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葉山のしらす屋 887

2012.07.25 15:00

しらすを獲(と)る漁師さんが、自分で釜茹(かまゆ)でにして、

ちりめんじゃこを販売しています。

 

しらすは、片口鰯(かたくちいわし)の稚魚(ちぎょ)ですけれど、

もうすぐ、鰯(いわし)も、獲(と)れなくなるかも知れません。

昔は、鰊(にしん)が、そうでした。

 

煮(に)て、搾(しぼ)って、

鰊油(にしんあぶら)を採(と)った後(あと)の、

粕(かす)を砕(くだ)いて、

積(つ)み上げて醗酵(はっこう)させたものを、

幕末から肥料にしていました。

 

獲(と)りすぎたので、個体数が減(へ)り、

産卵のために、春に、日本沿岸まで南下する鰊(にしん)が、

根絶(ねだ)やしになりました。

 

鰊(にしん)って、生まれた浅瀬(あさせ)に帰(かえ)り、

海藻(かいそう)の葉(は)っぱや茎(くき)に、

卵(たまご)を産み付けます。

北海道西岸や東北地方西岸の、

海岸近くの藻場(もば)に帰(かえ)って来た鰊(にしん)を、

乱獲(らんかく)しましたから、

日本まで南下する鰊(にしん)がいなくなったのは、当然です。

 

第二次世界大戦後に、急速に獲(と)れなくなり、

お正月の数(かず)の子の値段が、

暴騰(ぼうとう)したこともありました。

 

江戸時代の鰊(にしん)は、

北海道の網元(あみもと)で加工されたものを、

北前船(きたまえぶね)が大阪に運(はこ)びましたので、

大阪の問屋さんが、

鰊粕(にしんかす)の流通(りゅうつう)を仕切っていました。

 

江戸時代から、うんこやおしっこを、

下肥(しもごえ)として、使っていましたけれど、

川船がなければ、たくさんの下肥を運べませんので、

運河(うんが)の発達した河口付近の

沖積平野(ちゅうせきへいや)でなければ、

農家は、自分の家の下肥しか、使えませんでした。

 

これでは、肥料が足りずに、商品作物を栽培できません。

鰊(にしん)の油を搾(しぼ)った粕(かす)が、

肥料として、販売されたので、

運河のない洪積台地(こうせきだいち)でも、

商品作物を栽培できるようになりました。

 

乱獲のために、鰊(にしん)がなくなっちゃった。

鰯(いわし)のしらすも、その二の舞にならなければ良いのですが…

しらすって、稚魚(ちぎょ)を獲(と)りますから、悪質です。

 

でも、大根おろしで食べると、美味しいので、仕方ありません。

三島由紀夫さんの切腹や、

GID(性同一性障害)の性転換のようなものです。