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レンギョウ 778 雲となり雨となり

2012.04.07 15:00

連翹(れんぎょう)って、

公園へ行けば、ありきたりに植わっていますが、

翹(ぎょう)の意味が、難(むずか)しくて…

 

あげる、つまだてる、すぐれる、と読みますから、

そういう意味と思います。

 

わたしは、翹望や翹首などの語を、使うことがあります。

 

人名に堯(ぎょう)とあれば、たかし、と読みますが、

古代の徳の高い帝王の名前の、堯と舜(しゅん)を連想します。

堯は、土器を高く積み上げた形らしく、

焼の字も、そうですが、土器を焼(や)くことに、関係があります。

 

翹は、鳥が長い尾羽を上げる意味と、辞書に書かれています。

連翹は、花の形が、それに似ている、と言うのでしょうか。

 

ところが、中国では、連翹と言えば、

巴草(ともえそう)や弟切草(おとぎりそう)などの、

オトギリソウ科のヒュッペリカム属を意味しているらしく、

日本人は、植物名を間違えたそうです。

 

日本の漢方薬では、間違いのまま、今も通用していますから、

 

 

性別の意味を、文化的に変えて行くのは、

みんなが合意すれば、みんなの勝手ですけれど、

法律や規則や、

成文化されていない有象無象(うぞうむぞう)の文化などは、

みんなと一緒のことをさせるために、あるようなものですから、

みんなって、いわば権力です。

民主的でしょ。

 

言葉は、法律でありませんけれど、文化の代表みたいなものです。

他人に通じなければ、言葉と言えませんので、

自分一人だけの言葉と言うのは、ありません。

 

他人に通じるのであれば、発声言語でなくても、

文字や手話や動作などの、意味を伝える記号が、言葉と言われます。

表情や服装や持ち物なども、言葉かも知れません。

 

コミュニケーションって、なんらかの言葉を使いますから、

みんなと一緒にする目的です。

一人一人が分業をして、違うことをするのも、

みんなで合意されたものは、

みんなと一緒のことをする、と言います。

 

ややこしいですけれど、適当にわかって下さい。

中学生の国語力ね。

合意がなければ、たぶん喧嘩になり、殺し合いになります。

 

雲となり、雨となる、と言いますけれど、

蜘蛛(くも)や蟷螂(かまきり)は、性交渉のあとに、

雄(おす)が早く逃げないと、雌(めす)に食べられます。

 

雲となり、雨となるって、男女が仲良く愛し合うことですけれど、

どういうわけか、衆道(しゅどう)の表現に、よく使われます。

衆道って、男性同性愛のことね。

 

早く逃げないと食べられる、と見るのは、

人間の面白(おもしろ)可笑(おか)しい解釈です。

自然のことを、文化的な意志の表現として見る目と、

人間のことを、自然界の出来事として見る目の、両方があるから、

物事は、立体的に見えます。

 

GID(性同一性障害)の人に、怒られますけれど、

人間の心も、雲や雨のように、

美しい自然現象と見ることができます。

 

楚(そ)の懐王(かいおう)という王様が、

高唐(こうとう)という楼台(ろうだい)で昼寝をしていたところ、

巫山(ふざん)から来た婦人に、

枕席(ちんせき)を薦められました。

 

天皇さんの外出を、行幸(ぎょうこう)と言いますが、

幸せって、どういう意味かしら。

 

王様は、見知らぬ女性を、幸せにしましたが、

彼女の言うには、とても険しい山に住んでいます。

それでも、朝には雲となり、暮れには雨となり、

来る日も来る日も、あなたにお遭いしたい、と申します。

 

王様も大変ですので、彼女を祭る廟(びょう)を建てましたが、

子供のいるMtF(male to female 男→女)って、

いい御身分なのかしら。

 

自然の出来事を、文化的な意志の現われのように見る目と、

人間のことを、自然の美しい出来事として見る目の違いって、

みんなと一緒のことをさせようとする意志は、

自然の摂理に一致するってことでしょう?

 

GID(性同一性障害)を皆殺しにして間引くのと、

心の赴(おもむ)くままに、生きてみたい、と思うのも、

同じみたいに見えます。

性転換って、共食いをしている、と言うより、

子供のいるGIDが、子供のいないGIDを、

一方的に間引いているだけと、見えないこともありません。

 

わたしは、1970年頃に、性転換医療に嵌(はま)りましたけれど、

そのときは、SRSを受けたい人って、子供のいない人ばかりでした。

日本では、1980年頃から、

TV(トランスベスティズム)を、客引きの謳い文句にする風俗業が、

流行(はや)り始めて、

子供のいる人たちが、性ホルモン剤を飲み、

やがて、SRS(性転換手術)を受けるようになりました。

 

流行の始めを見ていた限りでは、

子供のいるMtF(male to female 男→女)のGIDって、

インポテンツでしたけれど、

ほとんどは、同性愛の趣味と、奥さんとの性交渉との、

いわゆる両性愛(バイ)でした。

子供が生まれると、同性愛のほうが好きなので、

そっち一本にしたくなる気持ちと、

インポテンツになる気持ちとが、だいたい同じかしら。

 

なかには、奥さんとだけって、主張する人もいましたけれど、

噂(うわさ)では、いわゆる女装レズってのを、やっていました。

真偽は、確かめようがありません。

 

そんなのは、どうでも良いのですけれど、

肝心なのは、やっぱり、子供の有無です。

 

子供のいないGIDの性転換をそそのかしたのが、

TV(トランスベスティズム)のうちの、子供いる人たちでした。

わたしは、子供のいないGIDの人に、

性転換をしないように薦めていましたけれど、

TVの人に袖を引かれて、性転換をしてしまいましたので、

どうしようもありませんでした。

 

性転換って、強制的に何かをする医療でありませんから、

本人の気持ちを、こちらで変更することはできません。

結局、行くところへ行ってしまいますけれど、

流行を作って唆(そその)さなくてもいいのになあって、

思いました。

 

子供のいない人や、性分化疾患の人を、

踏み台にしているのかしら。

いつも、喧嘩になっていましたので、

子供のいるGIDや男性同性愛の人たちの性別の文化の考え方に、

子供のいないGIDや、性分化疾患の人たちが、付いて行くって、

首を傾げます。

 

定職の経験の少ない人たちが、性転換の先駆者ですけれど、

庇(ひさし)を貸して、母屋を取られる、という言葉もあります。

昔の人は、お金がなくて、汲々(きゅうきゅう)していました。

 

性転換医療って、

貧乏人が飢え死にをしないように、凌いで行く医療でしたけれど、

昔も、GID(性同一性障害)の人って、

うまく行くと、すぐに自惚(うぬぼ)れました。

誰でも有頂天になりますから、人間的ですけれど、

なんとなく、一人の人間の心の落差が、大きいみたい。

滝って、落差が大きいと、美しく見えます