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ユリノキ 839 形而上学と、事実や技術

2012.06.07 15:00

百合(ゆり)の木って、アメリカの背の高い木を、

公園の木や、街路樹として、輸入したものです。

 

下から撮(と)り上げても、花の様子が、よく見えないので、

近くに小高い丘があれば、好都合です。

 

 

 

人は、たくさんの物事(ものごと)に、共通点を見つけ出して、

たぶん未来にも、この共通点が現れるだろう、と予想します。

 

共通点には、条件があります。

これこれならば、これこれの間に、これこれの共通点があります。

条件に適(かな)えば、未来にも、同じ共通点が現れます。

 

人間の見ている事実は、

さまざまな条件によって抽出された共通点を組み合わせて、

構成されています。

人間は、かつて抽出したことのある共通点しか、認識できません。

 

ほとんどは、文化と言われる共通点ですので、

今、認識している張本人の個人が、抽出したものでありません。

 

人間は、共通点しか、認識できないとするなら、

これとあれとの、共通点を抽出して、未来を予想したところ、

その通りに抽出された共通点が、未来にも現れたので、

これこれの条件ならば、これこれの共通点が現れることを、

自然の法則とするのは、

いかにも技術者が得意になりそうな、形而上学です。

 

昔は錬金術師と言えば、悪魔の手先のようでしたが、

うちの先祖は、だいたい溶鉱炉が好きでした。

 

共通点には、すべての物事(ものごと)に共通のものもあれば、

一部の物事に共通のものもあります。

いつでも現れる共通点もあれば、

これこれの条件でしか現れない共通点もあります。

 

すべての物事に、いつでも現れる共通点を、

強いと、仮に表現しておきます。

一部の物事に、限られた条件のもとでしか現れない共通点を、

弱いと表現します。

 

最も強い共通点は、空間や時間のような、無条件の定義です。

比較的に強い共通点は、文化と言われるかも知れません。

弱い共通点は、

個人の経験の中の、神経質な条件のもとでの共通点ですので、

未来や、他人の経験には、現れないかも知れません。

 

人間は、様々な共通点の組み合わせを、事実として認識します。

共通点として抽出されたことの無いものは、認識できません。

人間は、認識の対象に、文化的な規格を適用して、

事実を認識します。

特定の共通点を抽出する様々な要領が、文化的な規格ですから、

事実は、強弱の様々な共通点によって、成り立っています。

 

認識の対象は、文化的な規格が適用される以前の、

無意識の情報です。

動物の多くは、感覚器官から入力された刺激情報に対して、

無意識の自動機械のように反応します。

人間の機能の多くも、

白血球のように無意識であるにもかかわらず、

身内と異物の違いを学習して、識別します。

 

無意識に処理される情報に、他の個体との共通の文化が適用されて、

二次的に編集された虚像を、

新ためて認識の対象であるかのように再認識すれば、

意識があると言い、

再認識の対象とされた虚像を、自我や事実と言います。

 

自我や事実は、

さまざまに抽出された共通点のみによって、成り立っています。

 

技術者が実験を繰り返して得られた知見により、

未来を予測しますと、その通りのことが起こりますので、

人間は、鉄を作り、

船や車や超高層ビルやコンピュータや宇宙船を作り、

抗生物質を作り、外科手術を行ない、

衣服や家や下水道などを作りました。

 

これを、事実が確かである証拠と、人間は確信します。

事実の成り立つ仕組みを知っていましたら、

技術は、論理的な定義を、同等の定義に変形する作業に似ていると、

感じられます。

記号や数字や言葉による論理式を扱うように、

溝を掘り、水を流したに過ぎません。

 

認識された事実は、

自然という名前であろうが、土や水という物体であろうが、

記号と同じなの。

すでに共通点として定義されて抽出されたものです。

人間は、記号式や数式や文章を変形するように、

溝を掘り、水を流します。

わたしたちが見ている土は肉や血は、記号なの。

 

コミュニケーションが不調になると、

自我障害や幻覚が現れるのは、当然です。

意識が解離して、自我や事実の認識が、歪んで壊れます。

 

人間が、認識や表現のために、

みんなと一緒の文化的な規格を適用するのは、

もちろん、他の個体とのコミュニケーションの必要性からです。

 

文化という共通の規格によって、

他の個体と、情報を交換する必要がなければ、

情報を再認識して、自我や事実という意識を持つ必要もありません。