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カキノキの雌花 810 オバマ大統領の同性結婚

2012.05.09 15:00

柿(かき)は、雌雄同株の雌雄異花です。

これは、大きな萼(がく)が付いていますので、雌花。

ヘタ付きね。

 

見慣れた日本の花って、気持ちが落ち着きます。

柿(かき)は、欧米で好評の果物(くだもの)ですけれど、

昔は、日本から輸出されました。

 

あまりに美味(おい)しかったので、

すぐに、イスラエルやイタリアの果物になりました。

美味しい物を輸出すると、真似(まね)をされるので、損をします。

 

 

 

アメリカ合衆国の大統領をやっているオバマって名前の黒人の人が、

同性の結婚を認めたい、と言っています。

 

家族制度って、育児のために必要ですけれど、

男女の夫婦でも、子供のいない人は、たくさんいますし、

育児を終えた後も、仲の良い人たちは、家族のままですから、

欧米の国家制度では、家族って、小規模な自治体として機能します。

 

日本では、大規模な単一の家族のことを、国家と言いますから、

世帯と言われる家族は、大家族の中の一部分にすぎません。

 

一部分の切り取り方によって、

国家という大家族の中に、異性婚だけでなく、

同性婚や近親婚や一夫多妻や、乱婚や独身などの、

さまざまな形態が、すでに含まれている、とわかります。

 

けっして、日本の家族は、

国家の中の、小規模な自治体でありませんから、

同性婚の問題って、ただの形而上学にすぎないのかも知れません。

認識の仕方ね。

 

同性愛のように、生殖とは無関係であっても、

婚姻が成立するのでしたら、

この宇宙の中の、生殖とは無関係の、

ありとあらゆる物体と物体との間で、婚姻が成立します。

 

物体と言うと怒られるから、人間に限定しますけれど、

生殖とは無関係な人間と人間の間で、

平等に婚姻が成立する、としなければ、不公平です。

同性愛だけが、優遇される理由がありません。

 

生殖以外の、小規模な自治体としての権限が、

同性愛や異性愛以外の、

さまざまな種類の人間関係に認められなければ、平等でありません。

 

親と子は、近親相姦という生殖をしなくても、

夫婦として認められなければいけません。

友達と友達も、生殖をしないにもかかわらず、

夫婦として認められるべきです。

老人と、1才の赤ちゃんとの間でも、結婚があり得ます。

 

生殖の条件が必要でないのなら、人数の制限も必要ありませんから、

数百人の間の、いわゆる乱婚も、婚姻として認められるべきです。

人数制限がなければ、独身も夫婦です。

同居する必要もありませんし、

昵懇(じっこん)や知己(ちき)である必要もありません。

 

生殖という条件がなければ、

なぜ、同性愛だけが、特別に優遇されるのか、

正当な理由がありません。

 

日本語の同性愛は、

後ろに、愛って言葉が、くっついていますけれど、

こんなもん、どこにでも、自由にくっつきますので、

何を言っているのか、わかりません。

ただの好き嫌いです。

 

オナニーをすれば、だれでもわかりますが、

人間を想像しなくても、

動物でも器物でも、空気でも抽象語でも、構いません。

指でなく、何を使用して、擦っても構いませんし、

擦らなくても、構いません。

 

オナニーに習熟すると、想像さえ、必要でありません。

脳味噌の中では、勃起やオルガムスがなくても、

食べたり出したり、呼吸したり眠ったりする時の気持ちよさに、

ありとあらゆるものを、くっつけることが出来ます。

 

阿弥陀籤(あみだくじ)を辿(たど)って行くように、

生まれつきの気持ちよさに、結びつくことが出来るって意味ね。

よく使えば、単刀直入に繋がる道ができます。

 

どうして、同性が好きっていう道が太ければ、

家族という特別な自治権が必要なのかしら。

 

会社や組合や宗教団体などの法人でなく、

法的に徒党を組むための、家族や結婚という形式の、

既成の権利や義務でなければいけない理由が、不明です。

 

同性愛は、なぜ、

生殖や育児を目的とする夫婦を、模倣するのかしら。

復古主義でなければ、いけないのかしら。

 

インディアンの社会が、

アメリカ合衆国という政治団体の尻に敷かれているのは、

ヤクザや、ならず者や、よそ者などの横暴に、

手を焼いているようなものでして、

連邦政府や州政府を運営している人たちも、

本来の所属は、それぞれの家族や民族であると、

インディアンの人たちは考えています。

 

家族や民族のほうが本籍であり、

国家は、ただのやくざ団体であると。

 

日本の国は、インディアンの人たちの考えが、

そのまま国家になっていますけれど、

たぶん、世界中探しても、日本しかありませんでした。

黒船に負けて、原爆を落とされましたから、

インディアンの民族と同じように、

やくざ団体に乗っ取られましたけれど、

殺し合いに負ければ、仕方ないもんね。

 

同性愛って、同性愛しかできないのでしたら、

精神障害の疑いが掛りますけれど、

好き嫌いを言って、我侭(わがまま)に、

同性愛しか、しない人もいます。

しないのと、できないのと、どうやって区別します?

しなければ、習慣になり、変更できなくなります。

 

同性愛の人たちは、性欲って、動物的だから、

生まれつきに決まっていて、経験的には変更できない、と言います。

 

生後の、経験的なことでも、

習慣になると、変更できなくなるのは、当たり前ですけれど、

どうして、

同性愛の人たちは、当たり前のことが、わからないのかしら。

 

性欲や性別のことは、動物的で原始的だから、

人間的には変更できないって、同性愛の人たちは信じています。

心臓を動かしたり、呼吸したり、排卵したりするように、

同性愛の気持ちは、自動的に催して来るそうです。

 

同様に、

バイセクシャルと言われる両性愛や、普通の異性愛の気持ちも、

生まれつきに、自動的に決まっているので、変更不能だそうです。

 

普通の異性愛の人は、

簡単に、両性愛になったり同性愛になったり、出来るのに…

だって、車も徒歩も自転車も、自由に使い分けられるのが、

普通でしょう?

同性愛と異性愛も、自由に使い分けられるのが、普通です。

 

もちろん、習得していなければ、使い分けられませんし、

現代は、同性愛って、あまり流行していませんから、

同性愛のマナーが、社会生活に必要になることもなく、

習得する必要もありません。

覚えなければ、たぶん出来ませんし、嫌(きら)いです。

 

関西の人って、納豆が嫌いですよ。

別に、納豆を食べなくても死にませんし、

社会儀礼上、必要になるわけでもありませんけれど、

食べることを習得しなければ、

納豆って、嫌(きら)いなのが普通みたいなの。

だって、腐っているもん。

 

女性器や男性器も、同じでしょう?

うんこの出口に近いし、おしっこで汚れているし。

覚えなければ、好きになれませんけれど、

幼児の頃から、異性愛を習得するように、

しつこく文化的に教育されていますから、

納豆を見ると、涎(よだ)れが出るように、

異性を見ると、濡れて来ます。

 

そんなの、当たり前なのに、同性愛の人は、違う、と言います。

変更できないのは、生れつきだそうです。

 

食べ物って、子供の頃は、好き嫌いが多くても、

大人になると、好き嫌いのなくなる人が、わりと普通です。

これが、お猿さんとは違います。

お猿さんって、子供の時のほうが、融通が効いて、

大人になると、だんだん、頭が固くなります。

人間は、大人になるほうが、融通の効くようになる人が、多いの。

年寄りになると、だめです。

 

精神障害の人の中でも、大人になるほど、頭の固くなる人と、

だんだんと、融通が効くようになる人とがいます。

だから、

GID(性同一性障害)の子に、性転換を行なうのは、早いって、

言っているのに、 

早くから治療したほうが、効果が上がる、

と思い込んでいるお医者さんもいます。

 

連れ出してあげて、

色々な生活を経験できるようにするのが、いいのですけれど、

性転換医療って、

融通が効かなくなるように、体を壊してやろう、という医療です。

 

精神的に苦しい、と言う人たちのための、

一時凌ぎには有効ですが、長期的には、百害あって一利無しです。

 

オバマっいう人は、奇妙な考え方をする人でして、

同性愛と異性愛を、左右対称のように考えています。

あるいは、黒人と白人のような関係と、見たいのかも知れません。

 

同性愛って、ただの好き嫌いの中の、具体的な一つにすぎません。

他の無数の、好き嫌いの対象の中の、具体的な一つです。

同性が好き、というだけです。

チョコレートが好き、雨が好き、砂が好き、平和が好き…

その調子で、同性が好き、と言っているだけです。

 

異性愛は、生殖のためです。

生殖のための異性は、唯一無比です。

もっと正確に言うと、

自分の手持ちの配偶子の性別に対して、反対の配偶子の性別です。

 

同性愛と異性愛とは、ぜんぜん、対称的でありません。

夫婦は、子供を産んで育てるという生殖本能の端的な表われですが、

同性愛は、殺し合いから身を守るための、

個体維持の本能の表われですから、

結社や徒党と同じ性質のものです。

 

ぜんぜん、別の種類の概念なんです。

でも、ふつうは、

個体維持の本能って、生殖本能によって纏められています。

 

生殖のほうが優越しているって意味ですけれど、

個体維持の本能は、子供の頃に、すでに完成しています。

生殖本能のほうは、思春期にならなければ、完成しませんから、

人間は、まず、個体維持の本能によって、統括されて、

発達するにつれて、個体維持の本能も含めて、

まるごと、生殖本能によって統括されるようになります。

 

同性愛しか出来ない人や、GID(性同一性障害)の人って、

何らかの理由で、

生殖本能の発達が遅れているのでないかと、疑われます。

もしかしたら、途中で停止してしまい、

これ以上の発達が望めないのかも知れません。

発達障害って意味ね。

 

個体維持の本能は正常に発達したが、

生殖本能の発達が完遂(かんすい)されなかったのは、

何を意味しているのかしら。

なんとなく、個人主義は理解できるが、

みんなの社会との協調や、みんなとのコミュニケーションの発達に、

問題があるのかも知れません。

 

それが、思春期まで待たなくても、

たいていは、乳幼児期にわかります。

 

発達障害の療育法として、性転換が良いとは、あまり思えませんが、

GID(性同一性障害)の御本人は、性別のせいである、と言います。

 

異性装をすれば、とても気持ちが良いので、

そのように確信するのかも知れませんが、

異性装って、GID(性同一性障害)でなくても、

誰がやっても、気持ちの良いものです。 

 

わたしは、同性結婚という嘘つきのやり方よりも、

生殖できない人たちに、自治権を持ってもらう方法のほうが、

正直で良いと思います。

  

同性愛の人も、GID(性同一性障害)も人も、

一生懸命、自分たちは健常であると、言おうとします。 

同性結婚にしろ、性転換にしろ、健常者の真似(まね)です。

 

無事に真似ができれば、

みんなと一緒のことをするのと同じですから、健常です。

トレーニングをすれば、

出来るようになる人もいますし、出来ない人もいます。

 

GID(性同一性障害)の性転換は、

真似(まね)をしようとして、体を壊しますので、お薦めしません。

 

同性愛の人の同性結婚は、

最初から、生理的あるいは身体的には、生殖を放棄していますので、

それなら、生殖や育児をする人の結婚の真似(まね)でなく、

もっと、自由な道を進めば良いのに、と残念に思います。

 

生殖をしないのでしたら、

2人で暮らすよりも、1万人で暮らしたほうが、

合理的でありません?

同性結婚よりも、同性国家のほうが、役に立ちそうな気がします。 

 

昔の同性愛の人たちは、

修道院やお寺さんや、サッフォーにしてもフリーメーソンにしても、

異性愛の結婚の真似(まね)よりも、

同性愛者の社会の実現に、力を注(そそ)ぎました。

LGBTの人たちは、その道を諦(あきら)めて、方針転換したのかしら。

 

なんとなく、結婚の真似(まね)は、

夢の破(やぶれ)れた跡形を見るような気がしてなりません。

 

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 って感じね。

 

オバマって人は、

言葉のレトリックに従順な振りをしているだけですが、

アメリカ合衆国の国民の、半分ぐらいの人は、

気づかないかも知れません。

 

同性愛と異性愛は、2つを並べるようなものでないのに、

言葉の字面(じづら)は、よく似ています。

言葉の綾(あや)ね。

日本人が、いちばん騙(だま)されているかも知れませれん。