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サンシュユ 761 性転換の非 自然や体と、社会や心

2012.03.20 15:00

山茱萸(さんしゅゆ)って、

早咲きの木は、もう、ずーっと前に、咲き始めていますけれど、

今は、どの木も、一斉に咲き始めていいますので、本格的です。

 

まだ、完全には開いていませんけれど、もう、待ちきれません。

 

 

エステティックが論理的でないのは、誰でも知っていますが、

個人主義も、欧米の近代文化の大前提です。

個体という見かけにより、自然の仕組みを区切ろうと言うのですから、

エステティックな判断の大本山と言っても構いません。

 

個人主義は、明治維新の頃から、日本人には不可解でしたが、

審美主義や美学などと翻訳されるエステティックな価値観が、

個人主義の根本であるとは、気づきませんでした。

 

動物の感情と同じでないかと、日本人は思いましたが、

心は脳によって運営される、と言われると、

摩訶不思議でありますが、なるほどと思ってしまいました。

脳味噌は、確かに、個体ごとに独立しています。

 

でも、脳味噌って、

個体の内側の、情報の伝達を支配しているだけでなく、

個体の外側の、他の個体や社会との、情報の伝達をも支配しています。

 

コミュニケーションと言いますが、

脳は、コミュニケーションのための臓器である、とするなら、

統合失調症の患者さんの言うように、

脳の機能は、その個体の支配下にない、と考えたほうが、

合理的かも知れません。

 

実際、人間が、猿よりも強くなるのは、

3才以降の、他人とのコミュニケーションによります。

それまでは、同い年でも、猿のほうが兄貴分で、

人間の子供は、子分のように、猿の尻馬に乗るばかりです。

 

他人とのコミュニケーションにより、

人間の個体は、言葉に表された膨大な文化を学ぶから、

猿よりも強くなります。

 

賢くなった、と思うのは、

たんなる人間の自惚(うぬぼ)れにすぎませんが、

連帯行動や協調行動により、

他の多くの個体の力を、笠に着て強くなり、

嵩(かさ)に懸かるように、自分は賢いと、自惚れます。

 

脳が、他の多くの個体との、

コミュニケーションのための臓器であるなら、

必ずしも、その一つの個体の支配に属しているとは、限りません。

コミュニケーションによって得られる情報の多くが、

文化と言われる共通の情報や、

情報を仕訳(しわけ)して整理するための、

価値と言われる共通の判断の仕方だからです。

 

このプログラムの中に、エステティックな価値があり、

個体を、判断の単位にするだけでなく、

顔や体の見てくれにより、

個体の善悪や優劣や真偽などを判断します。

 

エステティックな判断は、動物的でないかと、日本人は感じます。

ギリシャ・ローマの文化は、合理的であったけれど、

インドや中国を支配できなかったではないか。

とりわけ、中国や日本を征服できなかったのは、

距離が遠かったのでなく、

欧米のエステティックな判断の不合理でないかと、疑われます。

 

白人は、人間以外の自然を、論理と一致するように、

合理的に判断しましたが、

人間や人間社会のことを、論理と一致するように、

合理的に判断したのは、むしろ中国や日本でなかったかと。

 

古代ギリシャ・ローマは、

人間や人間社会を、エステティックに判断しましたが、

論語には、子(し)は怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず、

と書かれています。

 

     メソポタミアの文化や、

     古代ギリシャの民主制やキリスト教には、

     すでに、個人主義の傾向が強く現われています。

     産業革命やフランス革命よりも、

     わたしは、遥かに乾燥した砂粒の匂いを、

     個人主義に感じます。

     

     星の王子さまの、

     サンテグジュペリの夢のようなものかしら。

 

     ルネサンスのイタリアに、

     解剖学や、アリストテレスの著作などを伝えたのも、

     アラビア人でした。

     人間を、牛や豚のお肉のように解体すると、

     確かに、一人一人の人間の個体は、

     砂漠の砂のように、孤立しています。

 

     中国や日本では、雨が多く、

     とりわけ、日本では、砂漠の砂粒は珍しく、

     土は、たいてい、粘土のように繋がっています。

     モンモリロンやカオリンのような、粘土鉱物を見ると、

     わたしは、脳のコミュニケーション機能を連想します。

 

     なでしこジャパンを見れば、一目瞭然ですが、

     日本の社会は、コミュニケーションの緊密さが特徴です。

     欧米の社会は、個人主義で行きますので、

     エステティックに人間の精神を評価しますが、

     人間の心や社会の評価は、

     日本的であるほうが合理的かも知れません。

 

     人間の心や社会以外の自然の評価は、

     欧米のほうが得意でしょうから、

     漢方薬は、あまり信じないほうが良いかも知れません。

     でも、性転換というエステティックな考え方により、

     精神を治療しようとするのは、おそらく間違っています。