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ファミリーレストラン 915 美しさや賢しこさ

2012.08.22 15:00

曇(くも)って来たので、

デニーズの牡蠣(かき)フライ定食を、食べに行きました。

テラスから海が見えるの。

 

わたしは、冷房の効いた屋内がいい。

海は、見飽きているから。

若い子は、テラスで食べていました。

 

水着(みずぎ)になり、

バケツの水を、頭(あたま)から、かぶればいいのに。

そう思っていると、降(ふ)って来(き)ました。

  

 

 

何を美しいと感じるかは、言葉の文学的表現の仕方が、

人によって違うだけかも知れませんので、

気をつけなければいけませんけれど、

だいたいは、何を賢いと思うかと、似たような仕組みでして、

価値と言います。

 

これこれの事があれば、こうするとか、こう思うとか、

これこれの刺激があれば、こう反応するとかは、

経験的に繰り返された習慣として、決っていますけれど、

一部分は、経験をしていないのに作られた自動的判断や、

一回きりや、少ない回数の経験的判断が、

変更不能や変更困難になったものかも知れません。

 

経験をしていない自動的判断って、

胎児の頃に作られることが多いようです。

生まれた後に作られた判断でも、

何度も使われた経験は、習慣になり、

自動的な判断と同じように機能します。

 

でも、生まれた後の経験的な判断って、たいていは、

違う判断をしたほうが、良い結果になる場合もありますので、

よく使う判断と、そうでない判断とを、使い分けています。

二足歩行のようなものね。

 

習慣になっているので、無意識に機能しますけれど、

赤ちゃんが歩行を習得するのを、大人が見ていますし、

大人のくせに、寝転がったり、匍匐前進をしたりしますから、

大人って、二足歩行の成り立ちをよく知り、

使い分けることを忘れていません。

 

二足草鞋(にそくわらじ)ね。

 

習慣であるって、知っていて、使い分けができる間は、

そう言われるのかも知れません。

忘れて、使い分けが出来なくなると、

生れつきや本能などと、言い出します。

 

     生物は、生殖や個体の生存が、本能である、と言います。

     本能でなく、使い分けができる、と言うのなら、

     健常ですが、

     心の性別が、体の性別と違う、と言い出すと、

     GID(性同一性障害)と名札(なふだ)を付けられて、

     精神の病気の一種とされます。

 

     実際には、世代交代を拒否して、

     自分の命と、子孫の命の、両方を絶やそうとしますから、

     自殺よりも重症ですが、

     性転換医療を進める医師や学者も、

     性転換を望むGID(性同一性障害)の患者さんと、

     同じ病気です。

 

     ミュンヒハウゼン症候群のように、

     自分の体や命を、虐待するだけでなく、

     性転換医療を進める医師や学者たちは、

     代理ミュンヒハウゼン症候群のように、

     自分の体や命の代わりに、

     他人の体や命を虐待しておきながら、

     介護してあげていると自覚しますので、非常に危険です。

 

     ミュンヒハウゼン症候群から、

     代理ミュンヒハウゼン症候群への、症状の変化が起こり、

     やがて、GID(性同一性障害)の人の中から、

     性転換医療を進める医師や学者が現れますので、

     現在、性転換医療を行なっている医師や、

     性転換医療を推進している学者などは、

     大部分が、GID(性同一性障害)と同じ精神の病気です。

 

     性転換医療って、病人同士の、仲間内の医療なの。

     共食い医療やオウム医療とも言います。

     同じ病気の人が、今度は他人の病気を治療すると称して、

     仲間の病気を悪化させることにより、

     儲(もう)ける側に回ります。

     GID(性同一性障害)という病気の、

     毎度お馴染みの、典型的な病気の進行のパターンです。

 

赤ちゃんの二足歩行の習得って、

必ずしも、よく使うので習慣が形成される成り行きだけでなく、

経験をしないにもかかわらず、

自動的な判断が作られて、変更不能になる経緯(いきさつ)を

否定できません。

 

たぶん、胎児の頃に、経験のない自動判断が形成されて、

生まれた後に、実行されたのでしょう。

経験がないのに、胎児の頃に、すでに作られている自動判断を、

コンピュータのように、プログラムと言うと、便利かも知れません。

 

一時的な経験が記憶されて、何度も使われるうちに、

習慣的な自動判断が作られて行く過程は、

生まれた後のことですので、観察していると、よくわかります。

自分の経験を覚えていますし…

 

生まれる前の、経験のない自動判断のプログラムが作られる過程も、

生まれた後の一時的な記憶や、よく使う習慣の形成などと、

似ているかも知れません。

 

いわゆるホルモンシャワー説って、

多くの動物では、実験的に再現可能ですので、

様々な種類の、ホルモンや酵素(こうそ)が、

脳の中の化学物質の変化や、神経細胞の樹状突起の形成や、

神経細胞の受容体の形や数や、電気と化学物質の変換や、

血液脳脊髄関門と言われる化学物質を篩い分ける血管の機能などに、

関係があるとわかります。

 

生まれた後の、経験的な判断って、

色々な判断を、よく使い分けていると、

習慣のような長期記憶が形成されても、

けっして、変更不能にならないようです。

 

判断の枝分かれを使い分けていると、

信号や交差点のない高速道路を走るような、

自動機械の判断と言うわけには行かず、

一般道路の走行のように、脳みその記憶容量を多く使い、

判断の枝分かれが増えて、処理速度が遅くなり、

脳の負担になります。

 

もしも、化学物質を変化させるための、

酵素(こうそ)を分泌する機能が、脳の中にあるのでしたら、

糖尿病のように、脳の機能が疲弊するかも知れません。

 

精神科のお医者さんには、脳をトレーニングするために、

一生懸命、パソコンのキーボードを打って、

手先を使っている人もいますけれど、

歩かずに、冷房の効いたところに、座り続けています。

 

スポーツをしている人や、統合失調症の人を見ていると、

体や脳の機能って、

頻繁に使えば、疲弊して傷み易いかも知れません。

適度に使えば良い、と言われていますけれど、

長寿の人には、変人や怠け者が多く、

お医者さんが長生きをすれば、統合失調症に似て来ます。

 

使えば使うほど、傷みますけれど、

使わなければ生きて行けませんので、

楽ちんに使おうとすると、変人や怠け者になります。

気を使うと、ストレスに弱いと言われて、統合失調症になるかもね。

 

二足歩行や発語なんて、教えなくても、

赤ちゃんは、ひとりでに歩き回り、

うるさく発声しますから、面倒を見るのが大変です。

オナニーみたいなもので、そのうちに親は、勝手にやっとけ、

という気持ちになります。

 

運動家も、GID(性同一性障害)も、統合失調症も、

お医者さんも、赤ちゃんも、似たようなものですけれど、

70億もいますと、死体の処理だけでも、大変です。

食料に変える産業があれば、便利ですけれど、

ナチスドイツが、そうしました。

 

土や灰に変えるよりも、合理的ですが、

石油危機の頃に、石油タンパクや、遺伝子組み換え食品が、

危険と言われて、非難されました。

 

GID(性同一性障害)も

美味しいお肉になるために、自分を飼育する人たちですから、

それを食べて暮らしているお医者さんよりも、賢いはずです。

お医者さんって、変人や怠け者が多くて、困ります。

自分のうんこの世話もできないくせに、

自分自身がうんこになります。

 

美味(おい)しい食べ物になったほうが、うんこになるより、

賢いと思いますが、

美しいのと、賢いのとは、似ています。

 

     エステティックって、

     目で見たり、手で触ったり、鼻で嗅いだり、

     感覚器官を経た五感の情報のことですけれど、

     人間って、目の機能が優れているので、

     だいたい視覚中心になります。

 

     普通は、美しいって言えば、顔や体の見てくれのことで、

     次に、衣服や建物などのことですから、

     美容外科や繊維産業や建築業って、

     美味しい食品産業と合わせて、

     発達途上国に相応(ふさわ)しい産業かも知れません。

     原始的です。

     スーダンの建築って、牛のうんこを、家の壁に使います。

 

     目で見た形を、良い形と悪い形のように評価しますから、

     美は、機能的に評価されるのが当たり前ですけれど、

     人間らしい機能って、

     賢いとか、思いやりとかって、言われるでしょう?

 

     顔や体の見てくれから、

     賢しこさや思いやりが、わかるそうです。

     衣服が、それを修飾しますから、

     レトリックの上手い芸術家や学者さんや漫才師には、

     衣服だけを使い、賢しこさや思いやりがあるかのように、

     見せかける人もいます。

 

     手品ですけれど、目で見た形ですから、事実です。

     テレビやコンピュータのモニター画面って、

     そうでしょう?

     誰も疑いませんけれど、

     プログラムを電気回路にして、シリコンに焼き付けたり、

     ONとOFFの二進法の数列にして、

     ハードディスクに放り込んだりしたのを知ってるくせに…

 

     人間の目の良さって、

     他の哺乳類の嗅覚が、人間では退化して、

     空気にフェロモンという化学物質を混入する代わりに、

     目がモノを言うコミュニケーションになりました。

     性器の形を、目で見て、雌雄を識別するので、

     性器の形が、目や口に似てきました。

 

     人間らしさって、手先が器用? 二足歩行? 

     言葉を使うのかしら。

     賢しこさや思いやり、と言う人もいます。

     美は、形の見てくれから、それらがわかる、

     という意味です。

 

     日本では、目の小さい人と、足の短い人が、

     奴隷制時代の黒人奴隷よりも、

     差別虐待されて、殺されていますが、

     日本人は気づきません。

     日本人を差別する欧米人の真似(まね)を、

     日本人がしましたから、欧米白人も気づきません。

 

     美と、賢しこさや思いやりって、そっくりです。

     手先の器用さや、二足歩行や、言葉の使用は、

     少し違います。

 

     意識の内容の成り立ちという認識の仕組みを見れば、

     美や賢しこさや思いやりなどと、

     手先の器用さや、二足歩行などの事実とが、

     同じであると、わかります。

     形を見て、美を知るのですから、当たり前です。

 

形に、美があると、見るように、

感覚器官から得た情報の中に、賢しこさや思いやりがあると、

判断します。

 

論理って、因果関係や相互関係でなければ、

時間や空間の前後を言っているだけですけれど、

因果関係や相互関係などの、ロマンティックな筋道(すじみち)は、

どこから、引っ張り出されて来たのかしら。

 

これと、あれを、くっつけて、

時間や空間の条件をつけただけですから、定義にすぎません。、

他の感覚情報を、条件として付けることもあります。

これと、あれ、という二つを、くっつけるだけでなく、

3つ4つを、時間や場所に応じて、使い分けます。

条件をつけるってことね。

 

結局、感覚情報の特定の組み合わせのことを、

美や賢しこさや思いやりなどと、言っているにすぎません。

人間は目が良いだけでなく、組み合わせと記憶の能力が高いので、

情報の組み合わせの単位として、

事実と言われる組み合わせ方の既成品を持っています。

 

文化的なプログラムになっていますので、

個人的な習慣を超えて、

他の個体とのコミュニケーションに使われます。

言語もそう、事実と似ています。

 

言語って、聴覚だから、

人間が特に優れているわけでありませんけれど、

組み合わせの能力は、人間が優れているでしょう?

 

聴覚から視覚へ、

発声言語を、文字という視覚的な事実に変換できるように、

数式を変形して、記号の組み合わせ方を変えることもできます。

溝を作って、水を流すって、

事実という主に視覚的な記号の組み合わせ方を変更して、

数式を変形するのと、同じ意味でしょう?

 

事実って、言語や記号式や数式みたいに、

感覚情報の組み合わせ方の単位なので、当たり前です。

変形の様子は、コンピュータのプログラムを見れば、

詳しくわかります。

組み合わせ方を変えれば、モニター画面の内容が変わるでしょう?

 

     人間の脳みそって、生き物だから、

     適当に使っていなければ、

     使われない神経細胞が壊死して、

     配線が変わってしまうかも知れません。

     そうかと言って、新しい配線を作ろうとするのは、

     すごく疲れやすいから、

     使いすぎると機能が壊れるかも知れません。

 

     いちばん楽ちんなのは、

     すでに出来ている配線が廃れないように、

     いつもと同じ習慣を、満遍なく繰り返す人生かしら。

 

     個体は、みんな、

     楽ちんなことを実行するように出来ているのでしたら、

     お目出度く幸せですけれど、

     何が楽ちんかは、

     他の個体の行動によって変わりますから、

     わざわざ、しんどい目に遭わされる羽目になった個体は、

     たぶん、ストレスのために、病気になります。

 

     美しさや賢しこさや思いやりなどの価値観は、

     みんなと一緒のことの出来ない個体を、

     精神の病気にしてくれます。

 

     事実や言語と同様に、

     感覚情報の特定の組み合わせにすぎないのに、

     汎用性に乏しく、恣意的に使用されますので、

     生れつきに変更不能な、

     特定の体の形や脳の機能に結びつくと、危険です。

 

     美しさや賢しこさは、

     ノーベル賞や、オリンピックの金メダルや、

     美人コンテストのように、人の優劣を判断して、

     劣等な人間を殺すために使用されるのが、普通です。

 

     GID(性同一性障害)の人が性転換を望むのと、

     医師や学者が、性転換医療を進めるのとは、

     たぶん同じ危険さです。 

     オウム医療や共食い医療などと言われていますけれど、

     ノーベル賞や、オリンピックや、美人コンテストなどと、

     同じね。

 

     ヒトラーって、オリンピックを使ったでしょう?

     古代ギリシャの奴隷制の考え方です。

     原子爆弾を落とされた日本人が、

     ノーベル賞の意味を知らずにどうしますか。

     日本人が、世界で一番、

     人種差別をする民族と言われているのは、

     鹿鳴館と美人コンテストが同じって意味でしょう?

     黒船や原爆の結果です。

 

     プーチンって人も、マッチョを宣伝していますから、

     ヒトラーのオリンピックに似ています。

 

     性転換を望むGID(性同一性障害)と、

     性転換医療を進める医師や学者との関係を、

     ミュンヒハウゼン症候群と、

     代理ミュンヒハウゼン症候群の関係って、

     GIDの治癒した人は、誰でも知っています。

 

     ミュンヒハウゼン症候群っていう言葉を見ると、

     ネットで検索して、言葉の意味を調べるでしょう?

     読んでいる途中に、もう、GIDと同じって、気づきます。

     今度は代理ミュンヒハウゼン症候群を読むと、

     すぐに、性転換医療を進めている医師や学者のことって、

     自分で気づきます。

 

     GID(性同一性障害)の人が、

     お客の袖(そで)を引くように、

     必ず性転換を普及しようとするのは、

     判(はん)で押したように、お決まりの精神症状なの。

     GIDの治った人は、

     性転換医療をやっている医師を見ると、

     これはGIDと同じ病気に罹っているって、

     すぐに分かります。

 

     美や賢しこさって、嫌(いや)な奴にストレスを与えて、

     殺すための価値観です。

     自惚れるのと、嫌(いや)な奴を殺すのとは、

     同じでしょう?