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エゴノキ 829 人間らしさ

2012.05.28 15:00

山の中の、少し涼しい所に、まだ、エゴノキが咲いていました。

品種改良されていない野生の日本の樹木では、

エゴノキって、指折りの可愛らしい花を咲かせてくれます。

 

 

GID(性同一性障害)の治癒した人たちって、

GIDが生殖をしないで、性的快楽だけを食い逃げするのは、

不可能である、と言います。

 

子供の生まれない夫婦は、一杯いますけれど、

自分から生殖機能を壊したGIDの後悔は大きいそうです。

自責感に苛(さいな)まれずに居よう、とする気持ちと、

心の性別を、がむしゃらに信じよう、とする気持ちとが、

同じですので、

後々までも、性転換を選んだことが、尾を引くそうです。

 

できるだけ、何事(なにごと)につけても、

いつも、将来のことを秤(はかり)にかけて、

現金に判断できる立場が、気楽ですけれど、

性転換を選んだ、という過去のことが、判断を重くします。

 

せっかく、性転換をしたのだから、という気持ちになるの。

フリーハンドでなくなります。

 

生殖って、本能と言われていますけれど、

生殖が、命の原動力や目的であるかのように、

解釈できるだけでなく、

実際に、生殖が避けられない運命のように、

GID(性同一性障害)の心に、迫って来ることがあるのかしら。

 

一般の人でしたら、性欲に促(うなが)された衝動が、

端的に生殖のためですから、わかりやすいのですけれど、

GIDの人でも、たとえば、

両親や他人の命を大切にしなければいけないとか、

お腹が減ると、食べたくなる気持ちや、

飢え死にしないように、現金に生きようとする気持ちや、

怪我(けが)や病気の苦しみを、避けようとする気持ちなどは、

いずれも、深刻に迫って来ますけれど、生殖のためでありませんか。

 

苦しいのを避けて、気持ちの良いことを、求めようとするから、

人って、生き生きとしていますけれど、

これは、生殖のための本能でありませんか。

 

生物の本能は、

すべて、生殖本能一本に纏(まと)められる、とされるのは、

人間で言えば、生きようとする気持ちは、

世代交代をしたい、という気持ちがなければ、成り立たない、

という意味です。

ダーウィンやフロイトなどに代表される考え方ね。

 

生物の個体って、みんな死にますから、

だんだんと老化して、死が近づいてくると、

世代交代のない人は、生きようとする意欲を、急速に失うのに、

自分の命を、みんなのために役立てようとする気持ちが、

一向に湧いて来ません。

世代交代がありますと、

自分の命を捨てでも、人のために役立とうと思います。

どうせ死んで行く命を、ちっとも惜しいとは思わなくなります。

 

GID(性同一性障害)の人は、

自分から生殖機能を壊した理由として、

自分の心の性別は、これこれなので、この体は嫌(いや)、

と言います。

そして、望みの性別の生殖機能を、手に入れたわけでありません。

 

自分の意志によって、生殖機能を壊した限りは、

いつまでも、自分の性別はこれ、という生き方でなければ、

後悔することになりかねません。

 

性別にこだわり続けなければ、生き生きと出来ない人生って、

必ず行き詰まると、GIDの治癒した人たちは言います。

 

GIDには、性別を超えた生き方しか、ないそうです。

男らしい生き方や、女らしい生き方でなく、

人間らしい生き方をしよう、ということね。

 

自分らしい生き方と、どう違うのかしら。

GID(性同一性障害)の人たちは、

望みの性別の生き方が、自分らしい生き方であると言い、

性転換を望みました。

性別の文化に絆(ほだ)された生き方って、自分らしいのかしら。

 

生殖って、生物の本能と言われていますけれど、

個体の長生きを、良いこととする価値観は、

生殖本能と、矛盾するかも知れません。

もっと短い人生を、頻繁に繋(つな)いで、世代交代をするほうが、

生殖本能に適(かな)っているかも知れません。

 

フランス革命や、アメリカが作った日本国憲法の個人主義って、

生殖本能に矛盾しています。

日本人は、かつて一度も、

個人主義を良いとしたことが、ありませんけれど、

人間らしさって、個人主義とは、また違うのかしら。

 

生殖をしないで、快楽だけを食い逃げする生き方って、

GIDの人たちが、自分らしい、と言う個人主義のことなのかしら。

それは、人間らしい生き方でないと、GIDの治癒した人たちは

言います。