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ナツグミ 1150 妄想や幻覚

2013.04.14 15:00

夏茱萸(なつぐみ)ですが、

萼筒(がくとう)が花(はな)のように見(み)えています。

 

茱萸(ぐみ)は、

常緑(じょうりょく)の、秋(あき)に花(はな)が咲(さ)き、

春(はる)に実(み)のなる春茱萸(はるぐみ)と、

落葉(らくよう)の、春(はる)に花(はな)が咲(さ)き、

夏(なつ)に実(み)のなる夏茱萸(なつぐみ)と、

落葉(らくよう)の、春(はる)に花(はな)が咲(さ)き、

秋(あき)に実(み)のなる秋茱萸(あきぐみ)とがあります。

 

春茱萸(はるぐみ)の代表(だいひょう)は、

苗代茱萸(なわしろぐみ)です。

夏茱萸(なつぐみ)は、種(しゅ)の和名(わめい)ですが、

大王茱萸(だいおうぐみ)のように、

大(おお)きな実(み)のなる品種(ひんしゅ)もあります。

秋茱萸(あきぐみ)も種(しゅ)の名前(なまえ)になっています。

 

夏茱萸(なつみぐみ)と秋茱萸(あきぐみ)は、

種(しゅ)の名前(なまえ)であるだけでなく、

夏(なつ)に実(み)の成(な)る茱萸(ぐみ)や、

秋(あき)に実(み)の成(な)る茱萸(ぐみ)を

表(あらわ)す言葉(ことば)でもありますので、

それなりに、ややこしいようです。

 

写真は、夏茱萸(なつぐみ)ですが、

大王茱萸(だいおうぐみ)かも知(し)れません。

 

 

統合失調症の妄想って、被害妄想が多く、

誇大妄想も、一対(いっつい)のように表れて、

お金や体や命や、人間性の評価などの、

個体と社会生活の利害に関わるものが、

一連の、独自の世界観を作って行きます。

 

ただのイカレた断片しか現れないのは、

発症当初の、若い頃だけです。

 

注察妄想のように、誰かに見られて監視されているとか、

関係妄想のように、

すべての出来事が、自分に因(ちな)んで起こっているとかと、

勘ぐるのも、

中身はたいてい、男性なら安全保障の、女性なら生殖の利害です。

 

個体維持と生殖の本能が、世界と人生の要諦(ようてい)ですから、

当たり前です。

 

わたしは、妄想の分類に凝(こ)りませんけれど、

みんなから仲間はずれにされて、虐(いじ)められれば、

みんなの事実と異なる認識になるのは、

脳の器質が健常な証拠です。

 

目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実も、

価値観がみんなと違えば、幻覚になります。

大麻やコカインなどの、お薬のせいで、幻覚が現れるのは、

みんなと一緒のことが出来なくなるからなの。

 

虐(いじ)められなくても、

みんなと一緒のことが出来ずに、仲間はずれにされれば、

やがて、安全保障や生殖の心配が、現実になリます。

 

みんなと一緒に生活をしなければ、

事実の中身と言われる価値観が、みんなと異なり、

妄想や幻覚を、事実と確信するのは、健常な脳の、普通の機能です。

 

認識は、価値観の表れですので、

価値が異なれば、事実の中身も違って見えます。

 

みんなと一緒でないのに、妄想や幻覚をなくそうとするのは、

愚かかも知れませんが、

無理をしてでも、みんなと一緒のことをすれば、

みんなの事実と、自分だけの事実とが、二重写しに見えますので、

人生が奥深く豊かになります。

 

精神的ストレスに耐えられる人のほうが、

コミュニケーションの能力が高いかも知れませんが、

しんどいから、早く死んでも、わたしは知りません。

 

適当に駄々をこねて、

みんなと同じくらいに、精神の病気になっておくのが、

正解かも知れません。

 

その度合に応じて、健常な人から、性転換をする人まで、

生まれつきに、心の性別が決っていると、

ハリーベンジャミンは考えました。

 

生まれつきに、精神的ストレスに耐えられる能力が、決っていると、

言うべきでした。

 

人間は、しんどい目をさぼるために、夢を見ますけれど、

昼間から、お酒を飲むように、

お酒を飲んでいないのに、自分でないかのような気持ちになる人も、

たくさんいます。

 

性転換医療を行なうお医者さんは、

だいたい、患者さんよりも不器用です。

 

抗精神病薬は、健常な脳の機能を、無理やりに低下させますけれど、

本人が苦しんだり、とんでもないことをしでかしたりしますから、

やむを得ません。

 

精神療法も似たようなものですが、 

御本人は、妄想や幻覚であると気づきませんので、

これこれの具体的な思いなら、妄想であると、

レッテルを貼って貰(もら)い、

心の中に、レッテルが見えれば、妄想であると、

杓子定規に判断して、

妄想の中身を信じずに、けっして実行をしないように思いとどまり、

気持ちをそらせるように、別のことに注意を向けて、

無視をするように、心がけてもらいます。

 

オナニーに耽りたい青年に、スポーツをして紛らわしなさいと、

アドバイスをするようなもので、ほとんど効きません。

 

みんなと一緒のことができずに、

虐(いじ)められて、疎外されているのは、事実ですので、

妄想や幻覚が出るのは、当たり前です。

 

正常な仕組みが作動しないように、無理やりに阻止をするのは、

順当なものを壊して、わざと支離滅裂にするだけです。

 

正しい治療法は、みんなと一緒のことが出来ない原因を究明して、

不当な差別虐待を処罰するように、憲法を作らなければいけません。

 

みんなのすることは、ほとんどが流行ですから、

みんなと一緒でない奴を、篩(ふる)い落として、間引くための、

選別を実行する集団行動にすぎません。

 

みんなのスポーツや芸能やファッションやマナーなどの、

文化的な流行に従わなければ、

袋叩きにして、精神障害者や犯罪人にしてしまいます。

ファシズムです。

 

これを憲法で禁止して、死刑にすれば、

目出度く人類は滅亡しますので、統合失調症もなくなります。

 

     癌も身内(みうち)と思えば、

     かなり確実に、早く死ぬことができます。

 

     癌細胞って、ある程度よりも数が増えれば、

     自力では、滅多(めった)になくなりませんから、

     躊躇(ちゅうちょ)なく、

     周囲の健常な細胞を、諸共(もろとも)に殺します。

     そうでなければ、全体の体や命を守れません。

 

     みんなと一緒のことが出来ない人って、

     出来るのに、自由意志により、

     能力を発揮しない人も含めて、

     みんなと一緒のことをする能力が、ありません。

 

     できるのに、しないのは、出来ないのと同じです。

     みんなと一緒のことをしない奴を、

     次々に殺して行くのが、社会の役割なの。

 

     早い内に殺さないと、癌のように、

     自力では、どうしようも出来なくなります。

     個体の代わりは、いくらでもありますけれど、

     世界がインターネットで繋がっている現代では、

     みんなの社会の代わりは、一つもありません。

 

     一つに繋がれば繋がるほど、

     自由や個性や多様性の余地がなくなるのは、

     当たり前です。

 

     みんなが一緒になるのは、

     そうしなければ生きて行けないからに決まっています。

     機械や宇宙船やコンピュータやインターネットなどは、

     そのためにあります。

 

     みんなを鎖で繋ぐ道具なのに、

     チャップリンが気づいたことを、

     GID(性同一性障害)の人たちは、気づきません。

 

     統合失調症も、そうです。

     自力では、回復不能になれば、統合失調症と診断されます。

     強制的に廃人にしなければ、

     周囲の人が、共倒れになります。

 

     癌でしたら、個人が死んでも、社会が残りますけれど、

     統合失調症のように、個人がイカレているのでしたら、

     さっさと間引かなければ、社会が道連れになります。

 

     なんとしても、癌を殺すように、

     精神病の人を、間引きます。

     そのために、周囲の人が、一緒に引き抜かれても、

     やむを得ません。

     周囲のリンパ節を、一緒に摘出するのが、相場です。

 

     連帯責任ですから、軍隊と同じかしら。

     平和は、鉄砲を使わない戦争であると、

     毛沢東は言いました。

 

     家族や職場を、一緒に切り取るのも、

     やむを得ないとするのが、

     GID(性同一性障害)のための、性転換や特例法です。

     本人を間引くだけでなく、周囲の社会も、切り捨てます。

 

     性同一性障害のための特例法を作った時の法務大臣は、

     普段から、痴漢の刑罰として、

     強制的な去勢を、主張していました。

     国会に法案を持ち掛けた人たちも、

     同様の考え方なのに、GIDの人たちは、気づきません。

 

     精神障害ですから、仕方ありませんが、

     自分を間引いてくれる人たちを、救世主と讃えました。

 

     ほんとうは、GID(性同一性障害)だけでなく、

     特例法を作った人たちや、性転換医療を行なう人たちも、

     似たような種類の精神障害なのに、

     御本人たちは、気づいていません。

 

     類は友を呼ぶって、恐ろしいものですけれど、

     弁証法的には、当たり前の認識の仕方です。

     そのように、事実が推移します。

 

     痴漢の去勢を主張して、

     性同一性障害のための特例法に同意した法務大臣は、

     間引かれて行く精神障害者の代表にすきませんでした。

 

     性転換や特例法って、副作用の強力な抗癌剤や、

     統合失調症のための抗精神病薬に、似ています。

     ひょっとしたら、本人と周辺だけでなく、

     社会も一緒に死ぬ羽目(はめ)になるくらいの、

     毒薬です。

 

     だから、わたしは言っているのに…

     GIDって診断された時には、統合失調症でないのですから、

     性転換や特例法は、必要ありません。

 

     後々(のちのち)まで、ずーっと見ていても、

     GIDの、せいぜい8%ぐらいの人しか、

     統合失調症になりません。

     なんで、間引かなければ行けないのかしら。

 

     統合失調症でさえも、治る人が増えてきましたので、

     ずーっとお薬を飲み続ける治療法の、

     時代遅れが疑われるのに、

     なんで、GID(性同一性障害)は、

     いまだに、戦前のロボトミーの時代の治療法に、

     固執するのかしら。

     時代錯誤が病的です。

 

     みんなと一緒でない人を、差別虐待して、

     除(の)け者にして殺そうとする社会のせいで、

     心と体の性別が違うから、性転換をしたいと、

     GID(性同一性障害)の人たちは言い出します。

 

     退(の)け者にする理由の多くが、

     顔や体の見てくれのエステティックですけれど、

     異性に似ているだけでなく、ぜんぜん似ていない人も、

     エステティックな理由から、みんなに差別虐待されると、

     性転換をしたいと言い出します。

 

     性格が、異性に似ているから、という人も、

     少なくありません。

     これこれの体なら、これこれの性格というふうに、

     強制する必要もないのに…

 

     性別は、生殖のためにありますから、

     体の病気のせいで、生殖のできない人でなければ、

     生殖のできない性格の人を間引くのは、正当である、

     と主張する人もいますけれど、順番が違います。

 

     GID(性同一性障害)の人が、

     異性に似せて、性格を演技しようとするのは、

     虐(いじ)められて間引かれることに、抵抗するために、

     同性愛や、

     TV(トランスベスティズム , ティーブイ)や、

     TG(トランスジェンダー , ティージー)などの

     社会運動に頼ったからです。