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スモモ 856 綾(あや)取りや、折り紙

2012.06.24 15:00

李(すもも)を、

子供の頃に、巴旦杏(はたんきょう)と言っていましたが、

 

 

統合失調症って、器質的な原因や仕組みが、わかっていません。

幾つもの精神症状の組み合わせを、文学的に分類して、

統合失調症としたものですから、

脳の未発見の、微細な器質的な異常と、

精神症状の、文学的な組み合わせとが、

簡単な条件によって、原因と結果の関係になっている可能性は、

ほとんどありません。

 

共通の器質的な異常が発見されないだけでなく、

異なる器質的な異常が原因になり、同じ精神症状をきたすことを、

わたしたちは、ごく日常的に、よく経験しています。

 

歯が痛くて、他人に怒鳴る人もいれば、

お酒を飲んで気持ちよくなり、他人に怒鳴る人もいます。

寝起きに、家族に当たり散らす人も、ごく普通にいます。

 

いずれも、不機嫌になり、攻撃的な言葉を軽々しく投げつけ、

面倒臭い作業に、非協力の態度を決め込みますが、

原因は、それぞれに違います。

 

統合失調症も、何らかの、

人それぞれに異なる微細な脳の器質的な異常が原因になり、

文学的に一つに纏(まと)められるような、

共通の精神症状になっているだけかも知れません。

 

人それぞれに異なる脳の微細な異常を、

統合失調症という共通の精神症状の、人それぞれの原因であると、

特定できるのかしら。

 

これこれのことが、戦争の原因であると、

みんなが、思い思いの意見を述べるだけしか、

できないかも知れません。

原因と結果の関係は、風が吹けば桶屋が儲かるようなものです。

 

それにもかかわらず、わたしたちは科学技術を見ると、

これこれの原因があれば、必ず、これこれの結果があると、

わかっているからこそ、

超高層ビルが建ち、宇宙船が飛び、

抗生物質の製剤が、ばい菌をやっつけてくれる、と信じています。

 

この確信は、統合失調症の精神症状が、

文学的に一つに纏められるのと、ほとんど同じ理屈です。

一つに囲い込んだのですから、ひとまとまりの症状に見えるのは、

当たり前なのですが、 

事務的に、ひとつに纏(まと)められているだけでも、

ちゃんと自然の単位に見えますので、

必ず宇宙船が飛び、ばい菌が死にます。

 

言葉って、ざっくばらんに言うと、記号ですけれど、 

文化的に、みんなで取り決められたものですので、

けっして、自分勝手な、独自の言語を創作しても、

他人に通じません。

時代や場所により、しょっちゅう、中身が変わるにもかかわらず、

多数決のために、挙手をした覚えも、ほとんどありません。

 

わたしたちが見ている事実も、

文化的に取り決められた記号なの。

 

これこれならば、必ず、こうなるって、

言葉で表現されるのは、定義しかないように、

必ず宇宙船が飛び、ばい菌をやっつけてくれる成り行きを、

確認できるのは、定義の体系を、取り決めているだけです。

 

そうして、取り決められた文化的な規格に従い、

無意識に、自動機械のように処理されている情報の中から、

事実と言われる記号の組み合わせを抽出して、編集しています。

 

言葉も、みんなで取り決めた覚えがないのに、

ちゃんと、みんなに流通している通貨のように、信頼されています。

事実も、実験や試行錯誤を繰り返して、

篩(ふるい)に掛けられたように、

みんなに流通するものだけが、取捨選択されています。

 

よく使われる文化って、ようするに整合性があるの。

自然と論理が一致する、という意味ですけれど、

そういうものだけを、事実として認識するように、

篩(ふるい)に掛けています。

 

論理って、空間や時間などと同じように、

みんなに共通性の高い文化ですから、

大きくなった雪だるまのように、

転がされた文化の核心を作っています。

あるいは、転がし方の規則かも知れません。

 

条件反射や習慣などと言われるように、

脳みその中の、神経細胞の塊(かたまり)を、大きくするのと、

同じ要領です。

オナニーと同じことね。

 

数式や文章を、色々といじくり、

これとこれは、同じ意味であるとか、

これとこれを組み合わせると、これが導き出せるとかって、

折り紙やスポーツみたいに、学校の子供たちに、強制的に仕込んで、

器用さを競わせているでしょう?

 

次々に、見かけの異なる折り紙を、折り出して行きます。

いくら、折り方を変えても、所詮はお遊びかも知れませんが、

本気でスポーツをしないと、怒られます。

 

溶鉱炉に、鉄鉱石やコークスを放り込んで、鉄を作ったり、

コンピュータや宇宙船や医薬品に、人間をぶち込んで、

鉄砲玉みたいに、遠い所に飛ばしたり、

まな板の上のお肉みたいに、お鍋に入れて調理したりします。

 

折り紙遊びや、文学や、数式ごっこと、

科学技術とが同じであるのでしたら、

食べて生きて世代交代をするための、弱肉強食や自然淘汰などの、

アリストテレスやアインシュタインなどに代表されるような、

生殖本能を中心とした目的論的な考え方と、記号論の考え方とは、

雪と炭のように、違うかも知れません。

 

素粒子から、宇宙が膨張して行くような、

ロマンチックな筋書きの、言わば史的唯物論が、

記号論には、ありません。

原因や結果や目的や理由のような、

文化の中身は、オナニーにすぎません。

 

原因と結果の関係って、

綾(あや)取りをしているみたいでしょう?

事実であろうが、言葉であろうが、数式であろうが、

毛糸の綾取りや折り紙と同じですから、

加速器やフランス革命のような、ロマン主義は要りません。

 

統合失調症やGID(性同一性障害)の人たちって、

死に絶えても、構わない、と言います。

本能がないのかしら。

三島由紀夫さんみたいに、首をちょん切られても、

痛くありませんから、たぶん、病気です。

 

どうして、統合失調症では、

文学的な精神症状の分類と、器質的に微細な脳の異常とが、

一致しないのかしら。

 

微細な構造が、見えていないのですから、当たり前ですけれど、

異常な器質から、異常な精神が生まれるって、

普通は考えられません。

当たり前の体から、異常な精神が生まれるように、

正常な脳の器質から、異常な精神が生まれた、と考えるのが、

普通です。

 

犯罪と同じですが、体の犯罪でなく、脳の犯罪ですので、

普通は責任能力がない、と言います。

体を牢屋に入れて罰するのでなく、

脳に、抗精神病薬というお薬を入れて、治療します。

罰するのと、同じことですが…

角(かど)が立たないように、違う言葉で表現されています。

 

癖(くせ)がつきますから、牢屋は必要ありません。

お薬がなければ、やって行けなくなりますので、逃げられません。