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コウヤマキ 1054 性同一性障害の特例法

2013.01.09 15:00

高野槇(こうやまき)は、本槇(ほんまき)と言(い)われます。

犬槇(いぬまき)に比(くら)べてです。

 

スギ科(か)やコウヤマキ科(か)などと、言(い)われますが、

日本特産(にほんとくさん)の

代表的(だいひょうてき)な針葉樹(しんようじゅ)です。

 

台風(たいふう)が来(く)るので、

まとめて植(う)えるしか、仕方(しかた)ありませんけれど、

欧米(おうべい)の庭園(ていえん)のような、

背(せ)の高(たか)い針葉樹(しんようじゅ)が

欲(ほ)しければ、

日本(にほん)の高野槇(こうやまき)や檜(ひのき)を、

お薦(すす)めします。

 

二枚(にまい)の葉(は)が、横(よこ)に並(なら)び、

一枚(いちまい)の葉(は)として、くっついています。

 

 

 

昔の性転換って、

顔や体の見てくれが、異性に似ていれば、

虐(いじ)められるという現実がありましたので、

御本人には、苦渋の選択でした。

 

どうしても、同性のように装えない見てくれの人は、

もしかしたら、性分化疾患のせいかも知れませんでした。

 

同性として、虐められずに暮らすことができれば、

御本人は、最善であると、考えていました。

 

社会の、エステティックな差別が、原因です。

体は、人それぞれに、個性的な特徴がありますので、

同性の文化的な体の特徴に、当てはまらない人が、出て来ます。

異性の文化的な体の特徴に、酷似している人は、虐待されました。

 

性別の文化的な体の特徴って、

性別の生物学的な要件の、性器の形や生殖機能の特徴でありません。

 

男性は背が高く、髭が生え、

女性は背が低く、ぽっちゃりとしているようなものです。

 

男性なのに、背が低かったり、

女性なのに、体がごつかったりすると、簡単でありません。

 

     今の性転換は、昔と違います。

     顔や体の見てくれが、異性に似ていなくても、

     自分の心は異性であると、主張します。

 

     同性として、暮らしていても、

     そのせいで、虐められることは、ありません。

     御本人は、

     異性として暮らすことが出来れば、幸せである、

     と言います。

     

     自分の心は、変更できないそうです。

     顔や体の見てくれが、異性に似ていれば似ているほど、

     御本人は喜びます。

     心が変更できなければできないほど、

     自分は本物のGIDであると、自惚(うぬぼ)れます。

 

     他人も、

     本人の見てくれが、異性に似ていれば似ているほど、

     褒めてくれます。

     心が変更できなければできないほど、

     本物であると、褒めそやしてくれます。

 

     これこれの性別ならば、これこれの具体的な言動である、

     という流行文化の中身のことを、

     御本人や支援者たちは、心が異性である、と言います。

 

     性別の文化的な流行は、

     衣装や、性交渉の相手の性別などに、具体的に現れます。

     

     スカートならば女の心、ワイシャツなら男の心、

     性交渉の相手が女なら、男の心、男なら、女の心。

     いくつかの具体例が揃えば、心の性別は、

     間違いなくこれこれであると、言われます。

 

     流行文化の具体的な内容が、

     それぞれの性別の心であるとされます。

 

     たいていの人は、異性の流行文化に浸ると、

     性的に快感です。

     思春期の男の子や、女の子は、異性装をすれば、

     ほとんどが、恍惚状態になります。

 

     気分の優(すぐ)れない人は、

     あらかじめ、異性の文化に浸り、気持ち良くしていれば、

     予防線を張ることができます。

 

     精神の病気の人に、抗不安薬を投与するのと、

     さほど違いませんが、

     性転換のほうが、強力に効きます。

 

昔と今の性転換が異なるのは、一目瞭然ですが、

一日にして、昔から今に変わるわけでありませんから、

昔と今の、継ぎ接(は)ぎだらけの性転換が、

今も、主流かも知れません。

 

理屈は継ぎ接(は)ぎでも、

気持ちは、潮の満ち引きのように、流行が変わります。

 

生物学的な性別は、今のところ、変更できませんので、

わたしたちが、性転換と言っているのは、

体の見てくれを、望みの性別に近づける施術です。

 

それだけでも、事務的な性別を、変更できるようになりました。

性同一性障害のための特例法ですけれど、

このせいで、体や生殖機能を破壊する人が、激増しましたので、

悪法です。

 

すでに性腺を摘出して、性器の美容整形手術を済ませた人たちの、

事務的な性別を変更してあげずに、野ざらしにして置くのは、

人情に悖(もと)りました。

悪法を作った人が、

死刑になったイエス・キリストのように、救世主と呼ばれたのは、

当然でした。

 

生殖機能の破壊や、性器の美容整形を、

戸籍の性別変更の条件にすべきでなかったのは、

言うまでもありません。

 

これこれの性別なら、これこれの文化的な流行を好むことは、

生物学的な性別や、事務的な性別に、無関係ですので、

生物学的な性別を変更できないにもかかわらず、

事務的な性別の変更に、

体の損傷と生殖機能の破壊や、文化的な好みの条件を付ける必要は、

まったくありませんでした。

 

国民の体と心を守るために、

体や生殖機能の意図的な損傷を、厳しく阻止しなければいけません。

特例法は、そのような内容にすべきでした。

 

実際には、特例法が、

体や生殖機能の意図的な損傷を、強要しています。

本末転倒です。

もちろん、廃止すべきです。

 

いわゆる性転換のために、

体や生殖機能を、意図的に損傷したやつは、刑務所にぶち込む。

本人が望めば、戸籍の性別を、

無条件に、何度でも変更できるようにしなければいけません。

 

実際には、性同一性障害でしたら、

限定的に責任能力がないとされて、不起訴になり、

精神科の治療を受けることになります。

 

患者の体や生殖機能を損傷した医師は、

責任能力が完全であるとして、刑務所に入れてあげるべきですが、

重症の精神障害であることには、違いありませんので、

何らかの治療を試みるべきかも知れません。