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シャリンバイ 1173 精神疾患に共通と、性同一性障害に特有の症状

2013.05.12 15:00

車輪梅(しゃりんばい)は、浜辺の植物ですけれど、

海岸よりも、車道の傍(はた)に、よく植栽されていますので、

土埃(つちぼこり)を、うっすら被(かぶ)っていて、

あまり鑑賞されない植物かも知れません。

 

金木犀(きんもくせい)と言えば、おトイレを想像するように、

車輪梅と聞けば、高速道路のインターチェンジを思い出します。

 

おトイレとインターチェンジって、

女性だけでなく、おかまの人も、似ていると思うそうです。

 

ついでに言うと、車輪梅(シャリンバイ)だけでなく、

インターチェンジには、扉(トベラ)も植えられていて、

いずれも、今が盛りの、海岸に自生する植物です。

 

 

 

精神病院の様子を記録したテレビ番組がありました。

統合失調症の患者さんを、町に連れ出して、お散歩です。

 

精神科医が、もっと顔を上げて、目を開(あ)けて歩くように、

患者さんを叱咤(しった)します。

 

歩き方を見れば、さほどのお薬の量でありません。

細く小ささな目を、切り開いて大きくしなければ、

これ以上は、開(あ)けられないでしょう。

 

目を開けろと言うのは、虐待にも似た言いがかりですが、

テレビに映れば、看護師さんが真似(まね)をして、

毎日、患者さんを笑うかも知れません。

 

看護師さんやヘルパーさんって、学校の成績が、下のほうなの。

統合失調症の患者さんには、一流大学の医学部の学生さんもいます。

 

物事の価値や、行動の手順などが、変更不能になり、

みんなと一緒のことができなくなるので、

他人の足手纏(まと)いになり、みんなに誂(からか)われて、

危害を加えられて、自分の体や命を守れなくなるのと、

いわゆる知能検査や学力検査によって測られる知能とは、

かなり違います。

 

統合失調症って、昔は早発性痴呆と言われたように、

人生の途中から、知能が下がって行きますから、

知能を測れなければ、お話になりませんけれど、測れません。

 

みんなが勝手に、こうすれば測れると、

自分流の測り方を、披露していますけれど、定説はありません。

 

自分は平均よりも賢い、としなければ、

知能の測り方を開発しても、あほ丸出しである、と思うのが、

頭の悪い証拠なのに…

 

人間って、賢いのが、特徴でしょう?

人間らしさの一番であると、言う人もいるくらいです。

 

二足歩行や手先の器用さも、そうですけれど、

ただの流行文化に選択された人たちが、

その文化に適応し易い器質を、増殖させただけでないのかしら。

 

欧米白人に似ていると、みんなに褒められる社会でしたら、

日本人の顔や体の見てくれは、

日本人同士で生殖をしていても、やがて欧米白人と同じになります。

 

そんなの、当たり前なのに、

マスコミの人は、文化って遺伝しないと、言います。

教科書に、そう書いてあったもんね。

 

いわゆる知能検査を開発した人は、

自分の知能指数を、IQ155である、と言いますけれど、

わたしの見た感じでは、100ぐらいです。

 

ついでに言うと、東京大学の医学部の学生さんは、

IQ140台前半が、平均です。

わたしの見た感じでは、100ぐらいなのに…

 

それだけ、ズレていますけれど、

小さな町の中の、一番高い知能と、並の知能ぐらいのズレです。

東大の医学部だから、一番高い、と思うのと、

東大の医学部だから、知的障害ではないでしょう、

と思うぐらいのズレです。

 

IQ120の人に、知能検査の問題の特徴を、解説してあげると、

うちでは、数週間後に、IQ185になりました。

大学入学試験の問題を解いて、練習をしたら、

実際に、東京大学の医学部に合格したのと、ほとんど同じです。

 

こんなのって、知能を測っているのかしら。

10万年前の人は、東京大学の入学試験なんか、知りませんけれど、

たぶん、現代人と同じくらいの知能です。

 

何を賢いと思うかって、人の勝手ですから、

みんなが何を賢いと思っているかを、測るしかありません。

東京大学の入学試験って、たぶん公正です。

みんなが、それを賢いと、思っているから。

 

わたしは、あほだから、ズレているの。

 

測ることができないのに、知能が下がるとは、言えません。

脳や体に、病気がなければ、

統合失調症だけでなく、知的障害や認知障害なども、

似たようなものです。

 

実際に、価値や手順などが変更不能になり、

みんなと一緒のことができずに、みんなの足手纏いになり、

誂(から)われて、殺されて行く人たちって、

たいてい、体の病気が併(あわ)さっています。

 

みんなと一緒のことのできない機能の体なの。

体の病気は、勿論(もちろん)そうですが、

早い話が、手足や身長などが、人よりも短かければ、

手足や身長が長いほど、有利になる動作は、

機能的に上手(うま)く行きません。

 

眼裂の大きさなども、そうでしょう。

 

目で見て、手でさわって、エステティックに識別できる違いが、

体になければ、脳味噌にあるのでないかと、疑うのも、

あほと言えば、あほかも知れません。

 

みんなと一緒のことのできない体って、

お医者さんは、顕微鏡やCTや超音波や試薬などを使い、

体や脳の中の、部品の違いを、調べますけれど、

一般の人は、直接に肉眼で見て、手で触り、

耳で聞き、鼻で嗅(か)ぎ、体の表面の違いを、識別します。

 

お医者さんも、そうでない人も、同じ判断の手順です。

同性愛の人の中には、

皮膚や粘膜を舐めれば、味が違う、と言う人もいます。

 

エステティックな判断と、病気の診断とは、同じであると、

主張すると、

内科と美容外科の、両方から文句を言われますので、

わたしは、戦車の中に隠れて、

鉄砲の弾(たま)を避(よ)けながら、

こそっと、ブログを書かなければいけません。

 

そんなもん、東大の医学部も、看護師さんも、同じでしたら、

内科や精神科の診断も、

即身成仏をした白骨と、一緒に暮らす人々や、

美容外科のお客さんたちの、エステティックな判断と、

似たようなものです。

 

痛くて苦しい時の、神頼みやお薬って、

麻薬やお酒と、たいして変わりませんし、

顔や体の見てくれが、欧米白人に似ているので、

生涯、うっとりとして暮らす人たちの判断と、

もっと目を開けて歩けと、叱咤される精神科の入院患者の判断に、

根本的な違いはありません。

 

似たような手順で、判断しています。

肝臓や脳味噌の化学変化って、

体や脳の器質に異常がなければ、みんな似たようなもんです。

 

免疫の仕組みでは、

違いを識別する鍵と鍵穴のような組み合わせがありますけれど、

欧米の粒々(つぶつぶ)で行く考え方って、

そもそも鍵と鍵穴の組み合わせを識別した結果です。

 

変更不能な組み合わせを、基本的な単位としますので、

精神障害の離合集散や合従連衡などによって、

健康な世界が作られているようなものです。

 

組み合わせを変更する原理として、力(ちから)を想定しますから、

物理化学は、エステティックや宗教と同じくらいに、あほです。

 

粒(つぶ)と力(ちから)って、文学的な表現が異なるだけで、

同じ意味ですから、エステティックや宗教と、同じくらいでしょう?

 

アリストテレスという人が、

そういう手順の判断を、好みましたけれど、弁証法って言います。

 

あの人は、エネルギーや能力や目的などという概念を、

物事や人生や世界の説明に、持ち出しました。

 

弁証法って、論理のことですけれど、統合失調症の症状みたいに、

問答や対話をするように、組み立てられますから、 

脳味噌の神経の枝分かれの仕方に、似ています。

 

マッサゲタイ人でしたか、何人(なにじん)でしたか、

忘れましたが、

亡くなった母親の体を、子供が、自分の胃の中に葬るって、

ヘロドトスは書いていました。

 

即身成仏した白骨と、一緒に暮らすようなものですから、

東大の医学部が一番賢く、看護師さんがあほである理由って、

統合失調症やGID(性同一性障害)などが、

脳や体の器質に、原因となる病変が発見されないにもかかわらず、

精神の病気であるとされる理由と、たいして変わりません。

 

みんなと一緒のことができないと、あほと笑われて殺されるのは、

年寄りになれば体が壊れて、みんなと一緒のことができなくなり、

特定の価値や判断の手順を、変更できずに死んで行くのと、

ほとんど同じです。

 

当たり前ですけれど、心って、体のことなの。

病気って、みんなの足手纏(あしでまと)いになれば、

そう言われます。

みんなと一緒のことができないのを、自覚するのと、

痛く苦しいのを感じるのとは、同じです。

 

病気って、今まで、みんなと一緒のことの出来た人は、

たぶん、いつもと違うと感じますけれど、

最初から出来なかった人は、そう感じません。

 

赤ちゃんや子供や青少年などの、若い子は、

今まで出来なかったことが、日に日に、できるようになります。

年を取ると、日に日にできなくなりますから、

毎日、痛みや苦しみなどの、病気が増えて行くようなものです。

 

山の頂(いただき)に登ると、

下(お)りなければ、仕方ありませんけれど、

スポーツの選手は、30才代や40才過ぎに、引退をしても、

まだ一般の人よりも、上手(うま)くて強いかも知れません。

 

老眼の出る頃になると、

一般の人よりも、体の能力の低くなるのが、むしろ普通です。

使いすぎて、傷(いた)んでいるから、寿命も短かくなります。

日に日に、能力が低下して、

みんなに助けてもらわなければ、日常生活が困難になり、

やがて、自分からあほになるように、死んで行きます。

 

だれでも、老化をすれば、そうなリます。

人よりも、どの能力が、どれくらいに早く、低下するかが、

人それぞれに異なりますので、個性と言われます。

青少年の思っている個性と、全然、意味が違うでしょう?

 

50才を超えると、

老人モードの生き方を、練習しなければいけません。

60才ぐらいに、完全に移行できていなければ、死にます。

 

東京大学の医学部に入学したので、鼻が高く、

スポーツが好きでしたので、万能と言われていたのと、大違いです。

 

そんなの、人類以前の、猿や恐竜の時代の出来事です。

蜥蜴(とかげ)に、精神科の治療が、できるわけがありません。

日に日にあほになり、みんなと一緒のことが出来なくなるのを、

知らなければいけません。

 

どうして、判断や実行の、価値や手順などが、

変更できなくなるのかしら。

老化でしたら、体に証拠が出るように、脳の器質にも出て来ます。

 

老化でないのに、脳が壊れて行くのも、大変ですけれど、

脳や体に、壊れた証拠がないのに、

みんなと一緒のことができなくなり、

孤立して、変更不能になるのは、たいへん奇妙です。

 

統合失調症や知的障害の人には、

体の異常の、はっきりとわかる人が多く、

脳の器質の異常が見つからなくても、体の機能の異常のせいで、

みんなと一緒のことができないとわかります。

 

体の動作の異常だけでなく、自律神経の異常も、目立ちます。

ものすごく暑がりとか、寒がりとかね。

 

6月の東京でも、まだ炬燵(こたつ)に入らなければ、寒いと言い、

窓を開けると、震えるそうですけれど、

実際に冬になると、しもやけになりますので、

寒い地方では暮らせません。

 

みんなと一緒のことができないのに、

これこれの体や、個人的な生活の事情などを説明して、

他人を説得したり、納得してもらったりする代わりに、

我が儘を言うように、わざと精神症状を出しているのでないかと、

御家族は言います。

 

他人が、暑いと言い、冷房を入れようとすると、

自分は暑くないから、体が強いと、自慢をします。

弱い人間は、暑いと言い、音(ね)をあげるそうです。

 

6月になっても、寒いと言い、炬燵(こたつ)に入っているのは、

体が弱いのでないのかしら。

非難されるべきでないのかしら。

 

知的障害だけでなく、自律神経失調症でないかと、

レッテルを貼ってもらいます。

手足や鼻や耳などの、体の末端の血の巡りが悪く、

冬はしもやけになり、夏でもないのに水虫になりやすく、

なかなか治りません。

 

みんなと一緒のことができませんから、

虐(いじ)められると、すぐに妄想や幻覚になりますけれど、

一夜だけ、一人で眠っても、妄想や幻覚に怯(おび)えて、

歯の根(ね)も合わなくなります。

 

みんなと一緒でなければ、暮らせませんけれど、

顔や体の見てくれが、美男美女です。

 

精神の病気って、体や生活の事情に因(よ)ると言うと、

心の性別を司(つかさど)る脳の器質があるかのように、

GID(性同一性障害)の人たちは、主張します。

そういう意味でないのに…

 

原因と結果の関係って、

これこれならば、こうであるって、定義をすれば、

宇宙の果てまで行こうとも、過去から未来に至るまで、

そうに決まっていますから、

実際に調べてみる必要なんか、何もありません。

 

定義でなければ、

原因と結果が、必ずそうであるなんて、ありません。

 

コミュニケーションは、定義をするための、手続きですけれど、

生物は、体の部分と部分の間や、他の個体や、他の物体との間で、

コミュニケーションをしていますから、

知覚や判断や行動のような、

個体の部分の変化や、個体の動作だけでなく、

物体の化学変化や運動も、コミュニケーションに決まっています。

 

認識の中身って、

そのように定義したので、そのように見えているのですけれど、

上手(うま)く行かなければ、定義を変えます。

自分の体の部分と部分の間や、自分と他人との間で、

上手く行かなければ、

そのような印が、見えたり感じられたりします。

 

認識の中身って、

上手く行っているか、行っていないかを、計測していますから、

定義は、計測のための尺度を、定義しているようなものです。

 

自分一人で、定義するだけでなく、

宗教は文学的に、物理化学は数量的に、

みんなと一緒の定義を使用します。

 

常識って、流行しますけれど、やっぱり、みんなと一緒です。

芸能やスポーツのように、無意味なことを流行させたほうが、

みんなと一緒のことのできない奴を間引くには、有効ですけれど、

たくさん間引くと、仲間が少なくなりますから、

社会の効率が悪くなり、戦乱になるかも知れません。

 

少ししか間引かなければ、

みんなと一緒にできることが少なくなりますから、

やっぱり、社会の効率が悪くなります。

 

ちょうど良い割合を殺すのは、

統合失調症に罹る人の比率が、世界中で、ほとんど一定なのと、

よく似ています。

脾臓(ひぞう)では、骨髄で作られた細胞の、95%ぐらいが、

不良品として壊されます。

 

6月になっても、まだ寒いと言い、炬燵に入っている人って、

昔の横綱のお父さんと、似たようなものかも知れません。

 

自律神経失調症や虚弱体質などと診断されて、

毎日毎日、お布団にすっこんで暮らしますけれど、

これと言った体の病気が発見されません。

GID(性同一性障害)の半数も、似たような人生になります。

 

性転換って、だいたい10年間ぐらいしか、効果がありません。

賞味期限が切れると、精神の病気が、治っても治らなくても、

性転換医療の体の後遺症が、心の負担になります。

 

わざわざ体の病気を作るのが、良いはずがないのは、

GID(性同一性障害)が、精神の病気でないからなの。

病気であるのなら、

体を壊すことが、病気の治療になるかも知れません。

GIDが病気でなければ、その可能性は皆無です。

 

そこで、GIDを、

基礎にある精神の病気に共通の症状と、

その上に乗っているGID特有の症状とに、分けます。

 

2階建てにして、上に乗っている症状は、

GIDに特徴的ですけれど、それだけでは病気でない、とします。

下にある基礎疾患は、他の精神の病気と共通であり、

GIDだけのものでない、とします。

 

そうすると、少し考えやすくなります。