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イモリのしっぽ 1087 唯一の、価値と数量と神様と物理化学

2013.02.10 15:00

井守(いもり)の尻尾(しっぽ)は、オタマジャクシみたいなの。

両生類(りょうせいるい)です。

 

爬虫類(はちゅうるい)の、蜥蜴(とかげ)や屋守(やもり)と、

違(ちが)います。

 

日本(にほん)のサラマンダーですけれど、

一匹(いっぴき)300円也(えんなり)。

雑食性(ざっしょくせい)ですから、育(そだ)てやすく、

10年(ねん)は生(い)きるそうです。

 

人間(にんげん)は、井守(いもり)を食(た)べてはいけません。

河豚(ふぐ)の毒(どく)と、

同(おな)じ化学物質(かがくぶっしつ)が、

皮膚(ひふ)の粘液(ねんえき)に含(ふく)まれています。

 

河豚(ふぐ)もそうですけれど、

食(た)べ物(もの)から蓄積(ちくせき)されたものですので、

河豚(ふぐ)や井守(いもり)が、

毒(どく)を作(つく)ったのでありません。

 

両生類(りょうせいるい)って、可愛(かわい)らしいので、 

なんとなく、プラナリアを思(おも)い出(だ)します。

再生能力(さいせいのうりょく)が高(たか)く、

中学校(ちゅうがっこう)の実験動物(じっけんどうぶつ)に、

よく使(つか)われます。

 

井守(いもり)って、あほですけれど、

 

 

お医者さんのことを、あほあほと言うと、怒られますけれど、

美しいとか、醜いとか、賢いとか、強いとか、お金持ちとかの、

価値って、どうでも良いことなの。

 

その価値のせいで、

他人や自分を、殺そうとする人が、たくさんいるので、

問題になります。

 

人間だけでなく、生物って、

みんなと一緒でなければ、生きて行けませんけれど、

生物の種類を見れば、わかるように、

誰とでも一緒になるのでなく、

特定の種類と仲良くなり、別の特定の種類とは、殺し合います。

 

人間も、他の種類の生物を殺して、食べているだけでなく、

人間の中の、個体と個体の間でも、

殺したり、食べられたりしています。

 

誰かと仲間になることと、誰かと殺し合い、食べ合うこととは、

似たような意味なの。

 

化学物質の粒々(つぶつぶ)が、

くっついたり、離れたりしているのと、同じように、

くっつくのと、離れるのとは、量を識別しているだけです。

 

価値は、殺し合ったり、食べ合ったり、くっついたり、離れたりの、

数量を計算しています。

 

脳や体の、神経や細胞や代謝などには、

生まれつきのコンピュータが組み込まれていて、

自動的に無意識に、いつも計算をしていますから、

猿真似(さるまね)しかできない数学者のようには、

あほでありません。

 

数学者は、自然のコンピュータの、ごく一部分を、

鹿鳴館のように、真似(まね)しますけれど、

数学による数量の計算を、普遍的であると、誤解します。

 

たくさんの流れ星を、あちこちから写真に撮ると、

地球に衝突する前の、宇宙の星屑(ほしくず)の

軌道がわかります。

 

人間の個体が、流れ星を見て、

直観的に、軌道がわからないのでしたら、

たぶん、人間の個体には、

そのよう種類の計算の原理が、仕組まれていません。

 

エステティックな価値って、

一瞬のうちに、数量の計算が片付きますけれど、

何の努力も苦痛も、感じません。

何のために、数学者が頭を使うのかと、不思議になります。

 

数学は、数量を計算しますけれど、

数学そのものは、数量化されないように、

エステティックな価値の計算は、いつでも使えるものでありません。

 

一瞬のうちに、何の苦もなく、判断のつく事だけが、

エステティックと言われる審美眼(しんびがん)の、適用範囲です。

 

星屑(ほしくず)の軌道の計算って、

エステティックには不可能ですので、数学で行きますけれど、

コンピュータソフトがなければ、けっこう時間がかかります。

 

価値の判断って、幾つもの種類があり、

それぞれの種類によって、使用される脳や体のシステムが違います。

 

軌道の計算には、脳の中の、数学と言われるシステムを使いますが、

文化的に作られたコンピュータという機械がなければ、

ほとんど使い物にならないくらいに、劣悪な性能です。

 

どのような価値の測定のために、数学という方法が、

多少なりとも有効であるかを、数学は判断できませんので、

数学自体を数量化することはできません。

 

たくさんの価値の判断の種類の中の、

一種類のみが、数学と言われている判断であることを、

数学は知りません。

普遍的な数量の判断であると、思い込んでいます。

 

ほんとうは、数量って、幾つもの種類があるの。

数学が取り扱えるのは、そのうちの一種類だけです。

 

すべての判断は、一種類しかないって、

ユダヤ教やキリスト教などの、一神教の考え方です。

物理化学の世界観は、数学を使いますので、

一神教と同じ間違いを、しでかすことになります。

 

     時間や空間や論理って、

     共通項で括る認識の仕方ですけれど、

     無数の共通項のうちの、

     幾つかの共通項だけを選択するのが、価値なの。

 

     みんなと一緒に付和雷同して、

     文化的に、具体的な原因と結果という時間の中身や、

     具体的な個々の物体という空間の中身を認識するように、

     それぞれの人が、自分の脳の仕来りを作りますから、

     全然、論理的でありません。

 

     文化の中身に一致しやすいような、

     生まれつきの脳や体の素質を持った人が、

     生存や生殖に有利ですので、すでに品種改良をされて、

     純化(じゅんか)された結果の、脳や体の素質の人が、

     たくさん生まれます。

 

     そうでない人も、少数ですけれど、やっぱり生まれます。

     何よりも、文化の中身が、いつも同じと限りませんから、

     いつも同じ素質の人が、ますます有利になり、

     ますます競争が激しくなるのでありません。

     

     純化が進むと、たいていは、融通の効かない素質になり、

     適応力の低い人間ばかりになりますから、

     そのままでは、共倒れになります。

     お医者さんばかりを選択していると、すぐに絶滅します。

     だから、お医者さんって、

     融通の効かない精神の病気であると、言っているのに…

 

     みんなが文化的に認識する事実に合わせて、

     物理化学は、

     共通の自然という架空の世界を想定しますけれど、

     ほとんど、唯一絶対であるかのように確信された風俗と、

     同じ意味です。

 

     みんなの文化的な事実を作るコミュニケーションって、

     共通の絶対的な世界がなくても、

     ちゃんと、みんなが同じ夢を見ることが出来ますので、

     物理化学の想定する自然って、

     一神教の神さまの世界と同じなの。

 

     わたしたちが宇宙船を飛ばすのを、

     わざわざ、神さまの世界に翻訳して理解するのは、

     純金との交換が保証されている物でなければ、

     貨幣として通用しないと、思い込んでいるのと同じです。

 

     物理化学の世界って、

     五つ玉の算盤(そろばん)のように、

     二度手間(にどでま)ですけれど、

     ほんとは、四つ玉の算盤(そろばん)も、

     頭の中の算盤の玉を動かして、暗算ができるように、

     目で見て、手で触って、知ることのできる道具は、

     ただの記憶の補助かも知れません。

     コンピュータも、そう。

 

     物理化学の言う自然や宇宙って、メディアなの。

     人間の認識に左右されない世界が存在しなくても、

     現に、みんなで一緒の夢を見るように、

     たくさんの人が、共通の自然や宇宙を想像します。

 

     ちゃんと、時間と空間を指定すれば、

     たくさんの人が、同じ事実を知ることができます。

     そういう仕組みが、人間の側にあるので、

     コミュニケーションをして、

     物理化学の言う自然や宇宙を、作りました。

 

けっして、神さまや自然が、

人間の認識によらずに、存在するのでなく、

人間が、神さまや自然を、作りました。

それを理解しなければ、お医者さんと同じ間違いをおかします。

 

数量には、

たくさんの種類の、価値と言われる神さまがいますけれど、

わたしは、神さまを信じないほうが良いと、思っています。

数学や物理化学という神さまもね。

 

わたしは、溶鉱炉で生まれましたけれど、

サラマンダーって言われると、

あんなイモリや鉄の塊(かたまり)と、一緒にせんといて頂戴と、

言いたくなります。

 

価値のせいで、人を侮(あなど)ったり、嘲(あざ)けたり、

蔑(さげす)んだり、攻撃したり、殺したり、食べたりって、

数学者やお医者さんと、同じくらいにあほなの。

 

GID(性同一性障害)の治療って、

性転換医療を行なうお医者さんの、精神の病気から、

治療しなければいけませんので、一筋縄で行きません。

 

だって、強制的に治療をされる症状でありませんから、

本人が、自分は健常であると、主張しているのを、

どうこうできるわけがありません。

 

精神の病気のお医者さんが、GIDを治療しているのですから、

オウムのお医者さんが、オウムの信者さんを治療しているのと、

同じでしょう?

 

倫理って、簡単でありませんけれど、

医療の倫理なんか、歌舞伎町の商売と似たようなものです。

離れ小島なの。

 

横須賀も、原子力空母のお陰で、食べていますから、

歌舞伎町と、たいして変わりませんけれど…