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ホトケノザ 1128

2013.03.23 15:00

春(はる)の七草(ななくさ)の仏(ほとけ)の座(ざ)とは、

別物(べつもの)です。

 

物的証拠(ぶってきしょうこ)のある植物(しょくぶつ)の

名前(なまえ)でさえ、

時代(じだい)によって、全然(ぜんぜん)違(ちが)います。

 

証拠(しょうこ)のない言葉(ことば)の意味(いみ)は、

違(ちが)うものを、同(おな)じであるとする脳(のう)の

機能(きのう)がなければ、通(つう)じません。

 

論理(ろんり)と言(い)います。

 

春(はる)の七草(ななくさ)の、仏(ほとけ)の座(ざ)は、

現在(げんざい)の、

小鬼田平子(こおにたびらこ)と言(い)われています。

 

現在(げんざい)の仏(ほとけ)の座(ざ)は、

有毒(ゆうどく)ですから、

美味(おい)しさは、負(ま)けていますけれど、

生殖器(せいしょくき)の、

エステティックな姿容(すがたかたち)は、負(ま)けていません。

 

言葉(ことば)は、時代(じだい)や場所(ばしょ)によって、

意味(いみ)が異(こと)なるだけでなく、

人(ひと)によっても、大(おお)きく異(こと)なりますので、

どれほど違(ちが)っていても、同(おな)じであると、

翻訳(ほんやく)できない人(ひと)は、

知的障害(ちてきしょうがい)かも知(し)れません。

 

認識(にんしき)や実行(じっこう)は、

翻訳(ほんやく)の作業(さぎょう)をしていますけれど、

一般(いっぱん)には、コミュニケーションと言(い)われます。

 

動物(どうぶつ)の脳(のう)は、

コミュニケーションのための臓器(ぞうき)ですが、

端的(たんてき)には、

生殖(せいしょく)を制御(せいぎょ)しています。

 

植物(しょくぶつ)では、

脳(のう)がなくても、花(はな)が咲(さ)きますので、

動物(どうぶつ)は、

知的障害(ちてきしょうがい)かも知(し)れません。

 

お釈迦(しゃか)さんは、

愛欲(あいよく)や執着(しゅうちゃく)などと、

言(い)いました。

 

インドヨーロッパ系(けい)の人々(ひとびと)は、

粒々理論(つぶつぶりろん)で行(い)きますから、

くっつくことを、欲(よく)と言(い)います。

 

どれとどれを選(えら)び、同(おな)じである、とするかを、

判断(はんだん)と言(い)います。

 

お釈迦(しゃか)さんの判断(はんだん)は、

賢(かしこ)いそうですけれど、

ライオンやシマウマと、

お釈迦(しゃかさん)さんの感情(かんじょう)は、

たぶん、同(おな)じですから、

賢(かしこ)い愛欲(あいよく)って、あるのかしら。

 

仏(ほとけ)の座(ざ)が、そう言(い)っているかのように、

聞(き)こえました。

お釈迦(しゃか)さんのことを、

知的障害(ちてきしょうがい)とは、

言(い)っていませんでしたけれど…

 

シソ科(か)の唇形花冠(しんけいかかん)ですが、

花筒(かとう)が深(ふか)く、横(よこ)から見(み)ると、

お釈迦(しゃか)さんの立(た)ち姿(すがた)に