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コショウノキ 1094 自己犠牲

2013.02.17 15:00

胡椒(こしょう)の木(き)って、

沈丁花(じんちょうげ)にそっくりですが、

こっちは、白(しろ)い花(はな)です。

 

沈丁花(じんちょうげ)は、

紫(むらさき)から桃色(ももいろ)でしょう?

 

胡椒(こしょう)の木(き)は、

真冬(まふゆ)に咲(さ)きますので、

もう、そろそろ、花期(かき)も終(お)わり。

 

沈丁花(じんちょうげ)は、そろそろ、咲(さ)き始(はじ)めて、

4月(がつ)ころまで、咲(さ)いています。

 

胡椒(こしょう)の木(き)は、

日本(にほん)の山(やま)の、自生種(じせいしゅ)です。

 

沈丁花(じんちょうげ)は、

帰化(きか)した栽培種(さいばいしゅ)。

 

胡椒(こしょう)の木(き)も、沈丁花(じんちょうげ)も、

同(おな)じ香(かお)りがします。

 

ジンチョウゲ科(か)って、

三椏(みつまた)や雁皮(がんぴ)なども、そうですけれど、

胡椒(こしょう)の木(き)も、

 

 

このブログは、内緒で書いていますけれど、公開しています。

匿名です。

GID(性同一性障害)の人に怒られると、殺されるもん。

 

だって、わたしの前任の医師は、

GIDの人と、その交際グループの人たちに脅迫されて、

ロシアに逃げて、ヨーロッパに逃げて、

カリフォルニアに逃げて、死にました。

 

犯人の連中を、

バレンツ海の石油掘削基地に飛ばして、懲罰していましたから、

報復合戦になれば、殺し合いになります。

 

日本は、いわゆる闇医療の時代でしたから、

おおっぴらに出来ませんでしたが、

どうせ、性転換をする人たちや、その仲間になる人たちや、

性転換医療を行なうお医者さんなどは、

世間の裏街道に屯(たむろ)する人たちでしたから、

殺し合いなんか、屁(へ)とも思っていません。

 

お医者さんは、もともと、

人殺しが商売の、ならず者ですから、当たり前ですけれど。

 

GIDの人や、そのパートナーになる人たちも、

肥壺(こえつぼ)に嵌(はま)って、野垂(のた)れ死ぬのが、

人生の相場でした。

仲間に殺されて、コンクリート詰めにして貰(もら)えれば、

賑やかに死ねて、御(おん)の字(じ)です。

 

性転換って、逸(はぐ)れ者やならず者ばかりの世界なの。

 

昔は、部落差別や在日韓国朝鮮人差別に、公然と反対できれば、

錦(にしき)の御旗(みはた)を掲げるようなもので、

とても幸せそうでした。

今でも、GID(性同一性障害)や他の精神障害を、

白い目で見る社会の風潮に、

公然と叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)して、

明るい日の光を浴びることが出来れば、

途轍(とてつ)もない生き甲斐(がい)を感じるのは、

当たり前です。

 

わたしも、鉱山で育ちましたけれど、

ここだけの話ですが、山で働く坑夫って、それだけで、やくざなの。

 

在日韓国朝鮮人の人たちが、日本に強制連行されて、

こき使われて、虐(いじ)められたって、言いますけれど、

日本の戦後の筑豊(ちくほう)の炭鉱でも、

社宅に暮らしている人たちは、

みんなと一緒のことの出来ない人を、簡単に殺して、

埋めてしまいました。

 

どうせ、山の仕事って、坑道に入れば、命懸けの重労働ですから、

いつ死んでも、不思議でありません。

戦場の兵隊と同じで、死ぬことを怖(こわ)がっていては、

仕事になりませんから、それだけで、精神病になってしまいます。

 

死ぬのを怖がるのが、精神病なのか、怖がらないのが精神病なのか、

わからないでしょう?

 

山の仕事も、そうですから、

社宅の人たちの暮らし振りや、心意気(こころいき)は、

命(いのち)知らずの無鉄砲でした。

 

わたしは、山の人たちと一緒に育ちましたので、

性転換をする人たちの社会って、似ているなあと、思いました。

山の人たちを相手にする歓楽街の慰安婦の人たちに似ていました。

 

第二次世界大戦に負けた後の、進駐軍の日本では、

石炭の採掘が、国策として奨励されました。

石炭は、日本で賄(まかな)える資源ですので、

安上がりという算段(さんだん)でした。

 

ほんとは、日本の炭鉱って、露天掘りができませんから、

外国の機械を買っても、採算が取れません。

使い捨ての労働者の命をこき使い、日本経済の復興を計りました。

やくざが、仕切っていましたから、文句を言うと、殺されました。

 

戦前に、朝鮮半島の人たちが強制連行されて、

日本の鉱山で、こき使われて死んだと、

在日の人は、文句を言いますが、

文句を言っても、生きていられるのは、

日本が、アメリカ合衆国とソ連に負けたからです。

 

日本の坑夫は、進駐軍の時代でも、文句を言うと、殺されて、

闇から闇に葬り去られました。

だれも助けてくれません。

警察も、山のことは、山の仕来りに任せましたから、介入しません。

国策でした。

 

被差別部落の人や、在日韓国朝鮮の人たちは、考えが甘い。

日本の若い人は、みんな戦争に行って、死にました。

生き残りの人たちが、死に物狂いで、働きました。

 

いったい、何人(なんにん)の人が、コンクリート詰めにされたか…

性転換をする人って、

GID(性同一性障害)の人も、性転換医療を行なう人も、

GIDの連れ合いになる人も、みんな、社会の端っこの人たちでした。

アルジェリアのガスプラントなんか、屁(へ)でありません。

 

わたしの前任者も、悪いことをしたGIDの連中を、

バレンツ海の掘削基地に、飛ばしていました。

本人の納得尽(づ)くですから、憲法に違反しませんけれど、

コンクリート漬(づ)けや、刑務所よりは、優しいでしょう?

 

     性転換医療が公然化されて、

     明るく穏やかになりましたけれど、

     性転換をしたいと言うGID(性同一性障害)の人たちは、

     今も昔も、似たような人たちです。

 

     GIDのパートナーになる人も、同じ種類の人ですし、

     GIDの人たちを、

     娯楽に興じるあほとして扱った昔のマスコミと、

     お涙ちょうだいの漫画の主役として扱う今のマスコミも、

     同じマスコミです。

 

     ゲテモノの性転換に群がるお医者さんも、

     古今東西、退屈をすると、精神が苦しくなり、

     ゲテモノに手を出して、

     馬鹿騒ぎをしなければいけない人たちですから、

     厄介な精神の病人です。

     

     異性になった気分が、気持ち良いのは、

     誰にでも共通ですから、オナニーのように健常です。

     朝から晩まで、毎日毎日、

     オナニーに漬かっていなければ、耐えられない精神って、

     ゲテモノに手を出さなければ、苦しくなるお医者さんと、

     同じです。

 

     エステティックや物理化学や宗教なども、

     似たようなものなの。

     警察の人は、カネとセックスと暴力って、

     言いますけれど、

     みんなと一緒のことをするのが苦しくなれば、

     たいていの人は、心地良いことに引き篭(こも)って、

     あほになります。

 

     人間って、賢いそうですから、当たり前です。

     みんなの望むところを実行できないのは、

     あほに決まっています。

     みんなと一緒でなければ、生きて行けないもんね。

 

     お医者さんやGID(性同一性障害)の人たちって、

     みんなの望むところを、自分の一人ために実行して、

     抜け駆けをしなければ、我慢できないみたいなの。

 

     自己犠牲の精神がありません。

     お陰で、蛸(たこ)みたいに、自分の足を食べます。

     お釈迦さんは、自分の体を、

     虎(とら)に食べさせてあげたそうです。

     捨身飼虎(しゃしんしこ)ってやつ。

 

     まるで、十字架を背負って、ゴルゴタの丘を登り、

     みんなのために、死刑になったくせに、

     ひょっこりと生き返ったキリストさんみたいです。

 

     ははーん、みんなのために、自分を犠牲にしても、

     また生き返って来るから、大丈夫なんだなと、

     わからなければいけません。

 

     これは、狡(ずる)い。

     プラナリアみたいです。

     あいつらは、いくら切り刻まれても、また再生します。

 

     お医者さんやGIDって、

     やっぱり狡(ずる)いようで、あほなのかしら。

     プラナリアに負けています。

     ゴミ箱の下に、一杯いるのに。

 

     ゴルゴタって、アラム語の頭蓋骨の意味ですけれど、

     わたしは、エルサレムに行ったことがないので、

     知りません。

 

     自己犠牲を払っても、生き返るのを、

     見たことがありませんけれど、

     人間は賢いので、

     自己犠牲って、みんなに馬鹿にされなければ、

     意味がありません。     

 

     お医者さんやGIDの人って、それが出来ないみたいなの。

     精神の病気は、みんなに馬鹿にされなければ、

     苦しい目を見る価値がありません。

 

     みんなの望むところを、

     自分一人の抜け駆けのために実行して、

     みんなに頭を撫でて貰(もら)えれば、

     気持ちが良いのに、決まっています。

 

     精神の病気の苦しさに耐えられないので、

     気持ち良さを貪(むさぼ)るために、

     学校で一番の成績になり、

     お医者さんになり、性転換医療を行なうって、

     GID(性同一性障害)の人と、

     同じ病気と思いますけれど…

 

     気持ち良くなるお薬を、いっぱい飲んで、

     性転換医療を行なっていたお医者さんがいて、

     患者さんを死なせただけでなく、

     自分も、半(なか)ば自殺みたいに、死にました。

 

     GIDの人たちを、

     自分の精神の病気の、道連れにしたのかしら。

     性別のことは、病気の本体でないのに…

 

     体や性格が、異性に似ている人は、

     ストレスになりますけれど、

     異性に似ていても、GIDにならない人もいますし、

     異性に似ていないのに、GIDになる人もいます。

 

     生まれつきの、人それぞれの変更不能な素質が、

     文化的な流行に乗らなければ、

     精神の病気になり易(やす)い素質と、言われます。

 

     みんなと一緒に合わせなければ、生きていけませんので、

     流行から外(はず)れた素質は、

     苦しくなり易(やす)いと言えます。

 

     異性に似ている体や素質って、

     変更不能かも知れませんが、

     素質は、それ一つと限りません。

     

     原因と結果の関係って、

     時間によって表された価値を言っていますけれど、

     素質と言われる原因を、想定する時に、

     顔や体の見てくれは、物理化学の指摘する素質と、

     同じくらいに説得力があります。

 

     エステティックに知られた事実は、

     情報の価値を、論理的に計測していますけれど、

     一部分が数量に翻訳されると、物理化学と言われます。

 

     いずれも、価値を論理的に測るために、

     時間や空間を使います。

 

     エステティックって、

     感覚器官によって入手された情報のことですので、

     センスとよく似た意味です。

     美容の意味や、センスがあると言う意味のように、

     時代と共に、意味が変化しました。

 

     人間は目が良いので、どうしても、視覚中心になり、

     人間の個体の価値を決める判断が、大切になりました。

 

     頭の悪い人たちの、間違った判断を、

     意味するようになりましたけれど、

     現代の頭の悪い判断の代表は、

     審美的と言われるエステティックと、

     物理化学と、宗教かも知れません。

 

     警察関係の人たちは、

     カネとセックスと暴力と、言います。

     昔は、真善美などと、言われたこともありました。

     三大秘湯や、三大放言の類ですが…

 

     ちなみに、三大放言って、

     この世をば我が世よとぞ思ふ望月の、藤原道長と、

     平家にあらずんば人に非ずの、平時忠と、

     ここまでは順当ですが、このあとに、

     神輿(みこし)は軽くてパーがいいの、

     小沢一郎が入るそうです。

            

     論理って、所詮は、価値を測る道具ですけれど、

     翻訳のための、

     多くの人に共通の規格と言っても構いません。

     事実や物理化学などの、

     人造言語によって表された認識の中身を、

     作ったり翻訳したりします。

 

     認識の中身って、

     想定された世界のようなものですけれど、

     想定されなくても存在する世界なんて、ありませんから、

     世界を作るのは、言語を翻訳するのと、同じ意味です。

     

     意志と言われているのは、翻訳しているだけなの。

     言葉という音声によって、翻訳するのも、

     映像という視覚の中身によって、翻訳するのも、

     似たような要領でしょう?

 

     音声によって、翻訳するのは、

     通訳の人が喋っているようなものですけれど、

     意志って、人間が手を使い、

     認識される映像を変更します。

     映像という視覚の中身の翻訳でしょう?

 

     川から、水が溢れて、洪水になれば、

     溝を掘り、堤防を作って、水を流します。

     洪水の氾濫原(はんらんげん)を、

     堤防と運河のある耕作地に翻訳すること、

     意志して実行すると、言います。

 

     通訳のように、時間と空間を使いましたが、

     聴覚よりは、視覚が中心の認識になりました。

     文学よりも、物理化学を使うかも知れません。

 

     普通は、意志の実行って、翻訳と言わずに、

     コミュニケーションと言います。

 

     わたしたちは、他人の使用した人造言語を、

     無意識に、自動機械のように、翻訳しますので、

     物理化学によって、時間と空間を指定すると、

     同じ時間と空間に、

     別の人が、別の事実を知ることは、ありません。

 

     殺し合いにならないように、

     無意識に、自動的に翻訳することを、

     赤ちゃんの頃から習得して来ました。

     習慣なの。

 

     他人の指定した時間と空間に、他人が認識した中身は、

     指定された時間と空間に、自分が認識した別の中身と、

     同じであると、翻訳されます。

 

     意志を実行して、認識の中身を変更するのは、

     コミュニケーションをしていますけれど、

     物理化学の数量という言語を知らなくても、

     わたしたちは、

     エステティックに、事実を知ることができます。

 

     価値を計測して、認識の中身として、表現しますから、

     エステティックや物理化学や文学などの、

     言語による世界の違いにかかわらず、

     言語の使用と翻訳は、論理的であると、言われます。

     

     自己犠牲の話でしたのに、

     しょっちゅう脱線すると、統合失調症と言われそう。

     

     お医者さんでも、患者さんでも、

     せっかく、自分の心や体を消費したのなら、

     みんなの利益と交換しなければ、公正でないのに、

     我が儘(まま)と言われる人たちは、

     たぶん、自分の損と、自分の得の交換や、

     自分の損と、他人の損の交換でなければ、

     不公平であると言い、不平をぶちまけます。

 

     個人主義って、自己犠牲を嫌(きら)います。

     生物の個体は、

     みんなと一緒でなければ、生きて行けませんので、

     宗教の人は、メディアであると、言うかも知れません。

     人間の個体は、メディアであると。

 

     メディアを使う第一人者がいるそうですけれど、

     絶対的な基準がなくても、ちゃんと通じるのに…

 

     昔の記号論理の人たちは、

     論理がなくても通じるのかって、検討しました。

     わたしは、

     ロケットを飛ばして、月に行くつもりでしたけれど、

     危ないと言われて怒られたので、

     記号論理に凝り、コンピュータに嵌(はま)りました。

 

     これなら安全ですけれど、すぐに飽きました。

     人間の脳みそを組み込み、コンピュータを作ったほうが、

     性能が良さそうだもん。

     宇宙船にコンピュータを付けるよりも、

     人間を宇宙船にしたほうが速い、と思いました。