に対して、拗(す)ねて、

     わざと不服従の生活態度を実行しているのでなければ、

     性別以外にも、

     言葉や動作や集団行動や協調性の習得などに、

     発達の遅れが、現われていましたので、

     今で言う発達障害の一種であると、すぐにわかりました。

 

     性別のことのみを、単に間違って学習した、というのも、

     ありませんでした。

 

     精神科って、患者さんの苦しみを溶(と)かして、

     楽(らく)にしなければいけません。

     傷口に、塩を擦(なす)り込むのが、

     仕事でありませんから、

     言葉のレトリック(修辞)ひとつで、

     患者さんの気持ちが、楽になるのなら、お安い御用です。

 

     中国なんか、日本は南京大虐殺をやって、

     50万人を殺したと、宣(のた)まっています。

     馬鹿と鋏(はさみ)よりも、

     言葉のほうが、役に立ちます。

 

     問題は、実際に体をぶち壊すことなの。

     体がイカレると、精神がだめになりますから、

     できるだけ、体を傷つけずに済ませたいのですけれど…